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第一章
1-8.黒炎
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その夜、玲奈の部屋で夕食を取った後、シルフィから洗濯をお願いしていた元の世界の服を受け取って部屋へ戻った。それらはアイテムリングに収納しておき、着慣れないプールポワンを脱ぎ捨てて風呂で体を清める。風呂で用いる魔道具を開発した人を褒めちぎりたい気分だった。綿のようなものでできたタオルで体を拭い、飾りっ気のない、ゆったりとした白いネグリジェと、白くてぶかぶかしたズボンを身に付けた。
「さて」
仁はベッドの端に腰掛けると、気合を入れる。今日は1つ試してみたいことがあった。昨日、ステータスを確認してから気になっていたことがあったのだ。
“黒炎”
特殊技能と称号に存在する言葉だ。称号には覚えがあった。かつて仁は火魔法と闇魔法の混合魔法である黒炎地獄を好んで使っていた。この世界では混合魔法自体が珍しいこともあり、触れたもの全てを燃やし尽くすかの如き黒い炎の渦に敬意と畏怖を込めて黒炎と呼ばれることがあった。そして味方や敵にその二つ名が広まった頃、称号に黒炎が追加されたのだった。しかし、特殊技能としての黒炎に心当たりはなかった。
自身のステータスを表示させても、技能や称号の詳細までわからないのが不便で仕方がない。鑑定の魔眼では自身の姿をしっかりと視界に捉えることができないので自分には使えないし、そもそも特殊技能の効果はわからないため、今回は役には立たない。
(とりあえず、黒い炎をイメージしてみるか)
仁は目を瞑り、黒炎地獄を放った時の黒い炎を脳裏に強く思い浮かべながら、体内の魔力の動きを探る。支配する法則の違う元の世界で無理やり魔力を動かそうとひたすらもがいていた成果なのか、元々得意だった魔力操作の技能レベルが上限の10ではなくEXになっていた。捻りなく考えれば、レベル10以上ということになるだろう。
(ん?)
ふと違和感を覚えた。左手の手のひらの辺りから、微かに魔力が漏れ出ているように感じた。仁はゆっくりと瞼を上げて左手を見た。思わず二度見をしてしまった。目が大きく見開かれ、視線が外せない。
「なんか出てるううう!」
思わず絶叫してしまった。扉の向こうから、ガチャンと甲冑が触れ合う音が聞こえた。扉が開かれないのを確認し、息を吐く。
(危ない危ない)
こんな姿を騎士に見られたらどうなるかわかったものではなかった。仁の左手から、靄のように黒い炎が立ち上っていたのだ。元が自分の魔力だからか、熱さは感じなかった。
(これが黒炎の効果か?)
仁は左手に意識を集中させて、靄を球状にしようと試みる。すると、左手から魔力が出て行く感触と共に、手のひらの上に、ほとんど時間差なくソフトボール大の黒い炎の球が生まれた。続いて込める魔力を増やしてみると、魔力が抜ける感触がしたと同時に黒炎球はバスケットボール大まで大きくなっていた。今度は黒炎球を押しつぶしたような平らで薄い円状になるようにイメージすると、またしてもあっという間に形を変えた。仁は思わず立ち上がった。これは信じ難いことだった。
この世界の魔法というのは、体内で練り上げた魔力を各属性の現象に変換することで発動する。そして変換の際に最も重要なのがイメージである。ルーナリアが昨日見せた詠唱も、実際のところ、イメージを補強するためのものでしかない。イメージができていなければ水魔法の適正を持っている人が同じ詠唱をしたところで水球は発動しないし、イメージさえできていれば別の詠唱でもいい。極論、無詠唱でも発動する。ただし、通常は魔法名を唱えることが魔法発動のキーとなるため、例え無詠唱でもそこまで省くことはできない。そして何より、体内で練った魔力が外に出る時点で現象に変換されるため、一度発動した魔法に手を加えることはできない。魔力操作に長けていれば保持している魔法を消すことはできるが、仁が先ほどしていたようなことは不可能なはずだった。
「ははっ」
思わず小さな笑いが零れた。どうやら体内の魔力を黒炎としてそのまま体外に放出することができ、それを自由自在に扱える。それが黒炎の技能の効果のようだった。黒炎地獄を放つイメージから左手で実験していたが、右手でも問題なく扱えた。無限の可能性を感じた。
(もしかして……)
目を閉じ、思い浮かべるのは刃長79.9cm、反り2.7cm、光を反射して輝く姿。約2年前、玲奈の1stソロライブのために遠征したついでに連泊し、東京にある国立の博物館に数日通って目と脳裏に焼き付けてきた美しい刀身を思い描く。かつて鬼の首を切り落とし、数々の伝承と共に受け継がれてきた名刀。天下五剣に謳われた名高き太刀。その名は、童子切安綱。
右の手のひらから魔力が勢いよく吸われていく。握った手が、確かな質量を感じた。ゆっくりと目を開き、右手から伸びるものを食い入るように見つめる。それは煌々と輝く、赤黒い、黒炎の太刀だった。
(できた……!)
