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第1章
38節 流れる視界に映るもの
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「ここ……です」
私は少し震えた声で呟いた。
森の中にぽっかりと空いた、拓けた空間。
ちょっとした広場ほどもありそうなそこは、高木どころか下草もまばらにしか生えておらず、地面の土がむき出しになっている。空を塞ぐ樹々がないため、陽光も届いていた。
あれほどの嵐の後だというのに、土には湿り気程度しか残っていない。
魔物の領土は乾燥している地域が多い(つまり『水』の加護が遠い)と聞くが、樹木が茂るこの地も例外ではないらしい。植生自体、アスタリアの創造物とは違うのかもしれない。
ここが、魔将と勇者が遭遇し……そして、後者の命が潰える元凶の場所になる。
実際の風景と〈流視〉で見た記憶が重なり、脳裏に鮮明に思い起こされ、私は口元を手で覆う。
これからこの場で起こる勇者処刑の様子――それは戦いと呼べるものではなく、まさしく処刑だった――に、間近で失ったような喪失感を覚え、私は……
「――例の魔将は、まだいないみたいだね」
アレニエさんの冷静な声で、不意に現実に引き戻された。
私の意識が混濁している間にも、彼女は警戒を続けていたらしい。
「リュイスちゃんの目でも、いつ来るか、っていうのは分からないの?」
「その……大まかな道筋は見えるんですが、正確な時刻までは分からなくて……」
「そういうものなんだ?」
「はい……。ええと、そう、ですね……以前、〈流視〉に映る光景は川の流れに似てる、と話したのは……」
「憶えてるよ。初めて会った時だね」
頷き、肯定の意を示す。
「普段の〈流視〉は、小川……いえ、どちらかといえば、クランの街で見た水路ぐらいでしょうか。どんな形状でどう流れていくのか、少し意識すればある程度見通せるほどの規模です。注意して目を凝らせば、そこに流れる水がどこから来て、この先いつ、どこを通過するかまで把握できる。これは、私の目に映る範囲で完結する程度の情報量だからです」
「ふむふむ」
「けれど、私の意思と関わりなく見える大きな流れ――今回のような、勇者さまの生涯などは、普段とは比べ物にならない多くの情報が流れ込んできます。同じく川で例えるなら……先日目にしたペルセ川にも匹敵する、巨大な河川、になるでしょうか」
「……そんなに違うの?」
「はい。私が目にしたのは、勇者さまが〈選定の儀〉に選ばれてからこの森に辿り着くまでの短い期間になりますが……それでもそれは非常に膨大で、私では、印象的な光景を記憶に留めること、見えた道筋を辿ることくらいしかできなくて……」
「ふむー……そういえば気にはなってたんだけど、それ、実際どんな風に見えてるの?」
「え? と……どんな、ですか……そうですね……。視界が、相手のものに――今回で言えば、勇者さまのものに切り替わって、その目に映る出来事が目まぐるしく流れていく……けれど、勇者さまの行動の流れ全体も、朧気に把握できる……。こう……流れる川の中から周りを見ている自分と、その川全体を眺める自分が、同時にいるような……? ……すみません、上手く説明できないんですが……」
「や、なんとなく想像はできたよ。ただ、今頭に浮かんでるの、リュイスちゃんが川に流されて溺れてる感じなんだけど、大丈夫かな」
「あ、はは、は……あまり、間違ってない気がします……」
一方的に視界に入る情報の流れに溺れているという意味では、彼女の想像はそう外れてもいない。
「そんな状態ですから、流され始めた場所や、止まる地点は分かりやすいんですが、いつ、どこを流れて来たのかを正確に把握するのは難しくて……」
「なるほどねー……でも、とりあえずここに来るのは決まってるんだよね?」
「それは……はい。よほど大きく変えない限りは、本来の流れが継続するはずです」
元凶を取り除き、新しい流れを生み出す必要があるのは、そのためだ。
「じゃあ、一通り辺りを調べてから、どうするのか決めよっか。すぐに見つからないなら、入り口まで戻って野宿だね」
魔物がうろつく森の中で野営すると言い出さなくて、少しホっとした。往復する労力はかかるが、ここで一夜を過ごすより遥かにマシだろう。
……彼女なら、それくらい平然とやってしまいそうと思ったのは、内緒にしてください。
***
「――見つけた」
樹上から周囲を見回していたアレニエさんからそんな呟きが聞こえてきたのは、方針を決めてからそう経過していない頃だった。
彼女は樹々を跳び渡り、あっという間にあそこまで登ってしまったのだが、私はとても同じ真似はできないので、地上から地道に周囲を調べている最中で…………見つけた? ……もう?
