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第三章

3-10.夫妻

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 あの後、一度目を覚ましたミルを宿屋の部屋に泊めることになった。ベッドは当然2つしかなかったため、ミルがどちらと一緒に寝るかでひと悶着あった。ミルは仁と玲奈が恋仲だと思っていたようで、二人で一緒に寝ていないことに驚いていたが、最終的な決定権はミルに委ねられ、ミルは仁を選んだ。仁と玲奈は奴隷と主人であり、立場的に低い仁と一緒に寝るのが普通だと告げられた玲奈はすごすごと引き下がった。一人で自分にベッドに向かう玲奈の丸まった背中から寂しさが溢れていた。



 翌朝、仁は朝早くからアルバイトに来ていたリリーにマルコの居場所を訊ね、以前訪れたのと同じマクリール商会の店舗でマルコと面会することができた。

「ジン殿御一人とは珍しいですな」
「ええ。少し事情がありまして。本来は奴隷一人で動くことは褒められたことでないのは承知しているのですが、どうかお許しください」

 仁はマルコに頭を下げた。ゲラム、ザムザとの接触を避けるために玲奈とミルは鳳雛亭で待機してもらい、仁ひとりでの訪問だった。

「いえいえ。メルニールではそう咎められることではありませんよ。それに何度も申した通り、ジン殿は命の恩人。そのような些細なことを気にするほど狭量ではないつもりです」

 マルコは好々爺然とした人好きのする笑みを浮かべた。

「それで、本日はどのようなご用件で? もちろんジン殿らであれば用などなくてもいつでも大歓迎ではありますが」
「ありがとうございます。今日お伺いしたのは、少々お訊ねしたいことがあったからです。マルコさんは、血を吸う魔剣をご存知ですか?」

 仁の問いに、マルコの目が僅かに細められた。

「血を吸う魔剣ですか。それは、以前、獣人夫妻が所持していた血喰らいの魔剣ブラッドイーターのことですかな?」
「ご存知でしたか。それなら話が早くて助かります。その血喰らいの魔剣ブラッドイーターの相場を教えていただきたいのです」
「それは構いませんが、理由をお聞きしても?」
「ええ。わかりました」

 仁はミルと探索者兄弟の話をマルコに話して聞かせた。

「そうですか。あの短剣は夫妻と共にダンジョンに消えたと風の噂に聞いていましたが、既に見つけた者たちがいたのですね」

 マルコは顎鬚に手を当てながら、ふと視線を遠くへ向けた。

「実は、夫妻は生前、短剣を買い取ってほしいとワシ共の店に持ち込んだことがあるのです。あの夫妻は獣王国からの流れ者でしてね。ようやくの思いでメルニールに辿り着いたものの、金目の物はその短剣くらいしか残っておらず、食うものに困って両親の形見だという短剣を断腸の思いで売りに来たとのことでした」

 仁はマルコとミルの両親が知り合いだったことに世間の狭さを感じた。獣王国とは帝国の西に接している獣人を王に冠する王国で、今ではこの大陸に住む獣人の多くが暮らしている。

「恥ずかしながら、当時のワシは初孫のリリーが生まれたばかりで商売もまともに手につかないほど浮かれていましてな。形見のような大事なものは簡単に手放すものじゃないと、当面の資金を貸し与えてすぐに追い返してやったのです」

 当時を思い出しているのか、マルコが照れたように笑みを浮かべた。

「もちろん正式に契約を交わしたわけでもなく、ワシとしてはあげたものとしてすぐに忘れてしまっていたのですが、後日、夫妻が揃って返しに来たのです。あの短剣を使ってサポーターを始めたところ、魔物の肉を持ち帰りたい冒険者たちに特に好評だと笑顔で話しておりました。何年か後、風の噂で夫が冒険者になり、夫妻共に帰らぬ人となったと聞いたときにはワシも悲しんだものです」

 マルコが目を伏せた。ちょっとした知り合いであっても、思い出として残るくらいの関係を持っていたのだ。いくら死が近いところに転がっている世界だとしても、やはり関係を持った人の死は辛いものだと仁は思った。

「ああ。すみません。話が反れてしまいましたな。それで、短剣の相場ですが、実際にきちんと鑑定したわけではないので、話を聞いた限りでのものにはなりますが、ワシが買い取るとしたら金貨200枚ほどでしょうか。武器としての性能は未知数ですが、便利な能力を持っていて、おそらく血さえ与えていれば精神を乗っ取られる恐れもない魔剣となれば、そのくらいの値でも買い手は付くでしょう。もちろんその探索者が価値に気付いていればという条件は付きますが」

 仁は僅かに眉根を寄せた。思っていた以上に、ただ魔剣であることの価値が高かった。仁は帝都を脱出する前に戦ったヴォルグの持っていた魔剣を思い出した。魔法が効かないという魔剣の特性は、魔法が幅を利かせるこの世界では特に重視されるものなのだと仁は思い知った。探索者であるザムザがこの価値に気付いていないとは思えなかった。

 仁が交渉は難航しそうだと頭を悩ませていると、応接間のドアがノックされて、マルコの秘書が知らせを届けた。秘書から何事か耳打ちされたマルコが、仁に笑顔を向けた。

「ジン殿。ようやく合成獣キメラの運搬が終わりましたぞ。報酬の件もあるでしょうし、一度冒険者ギルドに顔を出してみてはいかがでしょう」

 仁は合成獣キメラを丸ごと冒険者ギルドで買い取ってもらうことになっていたのを思い出し、渡りに船と、マルコに礼を言って別れ、すぐに冒険者ギルドに向かった。



 冒険者ギルドの前に人だかりができていた。どうやらメインストリートを我が物顔で運んできたらしく、多くの人の注目を集めていた。合成獣キメラは既に冒険者ギルドの裏手の倉庫に運ばれた後だったが、見たことも聞いたこともない魔物に冒険者をはじめとした聴衆は興味津々といった様子だった。

「よう、兄ちゃん。ちょうどいいところに来たな」

 仁が人垣を割って冒険者ギルドの入口に近づくと、運搬隊を率いていたガロンが手招きした。坊主頭が日光を反射して輝いていた。

「ガロンさん、お久しぶりです」
「おう。ちょうど兄ちゃんたちを呼びに行こうと思ってたところだ。嬢ちゃんは一緒じゃないのか?」

 ガロンが仁の周囲に目を向けた。

「ええ。ちょっと事情がありまして、今日は俺一人です」
「なんだ。喧嘩でもしたのか?」
「いえ、そういうわけではないです」

 奴隷と主人の喧嘩って何だと、仁は心の中でツッコミを入れつつ、同じように思っているのか、面白そうにニヤついているガロンに肩を竦めた。



 仁がガロンに連れられて倉庫へ入ると、バランが合成獣キメラを睨むように見ていた。その周りでは冒険者ギルドの職員が忙しなく働いていた。合成獣キメラを覆っていた氷の棺はすっかり消えていた。仁がギルド職員と何事かやり取りをしていた冒険者の集団を眺めていると、ガロンのパーティの4人が仁に気付いて、手を振ってきた。仁は会釈を返す。

「俺もそうだが、あいつらも兄ちゃんや嬢ちゃんに感謝してるんだ。いつか恩は返させてもらうからな」

 ガロンは豪快に笑いながら仁の背を手のひらで叩いた。景気のいい音が響いた。

「さ。ギルド長がお待ちだぜ」

 仁はガロンに促され、難しい表情を崩さないでいるバランの元へ歩を進めた。
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