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第十五章

15-21.怨嗟

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 派手に装飾された赤色甲冑を纏った男が奴隷騎士隊を見下ろし、鼻で笑った。それに気付いたセシルが顔を上げ、目を見開く。セシルの驚きが後ろに控える隊員たちに伝播し、何人かが、“第一皇子殿下”や“ガウェイン殿下”などと呟いた。

 それによって、通路の先の門の上にある2つの窓の片方から顔を覗かせているその上級騎士の顔を知らないものにも、その人こそが帝国第一皇子であるという事実が伝わり、小さなざわめきが起きる。仁は奥歯を強く噛みしめた。

「騎士を名乗っていても、所詮、奴隷は奴隷か。礼儀というものを知らんようだな」

 上方から降ってきた言葉に、セシルがハッと息を呑む。セシルは一瞬の逡巡の後、その場に片膝をつき、顔を伏せた。それは上級騎士に対する礼ではなく、皇族を相手にするものだった。奴隷騎士隊の面々がそれにならい、仁も渋々ながら同じ体勢を取る。

「ふん。それでよい。何せ、このオレこそが皇帝となる男なのだからな」

 再びざわめく隊員たちを、ガウェインは相変わらず不敵な笑みで見下ろしていた。

「恐れながら申し上げます。皇位継承者はまだ決まっておられぬはず」

 誰もが顔を伏せる中、バイザーを上げた状態のファレスがガウェインを仰ぎ見て口を開いた。ガウェインは一瞬顔をしかめるが、すぐに元の表情に戻ると、ファレスに兜を脱ぐように命じた。

「やはりな。貴様は見覚えがあるぞ。確か、ヴァーレン家の娘だったな。なぜ奴隷などに身をやつしている」
「第一皇子殿下もご存じの通り、ヴァーレン家は取り潰しとなりました。今の私はコーデリア第二皇女殿下にお仕えする奴隷騎士にございます」
「そうか。なぜ兄を頼らなかったのか疑問はあるが、まあいい。今は奴隷の身なれど、武門の剣兄剣妹と評されたかつての貴様に免じて、貴様の疑問に答えてやろう。今日のオレはすこぶる機嫌がいいのだ」

 ファレスは口角を吊り上げるガウェインから目を離し、再びこうべ頭を垂れた。仁は2人のやり取りの中に気になるものを感じたが、今はそれどころではない。セシルたちは気が付いていないようだが、この通路の両の側面には間違いなくガウェインの兵が伏せられているのだ。

 仁は何とか遠隔魔法で伏兵を倒せないかと考えるが、この場の危機は脱しても事態の悪化を招く恐れがあり、迂闊うかつに動くことができない。いざとなれば後先を考えるよりセシルや奴隷騎士たちの命を優先させるつもりだが、ガウェインがどういった意図でこのような真似に出たかわからない以上、コーデリアのためにも短絡的な行動は控えるべきだと考えた。

 仁は自身の胸中にうごめく黒い感情を無理やり抑え込み、様子を見守る。

「皇位継承者は決まっていない。貴様はそう言ったな」

 ファレスはより一層頭を下げることで肯定の返事とした。

 仁が聞いたセシルの話では、ガウェインが一歩も二歩も抜け出して優勢なものの、後継者として正式に決まったわけではないはずだ。

「だが、ルーナが継承権を放棄した今、皇位継承権を持つものはオレしか残っていないだろう? それが答えだ」

 ガウェインは自信満々に勝ち誇るが、奴隷騎士隊の中に困惑が広がる。仁とセシルも含め、何人かの隊員たちが思わず顔を上げ、ガウェインを見上げた。

「お、お言葉ですが、我らが主、コーデリア第二皇女殿下も継承権をお持ちのはず」

 セシルが声を震わせる。それはこの場にいるすべての奴隷騎士たちの思いを代弁するものだった。ドラゴン襲撃の責で継承権を剥奪された第二皇子はともかく、コーデリアの権利を侵害するような物言いに、仁もいきどおりを覚える。

「では、本題に入ろう」

 その場の混乱した空気を無視して、不敵さを増したガウェインが一方的に告げた。仁はバイザーの内で眉をひそめる。怒りや焦燥、困惑、そして様々な疑問。ガウェインはその場に満ちたすべてを置き去りにして、仁と奴隷騎士たちの誰もが予想し得なかった問いを投げかけた。