左手の人差し指で恐る恐る黒炎の刀身に触れると、硬さを感じた。それはとても黒炎でできているとは思えないほど、紛れもなく太刀だった。重さも感じるが、片手で十分扱える程度だ。もちろん、この世界のステータスの恩恵かもしれないが。
アイテムリングから試し切りに使えそうなものがないか漁り、この世界で一般的な鉄製の剣を取り出した。左手で鉄剣を床と水平に持ち、右手の黒炎刀を振り下ろす。力むことなく地面に向かった斬撃は、鉄剣に僅かな抵抗さえ許さなかった。鉄剣の剣身は焼切られたような断面を残し、真っ二つに切り裂かれていた。
興奮のあまり、右腕を伸ばして黒炎刀を高々と掲げる。更に魔力を込めると刀身から黒炎が踊るかのように巻き上がった。あわや大火事かというところで慌てて魔力を消すと、黒炎刀も跡形もなく消滅した。
仁は折れた鉄剣をアイテムリングに収納すると、そのまま後ろに倒れ込むようベッドへ横たわった。無言で両手を眺める。元の世界に送還されてからの日々は無駄ではなかった。
「玲奈ちゃん、ありがとう……」
呟いた感謝の言葉が、3部屋隣の玲奈の元まで届けばいいのにと思った。
「ん?」
興奮でなかなか寝付けず、照明の魔道具を消した暗闇の中、ベッドの上で玲奈の可愛い姿や様子を思い出してニヤニヤしている仁の耳が、小さな金属音を聞いた気がした。注意深く扉の向こうに意識を集中すると、微かな気配を感じた。
(昨日と同じだとしたら、見張りの交代時間はまだ先のはずなんだけど)
足音に気を付けながら扉に近づき、廊下の様子を探る。2人分の気配が扉の前を通り過ぎ、玲奈の部屋とは反対側に遠ざかっていく。不思議に思いながらその場で息を潜める。しばらく待つが、何事も起らなかった。
(気のせいか)
そう思ってベッドに戻ろうとしたまさにその時、パタパタと慌てたような足音が聞こえた。嫌な予感が鎌首をもたげた。意を決して扉を開ける。騎士2人が、部屋の前を通り過ぎようとしていた小さな女の子を捕まえようと手を伸ばしていた。突然開いた扉に驚いた騎士たちは反射的に振り返るが、すぐに女の子に意識を戻して叫んだ。
「おい、待て、どこへ行く!」
仁は、小さな影を追いすがる騎士たちの肩をそれぞれ片手で掴んで動きを止めた。その一瞬の隙に小さな女の子は騎士たちの手を逃れて遠ざかる。
「シルフィさん! 何かあったんですか!」
遠ざかる背中に声を掛けた。振り向く時間すら惜しいのか、シルフィがそのまま走り去りながら声を上げる。
「わかりません! 今確認して参ります!」
シルフィの向かう先に見える玲奈の部屋の扉の前に、騎士の姿はなかった。シルフィの小さな体が重たい扉を引き開けている。
「おい! 夜間の外出は禁止だ! 部屋の中に戻れ!」
騎士の怒号が、耳から耳へと通り抜けて行く。すぐにでも動くべきか。シルフィの目がこれでもかと見開かれ、玲奈の部屋に飛び込んでいく。
「お止めください!」
シルフィの叫び声と何かが壁にぶつかる大きな音が廊下まで響いてきた。仁は騎士を掴んだ両手に力を込めて床に引き倒す。その後の帝国との関係のことは頭から完全に消え去っていた。
(間に合え!)
