[完結]勇者の旅の裏側で

八月森

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第1章

28節 次の目的地

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 食堂で満腹になるまで食べたあと、割り当てられた部屋に向かった。
 部屋は、ベッドが二つと調度品、観葉植物などが置かれただけの簡素なものだったが、観光客向けの宿だけあり、清潔感を感じる綺麗な部屋だった。

「今日はいろいろあって疲れたねー」

 荷物を降ろしながら、全く疲れてなさそうな声でアレニエさんが言う。
 他の冒険者に襲われたり、一日中移動に費やしたりと、条件は同じなのになんでここまで差が出るんだろう……と、もはや一歩も動けない私はベッドに腰を預けながらぼんやり思う。

 いや、違う。私は昨夜の見張りだって彼女に任せきりだった。
 同じどころか、より負担が掛かっているはずなのに、アレニエさんに疲労の色はほとんど見えない。こういうのも経験の差、なのだろうか。今も彼女は、荷物を降ろしてすぐに部屋を出ようと――……部屋を出る?

「アレニエさん……? どこか、出かけるんですか?」

「うん。ちょっとここのギルドに顔出してくるよ。明日すぐ出発するし、噂とか聞けるの今夜くらいかなーと思って」

 ……本当に、私とそこまで変わらない体格で、どこにそんな体力が……

「それなら、私も……」

「ほんとにちょっとだから、リュイスちゃんは休んでていいよ。それじゃ、行ってくるねー」

 それだけ言い置くと、彼女は足早に部屋を出て行ってしまう。
 戸締り、施錠の音。それから廊下を踏みしめる靴音が、トン、トン、トン、と階段を降りる足音に切り替わるが、それも段々と遠ざかっていく。

「……」

 一人残された私は、しばらく部屋の内装や、念のため荷物に目を向けるなどしていたが、安全だと評判の宿は盗人どころか、他の宿泊客の気配すら感じられず、すぐに手持ち無沙汰になってしまう。

 そうなると必然、今度は疲労による睡魔がまぶたを閉ざそうとやって来るもので……次第に、私は…………――――

 ――――ガチャリ。バタン。

「ただいまー」

「……はっ!?」

 唐突に耳に響いた声と物音に、跳ね起きる。
 目の前には、先刻部屋を出たはずのアレニエさんの姿。なにか、丸めた紙状の物を手に握っている。外出する前には持っていなかったはず……

「(……え……え……? ……私、いつの間に……!?)」

 どうやら座ったまま、気づかぬうちに寝入ってしまったらしい。前後の記憶があやふやだ。

「今のとこ、変わった噂はなんにもなかったよ。新しい勇者とか、魔王が復活とかはちらほら耳にしたけど、わたしたちはもう知ってるやつだしね。まあ、取り立てて面倒ごともないみたいだから、旅する分にはありがたいかな」

 寝起きの頭に後ろめたさも加わって、言葉の内容があまり頭に入ってこない。

「あ、ごめん。寝てた?」

「寝てな……! ……くはないです……」

 なに言ってるんだ、私。

「今の面白かったから、これあげる」

 そう言うと、彼女は手にしていた紙をこちらに渡してくる。
 受け取り、広げたそれに描かれていたのは、簡略化された大陸の形状と、その内部の地形や国などの分布を絵に起こした図。つまり地図だ。

「地図ギルドが去年改訂したばかりの最新の地図。やー、危なかったよ。ほとんど全部売れちゃって、それが最後の一枚だったって」

 説明しながら、彼女は身につけていた鎧を手早く脱いでいく。

〈シンヴォレオ未開地開拓協会〉――通称、地図ギルドは、『世界の全てを地図に収める』ことを目指す組織だ。名称は、千の耳と万の目で世界を監視するという契約の神から戴いている。

