[完結]勇者の旅の裏側で

八月森

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第1章

18節 消えた傷跡

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 私はそこで言葉を失う。先刻の勝負で刻まれていたはずの頬の傷が、彼女の言葉通り塞がっていたからだ。処置するまでもなく血は止まっており、すでにその痕も薄っすらとしか残っていない。

「ほら、大丈夫でしょ」

「……そんな、はず……」

「昔から、人より傷の治り早いんだ」

 そう言うと、詮索を避けるためだろうか、彼女は足早に歩き去ってしまった。
 私は、呆然としたままその場に取り残される。

 アレニエさんが言うように、治癒力にも個人差はある。ある、けど……いくらなんでも、早すぎるのではないか。出血が治まったとしても、傷自体が塞がるにはまだしばらくかかるはずだ。
 と、ふと思い至る。

「(……もしかして……左手の篭手の、力? 傷を癒す魔具……?)」

 だとすれば、すでに傷が塞がっているのにも、一応の納得がいく。
 けれど、もしそうなら今度は、何故それを今みたいに隠すのかが、分からない。

 確かに珍しい効果ではあるし、アレニエさんのように単独で旅をするなら重宝するかもしれない。他者に狙われるおそれも否定はできないし、金品を見せびらかすような行為を避けているとも取れる。
 が、そもそも彼女のように個人で活動する冒険者自体が、ほとんどいない。

 多くの冒険者は、穢れへの対策に一人は神官を同行させる。浄化が使える神官は大抵治癒も修得している。
 怪我の治療を神官がまかなえるなら、傷を癒す魔具にあまり需要はない。需要がなければ値もつかない。欲しがるのは物好きな好事家ぐらいだろう。あんな風に隠す理由は――

「……ん? どうした、嬢ちゃん」

「……いえ、なんでもありません」

 そうして私が立ち尽くしている間に、ゆっくり歩を進めていた男が、こちらに追いついてきていた。怪我人を一人で歩かせていたのに気づき、胸中で反省する。
 気を取り直し、なにかあれば支えられるようにと、彼に歩調を合わせて隣を歩く。……私の体格では、支えきれずに潰されそうな気もするが。

 と、大男は急に、なにかに気づいたように声を上げ、こちらに首を向ける。

「俺は、ジャイールだ。嬢ちゃんは、なんてんだ? そういや、やり合う前にヴィドの野郎が呼んでた気もするが」

 ヴィドとは、おそらくフードの男の名だろう。

「え? あ、えと……リュイス、です。リュイス・フェルム」

 大男――ジャイールさんは、私の名前を聞くと満足げに頷く。

「仮にも命の恩人なのに、ちゃんと名前聞いてなかったと思ってよ。まあ、『嬢ちゃん』のほうが呼びやすいんだがな」

 そう言って笑うと、彼は再び前を向き、歩き出す。本当に、名前が知りたかっただけ、らしい。
 二人でしばし無言で足を運んでいたが――

「……なあ、嬢ちゃん。あいつは……なんだ?」

 先を行くアレニエさんの背を見ながら、ジャイールさんがふと口にした疑問は、あまりに漠然としていた。

「……? それは、どういう……?」

 質問の意図が分からず、言葉に詰まる。
 初めから答えを求めていたわけではないのか、彼はこちらの返答を待たずに言葉を続けた。

「嬢ちゃんには格好悪ぃとこしか見せてねえが、俺はこれでも腕には覚えがある。あの店の連中にも勝てる自信はあるし、〈剣帝〉を探し出せたら本気でやり合う気でいた」

〈剣の継承亭〉での話だろうか。……あれ、本気だったんだ。

「だがさっきの勝負……俺はあいつに、まるで歯が立たなかった。ある程度通じたのは始めのうちだけで、そいつにしたってほとんど見切られていた。後は嬢ちゃんが目にした通りだな。認めるのはしゃくさわるが、完敗だ」

 彼が素直に敗北を認めていることに、少なからず驚く。昨夜の様子では、そういう性格には見えなかったから。

「俺は嬢ちゃんに、実戦を重ねなきゃ――命を懸けなきゃ、強くなれねえと言った。そいつで言えばあの女は……嬢ちゃんとそう変わらねえ歳で、あそこまでの腕を身につけるのに、どれだけ命を懸けてきたんだ?」