仁がそう念じて走り出そうとしたとき、仁の体が突然青い光に包まれた。次の瞬間、廊下に現れた光は消え、仁の姿もまた、消えた。
「さて」
仁はベッドの端に腰掛けると、気合を入れる。今日は1つ試してみたいことがあった。昨日、ステータスを確認してから気になっていたことがあったのだ。
“黒炎”
特殊技能と称号に存在する言葉だ。称号には覚えがあった。かつて仁は火魔法と闇魔法の混合魔法である黒炎地獄を好んで使っていた。この世界では混合魔法自体が珍しいこともあり、触れたもの全てを燃やし尽くすかの如き黒い炎の渦に敬意と畏怖を込めて黒炎と呼ばれることがあった。そして味方や敵にその二つ名が広まった頃、称号に黒炎が追加されたのだった。しかし、特殊技能としての黒炎に心当たりはなかった。
自身のステータスを表示させても、技能や称号の詳細までわからないのが不便で仕方がない。鑑定の魔眼では自身の姿をしっかりと視界に捉えることができないので自分には使えないし、そもそも特殊技能の効果はわからないため、今回は役には立たない。
(とりあえず、黒い炎をイメージしてみるか)
仁は目を瞑り、黒炎地獄を放った時の黒い炎を脳裏に強く思い浮かべながら、体内の魔力の動きを探る。支配する法則の違う元の世界で無理やり魔力を動かそうとひたすらもがいていた成果なのか、元々得意だった魔力操作の技能レベルが上限の10ではなくEXになっていた。捻りなく考えれば、レベル10以上ということになるだろう。
(ん?)
ふと違和感を覚えた。左手の手のひらの辺りから、微かに魔力が漏れ出ているように感じた。仁はゆっくりと瞼を上げて左手を見た。思わず二度見をしてしまった。目が大きく見開かれ、視線が外せない。
「なんか出てるううう!」
思わず絶叫してしまった。扉の向こうから、ガチャンと甲冑が触れ合う音が聞こえた。扉が開かれないのを確認し、息を吐く。
(危ない危ない)
こんな姿を騎士に見られたらどうなるかわかったものではなかった。仁の左手から、靄のように黒い炎が立ち上っていたのだ。元が自分の魔力だからか、熱さは感じなかった。
(これが黒炎の効果か?)
仁は左手に意識を集中させて、靄を球状にしようと試みる。すると、左手から魔力が出て行く感触と共に、手のひらの上に、ほとんど時間差なくソフトボール大の黒い炎の球が生まれた。続いて込める魔力を増やしてみると、魔力が抜ける感触がしたと同時に黒炎球はバスケットボール大まで大きくなっていた。今度は黒炎球を押しつぶしたような平らで薄い円状になるようにイメージすると、またしてもあっという間に形を変えた。仁は思わず立ち上がった。これは信じ難いことだった。
この世界の魔法というのは、体内で練り上げた魔力を各属性の現象に変換することで発動する。そして変換の際に最も重要なのがイメージである。ルーナリアが昨日見せた詠唱も、実際のところ、イメージを補強するためのものでしかない。イメージができていなければ水魔法の適正を持っている人が同じ詠唱をしたところで水球は発動しないし、イメージさえできていれば別の詠唱でもいい。極論、無詠唱でも発動する。ただし、通常は魔法名を唱えることが魔法発動のキーとなるため、例え無詠唱でもそこまで省くことはできない。そして何より、体内で練った魔力が外に出る時点で現象に変換されるため、一度発動した魔法に手を加えることはできない。魔力操作に長けていれば保持している魔法を消すことはできるが、仁が先ほどしていたようなことは不可能なはずだった。
「ははっ」
思わず小さな笑いが零れた。どうやら体内の魔力を黒炎としてそのまま体外に放出することができ、それを自由自在に扱える。それが黒炎の技能の効果のようだった。黒炎地獄を放つイメージから左手で実験していたが、右手でも問題なく扱えた。無限の可能性を感じた。
(もしかして……)
目を閉じ、思い浮かべるのは刃長79.9cm、反り2.7cm、光を反射して輝く姿。約2年前、玲奈の1stソロライブのために遠征したついでに連泊し、東京にある国立の博物館に数日通って目と脳裏に焼き付けてきた美しい刀身を思い描く。かつて鬼の首を切り落とし、数々の伝承と共に受け継がれてきた名刀。天下五剣に謳われた名高き太刀。その名は、童子切安綱。
右の手のひらから魔力が勢いよく吸われていく。握った手が、確かな質量を感じた。ゆっくりと目を開き、右手から伸びるものを食い入るように見つめる。それは煌々と輝く、赤黒い、黒炎の太刀だった。
(できた……!)
