幸か不幸か

糸坂 有

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「たまには、世間にミステリーチックな事件を供給してもいいんじゃないかって思ってね。ミステリーというのは古今東西、あらゆる種類の人間から愛されるものだからねえ。供給できる側に立つことは、とても気分が高揚するよ。でもまあ、こんなものじゃ大したミステリーとは言えないんだ。僕はまだまだ、この点については初心者だからね。じゃあ、前置きはいいから話を始めよう。
 相手を村崎奈々さんに選んだのは、本当に偶然なんだ。たまたま目に付いたのがあの子だったんだよ。奈々さんの運が悪かったのか、あるいは運が良かったとも言えるかもしれないよ。だって、長生きしたってそうそう良いことなんて多くはない。世の中の厳しさを知る前に、純粋なまま死ぬことが出来たというのは、もしかすると喜ばしいことであるとも言えるんじゃないかな? とにかくあの子は良い子だったし、死ななければならない理由なんてなかった。ただ、行動がパターン化していたこと、僕に目を付けられてしまったこと、家の場所なんかが原因で、僕に殺されてしまったわけだ。でも、悪いことをしたとは思ってないよ。生物は生まれた時点から、死へのカウントダウンが始まっているわけだろう? 生があれば必ず死もある。死ぬのがちょっと早いか遅いかだけの話だ。死に方がどうであれ、結果は同じだ。将来有望って言ったって、どうせ何十年かのこと。こんな考え方、きっと君には理解できないだろうねえ。ぜひ、怒らないで最後まで聞いてほしい。
 僕は事前に近辺について調査をしていた。世間に広くミステリーを供給するためには、努力を惜しむつもりもなかったよ。あの公園に中学生たちがいたのは偶然じゃない。本人たちは偶然だと思っているだろうけどね。だって、証言者がいないとつまらないから、上手くいって良かったよ。すでに言った理由から僕は着実にプランを練り、その日、奈々さんを待ち伏せして絞殺した。普段はナイフが手っ取り早いんだけど、それだと血痕のこともあるから、絞殺にした。血は好きなんだけどねえ。手で絞めたいところだったけど、明らかな証拠が残ってしまうから道具を使ったんだ。その後、僕が向かったのは、とある家だった。抜け道を使わせてもらうためさ。すでに君も知っている。どこの家だと思う?」
「留守の家ではなく、ですか?」
「そうだよ。在宅中の家。四つに一つだ」
「……容疑者その四、ですか」
「その心は?」
「九十代の老人は、家に人が来たことを忘れてしまっていて、証言しようがない」
 僕はやけくそである。ぞっとするような男の声はホラーめいていて、冗談だろうと分かりつつも、鳥肌が立っていた。
「御名答」
 男は、あっさりとそう言った。僕は目を瞬かせる。
「え。本当に?」
「正解したんだから、疑わずに誇りを持ってよ。大正解だ。実を言うと、僕は何度かそれまでに家にお邪魔したことがあったんだよ。そしてその日も、インターフォンを押した。妻に、誰か来ても出なくていいときつく言い含められているはずなんだけど、それを忘れちゃうんだろうね。いつだって必ず出ちゃうんだ。その日も僕を出迎えてくれたよ。ケアマネージャーですって言えば、笑顔で家に入れてくれるんだ。耳は遠いけど、会話は成り立つし、面白い人だよ。僕としてももっと話していたいところだったけど、悠長にしている暇はない。適当に会話を終わらせて、失礼しますって庭の方に出たんだ。お爺ちゃんはにこにこして僕を咎めなかったよ。あの家には証拠は一切残していない。指紋も、髪の毛一本さえもね。それから狭い道へ出て、縄を処分、悠々と歩いて帰った。結局、その間誰も僕を見た人はいなかった。僕があの時間、あの近辺にいたことを知る人はいないというわけさ」
 あっけない解答であり、聞いてしまえばそんなものかと拍子抜けしてしまう。僕はしだいに雨が止むのを眺めていて、男は相変わらず興奮したように息をしていた。
「これが真相。どうかな、面白かった?」
「面白いというか、それが真相だったら拍子抜けですね」
「通報する?」
「いや、冗談ですよね。証拠もないですし」
「ははは、そうだねえ。確かに冗談みたいな話だ」
「冗談、なんですよね?」
 僕はふと不安に煽られ、男に問いかけた。しかし男は何も答えないまま、果てしない闇が続く空を見上げていた。
「数日後には、二軒隣に住む大学生の男が容疑者になる予定だからね。工作して来たんだ。当然のことだよ」
「本当にそうなったら、あなたのことを犯人だと信じますよ」
「信じた時にはもう遅いよ。捕まえるのなら今だ。きっと君、僕が服を着替えたら、僕の顔なんてすっかり忘れてしまうんだからね」
 それは呪いのような言葉だった。男の楽しげに笑う口元だけが、僕の意識にこびりつくようだった。
「じゃあ、自主して下さい」
「あはは、それはないな。ないよ、どう考えても。自由じゃない毎日なんて、死んでるのと同じだ。生きている甲斐がないと、僕は思うなあ」
「悪い事をしているのに自由が欲しいなんて、傲慢過ぎます。人として、どうかと」
「君は手厳しいねえ。ま、君たちに出来ることは、僕のような人間から逃げることだよ。最初に話したよね、夜道を歩いていたら女性に逃げられたとか、今日デートを断られたとかって。君たちが取るべき行動はまさにそれで、悪い奴らに目をつけられないよう、気を付けた方がいいってことだ。デート相手の女の子なんて、今日気分が高ぶっていい感じになったら、殺そうかと思ってたところだからねえ。危機一髪、せっかくだから、あの子には幸せに生きて欲しいものだよ。一応言っておくけど、子供や女性が狙われやすいのは道理だけど、君みたいな男の子だって分からないよ? 幸い、ここは人気が少ない」
「何が言いたいんですか」
 見渡す限り、ここにいるのは二人の人間だけだ。ここから人が一人いなくなったところで、騒ぎ立てる人はいない。
 二人の目の前を、一台の車が通り過ぎて行った。
「もし僕がその気になれば、君だってすぐに殺されてしまうということだ。今日はしないよ、楽しかったからねえ。すごく、正直すごくいい感じの気分なんだけど、君を殺すのは惜しいって、心のどこかで思っているのかもしれない」
 男は一歩前へ出て、天に手を差し出すようにした。
「雨も止んだみたいだ。どうやら天に祈りが通じたねえ。じゃあ、ちょっと名残惜しくもあるけど、そろそろお開きにしよう」
 一歩二歩と歩いて、僕と男の距離は開いて行く。濡れた傘を持つ僕と、何も持たない男の間には大きな隔たりがあるように見えた。
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