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新しい生活
35 Upset *R18
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抑制剤を飲み始めて三日が経った。鼻血が出たり変な反応がないということは、薬が効いているということだ。俺は間違いなくSubになっている。
早足で夕方の街を歩く。
このごろは多忙を極め、小紅と二人一組で行動する余裕がない。彼は彼、俺は俺で社内外を駆け回っていた。
身体のことを思うと、一人のほうが都合が良い側面もある。なにかの拍子にCommandが使えないとバレたら終わりだからだ。
腕時計を見て、予定には間に合いそうだと安堵する。
事故があったようでタクシーが足止めをくらい、痺れを切らして歩くことを選んだところだった。
そんな中、ポケットのスマホが着信を伝えて震える。
足は止めないまま応答した。
「──延期?」
電話の相手はいままさに会いに行こうとしている取引先の人間で、急きょ予定を延期したいと陳謝された。
理由を聞けば仕方がないとしか言いようのないもので、ひたすら申し訳なさそうな相手をなだめながら踵を返す。
後日改めて日程再調整することとなり、通話は終わった。
会社に戻り、いまのうちに後回しにしていた業務を片付けるか……。
タクシーにはもう期待しない。乗降所を通り過ぎ、駅へ入っていく。
通路のデジタルサイネージでは新作映画の予告編が流れていた。かなり前、千裕が観たいと言っていたのを覚えている。
サスペンス系のはずだがDomとSubの恋愛要素もあるらしく、Playシーンらしき歯の浮くようなセリフが聞こえた。
どうにも居心地が悪くて前だけを見るが、視界の端にチラついている。
さっさと改札を通ろうとして、残高不足で止められた。
予定よりずっと早く会社に戻ると、事務作業していた小紅が不思議そうな顔で俺を迎えた。先回りして答えてやる。
「向こうの都合でな」
「え……じゃあ帰って寝たほうがいいんじゃない? この機会を逃したら、もう一生ゆっくり寝るタイミングないでしょ」
「大袈裟だな……」
「そんなことないでしょ。プロジェクトもまだぜんぜん山場で落ち着く気配ないし、明日の予定だって──」
くどくどくど。睡魔に負ける身体ではないが、小紅の説教が長くて根負けする。いま眠りたいのは誰よりも彼なのだろう。つまり八つ当たりで「時間作れるくせに寝ないのは罪」と言っているのだ。その目の下のクマはかつてないほどに濃い。
「わかった、わかった。もう帰って寝る」
「よろしい」
■
帰宅して部屋の電気をつける。
腕時計を外し、ジャケットを脱いだ。
食欲もないため、さっさとシャワーを浴びて寝よう。
ネクタイを緩めながら風呂場へ向かう。
「……はぁ」
裸になって浴室に入り、ぬるいシャワーを頭から被る。急速に温まるのを感じながら、胸にわだかまる息を吐いた。
退勤したところでリラックスできない。むしろ働いているときが一番自然体でいられる気がしている。
こんな早い時間に──といっても夜だが──眠れるだろうか。
いまさら、約束をとりつけておいて反故にした取引先に腹が立ってしまう。
Subになってから一度もCareを受けていないせいか、情緒が安定しない。普段は気にしない些細な感情を無視できなくなっていた。このイライラもそうだ。
なによりわずらわしいのは、ふとしたとき千裕のことを思い浮かべてしまうことだった。
彼と行った店でのこともそうだし、普段気にも留めない街頭のデジタルサイネージもそう。考えなくてもいいこと、思い出さなくていいことばかり頭に浮かぶ。
このさみしさのようなものは、きっとSubとして飢えているからだ。嫌気がさす。
汗を流してもちっともすっきりしない。
それどころか、忙しさで忘れていた肉体的な欲求まで顔を出してきた。
性欲を発散したのは千裕と身体を重ねたときが最後だ。
「っ……」
