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第六章

6-20.出立

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 数日後の早朝、玲奈とミル、ロゼッタはマークソン商会の本館の前にいた。玲奈の目の前には様々な商品を載せた馬車が何台も連なっている。玲奈はキョロキョロと辺りを見回し、目的の人物を発見した。

「マルコさん。おはようございます。この度はお力添えありがとうございます。道中よろしくお願いします」
「はい、おはようございます。レナ殿、これまでも申しましたように、礼には及びませんよ。ジン殿はワシや孫の命の恩人。常々、いつかご恩返しをと思っておりました。それに、ジン殿は今ではこのメルニールの英雄でもあります。なれば、マークソン商会の持てる力の全てを用いてもお助けせねばなりません」

 玲奈は帝都を脱出してメルニールに到着して以来、既にマルコから十分な援助を受けており、未だに恩を感じている様子のマルコに恐縮する思いだった。

「それでも、です。道中必要な諸々も、全部用意していただいて、本当に助かりました」

 玲奈は深く頭を下げた。ミルとロゼッタも玲奈の後ろで玲奈に倣った。玲奈たちは持ち物の大半を仁のアイテムリングに収納しており、仁がいない今、各々の装備品と宿屋に保管してある日用品や衣類の一部以外を失った状態だった。それぞれ自由に使える金はある程度持ち合わせてはいたが、全てを賄うには心もとなかった。そんな玲奈たちに惜しげもなく必要なものを供与したのもマルコとマークソン商会だった。

「皆様、顔をお上げください。それもワシらが好きでやったことですので。それでも気になるようでしたら、今後とも孫と仲良くしてやってくだされ」

 玲奈が顔を上げると、マルコは気持ちの良い笑みを浮かべていた。商隊の指揮を執るために仕事に戻るマルコを玲奈が見送っていると、マルコと入れ替わるように坊主頭の冒険者とその一行が近付いてきた。

「おう。嬢ちゃん」
「ガロンさん、“戦斧バトルアックス”の皆さん。ご協力ありがとうございます」
「なに、いいってことよ。それに俺たちはマルコさんに雇われただけだしなあ。まぁ、頼まれなくても付いて行くけどな」

 ガロンはそう言って豪快に笑い飛ばし、“戦斧バトルアックス”の面々が何度も頷いて同意を示す。

「嬢ちゃん。必ず兄ちゃんを助け出そうぜ!」
「はい!」

 玲奈は力強く返事をしながら、マルコやガロンたちとの良い出会いに心からの感謝の念を抱いた。

「あ! レナさーん!」

 玲奈が呼ばれた方を向くと、リリーが赤いツインテールを揺らしながら手を振っていた。

「じゃあ、俺らは他の冒険者たちとの打ち合わせに行くぜ」
「はい、よろしくお願いします」
「おうよ!」

 今回マークソン商会の商隊の護衛には“戦斧バトルアックス”の他にも何人か冒険者が参加していた。帝国との戦争後、初の帝国との交易ということで、普段より警備に力を入れていた。仁と玲奈たちの事情を把握しているのはマークソン商会の商人の一部とガロンたちのみだが、何人かの冒険者は仁の不在から何かしらの事情があるのではと察しているようだった。集まった冒険者の中には、祝勝会の日に仁に挑もうとしてロゼッタに返り討ちにされたクランフスの姿もあった。

「レナさん。ミルちゃんとロゼさんも、これを羽織ってくださいねっ」

 玲奈はリリーから手渡されたものに目を落とす。3人が受け取ったのは灰色がかった白いフード付きの外套だった。

「休戦してお尋ね者じゃなくなったとはいえ、余計な騒ぎは起こしたくないですからねっ。念のため、レナさんもこれで黒髪を隠してください。ミルちゃんとロゼさんは耳と尻尾が隠れるようにしてくださいね。本当ならこんなことしたくないんですけど、帝国には獣人への差別があるので……」
「いえ、お心遣い感謝します」
「ミルも平気なの!」