鎧を纏っているのに音もなく平然と着地(音が響きにくい加工でもしているのかもしれない)した彼女は、すぐにこちらに答え合わせを求める。
「全身真っ黒の鎧着た魔族、だったよね?」
「……はい」
禍々しい意匠の全身鎧に、頭部を全て覆う兜。全てが黒く塗られ、鈍く輝いている。腰に帯びた剣の鞘まで黒だった。
その姿は、私が〈流視〉で見たものと寸分違わない。
「なら、依頼の討伐対象で間違いないみたいだね」
既に思っていた以上に接近されていた、のだろうか。本当に、時間の猶予はなかったのかもしれない。
「あと、その横にもう二人、人型のがいたよ。男と女で一人ずつ」
「……えっ?」
「肌が赤かったり青白かったりだから、多分その二人も魔族だね」
「いや……ちょっと、待っ……」
魔将だけでなく、別の魔族が随伴している……?
それは私にとって思いがけない、というより想像もしていなかった状況で、自分でも困惑するほどに狼狽する。
「そんな、はず……だって、今までは……」
「……リュイスちゃん?」
私が〈流視〉で見た光景では、確かに魔将は単独で行動していた。そしてその単独の敵一体に、勇者一行は手も足も出なかったのだ。脳裏には先刻思い起こさせられたその光景が、胸には喪失感がいまだに残されている。
「リュイスちゃん。おーい、リュイスちゃんてば」
平常時も、不意に強く現れた際も、〈流視〉に見えた流れはその先の現実でも再現される。意図的に変えようと行動しない限り、見えた流れが変わることは無い……少なくとも、今まではそのはずだった。
けれど今回、私はまだ何もしていない。元凶である魔将と接触すらしていない。ないのに、この『目』で見た光景とズレが生じている――〝すでに流れが変わっている〟なんて……!
「リュ イ ス ちゃーん。……ダメか、聞こえてない。ん―……うん。仕方ない」
それに――それ以上に……これでは、勝ち目がない。
一体だけでも勇者一行を蹂躙してしまう最悪の敵。それが、さらに未知の魔族を二体も引き連れている?
元凶を討つ、どころじゃない。二人共に命を落とす未来しか見えない。いや、私の命なんてこの際どうでもいい。それより、このままじゃ彼女が……アレニエさんが、死――……!
