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✧ Chapter 1
エロゾンビ・アウトブレイク【4】
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二日目の朝も平和だった。
少なくとも、シェアハウスの中は。
窓ガラスの向こうでは明らかにゾンビの数が増え、「今日は天気が悪いな」などと言い訳しながら目が合わないようカーテンを閉め切る。
テレビやラジオは受信しないチャンネルばかりになっていた。不安が募るなか、明るい雰囲気を保とうと誰もが暗い話題を避けた。
口数の少ない朝食の時間が過ぎていく。
問題はその後だった。
朝食の片付けも終わったころ、リビングの扉が外側からノックされた。
アダンの件が周知されてからは、常に施錠して出入りのたびにドア番が開閉するようにしている。
今はトイレに立っている者も居ないため、外からノックされることはありえない。
ドア番がガラス部分を覗いて向こう側を確認すると、そこには犠牲になったはずのアダンが立っていた。
「ひっ! ひいいぃ!」
ドア番が腰を抜かし、みなが振り返る。
「えっ、アダン!? 自力で戻ってきたのか?」
「ゾンビか確かめろ!」
リビングが騒然となる。
すかさず大和がリーダー然として駆け寄り、扉の向こうと顔を合わせた。アダンは申し訳なさそうにもじもじしている。
「その……、目が覚めたら隣で鈴見くんが気絶していた。私はどうともなっていない。──開けてくれないか?」
ゾンビウイルスに侵されているようには見えなかった。はきはきと喋るし、顔色も良い。背筋もしゃんとしている。服も着替えて来たようで余裕さえ感じられた。
大和はまだ警戒しているようで、扉の内鍵に手をかけたまま質問する。
「本当に大丈夫なんですか?」
アダンは真剣な目でこちらを見た。まるで、これだけは伝えなければと使命に燃えているかのようだ。
「今までにないほど体が軽いんだ。鈴見くんの部屋に入ったことも、色々して……最中に噛まれたことも、ゾンビになったような記憶もある。だがそのうちに身体が楽になったんだ。鈴見くんもその時には気を失っていたから、彼の横で数年ぶりにぐっすりと眠ったよ。目覚めてからもとても清々しい。……後遺症が治ったようなんだ」
「なんですって?」
快楽堕ちの後遺症が治った。その言葉に大和は目を見開いて驚く。
会話に耳を澄ませていた皆々もどよめき、俺も思わず身を乗り出していた。
「まさか……エロゾンビウイルス(攻)と快楽堕ち(受)は、性質を打ち消しあうのか?」
「アダンのやつ、本当にマトモに見えるぞ」
「俺たちも噛まれに行った方が良いんじゃないか……?」
「で、でも勘違いなら? ゾンビになっちまうぞ?」
「掛け算の右が左かが変わるだけだろ」
「たしかに、大したことじゃないな」
「大したことではあるだろ」
「でもよ、あんなに我慢してたちんぽ食って健康になれるなんて夢みたいじゃないか?」
「……ワクチンポだ!」
「後遺症が治る!」
飛び交う不安や動揺はやがて、期待の渦に変わっていった。
「うおお、ヤってやる!」
一人が大和を押し退けて扉を開け、玄関に向かって飛び出す。
「わあっ!? ま、待ってください、検証もしてないのに危な──」
「俺もヤるぞ!」
「置いていかないでくれ!」
制止も虚しく、どたどたと無数の足音が遠退いていく。
窮屈だったリビングはあっという間に元の広さを取り戻した。
廊下側ではアダンが、リビング側では尻餅をついた大和が呆然としている。
明くるがおろおろと大和とアダンを交互に見ていた。
俺は窓辺に行って、そっとカーテンを開けた。外を眺める。
シェアメイトたちが無差別にゾンビを押し倒す姿が見えた。どちらがモンスターか、とてもわからない光景だ。
「お、おぞましい……」
矢先、曇り空から雷鳴が響く。
地上に氾濫した不道徳さに空が嘆いたかのようだ。
ぽつりと水滴が落ちたかと思うと、激しい雨が降り始める。
それでも誰一人、シェアハウスの中へ戻ってくる気配はなかった。
大和が隣に来て、おそるおそる外をうかがう。
「止めなくて良かったんでしょうか……」
「あんな暴動、とても止められん」
「私のせいだ……もっと落ち着いて話せばよかった」
振り返れば、気まずそうにするアダンが立っていた。
