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1章 最初にして、唯一の
1-8 なにもかも、俺が悪かった
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メンテナンス工場をあとにした俺たちは、また片道三十分をかけて家へ帰ってきた。
住み慣れた1LDKのアパートに戻り、玄関の扉を開けて入る。
鍵のかかる金属音を聞いたら、緊張で胸が苦しくなった。
俺には、今からしなくてはならない大事なことがある。
「――ハジメ」
扉の前に立ったまま、俺は彼につけたばかりの名前を呼ぶ。
ハジメは先に靴を脱いで部屋へ向かおうとしていたが、俺に呼ばれてこちらを振り返った。
「はい、ご主人様」
その黒い瞳と目が合う。
……ああ。こいつは俺のことを、こんな俺のことを、まだ主人と呼んでくれるんだな。
ふと、そんなことを考えた。
俺は靴も脱がないまま、玄関のタイルの上で両膝をついた。
そして両手をつき、深く頭を下げる。
「今まで、すまなかった」
アパートの玄関は狭くて薄暗い。
傘立てや靴が乱雑に置かれ、掃除も行き届いていないから埃っぽい。タイル敷きの床はひんやりとしていて、じわじわと体温を奪う。
そのひとつひとつを、たぶん俺はずっと忘れないだろう。
ハジメに対して深く頭を下げた格好のまま、俺はこの数日ずっと考えてきた言葉を口にする。
「……俺は、お前にずいぶん酷いことばかりしてきた。暴言を吐いたり、罵ったり、起こしてもらっておきながら文句を言ったり、俺の健康を気遣ってくれているのに口やかましいと言ったり……いや、それだけじゃない。もっと別のアンドロイドが欲しかっただとか、よそのユーザーのところへ行けよとか、そんなことも平気で言った」
思い返せば、俺は本当にろくでもない主人だった。いや、俺には主人を名乗る資格すらない。ことあるごとに『型落ちの中古品』だと罵り、そのくせメンテナンスをきちんと受けさせなかった。そのせいでハジメは歩けなくなってしまった。
挙げれば挙げるほどキリがない。
ハジメはずっと俺のために尽くしてくれていたのに、俺は一度だってハジメを大切にしてやったことなんてなかった。
それなのに、ハジメはこころもとない声で俺を呼ぶ。
「……ご主人様」
こいつがまだ俺のことを主人だと思ってくれているのなら、俺はせめて主人としてあるべき姿を見せなくてはならない。
まっすぐに視線を上げ、ハジメを見つめる。
「よく聞いてくれ。お前はひとつも悪くない。ただ自分の仕事を精一杯こなそうとしていただけだ。お前はいつだって真面目に仕事をしてくれていた。……だから、全部、なにもかも、俺が悪かった」
そう伝え、あらためて深々と頭を下げる。
ハジメはゆっくりとしゃがみ、優しい声で俺に言った。
「そこではお体が冷えます。上がりましょう」
「…………」
俺は、答えることができなかった。
頭を下げて謝るほかに、どうしていいのかわからなかった。
俺はなんのために謝罪をしているのだろう。
許されたいわけじゃない。
許されていいわけがない。
俺は、俺がしてきたことは――。
これまでの自分の行為が頭の中に渦巻き、自分自身の愚かしさに頭痛と眩暈がした。
ハジメはよくこのアパートに……俺のところに帰ってきてくれたと思う。俺がハジメと同じ立場なら、間違いなく主人を見限る。
いや、そもそもアンドロイドには「主人を見限る」という選択肢など与えられていないのか。そうでなければ、俺のような主人などとっくに捨てられているはずだ。
「コーヒーをお淹れします。さあ」
顔を上げると、ハジメがこちらに手を差し出していた。
「……淹れてくれるのか」
「ええ、もちろんでございます。一緒にダイニングへまいりましょう」
それはこの二週間、ずっと焦がれていたものだった。
またハジメの淹れてくれるコーヒーが飲みたい。
そればかりを考えて過ごしてきた。