「えいや」
もにゅん。
「…………?」
焦燥感でざわめいていた胸に、突然外部から圧迫するような刺激が差し込まれた。
狼狽え、俯いていた視界には、アレニエさんから伸びる両の手が私の胸を鷲掴み、持ち上げるように揉みしだく様子が映し出され――
「――うひゃんっ!?」
変な声出た。
「おお、結構な重量感」
「な……な……な……!?」
弾かれたように彼女の手を振り払い後退し、「なにしてるんですか!?」と叫ぶ寸前で。
「あ……」
暴走していた頭と心が鎮まり、周囲の景色が目に入る。眼前の彼女の姿も。
そして、その声が聞こえないほど動揺していたことにも、ようやく気が付いた。わずかに遅れて、今の彼女の行為が、なんのためだったのかも。
顔に熱が登っていくのを感じる。迷惑をかけた申し訳なさもあるけれど――……
「……他の方法はなかったんでしょうか」
「落ち着いたでしょ?」
彼女は見せつけるように両手をわしゃわしゃ開閉させる。その手つきやめてください。
「確かに目は覚めましたけど、落ち着いたかと言われると……むしろ……その……」
「興奮した?」
「してません!」
なんてこと言うんだこの人。
「その調子なら、もう平気かな」
「…………若干釈然としませんが、はい、一応……。……急に取り乱して、すみませんでした」
「うん」
私を安心させるかのように、彼女はいつもの微笑みを浮かべる。
「それで? さっきの反応からすると、リュイスちゃんが『見た』時とは状況が違う、ってこと?」
……本当に、この人は察しがいい。
「……はい。以前見えた時は、他の魔族の姿なんてありませんでしたから……」
「まぁ、知ってたなら、依頼する時に言ってただろうしね」
理解して頂けると助かります……
「敵が増えたのは確かに問題だし、慌てるのも分かるよ。けど、今の取り乱しようはそれだけじゃなさそうに見えた。流れが変わったから? でも、そもそも変えるために動いてるんだよね?」
「……そう、ですね。その通りです。見えたのが不幸な結末だったとしても、原因を取り除きさえすれば、流れは変えられますから」
初めて会った際に説明した通りだ。その頃は、私が〈流視〉の持ち主だとは明かしていなかったが。
「でも、逆に言えばそれは、変えようとする〝誰か〟が手を加えて、初めて生み出せるもの。……そのはず、なんです。それが……」
「今回は、実際に何かする前に、変わってた?」
無言で、首肯する。
「……こんなこと、初めてで……」
取り乱した理由はもう一つあるのだけど……本人に告げるのは、さすがに恥ずかしい。
「なるほどね。でもまぁそういう理由なら、わたしに依頼した時点で手を加えたことになってたんじゃないかな」
「……助けるために、依頼したから……?」
そう、なのだろうか。間接的にでも介入したから、全体の流れも変わった? 言われてみれば、そうなのかもしれない。
「あと思いつくのは、その『目』にリュイスちゃんの知らない条件があるとか。いっそ全然別のところに原因があるとか?」
「別の、条件……別の原因……」
……考えもしなかった。
けれど確かに私は、この瞳の全てを――私の意思を離れた際は特に――知っているとは言い難い。
それに彼女の言う通り、原因が他から来ていたとすれば……
「うん、たとえば魔族のほうにも――って、ゆっくり話してる暇はなかったね。さて、どうしようか……」
アレニエさんが言う通り、もうあまり時間がない。魔将がこの広場に到達するまでに、方針を決める必要がある。――依頼そのものの継続も含めて。
契約は神聖なもの。個人であれ、組織であれ、それを守り行わなければ信用は成り立たず、社会は立ち行かない。
その契約の前提が崩れてしまえば、守る義務も失われる。ならば彼女には破棄する権利がある。彼女自身、依頼を受ける際に言っていたはずだ。手に負えなければ迷わず逃げる、と。
当たり前だ。命を落とすと承知で崖に身を投げ出すのは愚行でしかない。無理を通す義理もない。
もちろん、今から代わりを探す時間などないし、できるなら継続してもらいたい。最後まで、彼女と共にありたい。
けれどそれ以上に……無為に彼女を死なせることだけは、したくない。
「……こんなことになってすみません。とにかく、今はこの場を離れましょう。エスクードまで戻って……いえ、もっと先の街まで行けば、応援を見つけられるかも――」
「え?」
「……え?」
意外そうな声に驚き、思わず向けた視線の先で……彼女はなぜか、足元の小石を拾い集めていた。
「え、と……なにしてるんですか、アレニエさん」
「準備」
小石をポーチに忍ばせ、次いで彼女は他の装備や道具を簡単に検める。
「……もしかして、このまま迎え撃つんですか?」
「だって時間ないでしょ?」
言いながらその場に屈み込み、手元の下草を結び、即席のトラップを手早く作っていく。子供の悪戯のようにも見える罠だが、意外に効果は高い。魔族に通じるかは分からないが。
「足止めはしたけど、それでも勇者がいつ来るか分からないし、街まで行っても腕の立つ人なんていないかもしれない。それなら、こっちが先に見つけて、しかも待ち構えられる今が、仕掛け時かなって。噂の〈暴風〉はともかく、横の二人は不意を討てばいけそうだしね」
……不意討ちなら、いけるんですか……?