じっと観察するがやはり彼はゾンビでも狂人でもなくただのエルフに見える。本当になんともないのなら、これが本物の奇跡である可能性も否定はできない。シェアメイトが飛びついてしまう気持ちもわかる。
なんとなく、大和を見やった。
「大和は行かないのか?」
なんなら傘を差してやるぞと言えば、彼は肩をすくめて笑う。
「タイミング逃しちゃいましたね」
騒がしいのが外だけではなく、つけっぱなしにしていたテレビもだと気付いた。
見ると、中継リポーターが興奮しながら何かを実況している。
『み、見てください! ゾンビたちの様子が!』
大和やアダンたちも俺の視線を追ってテレビ画面を見た。
『雨を被ったゾンビが弱っていきます! これは……、あっ! いま、一体が倒れました! 気を失っているようです! ああ、他にも! これはっ、ゾンビは雨が苦手なのでしょうかっ!?』
ハッとして窓の外に視線を戻すと、映像と同じように濡れたゾンビは動きが鈍り、そのうちに動かなくなるではないか。
押し倒していたシェアメイトが困惑していた。
「どうなってるんだ……?」
目をしばたかせる。
■
あの雨のおかげで、流水を浴び続けるとゾンビ状態から元に戻ることが発見され、事態は急速に収束した。
よく調べると、それはウイルスではなく寄生魔物だったらしい。
鈴見も風呂釜に押し込めてシャワーをかけることで正気を取り戻した。ゾンビだった間のことは覚えていないらしく、童貞を失ったことはみんなで黙っている。気の毒だから。
アダンは理由を言えないまま鈴見に頭が上がらなくなっていた。
俺と大和は、庭のデッキチェアで日向ぼっこをしながら先月の事件を振り返っていた。
「治し損ねちまったな」
「まあ、仕方ないですよ。──アダンさんは早速、仕事を見つけたらしいですよ」
雨の中でゾンビを犯したシェアメイトたちは感染すること叶わず、後遺症は治らなかった。
アダンだけがパーフェクトな身体を取り戻していた。そうして数日前に、祝われながらシェアハウスを卒業したのだ。
「俺たちもいつか、ここを卒業しましょうね」
「そうだな」
空室になったアダンの部屋。
物静かな彼のやわらかな笑顔は一生忘れまい。
――人生をやり直せることが心の底から嬉しい。今までありがとう。
そう言って出発していった。新生活に幸あれ。
しかし、彼が自力で見つけた職場は裏で邪神を崇める闇教団で、研修と称して新人を宇宙生物への供物にしていた。
一ヶ月後にはシェアハウスへ出戻ることになるとはまだ誰も知らない。
少なくとも、シェアハウスの中は。
窓ガラスの向こうでは明らかにゾンビの数が増え、「今日は天気が悪いな」などと言い訳しながら目が合わないようカーテンを閉め切る。
テレビやラジオは受信しないチャンネルばかりになっていた。不安が募るなか、明るい雰囲気を保とうと誰もが暗い話題を避けた。
口数の少ない朝食の時間が過ぎていく。
問題はその後だった。
朝食の片付けも終わったころ、リビングの扉が外側からノックされた。
アダンの件が周知されてからは、常に施錠して出入りのたびにドア番が開閉するようにしている。
今はトイレに立っている者も居ないため、外からノックされることはありえない。
ドア番がガラス部分を覗いて向こう側を確認すると、そこには犠牲になったはずのアダンが立っていた。
「ひっ! ひいいぃ!」
ドア番が腰を抜かし、みなが振り返る。
「えっ、アダン!? 自力で戻ってきたのか?」
「ゾンビか確かめろ!」
リビングが騒然となる。
すかさず大和がリーダー然として駆け寄り、扉の向こうと顔を合わせた。アダンは申し訳なさそうにもじもじしている。
「その……、目が覚めたら隣で鈴見くんが気絶していた。私はどうともなっていない。──開けてくれないか?」
ゾンビウイルスに侵されているようには見えなかった。はきはきと喋るし、顔色も良い。背筋もしゃんとしている。服も着替えて来たようで余裕さえ感じられた。
大和はまだ警戒しているようで、扉の内鍵に手をかけたまま質問する。
「本当に大丈夫なんですか?」
アダンは真剣な目でこちらを見た。まるで、これだけは伝えなければと使命に燃えているかのようだ。
「今までにないほど体が軽いんだ。鈴見くんの部屋に入ったことも、色々して……最中に噛まれたことも、ゾンビになったような記憶もある。だがそのうちに身体が楽になったんだ。鈴見くんもその時には気を失っていたから、彼の横で数年ぶりにぐっすりと眠ったよ。目覚めてからもとても清々しい。……後遺症が治ったようなんだ」
