振り向けば

糸坂 有

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十二

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 夏休みに入って一週間。
 学は、以前陸と一度入ったファミレスに来ていた。
「正直、連絡はもっと後だと思っていました。早速宿題をやるなんて、偉いですね」
「年上に言う台詞かそれ?」
 初めて見た陸の私服は、学には到底思いつかない組み合わせだった。ライトグレーの透かし網ニットに、ネイビーのパンツ。しかも裾はロールアップ。雑誌に載っていそうな出で立ちの陸をほうと眺め、実際に載っていたか、と思い直した。シンプルに見えるのに決まっている。
 陸に着られるために存在するような服は、自身の力を如何なく発揮していた。
「そういえば、まだモデルの仕事はやってるんですか?」
「まあな。でも勉強に専念するからやめるって、宣言してるから。周りもやっと納得してくれたみたいだし」
 肘を付きながら、すらすらと空欄を埋めていく。
すでに学が教えるという形は取っておらず、互いに宿題を黙々と進めていた。友達同士の勉強会というのが良く当てはまるだろう。分からないところだけをたまに訊いてくるが、ほぼ自分だけの力で解いていた。
「良かったですね。目標ができて」
「目標……」
 学は、ストローでしゅわしゅわした薄い青色の液体をかき混ぜた。
「俺、あれから親といろいろ話した」
「そう、でしたか」
 ストローで、飲むと、炭酸がぴちぴち弾けながら喉を通っていく。その感覚が慣れなくて、学はほんの少し顔を顰めた。
 親といろいろ。曖昧な言葉に、学は少し緊張しながら続きを待った。
「ババアが、学くんは良い子だってやたら褒めてたぞ」
「え」
「陸が変わったのは、お前のおかげだって」
 陸の視線の色が変わった気がして、学は口を噤んだ。優しい目元は、以前の陸からは想像できない。
 学は、ふるふると首を振った。
「僕なんて、何もしていません。僕ができることなんて、ちっぽけなものですから」
 どうやら事態は好転こそすれ、悪化していないようで学は心底ほっとした。意味ありげな陸の視線を感じて、学はプリントに目を落とす。
 夏休みが始まって一週間で、学は七割ほど宿題を終わらせていた。残っているのは問題集があと少しと、読書感想文などである。
 陸も、今までにないくらいのハイペースで宿題を終わらせているようで、全てが終わったら思い切り遊ぶのだという。
 しばらく無言で宿題を進めていると、ひと段落着いた陸がペンを机に落とした。
「お前、夏休み予定あんの?」
「友人と祭りに行く予定はありますけど」
 もちろん友人とは、望のことである。人混みに紛れて騒ぐなんて、一番嫌いなことだろうに、なぜか祭りは好きなのが望である。毎年ではなかったが、望はちょくちょく学を祭りに誘うので、その時は二つ返事でOKしている。
「じゃ、俺ともどっか行こうぜ」
「え」
 うっかり、感情のまま心の声を漏らしてしまって、学は咄嗟に口を押えた。陸とどこかに行くのが嫌なわけではなく、そんな誘いを受けることが意外すぎたのである。
「あ、いや」
 慌てて取り繕うが、陸はつまらなさそうに肘を付いて、「嫌なのかよ」と呟いた。
「いえ、決してそういうわけでは。ただちょっと驚いたんです。夏休みなんて、先輩のことですし、女性からたくさんお誘いを受けてるんじゃないかと思いまして」
「別に」
 陸は、肯定も否定もしなかった。てっきり、「まあな」と自慢するのかと思えば、誤魔化すような答えに拍子抜けした。
「女は、いろいろややこしいから」
「もしかして、女性関係で深刻な問題でもありましたか?」
「ねえよ。てか、最近そういうのやめた」
「やめた?」
「刺されるっつったのてめーだろうが」
「なるほど」
 考えてみれば、夏休み前の最後の数週間は、一度も女絡みの呼び出しを受けていない。というより、勉強絡みでしか会ってはいなかった。
「最近、いろいろ面倒になってきたから。つれないって文句は言われるけど、俺、やることも見つかったしな」
 陸も変わったものである。視線を送っていると、「何だよ」と文句を言われた。
「分かりました。だったら暇なときにでも遊びに行きましょう」
「おう」
 心なしか、返事する顔が嬉しそうである。もしかしたら、女子にモテるあまり男子からは僻まれているとかで、友達がいないのだろうか。いや、でも。学は、派手な男子生徒たちと、いつだったか談笑していた姿を思い出して、首を捻った。
「具体的なことはそのうちな」
「はい」
 そして、その日はそのまま解散。
 じゃあな、と片手を上げる陸に黙礼し、人混みに紛れながら改札口へと滑り込んだ。
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