そのあたりは彼女の観察眼を信じるしかないけれど……あの、本当に?
いや。彼女が、現状を理解したうえでこのまま戦うと、依頼を継続してくれると言っているのだ。それなら、私もその意志に従うだけだ。
「……手を引かれても、仕方がないと思っていました」
「途中で状況変わるのはそこまで珍しくないし、よっぽどじゃなければ手は引かないよ。それにこないだも言ったけど、わたしも、まだ勇者に死なれると困るから」
今はそれこそ〝よっぽど〟の状況のような気がするけど……いや、深くは考えないようにしよう。
「わかりました。……本当に、感謝します。アレニエさん」
「大げさ大げさ。一応なんとかなりそうだと思ったから継続するだけで、実際やって無理ならそれこそ逃げるよ、わたし。だからリュイスちゃんもそのつもりでね」
「はい……!」
決意を込めて返答する私とは対照的に、彼女はあくまで気負いがない。今はそれが、これ以上なく頼もしい。
「じゃあ、始めよっか」
彼女のその言葉を合図に、わたしたちは迎え撃つ準備を始めた。
私は少し震えた声で呟いた。
森の中にぽっかりと空いた、拓けた空間。
ちょっとした広場ほどもありそうなそこは、高木どころか下草もまばらにしか生えておらず、地面の土がむき出しになっている。空を塞ぐ樹々がないため、陽光も届いていた。
あれほどの嵐の後だというのに、土には湿り気程度しか残っていない。
魔物の領土は乾燥している地域が多い(つまり『水』の加護が遠い)と聞くが、樹木が茂るこの地も例外ではないらしい。植生自体、アスタリアの創造物とは違うのかもしれない。
ここが、魔将と勇者が遭遇し……そして、後者の命が潰える元凶の場所になる。
実際の風景と〈流視〉で見た記憶が重なり、脳裏に鮮明に思い起こされ、私は口元を手で覆う。
これからこの場で起こる勇者処刑の様子――それは戦いと呼べるものではなく、まさしく処刑だった――に、間近で失ったような喪失感を覚え、私は……
「――例の魔将は、まだいないみたいだね」
アレニエさんの冷静な声で、不意に現実に引き戻された。
私の意識が混濁している間にも、彼女は警戒を続けていたらしい。
「リュイスちゃんの目でも、いつ来るか、っていうのは分からないの?」
「その……大まかな道筋は見えるんですが、正確な時刻までは分からなくて……」
「そういうものなんだ?」
「はい……。ええと、そう、ですね……以前、〈流視〉に映る光景は川の流れに似てる、と話したのは……」
「憶えてるよ。初めて会った時だね」
頷き、肯定の意を示す。
「普段の〈流視〉は、小川……いえ、どちらかといえば、クランの街で見た水路ぐらいでしょうか。どんな形状でどう流れていくのか、少し意識すればある程度見通せるほどの規模です。注意して目を凝らせば、そこに流れる水がどこから来て、この先いつ、どこを通過するかまで把握できる。これは、私の目に映る範囲で完結する程度の情報量だからです」
「ふむふむ」
「けれど、私の意思と関わりなく見える大きな流れ――今回のような、勇者さまの生涯などは、普段とは比べ物にならない多くの情報が流れ込んできます。同じく川で例えるなら……先日目にしたペルセ川にも匹敵する、巨大な河川、になるでしょうか」
「……そんなに違うの?」
「はい。私が目にしたのは、勇者さまが〈選定の儀〉に選ばれてからこの森に辿り着くまでの短い期間になりますが……それでもそれは非常に膨大で、私では、印象的な光景を記憶に留めること、見えた道筋を辿ることくらいしかできなくて……」
「ふむー……そういえば気にはなってたんだけど、それ、実際どんな風に見えてるの?」