「なんですって?」
快楽堕ちの後遺症が治った。その言葉に大和は目を見開いて驚く。
会話に耳を澄ませていた皆々もどよめき、俺も思わず身を乗り出していた。
「まさか……エロゾンビウイルス(攻)と快楽堕ち(受)は、性質を打ち消しあうのか?」
「アダンのやつ、本当にマトモに見えるぞ」
「俺たちも噛まれに行った方が良いんじゃないか……?」
「で、でも勘違いなら? ゾンビになっちまうぞ?」
「掛け算の右が左かが変わるだけだろ」
「たしかに、大したことじゃないな」
「大したことではあるだろ」
「でもよ、あんなに我慢してたちんぽ食って健康になれるなんて夢みたいじゃないか?」
「……ワクチンポだ!」
「後遺症が治る!」
飛び交う不安や動揺はやがて、期待の渦に変わっていった。
「うおお、ヤってやる!」
一人が大和を押し退けて扉を開け、玄関に向かって飛び出す。
「わあっ!? ま、待ってください、検証もしてないのに危な──」
「俺もヤるぞ!」
「置いていかないでくれ!」
制止も虚しく、どたどたと無数の足音が遠退いていく。
窮屈だったリビングはあっという間に元の広さを取り戻した。
廊下側ではアダンが、リビング側では尻餅をついた大和が呆然としている。
明くるがおろおろと大和とアダンを交互に見ていた。
俺は窓辺に行って、そっとカーテンを開けた。外を眺める。
シェアメイトたちが無差別にゾンビを押し倒す姿が見えた。どちらがモンスターか、とてもわからない光景だ。
「お、おぞましい……」
矢先、曇り空から雷鳴が響く。
地上に氾濫した不道徳さに空が嘆いたかのようだ。
ぽつりと水滴が落ちたかと思うと、激しい雨が降り始める。
それでも誰一人、シェアハウスの中へ戻ってくる気配はなかった。
大和が隣に来て、おそるおそる外をうかがう。
「止めなくて良かったんでしょうか……」
「あんな暴動、とても止められん」
「私のせいだ……もっと落ち着いて話せばよかった」
振り返れば、気まずそうにするアダンが立っていた。
じっと観察するがやはり彼はゾンビでも狂人でもなくただのエルフに見える。本当になんともないのなら、これが本物の奇跡である可能性も否定はできない。シェアメイトが飛びついてしまう気持ちもわかる。
なんとなく、大和を見やった。
「大和は行かないのか?」
なんなら傘を差してやるぞと言えば、彼は肩をすくめて笑う。
「タイミング逃しちゃいましたね」
騒がしいのが外だけではなく、つけっぱなしにしていたテレビもだと気付いた。
見ると、中継リポーターが興奮しながら何かを実況している。
『み、見てください! ゾンビたちの様子が!』
大和やアダンたちも俺の視線を追ってテレビ画面を見た。
『雨を被ったゾンビが弱っていきます! これは……、あっ! いま、一体が倒れました! 気を失っているようです! ああ、他にも! これはっ、ゾンビは雨が苦手なのでしょうかっ!?』
ハッとして窓の外に視線を戻すと、映像と同じように濡れたゾンビは動きが鈍り、そのうちに動かなくなるではないか。
押し倒していたシェアメイトが困惑していた。
「どうなってるんだ……?」
目をしばたかせる。
■
あの雨のおかげで、流水を浴び続けるとゾンビ状態から元に戻ることが発見され、事態は急速に収束した。
よく調べると、それはウイルスではなく寄生魔物だったらしい。
鈴見も風呂釜に押し込めてシャワーをかけることで正気を取り戻した。ゾンビだった間のことは覚えていないらしく、童貞を失ったことはみんなで黙っている。気の毒だから。
アダンは理由を言えないまま鈴見に頭が上がらなくなっていた。
俺と大和は、庭のデッキチェアで日向ぼっこをしながら先月の事件を振り返っていた。
「治し損ねちまったな」
「まあ、仕方ないですよ。──アダンさんは早速、仕事を見つけたらしいですよ」
雨の中でゾンビを犯したシェアメイトたちは感染すること叶わず、後遺症は治らなかった。
アダンだけがパーフェクトな身体を取り戻していた。そうして数日前に、祝われながらシェアハウスを卒業したのだ。
「俺たちもいつか、ここを卒業しましょうね」
「そうだな」
空室になったアダンの部屋。
物静かな彼のやわらかな笑顔は一生忘れまい。
――人生をやり直せることが心の底から嬉しい。今までありがとう。
そう言って出発していった。新生活に幸あれ。
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