「この中に、カティアという名の奴隷はいるか?」

 通路を満たした黒色甲冑の騎士たちの頭上に、いくつもの疑問符が浮かぶ。その中で、たった3人だけは息を呑み、驚愕にまみれた瞳を、顔を伏せることで隠した。

「おい。そこのマントのお前。貴様がこの奴隷どもの部隊の隊長だろう。どうなんだ」

 セシルがビクリと肩を揺らした。セシルは顔を床に向けたまま答えない。ガウェインの問いの意味も、どう答えるのが正解なのかも、仁にはわからなかった。

「マントを授かり上級騎士と同等の身分だなどとうそぶきながら、まさか部下の名前も把握していないのか? ほら、覚えがないか? 汚らわしい獣人の奴隷だ。貴様の隊にいただろう?」
「そ、それは……。はい……」

 カティアが獣人だと知っているのは奴隷騎士の中でもそう多くはないはずだった。それがガウェインにそこまで知られてしまっているのでは、セシルは頷くしかない。

「そうか。知っているんだな。ではもう一度だけ聞こう。今この場に、カティアという名の奴隷はいるか?」
「それは……」

 セシルは口ごもる。仁は何とかしてセシルに助け舟を出せないかと脳をフル回転させるが、今この場にいないカティアとは逆に、この場にいるはずのない、いてはいけない仁にできることはなかった。

「いるのかいないのか、はっきりしたらどうだ。できないのなら、順に兜を外していってもらおうか。薄汚い獣にはそれに相応しい耳が付いているだろう。そうすればこの中に獣人がいるかいないか、一目瞭然だ。ほらどうした。兜を取って見せろ」

 ガウェインが高圧的に言い募り、セシルは体を小刻みに震わせる。

「どうした。脱げないのか? さては貴様がカティアだな? 言い忘れたが、カティアには敵との内通の疑いがある。兜を外さねばカティアをかばい立てしたものとして、この場で処刑する」

 奴隷騎士隊の中にざわめきが広がる。第一皇子の眼前であることも忘れ、多くの隊員たちが困惑の声を上げていた。

「どうした。早く脱げ。脱がなければ、貴様の両サイドから槍が突き出すぞ?」

 セシルやファレス他、隊員たちがハッと左右に目を向ける。それぞれが通路の壁に開いた穴を見つけ、この通路の役割を思い出す。ざわめきが一気に膨れ上がり、どよめきへと変わる。隊員の何人かは皇族への礼儀をどこかに置き忘れたかのように、カティアはいないと声を上げ始めた。

「沈まれ」

 ガウェインが制するが、一度上がり始めた声は止まらない。「この場にはいない」「カティアはしばらく見ていない」などと言った言葉が溢れ、だから殺さないでくれとでも言うように、多くの隊員が率先して兜を外していった。

 その行為自体、彼女らの主人であるコーデリアを裏切るものでは決してなく、彼女らを止めることも、責めることも、その場の誰にもできはしなかった。

「ふん。後数人か。ほら、マントのお前。貴様は脱がないのか?」

 ガウェインの愉悦に満ちた視線がセシルを射抜く。

 仁は心の中で必死に兜を取るようセシルに訴えるが、声も出せない状況では伝わりようがない。そして、仮に伝わったとしても、セシルが脱ぐとは思えなかった。こうなってしまった以上、流れは止められないかもしれないが、このまま全員が兜を外すことになってしまっては、仁の存在の露見は時間の問題だ。

「どうした? 死にたいのか?」

 ガウェインがセシルを追い詰める。仁はセシルの震える肩を見つめ、覚悟を決める。

 遠隔魔法でガウェインと伏兵を殲滅後、ガウェインを討つために誰の指示でもなく奴隷騎士隊に潜伏していたと喧伝するのだ。

 仁がそう考えて自身の魔力を周囲へと広げようとしたまさにその瞬間。狙いすましていたかのような、この上ない牽制が仁の覚悟を揺るがした。

「おい。そこの忌々いまいましいクソ奴隷。コーデリアの身柄は今、オレの手の中にある。もしオレやオレの部下の身に何かあれば、コーデリアの命の保証はせんぞ」

 明らかに一個人に向けられた言葉だった。ガウェインの瞳は、仁の姿を間違いなく映していた。

「もし魔法の一発でも撃ってみろ。コーデリアも、この場の奴隷どもも、耳長も、メルニールの冒険者どもも、今メルニールに向かっている貴様の仲間たちも、そしてもちろんあの女勇者も。帝国すべてが貴様の敵となり、貴様の大切なものを殺し尽くすぞ」

 憎しみと愉悦にまみれた宣告は、仁の怒りを膨れ上がらせた。しかし、それと同時に、仁の行動を縛り、反抗心を鈍らせる。今、力を振るえば、仮にこの場の危機を脱したとしても、仁の守りたいものたちが帝国内において、居場所を完全に失ってしまうというのだ。

「ガウェイン……!」

 仁の怨嗟えんさの声に、ガウェインは粘着質な笑い声で答えた。
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