「え? と……どんな、ですか……そうですね……。視界が、相手のものに――今回で言えば、勇者さまのものに切り替わって、その目に映る出来事が目まぐるしく流れていく……けれど、勇者さまの行動の流れ全体も、朧気に把握できる……。こう……流れる川の中から周りを見ている自分と、その川全体を眺める自分が、同時にいるような……? ……すみません、上手く説明できないんですが……」
「や、なんとなく想像はできたよ。ただ、今頭に浮かんでるの、リュイスちゃんが川に流されて溺れてる感じなんだけど、大丈夫かな」
「あ、はは、は……あまり、間違ってない気がします……」
一方的に視界に入る情報の流れに溺れているという意味では、彼女の想像はそう外れてもいない。
「そんな状態ですから、流され始めた場所や、止まる地点は分かりやすいんですが、いつ、どこを流れて来たのかを正確に把握するのは難しくて……」
「なるほどねー……でも、とりあえずここに来るのは決まってるんだよね?」
「それは……はい。よほど大きく変えない限りは、本来の流れが継続するはずです」
元凶を取り除き、新しい流れを生み出す必要があるのは、そのためだ。
「じゃあ、一通り辺りを調べてから、どうするのか決めよっか。すぐに見つからないなら、入り口まで戻って野宿だね」
魔物がうろつく森の中で野営すると言い出さなくて、少しホっとした。往復する労力はかかるが、ここで一夜を過ごすより遥かにマシだろう。
……彼女なら、それくらい平然とやってしまいそうと思ったのは、内緒にしてください。
***
「――見つけた」
樹上から周囲を見回していたアレニエさんからそんな呟きが聞こえてきたのは、方針を決めてからそう経過していない頃だった。
彼女は樹々を跳び渡り、あっという間にあそこまで登ってしまったのだが、私はとても同じ真似はできないので、地上から地道に周囲を調べている最中で…………見つけた? ……もう?
鎧を纏っているのに音もなく平然と着地(音が響きにくい加工でもしているのかもしれない)した彼女は、すぐにこちらに答え合わせを求める。
「全身真っ黒の鎧着た魔族、だったよね?」
「……はい」
禍々しい意匠の全身鎧に、頭部を全て覆う兜。全てが黒く塗られ、鈍く輝いている。腰に帯びた剣の鞘まで黒だった。
その姿は、私が〈流視〉で見たものと寸分違わない。
「なら、依頼の討伐対象で間違いないみたいだね」
既に思っていた以上に接近されていた、のだろうか。本当に、時間の猶予はなかったのかもしれない。
「あと、その横にもう二人、人型のがいたよ。男と女で一人ずつ」
「……えっ?」
「肌が赤かったり青白かったりだから、多分その二人も魔族だね」
「いや……ちょっと、待っ……」
魔将だけでなく、別の魔族が随伴している……?
それは私にとって思いがけない、というより想像もしていなかった状況で、自分でも困惑するほどに狼狽する。
「そんな、はず……だって、今までは……」
「……リュイスちゃん?」
私が〈流視〉で見た光景では、確かに魔将は単独で行動していた。そしてその単独の敵一体に、勇者一行は手も足も出なかったのだ。脳裏には先刻思い起こさせられたその光景が、胸には喪失感がいまだに残されている。
「リュイスちゃん。おーい、リュイスちゃんてば」
平常時も、不意に強く現れた際も、〈流視〉に見えた流れはその先の現実でも再現される。意図的に変えようと行動しない限り、見えた流れが変わることは無い……少なくとも、今まではそのはずだった。
けれど今回、私はまだ何もしていない。元凶である魔将と接触すらしていない。ないのに、この『目』で見た光景とズレが生じている――〝すでに流れが変わっている〟なんて……!