左手の人差し指で恐る恐る黒炎の刀身に触れると、硬さを感じた。それはとても黒炎でできているとは思えないほど、紛れもなく太刀だった。重さも感じるが、片手で十分扱える程度だ。もちろん、この世界のステータスの恩恵かもしれないが。
アイテムリングから試し切りに使えそうなものがないか漁り、この世界で一般的な鉄製の剣を取り出した。左手で鉄剣を床と水平に持ち、右手の黒炎刀を振り下ろす。力むことなく地面に向かった斬撃は、鉄剣に僅かな抵抗さえ許さなかった。鉄剣の剣身は焼切られたような断面を残し、真っ二つに切り裂かれていた。
興奮のあまり、右腕を伸ばして黒炎刀を高々と掲げる。更に魔力を込めると刀身から黒炎が踊るかのように巻き上がった。あわや大火事かというところで慌てて魔力を消すと、黒炎刀も跡形もなく消滅した。
仁は折れた鉄剣をアイテムリングに収納すると、そのまま後ろに倒れ込むようベッドへ横たわった。無言で両手を眺める。元の世界に送還されてからの日々は無駄ではなかった。
「玲奈ちゃん、ありがとう……」
呟いた感謝の言葉が、3部屋隣の玲奈の元まで届けばいいのにと思った。
「ん?」
興奮でなかなか寝付けず、照明の魔道具を消した暗闇の中、ベッドの上で玲奈の可愛い姿や様子を思い出してニヤニヤしている仁の耳が、小さな金属音を聞いた気がした。注意深く扉の向こうに意識を集中すると、微かな気配を感じた。
(昨日と同じだとしたら、見張りの交代時間はまだ先のはずなんだけど)
足音に気を付けながら扉に近づき、廊下の様子を探る。2人分の気配が扉の前を通り過ぎ、玲奈の部屋とは反対側に遠ざかっていく。不思議に思いながらその場で息を潜める。しばらく待つが、何事も起らなかった。
(気のせいか)
そう思ってベッドに戻ろうとしたまさにその時、パタパタと慌てたような足音が聞こえた。嫌な予感が鎌首をもたげた。意を決して扉を開ける。騎士2人が、部屋の前を通り過ぎようとしていた小さな女の子を捕まえようと手を伸ばしていた。突然開いた扉に驚いた騎士たちは反射的に振り返るが、すぐに女の子に意識を戻して叫んだ。
「おい、待て、どこへ行く!」
仁は、小さな影を追いすがる騎士たちの肩をそれぞれ片手で掴んで動きを止めた。その一瞬の隙に小さな女の子は騎士たちの手を逃れて遠ざかる。
「シルフィさん! 何かあったんですか!」
遠ざかる背中に声を掛けた。振り向く時間すら惜しいのか、シルフィがそのまま走り去りながら声を上げる。
「わかりません! 今確認して参ります!」
シルフィの向かう先に見える玲奈の部屋の扉の前に、騎士の姿はなかった。シルフィの小さな体が重たい扉を引き開けている。
「おい! 夜間の外出は禁止だ! 部屋の中に戻れ!」
騎士の怒号が、耳から耳へと通り抜けて行く。すぐにでも動くべきか。シルフィの目がこれでもかと見開かれ、玲奈の部屋に飛び込んでいく。
「お止めください!」
シルフィの叫び声と何かが壁にぶつかる大きな音が廊下まで響いてきた。仁は騎士を掴んだ両手に力を込めて床に引き倒す。その後の帝国との関係のことは頭から完全に消え去っていた。
(間に合え!)
仁がそう念じて走り出そうとしたとき、仁の体が突然青い光に包まれた。次の瞬間、廊下に現れた光は消え、仁の姿もまた、消えた。
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