【完結】社畜でしたが冷酷で慈悲深い吸血鬼におやつとして愛されます――転移したら唯一無二の高級食材でした

牛丸 ちよ

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吸血鬼と人間 編

34 書斎にて〈Side J〉

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 ミュラッカから帰って一週間ほどが経った。
 今でも宿での夜を思い出してしまう。

 腕の中で眠るハヤトキの警戒心の無さにはひたすら驚いた。
 このまま噛み付いても少し怒られるくらいで済むのだろうなと考えてしまって、そのたびに心の中で自分を叱る。

 ハヤトキのことを考えると喉が渇く。
 構わず噛んでしまえば良いとも思う。ひきかえに、充分すぎるほどの庇護をしてやっているのだから。

 けれど、一噛みが一噛みで終われる気がしない。
 次にその味を舌に受ければ、欲に負けて心臓が止まるまで飲み干してしまうかもしれない。
 その味を堪能することよりも、彼を失ってしまうことのほうが怖かった。

 だから、ミュラッカでの夜は経験したことのない拷問だった。
 自分の飢餓よくぼうをああまで思い知らされたのは初めてだ。

 それ以降、ハヤトキとどう関わって良いかわからない。


「いや、本人と話し合えよ」


 ソファに寝そべって頬杖をつくバウが、面倒くさそうに言った。

 私は書斎机のカップをとり、紅茶で喉を潤してから返事をする。

「しかし……ハヤトキはもう自立のために動いている。やがて屋敷を出て行くなら、私は邪魔になるだけだ」

 ミュラッカから帰宅して一週間ほど経った。
 記憶喪失に戸惑っていたはずのハヤトキは吹っ切れたようにキッチンに立ち、料理の腕をみがいている。

 料理にるのは、おそらく街での居場所──働き口を得るためだ。
 間違いなく、私の手を離れて独り立ちしようとしている。
 やはり、遠慮なく屋敷に住めと言ったところでここは居心地が悪いのだろう。
 私のような捕食者がそばで生活しているのなら、なおさら。

「私がいくらハヤトキに惹かれても、彼が出て行くつもりなら止める権利はない」

 それにもし……いまの彼を噛んで味が薄く変わっていたら、私の心は裂けてしまうかもしれない。

「なあ、オレは惚気のろけを聞かされるために呼び出されたのか?」

 さっきからなんだ、その態度は。まったく興味がなさそうだ。人が珍しく悩みを打ち明けているというのに。

 まあいい。

「違う。ハヤトキからおまえが市場への送迎を引き受けていると聞いて、礼を伝えようと思っただけだ」

 先日、ハヤトキが市場に行くと言い出したとき、飛竜ワズワースを喚ぼうとして「目立つから」と止められた。
 ならばどうやって行くつもりだと聞けば、バウが乗せてくれると。

 確かに狼の脚でなら、徒歩よりもずっと早く行ける。
 だが、獣型魔族は《空の下で働く者》としてよく下に扱われている。
 汗を流して働いているとただでさえ揶揄からかわれるのに、他者を背中に乗せて走るなど、本来ならとてつもない屈辱なはずだ。

 そもそも、狼男のバウは満月を見るか、月の光を封じた魔宝石で暗示にかからないと狼にならない。
 本能への刺激で狼になるのは簡単だが、理性で人の姿に戻るのは相当に魔力と体力を要すると聞く。
 この男はお人よしだから、そんな事情をハヤトキには話していないだろう。

「そのことか。……まあ、借りもあるし、特別にな。なんだよ、ジェードがかしこまって礼とか、きもちわりー」

「いらんのなら捨てるが。欲しがっていたのではないか? 竜脈からとれるはがねやら魔鉱石、私には価値のわからんものだが」

 途端に、バウはソファから飛び起きた。

「何ッ!? いるいるいる! マジかよ、ジェード! オレの畑スローライフがはかどるぜ」

「そんなに好きなら、街の農園で働けばいいではないか。そうすれば珍しい農魔具も多少は借りられるだろう」

「嫌だね。あいつらはなにもわかってねえ」

 つくづく、バウも変な魔族だと思う。
 彼の生家は農家だ。マイナーな植物を育て、家畜飼料を作るかたわら天然繊維の生産も行っている。
 父親は熱心な魔王支持者であり、農場ファームの急進派だ。

 変わり者のバウは、家畜向けの穀物を魔族も食べるべきだなどと言って、父親と大喧嘩をして家出したらしい。
 その言い分もわからなくはない。彼の家が作るものは、歴史をたどれば魔族の主食になっていたものばかりだ。肉食が普及するにつれて、肉を狩れない弱者が食べるものだという風潮になり、今では家畜飼料としか思われていない。

 己の家が作るものへのプライドで食用化を考えたのか、食糧難の時代をふまえてなのか、それとも、ひと握りの魔族しか知らない農場ファーム計画を知ってのことなのかは、知らない。

 急進派の父親は、息子に話しただろうか。
 魔族が実際は雑食でありながら肉食に偏っている風潮を放置し、代替の食料を広めないのは、
 人間農場計画は、古い世代の魔族の憎しみと差別意識によって成り立っている。

 話しているにせよ、バウがこの森で非肉食を貫いているということは(ロコの付き合いでたまに食べてはいるようだが)、和解できなかったのだろう。

 街の魔族を嫌うのも、バウがやろうとしていることを誰もが嘲笑わらうからだ。

 バウは私の土地を無断で耕してせっせと何かしている。
 飼料のイメージがついてしまったものについては諦め、新たな持続可能な食用植物を探っているようだった。代替肉を作るつもりらしい。
 農具や農薬も自作するしかないため、苦労しているようだった。今回用意した礼というのは、それに関するものだ。


「オレの話はもういいよ。で? オレがハヤトキと森を開けてる間、心細いんじゃねぇか?」

「……勇者は女神の力も使うが、ほとんどの能力は人間に普及した魔族由来の魔法だ。気配やにおいの消し方もおおよそ検討がついた。おまえがいなくても問題ない」

「そういう質問じゃねぇし、ひでぇ言い方するなよ。──そのわりに、勇者のこと見つけるの時間かかってるよな」

「む……」

 バウの言う通り、勇者の能力を解析して追跡を可能にしたはずだが、いまだ尻尾をつかめずにいる。
 ツテを使ってもここまで見つけられないのは、かなりの実力者に守られている可能性もあった。しかし、この私や協力者の力をしのぐ者など、この大陸にそうそういない。
 まさかとは思うが……。
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