「リュ イ ス ちゃーん。……ダメか、聞こえてない。ん―……うん。仕方ない」
それに――それ以上に……これでは、勝ち目がない。
一体だけでも勇者一行を蹂躙してしまう最悪の敵。それが、さらに未知の魔族を二体も引き連れている?
元凶を討つ、どころじゃない。二人共に命を落とす未来しか見えない。いや、私の命なんてこの際どうでもいい。それより、このままじゃ彼女が……アレニエさんが、死――……!
「えいや」
もにゅん。
「…………?」
焦燥感でざわめいていた胸に、突然外部から圧迫するような刺激が差し込まれた。
狼狽え、俯いていた視界には、アレニエさんから伸びる両の手が私の胸を鷲掴み、持ち上げるように揉みしだく様子が映し出され――
「――うひゃんっ!?」
変な声出た。
「おお、結構な重量感」
「な……な……な……!?」
弾かれたように彼女の手を振り払い後退し、「なにしてるんですか!?」と叫ぶ寸前で。
「あ……」
暴走していた頭と心が鎮まり、周囲の景色が目に入る。眼前の彼女の姿も。
そして、その声が聞こえないほど動揺していたことにも、ようやく気が付いた。わずかに遅れて、今の彼女の行為が、なんのためだったのかも。
顔に熱が登っていくのを感じる。迷惑をかけた申し訳なさもあるけれど――……
「……他の方法はなかったんでしょうか」
「落ち着いたでしょ?」
彼女は見せつけるように両手をわしゃわしゃ開閉させる。その手つきやめてください。
「確かに目は覚めましたけど、落ち着いたかと言われると……むしろ……その……」
「興奮した?」
「してません!」
なんてこと言うんだこの人。
「その調子なら、もう平気かな」
「…………若干釈然としませんが、はい、一応……。……急に取り乱して、すみませんでした」
「うん」
私を安心させるかのように、彼女はいつもの微笑みを浮かべる。
「それで? さっきの反応からすると、リュイスちゃんが『見た』時とは状況が違う、ってこと?」
……本当に、この人は察しがいい。
「……はい。以前見えた時は、他の魔族の姿なんてありませんでしたから……」
「まぁ、知ってたなら、依頼する時に言ってただろうしね」
理解して頂けると助かります……
「敵が増えたのは確かに問題だし、慌てるのも分かるよ。けど、今の取り乱しようはそれだけじゃなさそうに見えた。流れが変わったから? でも、そもそも変えるために動いてるんだよね?」
「……そう、ですね。その通りです。見えたのが不幸な結末だったとしても、原因を取り除きさえすれば、流れは変えられますから」
初めて会った際に説明した通りだ。その頃は、私が〈流視〉の持ち主だとは明かしていなかったが。
「でも、逆に言えばそれは、変えようとする〝誰か〟が手を加えて、初めて生み出せるもの。……そのはず、なんです。それが……」
「今回は、実際に何かする前に、変わってた?」
無言で、首肯する。
「……こんなこと、初めてで……」
取り乱した理由はもう一つあるのだけど……本人に告げるのは、さすがに恥ずかしい。
「なるほどね。でもまぁそういう理由なら、わたしに依頼した時点で手を加えたことになってたんじゃないかな」
「……助けるために、依頼したから……?」
そう、なのだろうか。間接的にでも介入したから、全体の流れも変わった? 言われてみれば、そうなのかもしれない。
「あと思いつくのは、その『目』にリュイスちゃんの知らない条件があるとか。いっそ全然別のところに原因があるとか?」
「別の、条件……別の原因……」
……考えもしなかった。
けれど確かに私は、この瞳の全てを――私の意思を離れた際は特に――知っているとは言い難い。
それに彼女の言う通り、原因が他から来ていたとすれば……
「うん、たとえば魔族のほうにも――って、ゆっくり話してる暇はなかったね。さて、どうしようか……」
アレニエさんが言う通り、もうあまり時間がない。魔将がこの広場に到達するまでに、方針を決める必要がある。――依頼そのものの継続も含めて。