 目指すという言葉通り、その目標はいまだ達成されていない。危険を伴う魔物の領土での測量は難航しており、今も開拓は続いている。

 街の外に出る者にとって、地図の有無や精度は死活問題だ。彼らに協力し、未踏の領域を調査することも、冒険者の重要な仕事の一つとされていた。

「寝る前に、これからの道順まとめとこうと思って」

 私の隣に腰を下ろし、彼女は並んで地図を眺め始める。

「えーと、今わたしたちがいるのがここ、クランの街」

 彼女は地図の左下、大陸南西部を指し示す。
 そこからスーっと指を動かし、ある一点で指を止めた。

「で、例の人が見た、問題の場所がここ。だよね?」

「……はい」

 指し示したのは、地図上中心から東側。この街から北東にずっと進んだ位置に描かれた森林地帯、ラヤの森。

「まっすぐ行ければ早いけど、途中にペルセ川が流れてるからね。ちょっと迂回して橋を渡って……」

 ペルセ川は、この辺りの陸地を分断している長大な河川だ。
 古くから人々に恵みをもたらしてきた水源だが、川幅が広く、流れも速いため、泳ぐのはもちろん、季節によっては船でも向こう岸に辿りつくのが難しい。安全に渡るには、数か所に設けられた橋を使うか、海まで出て回り込むかになる。

「……だから、……の朝一番で街を………て……」

「(……?)」

 ふと気づくと、それまでは普通に届いていたはずの彼女の声が、遠く、途切れ途切れになっていた。どうしたんだろう……
 ……違う。途切れているのは、私の意識だ。

 アレニエさんの穏やかな声が、耳に心地良く響く。
 一度は去ったはずの睡魔がその声に誘われ、いつの間にか活動を再開していた。意識を失ってはまた戻り、ふらふらと繰り返し舟を漕ぐ……

 ぽすっ

「ん?」

 ……あ、れ?

 ふらついていた頭を支えてくれる、ほのかに温かい感触。

「……ふふ。ちょっと嬉しいな、こういうの。妹ができたみたいで」

 先程より近くなった彼女の声が、耳元をくすぐる。そしてなにか(多分彼女の手だろう)が、私の髪を優しく撫でるのも感じた。これって……

「(……私もしかして、アレニエさんに寄りかかって、る……?)」

「でも、寝るならちゃんと横になったほうがいいかな。明日も早いし、先に寝ちゃってていいよー」

 肩を借りた気恥ずかしさも冷めぬうちに、ふわりとベッドに寝かされてしまう。
 もちろん、正直に言えば今すぐ眠ってしまいたい。体は言うまでもなく、心のほうもまだ色々処理しきれずクタクタだ。
 だからといって、昨夜に続いて私だけ先に寝るのも、これからの進路を任せきりにするのも……

「ダメ、です……私も、一緒、に……」

「じゃあ、その態勢のまま聞いててくれるかな。おねーさんが子守唄代わりに声に出して確認するから」

 あくまで私を休ませようとする彼女に、つい反発してしまう。
 それはこちらの体調を心配してくれているのだとしても、同時に未熟さを突き付けられているようにも感じて……けれど……

 昨夜の固い地面とは正反対の、ふわふわとした柔らかな寝床。全身が包み込まれていくような極上の心地。
 疲れ切った体では抵抗もできず、もはや指先を動かす気力すら湧いてこない。
 まぶたが、緩やかに落ちていく。意識も、もう半分以上、働いていない……

「……ここから橋……馬を急がせ…………くらい…………途中で……」

 彼女の声もすでに、先刻と同様、途切れ途切れにしか聞こえなくなっていた。
 ああ……ダメだ。頼りきりで申し訳ないとは思いつつも、襲い来る眠気に抗えそうにない。
 それに、今無理をして翌朝起きられなければ、結局は彼女に余計に迷惑がかかってしまう。

 不甲斐なさを呑み込み、無理やり掴んでいた意識を私は手放す。彼女の言う通り、きょうはこのままねむらせてもらおう……

「……橋の……にある、フェルム村で……して……」

 ……ふぇるむ……? あれにえさん、わたしのこと、よびましたか……?
 すみません、いまは、とてもめをあけられそうになくて……でも、どうして、わたしのなまえの、むら……?
 ふぇるむむら…………――フェルム村……!?

「……――!?」

 閉じかけた意識が急速に覚醒する。ベッドに預けていた上体を跳ね上げる。彼女は今何と言った?

「あれ? でもここ、今は廃村になってる? ……ん? フェルム?」

 遅れて廃村の記載に気づいたのか、アレニエさんも地図から目を離し、こちらに視線を向ける。

「リュイスちゃん……この村って、もしかして……」

 少しだけ、口調に躊躇いを覗かせる彼女に、私は内心の動揺を抑えつけながら言葉を返した。

「……はい。私の……故郷です」
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