「…………」

 問いに沈黙しか返せなかったのは、私自身薄々疑問に思っていたからかもしれない。
 想像以上の異質な実力。あっという間に塞がった傷。私は彼女についてなにも知らない。
 続くジャイールさんの言葉が。これまでの彼女とのやり取りが。私の中で、疑問として膨らんでいった。

「あいつは、あのアレニエ・リエスって女は……一体何者なんだろうな」


  ***


「《……これを、第一の賜物として、テリオス、そしてアサナトよ。御身らに私は乞い願います。死を遠ざける双神よ。この身の治療を。……治癒の章、第一節。癒しの雫、ファーストエイド》」

 ジャイールさんに付き添いながら合流地点に到着する頃には、気絶していた男たちも全員目を覚ましていた。

 当然と言えば当然だが、アレニエさんは彼らの装備を(フードの男は魔具と思しき指輪も填めていたため、それも)取り上げ、拘束して一か所に集めただけであり、全員が大なり小なり傷を負ったままで放置されている。
 見過ごすこともできず、簡素ではあるが彼らの治療も施す(その間、アレニエさんは投げたダガーを回収していた)。

 縛られた男たちは、皆一様に意気消沈している。
 徒党を組んで襲ったのに女二人に返り討ち、というのはショックが大きかったのかもしれない。それに今後の処遇を考えれば、自ずと項垂うなだれるのも頷ける。
 そんな中、フードの男だけが変わりなかった。

「やれやれ。まさかこれだけ人数を集めて全滅とはな。恐れ入る」

 叩きのめされ縛られているのに、どことなく上からな口調はそのまま、顔には皮肉気な笑みまで浮かべている。
 今までのは自身が優位だったがゆえの態度と思っていたが、おそらく普段からこうなのだろう。もう気にしないことにした。
 それに今は、別の気懸かりがある。

「それで、どうする? 我々を騎士団に引き渡すか?」

「……その前に、聞きたいことがあります。戦う前に言っていましたよね。『標的は二人』、と。あれは……どういう意味ですか?」

 彼は、「何をつまらないことを」と言いたげな態度を隠さず返答する。

「どうもなにも、言葉通りの意味だ、リュイス・フェルム。オレは君を捕縛、もしくは始末する依頼を受け、動いていた。本来は〈黒腕〉を討ち取ってから取り掛かるつもりだったが、幸か不幸か、君たちは行動を共にしていた。手間が省けたと思えば、結果はこの様だ」

「それは……あなたの依頼者が、私を名指しで狙った、ということですよね。でも、私は……」

「狙われる覚えがない、か? だがリュイス・フェルム。日常の些細なきっかけで恨みを抱く者も、実際に行動に移す輩も、残念ながら珍しくはないだろう」

 そんなことはない――とは言い切れない。実際多くの人は、ふとした拍子に悪魔の声を聞いてしまうのだから。けれど……

「……自慢ではありませんが、私は誰かに明確に恨みを買うほど、他人と交流がありません。普段、神殿を出ることはほとんどなく、その神殿内でも接する人間は限られています。誰かと会話すること自体がまれで――」

 説明が進むごとに、何故か男たちは憐れむような気まずそうな表情を浮かべていくが、とりあえず無視して話を続ける。

「そのとぼしい接点の中で、私などに狙いを定めるような人物は、本当に限られています。……もしかして、私を狙うよう指示したのは――」

「――悪いが、これ以上は答えられん」

 男はこちらの言葉を遮り、はっきりと拒絶を示す。

「一応は雇われだからな。ただで依頼人の素性は明かせんよ。場合によっては、こちらの身が危うい」

 ……言われてみれば当然の返答だ。私だって、アレニエさんに機密を口外しないようお願いしている。
 それに、聞き出すことで彼らの命が脅かされるとしたら、これ以上無理に追及するのは――……

「それならさ」

 ダガーを回収し終え、静かにやり取りを見ていたアレニエさんが、唐突に口を開いた。

「あなたたち、わたしに雇われない?」
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