契約は神聖なもの。個人であれ、組織であれ、それを守り行わなければ信用は成り立たず、社会は立ち行かない。
その契約の前提が崩れてしまえば、守る義務も失われる。ならば彼女には破棄する権利がある。彼女自身、依頼を受ける際に言っていたはずだ。手に負えなければ迷わず逃げる、と。
当たり前だ。命を落とすと承知で崖に身を投げ出すのは愚行でしかない。無理を通す義理もない。
もちろん、今から代わりを探す時間などないし、できるなら継続してもらいたい。最後まで、彼女と共にありたい。
けれどそれ以上に……無為に彼女を死なせることだけは、したくない。
「……こんなことになってすみません。とにかく、今はこの場を離れましょう。エスクードまで戻って……いえ、もっと先の街まで行けば、応援を見つけられるかも――」
「え?」
「……え?」
意外そうな声に驚き、思わず向けた視線の先で……彼女はなぜか、足元の小石を拾い集めていた。
「え、と……なにしてるんですか、アレニエさん」
「準備」
小石をポーチに忍ばせ、次いで彼女は他の装備や道具を簡単に検める。
「……もしかして、このまま迎え撃つんですか?」
「だって時間ないでしょ?」
言いながらその場に屈み込み、手元の下草を結び、即席のトラップを手早く作っていく。子供の悪戯のようにも見える罠だが、意外に効果は高い。魔族に通じるかは分からないが。
「足止めはしたけど、それでも勇者がいつ来るか分からないし、街まで行っても腕の立つ人なんていないかもしれない。それなら、こっちが先に見つけて、しかも待ち構えられる今が、仕掛け時かなって。噂の〈暴風〉はともかく、横の二人は不意を討てばいけそうだしね」
……不意討ちなら、いけるんですか……?
そのあたりは彼女の観察眼を信じるしかないけれど……あの、本当に?
いや。彼女が、現状を理解したうえでこのまま戦うと、依頼を継続してくれると言っているのだ。それなら、私もその意志に従うだけだ。
「……手を引かれても、仕方がないと思っていました」
「途中で状況変わるのはそこまで珍しくないし、よっぽどじゃなければ手は引かないよ。それにこないだも言ったけど、わたしも、まだ勇者に死なれると困るから」
今はそれこそ〝よっぽど〟の状況のような気がするけど……いや、深くは考えないようにしよう。
「わかりました。……本当に、感謝します。アレニエさん」
「大げさ大げさ。一応なんとかなりそうだと思ったから継続するだけで、実際やって無理ならそれこそ逃げるよ、わたし。だからリュイスちゃんもそのつもりでね」
「はい……!」
決意を込めて返答する私とは対照的に、彼女はあくまで気負いがない。今はそれが、これ以上なく頼もしい。
「じゃあ、始めよっか」
彼女のその言葉を合図に、わたしたちは迎え撃つ準備を始めた。
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なぜなら彼女は――
前世で“トップインフルエンサー”だったから。
処刑の瞬間、彼女が起動したのは禁忌の精霊石。
空に展開された巨大モニターが、全世界同時ライブ配信を開始する。
タイトルは――
『断罪なう』。
王子の不貞、聖女の偽善、王家の腐敗。
すべてを“証拠付き・リアルタイム”で暴露する配信に、
国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。
そして宣言される、前代未聞のルール。
支持率が上がるほど、処刑は不可能になる。
処刑台は舞台へ。
断罪はエンタメへ。
悪役令嬢は、世界をひっくり返す配信者となった。
これは、
処刑されるはずだった悪役令嬢が、
“ライブ配信”で王子と王国を公開処刑する物語。
支持率100%の先に待つのは、復讐か、革命か、
それとも――自由か。
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