 申し訳なさそうな表情を浮かべるリリーに、ロゼッタとミルは笑顔を返し、玲奈共々、一旦荷を置いて外套を羽織ると、フードを深く被った。

「あ、もちろん馬車の中ではフードまで被る必要はないですからね。じゃあ玲奈さんたちの馬車に案内しますねっ」

 元気に歩くリリーの後ろに玲奈たちが続く。その間にも周囲では着々と準備が進められ、出発の時が近づいていた。



「では、出発しまーっす!」

 メルニールの空にリリーの大声が響く。玲奈たちと同じ車両にリリーが乗り込むのと同時に、玲奈たちを乗せた馬車がゆっくりと動き出した。今回の交易ではガロンたち他の冒険者に護衛を任せ、玲奈たちは帝都への到着まで、あまり姿を見せないように馬車の中で過ごすことになっていた。

「リリー、いろいろありがとうね」
「レナさん、水臭いこと言わないでください」

 リリーはルーナリアの屋敷から帰ってから、その日のうちにマルコに話を付けたのだった。マークソン商会として元々帝都との交易再開の予定はあったものの、それを可能な限り前倒しにし、商人ギルドや関係者各位との折衝、冒険者ギルドへの手続き、玲奈たちへの支援など、マルコと共に尽力していたのを玲奈は知っていた。

「わたしだってジンさんを助けたい思いは一緒ですし、わたしは自分がやりたいようにやっているだけですので、感謝されるようなことではないです」

 マルコと同じようなことを言うリリーに、玲奈は思わず笑顔を浮かべる。

「でも、レナさんがどうしてもわたしに感謝したいっていうなら、ジンさんと一日デートさせてくださいっ」
「仁くんがいいって言ったらね」
「そこはご主人様として命じてくださいよっ!」
「うーん。今は仁くん、私の奴隷じゃないしなー。それに、リリーは無理やりデートしてもらって嬉しい?」
「それは、そうですけどっ!」

 馬車の中に笑い声が広がる。玲奈もリリーも、お互いに普段通りに笑い合えることを嬉しく感じながら、今は側にいない仁に思いをはせる。

「あ、ヴィクターさん」

 フードを被ったまま小窓から外の景色を眺めていたミルの視線の先で、ミルに気付いたヴィクターが手を振っている。馬車はメルニールの西門を出るところだった。玲奈とロゼッタも小窓に近寄り、ヴィクターに目礼をする。玲奈はヴィクターの口が“頑張れ”と動いたのを受け、力強く頷いた。ヴィクターの横にはバランとエクレア、ルーナリア主従の姿もあった。玲奈は無言のエールを受け取り、メルニールで仁の身を案じて帰りを待つ人々がいるという事実に、目頭が熱くなるのを感じた。

「仁くん。どうか無事でいて……」

 玲奈の呟きが馬車内の空気に溶ける。誰もが同じ思いを抱えていた。



 数日後、マークソン商会の商隊はいくつかの街や村を越え、帝都への道を順調に進んでいた。帝都まで後半日ほどに差し掛かったとき、馬車が街道の上で動きを止めた。馬車の外からざわざわとした空気が伝わってくる。

「どうかしたんでしょうか」

 リリーが馬車の扉を開け、体を半分乗り出して前方に視線を向けると、遠くに見える村から火の手が上がっていた。

「嬢ちゃん!」

 商隊の先頭付近にいたガロンが馬を飛ばして玲奈たちの馬車の横に着く。

「すまねえが、俺らが村に偵察に行っている間、商隊の護衛を頼めないか?」

 ガロンが厳つい顔に緊迫感が滲んでいる。

「ガロンさん。私たちが村に行きます」
「それはありがてえが、いいのか?」
「はい。ガロンさんたちが残った方が他の冒険者の方とも連携が取れますし、もし村に怪我人がいるならミルちゃんの力が必要になるかもしれません。ミルちゃん、ロゼ、いいよね?」

 玲奈がミルとロゼッタに視線を送ると、二人は力強く頷きを返す。

「もちろんなの!」
「はい。レナ様、行きましょう!」
「わかった。頼む」

 ガロンが冒険者たちに指示を出すため、馬を走らせる。玲奈はリリーを馬車から降ろすと、御者に、もう少し近づいてくれるように頼む。

「レナさん、皆さん。気を付けてねっ」
「うん。行ってきます」

 玲奈は心配そうな表情を浮かべるリリーに微笑みを返し、馬車の扉を閉める。

「では、お願いします」

 玲奈の指示で御者が馬車を出発させる。玲奈たちを乗せた馬車は商隊の列から外れて村に向かって速度を上げた。ガラガラと鳴る車輪の音を打ち消すように、村の方角から魔物のものと思しきおぞましい咆哮が響いた。
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