また余計なことを思い出してしまい、身体の奥が熱く疼く。
シャワーの水滴が頬に当たる。耳元のやかましさが、後ろめたさをわずかに隠してくれていた。
そろりと右手が下肢へ向かう。自身を緩く握り、柔らかさの中にある芯をゆるゆると扱き始める。
「ふ、うぅ……っ」
余計なことは考えないよう、水音に集中しようとする。けれど彼とのことばかりが頭によぎっていく。
萎えればいいのに実際はその逆で、気が付けば夢中になって快楽を求めて手を動かしてしまっていた。
「っは、ぁ、ぁっあ……!」
はしたない息づかいが浴室に反響する。
(イ、けない……、足りないっ……)
手の中の性器ははっきりと硬くなり、こんなにも敏感に反応しているのに射精へ至れない。
もどかしさに突き動かされ、おそるおそる自身の後ろを手で探った。
刺激を求め、指を後孔へ挿入していく。千裕に見られながら前戯としてすることはあったが、自慰としてそこに一人で触れたことはない。
「ぁ、……っく……ぅ……」
まだ物足りないが、前だけ触っているときよりは良かった。
指を深く迎えるために姿勢を調整するほど、滑稽で情けなくなる。早く終わらせたくて、たどたどしくも乱暴に指を動かし、絶頂へ至ろうとする。
「はぁ、っは……、ぁあっ……!」
湯気をまといながら排水溝が渦巻いている。淡々と排出されるシャワーの横で、無様に性感を追う。
けれどどれだけ後ろをいじっても、さらに欲しくなるだけだった。
指を挿れたままむりやり前を擦り、どうにか終わらせようとする。
「ふぅっ……ぅ……っ!」
びくっと腰が跳ね、中途半端なオーガズムと共に精液がほとばしった。
「…………っ」
全然ダメだ。──彼の声が聞きたい。
「はぁっ……、クソ……」
性器は萎えたが、身体は熱いままだった。
自慰なんてしなければよかった。
なにもかもうまくいかない。
優しい男だから、Careを求めて連絡をとれば何も言わず会ってくれるだろう。
だが、それで救われる気もしない。
千裕といると、Subであることを──彼のSubでいる喜びを受け入れてしまう。
前のような生活に戻ることは俺の幸せではない。
「俺にDomは必要ない」
そう自分に言い聞かせる。
早足で夕方の街を歩く。
このごろは多忙を極め、小紅と二人一組で行動する余裕がない。彼は彼、俺は俺で社内外を駆け回っていた。
身体のことを思うと、一人のほうが都合が良い側面もある。なにかの拍子にCommandが使えないとバレたら終わりだからだ。
腕時計を見て、予定には間に合いそうだと安堵する。
事故があったようでタクシーが足止めをくらい、痺れを切らして歩くことを選んだところだった。
そんな中、ポケットのスマホが着信を伝えて震える。
足は止めないまま応答した。
「──延期?」
電話の相手はいままさに会いに行こうとしている取引先の人間で、急きょ予定を延期したいと陳謝された。
理由を聞けば仕方がないとしか言いようのないもので、ひたすら申し訳なさそうな相手をなだめながら踵を返す。
後日改めて日程再調整することとなり、通話は終わった。
会社に戻り、いまのうちに後回しにしていた業務を片付けるか……。
タクシーにはもう期待しない。乗降所を通り過ぎ、駅へ入っていく。
通路のデジタルサイネージでは新作映画の予告編が流れていた。かなり前、千裕が観たいと言っていたのを覚えている。
サスペンス系のはずだがDomとSubの恋愛要素もあるらしく、Playシーンらしき歯の浮くようなセリフが聞こえた。
どうにも居心地が悪くて前だけを見るが、視界の端にチラついている。
さっさと改札を通ろうとして、残高不足で止められた。
予定よりずっと早く会社に戻ると、事務作業していた小紅が不思議そうな顔で俺を迎えた。先回りして答えてやる。
「向こうの都合でな」
「え……じゃあ帰って寝たほうがいいんじゃない? この機会を逃したら、もう一生ゆっくり寝るタイミングないでしょ」
「大袈裟だな……」
「そんなことないでしょ。プロジェクトもまだぜんぜん山場で落ち着く気配ないし、明日の予定だって──」
