振り向けば

糸坂 有

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十四

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 家に帰って風呂から上がると、陸から連絡が来ていた。文面を見ると、一言だけ書かれていた。
 ――明日ファミレスに来れる?
 来いではないことに進歩を感じながら、スケジュール帳を確認し、学は了解の返事を送った。
 そして次の日。昼前。いつものファミレス。
「俺、最近本当に女と遊んでないんだよ」
 学はパスタを巻きながら、何となく上の空でドリアをつつく陸の言葉に、「はあ」とやる気のない返事をしてしまった。知っていたからである。知っていることを改めて言われても、リアクションは薄くなる。
「知ってますけど。それがどうしたんですか?」
 頭に浮かんだのは、昨日の光景。女子二人に囲まれ、楽しそうに歩いていた陸の姿。
「昨日は、どうしても断りきれなかった二人と行っただけで」
 まるで、浮気がばれて言い訳をする男のようである。学は巻き終えたパスタを口に運び、ゆっくりと咀嚼してから飲み込むと、びくびくとした様子で学の言葉を待つ陸に宣言した。
「別に、いいじゃないですか」
 女の子と遊ぶかどうかは自由だし、生活態度を見直していることも良いことなのだから、学にお伺いを立てるようなことは必要ないはずである。誰かと付き合うなとか、遊ぶなと言っているわけではないのだ。誰か一人と真剣交際をすると言うなら、学も精一杯応援するだろう。
 やめたと言っておきながら遊んでいるところを見られたから、気まずいのだろうか。ちょっとくらい、気にすることではないはずなのに。
 学は思考を巡らして、解を導いた。
「二股ですか」
「ちげーよ!」
「違うんですか?」
「ただの友達だっつーの。そこはちゃんと分かってくれてる奴らだから」
 だから、仕方なくではあったが行ったんだ――陸はドリアを口に放り込み、乱暴に飲み込んだ。
 学はさらに理解できなくなった。ならば、学に言い訳をする必要なんて、まさしく皆無のはずだ。しかし、そこまでして誘うということは、きっと女の子の方は気があるのだろう。問題があるとすれば、そこだった。しかし、陸は続けた。
「今付き合ってる奴はいねえし、付き合いたい女もいねえよ」
「モテる男は辛いっていう話ですか」
「ちげーよ」
 全面否定してから、陸はフォークでフライドポテトを突き刺した。
「とにかく、そういうことだから」
「僕に、誰か女性を紹介してほしいってことですか?」
「変な深読みすんなよ。言葉通りに受け取っとけ」
 学は陸の言葉を上手く飲み込めないまま、パスタとサラダを完食した。怒りと照れと呆れがない交ぜになったような表情は、さらに学を不可解にさせる。すでに完食していた陸を前に、手を合せると、陸も同じようにした。
「お前の隣にいたの、見たことあったわ」
「隣、ですか」
「たまにお前と歩いてたし」
 それが、望のことであることはすぐに分かった。望も、外見に派手さはなくとも目立つ存在であることは確かだ。浮世離れしていて、儚げで、薄い。一度見ればつい目を奪われるその容姿は、陸とは反対の意味で目立った。
「同じ学校ですしね」
「綺麗な奴だったな」
 ガラスを傾けていた学は、一瞬むせそうになって心を落ち着ける。
「大丈夫か?」
「き、綺麗って」
 陸の心配する声をよそに、学はだんとグラスを置いた。中に残っていた水が飛び跳ねた。
「せ、先輩から見てもそう見えるってことですか」
「え? あ、ああ、まあ。男に言うのも変だけどな」
 学はじとーっとした視線を送った。
 もしかして。
 生来、チャラくて軽いノリの陸のことである。男だから、は望の場合理由にはならない。女性よりも綺麗なくらいなのだ。学ですらこの有様である。
 学はもともと男が好きだったわけではない。望以外の男をそんな目で見たこともないし、見ることなんて出来ないと思っている。世界でただ一人、望だけが好きなのだ。
 敵意の視線を送っていると、陸は世間話のように決定的な言葉を発した。
「お前が好きなのも頷けるっていうか」
 時間が止まった。音も、動きも、全てが一瞬止まり、学の思考も停止した。しかし一秒後には、店内に流れる音楽も、客の話し声も、店員の挨拶も、全てが元通りになって、学は我に返る。
「あ、ああ。もちろん、友人ですから好きですが」
「じゃなくて」
 店内はクーラーが利いていて涼しいはずなのに、急激に学の体温は上がり、心拍数も増えた。
「友情じゃない意味でも、好きなんじゃねーの」
 なぜ。なぜ。なぜ。
 頭の中にその言葉が駆け巡る。いつ、どこで、どうして。
 学は深く息をして、残っていた水を飲み干した。
「……どうしてそう思うんですか」
 神妙な学に対し、陸はあっけらかんと答えた。
「勘」
「勘?」
「第六感ってやつ? 妙に優しい顔してるし、よく笑ってるし……っていうのは気のせいかもしんねえけど、多分そうなんじゃないかって思った」
 陸の瞳には確信が映っている。下手に否定しても無駄な気がして、嘘を吐くのも気がひけて、学は肯定も否定もせず押し黙った。それはつまり、陸にとっての肯定である。
「やっぱり」
 陸は背もたれにもたれた。
 小さく呟いた言葉を聞き、学は手を握りしめた。
「そんなに分かりやすかったですか」
「いや? 他の奴はもっと分かりやすいだろ。お前ほど分かりにくい奴は初めて見た」
「じゃあなんで」
「俺には分かるから」
「答えになってませんよ」
 陸は少し考えて、もう一度言った。
「お前のこと見てたから、かな」
 じー。
 奥に真剣さを必死に覆い隠そうとしている瞳が、学に視線を突き刺す。たまに、陸がこんな目をすることを、学は知っていた。こんな風に見つめられると、いつだって金縛りにあった気分になる。頭がしだいにぼんやりとして、麻痺するのである。だから、苦手だった。
 視線を避けるように、空になった皿に目を落とした。
「答えになってませんって」
 見ているだけで分かるなら、苦労はない。でも。
 学は一瞬だけ視線を上げた。
 もしかしたら、この目は、他の人とは違う何かを見ているのかもしれない。
 瞳が封じ込まれたように急速に冷えると、陸は学を気遣うようにゆっくりと口角を上げた。
「安心しろよ。誰にも言わねえし、何もしねえから」
 初めて頼もしい先輩に見えて、実際に先輩だったかと思い直すと、ふふ、と笑いを堪えられなくなった。
「優しいですね、最近」
「べ、別に優しいとかねえけど」
「ありがとうございます」
 男が男を好きなんて、もっと驚かれたり蔑まれるものだとばかり思っていたのである。だって、明らかにちゃんとはしていない。一般的ではないし、生物的に、子孫も残せない。
 誰にも気付かれないまま、この想いはなかったことになるはずだったのに、うっかりばれてしまって、学は肩の荷が下りた。
 ちゃんとしていない学を知ってもなお、普通に接してくれる人がいる。
「これからも、俺と仲良くしてくれますか?」
「それはこっちの台詞だろ」
 陸は答えるまでもない、と学の言葉を突っぱねた。
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