「……ありがとう」
俺は服の裾で手をぬぐい、ハジメの手を取る。
ゆっくり立ち上がると、ハジメはほっとしたように微笑んだ。
住み慣れた1LDKのアパートに戻り、玄関の扉を開けて入る。
鍵のかかる金属音を聞いたら、緊張で胸が苦しくなった。
俺には、今からしなくてはならない大事なことがある。
「――ハジメ」
扉の前に立ったまま、俺は彼につけたばかりの名前を呼ぶ。
ハジメは先に靴を脱いで部屋へ向かおうとしていたが、俺に呼ばれてこちらを振り返った。
「はい、ご主人様」
その黒い瞳と目が合う。
……ああ。こいつは俺のことを、こんな俺のことを、まだ主人と呼んでくれるんだな。
ふと、そんなことを考えた。
俺は靴も脱がないまま、玄関のタイルの上で両膝をついた。
そして両手をつき、深く頭を下げる。
「今まで、すまなかった」
アパートの玄関は狭くて薄暗い。
傘立てや靴が乱雑に置かれ、掃除も行き届いていないから埃っぽい。タイル敷きの床はひんやりとしていて、じわじわと体温を奪う。
そのひとつひとつを、たぶん俺はずっと忘れないだろう。
ハジメに対して深く頭を下げた格好のまま、俺はこの数日ずっと考えてきた言葉を口にする。
「……俺は、お前にずいぶん酷いことばかりしてきた。暴言を吐いたり、罵ったり、起こしてもらっておきながら文句を言ったり、俺の健康を気遣ってくれているのに口やかましいと言ったり……いや、それだけじゃない。もっと別のアンドロイドが欲しかっただとか、よそのユーザーのところへ行けよとか、そんなことも平気で言った」
思い返せば、俺は本当にろくでもない主人だった。いや、俺には主人を名乗る資格すらない。ことあるごとに『型落ちの中古品』だと罵り、そのくせメンテナンスをきちんと受けさせなかった。そのせいでハジメは歩けなくなってしまった。
挙げれば挙げるほどキリがない。
ハジメはずっと俺のために尽くしてくれていたのに、俺は一度だってハジメを大切にしてやったことなんてなかった。
それなのに、ハジメはこころもとない声で俺を呼ぶ。
「……ご主人様」
こいつがまだ俺のことを主人だと思ってくれているのなら、俺はせめて主人としてあるべき姿を見せなくてはならない。
まっすぐに視線を上げ、ハジメを見つめる。
「よく聞いてくれ。お前はひとつも悪くない。ただ自分の仕事を精一杯こなそうとしていただけだ。お前はいつだって真面目に仕事をしてくれていた。……だから、全部、なにもかも、俺が悪かった」
そう伝え、あらためて深々と頭を下げる。
ハジメはゆっくりとしゃがみ、優しい声で俺に言った。
「そこではお体が冷えます。上がりましょう」
「…………」
俺は、答えることができなかった。
頭を下げて謝るほかに、どうしていいのかわからなかった。
俺はなんのために謝罪をしているのだろう。
許されたいわけじゃない。
許されていいわけがない。
俺は、俺がしてきたことは――。
これまでの自分の行為が頭の中に渦巻き、自分自身の愚かしさに頭痛と眩暈がした。
ハジメはよくこのアパートに……俺のところに帰ってきてくれたと思う。俺がハジメと同じ立場なら、間違いなく主人を見限る。
いや、そもそもアンドロイドには「主人を見限る」という選択肢など与えられていないのか。そうでなければ、俺のような主人などとっくに捨てられているはずだ。
「コーヒーをお淹れします。さあ」
顔を上げると、ハジメがこちらに手を差し出していた。
「……淹れてくれるのか」
「ええ、もちろんでございます。一緒にダイニングへまいりましょう」
それはこの二週間、ずっと焦がれていたものだった。
またハジメの淹れてくれるコーヒーが飲みたい。
そればかりを考えて過ごしてきた。
「……ありがとう」
俺は服の裾で手をぬぐい、ハジメの手を取る。
ゆっくり立ち上がると、ハジメはほっとしたように微笑んだ。
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