くどくどくど。睡魔に負ける身体ではないが、小紅の説教が長くて根負けする。いま眠りたいのは誰よりも彼なのだろう。つまり八つ当たりで「時間作れるくせに寝ないのは罪」と言っているのだ。その目の下のクマはかつてないほどに濃い。
「わかった、わかった。もう帰って寝る」
「よろしい」
■
帰宅して部屋の電気をつける。
腕時計を外し、ジャケットを脱いだ。
食欲もないため、さっさとシャワーを浴びて寝よう。
ネクタイを緩めながら風呂場へ向かう。
「……はぁ」
裸になって浴室に入り、ぬるいシャワーを頭から被る。急速に温まるのを感じながら、胸にわだかまる息を吐いた。
退勤したところでリラックスできない。むしろ働いているときが一番自然体でいられる気がしている。
こんな早い時間に──といっても夜だが──眠れるだろうか。
いまさら、約束をとりつけておいて反故にした取引先に腹が立ってしまう。
Subになってから一度もCareを受けていないせいか、情緒が安定しない。普段は気にしない些細な感情を無視できなくなっていた。このイライラもそうだ。
なによりわずらわしいのは、ふとしたとき千裕のことを思い浮かべてしまうことだった。
彼と行った店でのこともそうだし、普段気にも留めない街頭のデジタルサイネージもそう。考えなくてもいいこと、思い出さなくていいことばかり頭に浮かぶ。
このさみしさのようなものは、きっとSubとして飢えているからだ。嫌気がさす。
汗を流してもちっともすっきりしない。
それどころか、忙しさで忘れていた肉体的な欲求まで顔を出してきた。
性欲を発散したのは千裕と身体を重ねたときが最後だ。
「っ……」
また余計なことを思い出してしまい、身体の奥が熱く疼く。
シャワーの水滴が頬に当たる。耳元のやかましさが、後ろめたさをわずかに隠してくれていた。
そろりと右手が下肢へ向かう。自身を緩く握り、柔らかさの中にある芯をゆるゆると扱き始める。
「ふ、うぅ……っ」
余計なことは考えないよう、水音に集中しようとする。けれど彼とのことばかりが頭によぎっていく。
萎えればいいのに実際はその逆で、気が付けば夢中になって快楽を求めて手を動かしてしまっていた。
「っは、ぁ、ぁっあ……!」
はしたない息づかいが浴室に反響する。
(イ、けない……、足りないっ……)
手の中の性器ははっきりと硬くなり、こんなにも敏感に反応しているのに射精へ至れない。
もどかしさに突き動かされ、おそるおそる自身の後ろを手で探った。
刺激を求め、指を後孔へ挿入していく。千裕に見られながら前戯としてすることはあったが、自慰としてそこに一人で触れたことはない。
「ぁ、……っく……ぅ……」
まだ物足りないが、前だけ触っているときよりは良かった。
指を深く迎えるために姿勢を調整するほど、滑稽で情けなくなる。早く終わらせたくて、たどたどしくも乱暴に指を動かし、絶頂へ至ろうとする。
「はぁ、っは……、ぁあっ……!」
湯気をまといながら排水溝が渦巻いている。淡々と排出されるシャワーの横で、無様に性感を追う。
けれどどれだけ後ろをいじっても、さらに欲しくなるだけだった。
指を挿れたままむりやり前を擦り、どうにか終わらせようとする。
「ふぅっ……ぅ……っ!」
びくっと腰が跳ね、中途半端なオーガズムと共に精液がほとばしった。
「…………っ」
全然ダメだ。──彼の声が聞きたい。
「はぁっ……、クソ……」
性器は萎えたが、身体は熱いままだった。
自慰なんてしなければよかった。
なにもかもうまくいかない。
優しい男だから、Careを求めて連絡をとれば何も言わず会ってくれるだろう。
だが、それで救われる気もしない。
千裕といると、Subであることを──彼のSubでいる喜びを受け入れてしまう。
前のような生活に戻ることは俺の幸せではない。
「俺にDomは必要ない」
そう自分に言い聞かせる。
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