[完結]勇者の旅の裏側で

八月森

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第3章

19節 紫電②

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「……アレニエ、さん……?」

 私は信じられないものを見る思いで、彼女の名を呆然と口にした。
 あのアレニエさんが……イフやカーミエとも互角に渡り合った彼女が……こんなに、あっさり……?

「自分より速い相手と戦うのは初めての経験でしょうか? こう見えて、わたくしも速さには少々自信がありまして」

 ルニアは相変わらず淡々と、勝ち誇るでもなく、声を届かせる。アレニエさんに向けての言葉のようだが、肝心の彼女は木にもたれかかったまま、反応を見せない――

「……う……げほっ……!」

「(! 生きてる!)」

 樹木を背にぐったりと座り込んでいたアレニエさんが、苦しそうに咳き込むのが聞こえた。反応があったことに、生きていてくれたことに、胸中で感謝する。

 しかし、その身は大きく手傷を負い、満足に身体も動かせないのだろう。立ち上がることもできず、その場で荒い息をついている。

「やはり生きておられましたか。わずかに手応えが軽い気がしていました」

 触れられる寸前で、抵抗したということだろうか。ルニアは大して驚く様子も見せず、アレニエさんに語り掛ける。

「さて、どうしたものでしょう。ここは、早々に貴女様にとどめを刺すべきでしょうか? それとも――……もう一人のお嬢様を、もてなすのが良いでしょうか?」

「――……!」

 ちらりと、こちらに視線を向けられただけで、全身が総毛立つ。
 魔王に次ぐ実力の持ち主、魔将の一人。しかも、あのアレニエさんを速さで打ち負かしてしまうほどの相手。そんな存在と、私は今対峙しているのだ。吹き荒れるような魔力はびりびりと肌を刺すように刺激し、私の身体を委縮させ、立ちすくませる。
 けれど……

「リュイス、ちゃ……逃げ、て……」

 アレニエさんが振り絞った声で私に逃げるよう促してくる。こんな時まで私の身を案じる彼女に視線を送り、この目に収める。それから前を向き、ほんの少しの間、瞳を閉じる。
 意識を、魔力を右目に集中させ、心の内で神の加護を願い求める。そして静かに、瞳を開いた。

 左目に変化はない。閉じる前と同じ景色が広がる。けれど右目には光が宿り、淡く、青く、色づいていた。
 その瞳で、私は前を――魔将を見据えた。怖気を振り払い、全身に力を入れ、それから気を静める。半身の姿勢で軽く腰を落とし、左手を顔の高さに、右手を腰の位置に置くいつもの構えを取る。そして、唱える。

「――《プロテクション》」

 前に出した左手、腰だめに構えた右手。それぞれの手の先に、光で編まれた盾が出現する。司祭さま直伝の武術、プロテクション・アーツの基本姿勢――

「おや? 思ったよりも積極的ですね。お逃げになられないのですか?」

「……私が逃げたら、貴女は彼女にとどめを刺すつもりでしょう?」

「はい。貴重な方ではありますが、だからこそ私共の障害になる可能性は看過できかねます。お命は奪わせていただくことになるでしょう」

「なら、逃げるなんて、できません。私は、アレニエさんを護るためにここにいるんですから」

 自分一人なら、おそらく目の前の魔将に怯え、震えることしかできず、そのまま無残に殺されていただろう。
 でも、彼女を、アレニエさんを護るためなら、それしか方法がないというなら、こんな私でも覚悟を決めて戦える。絶望的な困難にも立ち向かえる。
 それに彼女なら、私が戦っているわずかの間に休息し、すぐに態勢を整えてくれるはずだ。だから……

「(アレニエさん……私に、勇気を……!)」

 だからそれまでは、私が足止めする。私が彼女を助ける!

「素晴らしい意気込みですね。貴女様の勇気には感服しますが、私もそろそろここを引き払い、帰還しなくてはなりません。もてなしは手短に済ませることをお許しください――」

 その言葉が終わると共に――

 パリっ――

 再び小さい放電だけを残し、ルニアの姿が消える。

 自身の身体を雷と同化させる魔術。まさに雷光の如き速さで動くそれは、咄嗟に反応することはおろか、目で追うことさえ困難だ。次に姿を現す時を待っていては、私もアレニエさんと同様にかわす暇もなくやられてしまうだろう。だから私は――

 ――トンっ

 と、相手が姿を現す前から、右に一歩分だけ踏み込んだ。
 直後、目の前に魔将が現れ、帯電した右手を突き出してくる。が、既にそこに私はいない。事前にそれを避けてみせたことに、彼女はかすかな驚きの表情を浮かべる。

「……おや?」

 次いで私は、突き出されたルニアの右腕側面に両手を当て、それを支点に回転しながら懐に潜り込み、左肘を相手の側頭部に打ち込む!

 ゴっ――!

「お――……?」

 数日前の稽古で、エカルさんが見せてくれた動き。相手の間合いに潜り込むと同時に攻撃する技法。
 続けて、盾を纏わせた右拳を、魔将の腹部に叩き付ける!

「おぶ――……!?」

 内臓(人間と同じようにあるのかは分からないが)を打たれ、魔将が少し苦しそうな顔を見せる。そこへ――

「はっ!」

 両の拳を相手の胸に押し当て、思い切り前方に踏み込む!

 ダンっ!

「うぶ――!?」

 震脚と共に衝撃が伝わり、魔将が後方に吹き飛ぶ。倒れはしないものの、痛みをかばってか、魔術を解いた右手で胸部を押さえていた。

「フ……フフ……思った以上に、腕が立ちますね。でしたら――」

 パリっ――

 再び、魔将がその姿を雷と化して、目の前から消える。かすかな放電の後だけを残して、四方八方に移動し、こちらの隙を伺ってくる。

 武術の達人なら、来ると分かっていれば、あるいは気配を察知して対応することも可能かもしれない。が、それが叶わない私はこの『目』で追うしかない。相手の動きを、動きの流れを視界に捉え、どこからどう攻撃してくるのかを読み切ってみせる。

 魔将は雷光と共に私の側面に移動してきていた。その動きの流れを事前に読み、向かい合い、相手の攻撃をかわし、カウンターで胴に拳を打ち込む!

 ゴっ!

「うぐ!?」

〈流視〉に映る光景は川の流れに例えられる。
 それが、どんなに速い急流だとしても、川全体の流れを、流れの形状を把握できてしまえば、私でも攻撃を受け流し、対処することができる!

「……その目……もしやカタロスの……フフ……なるほど。貴女様でしたか。ここまで私の計画を邪魔してくださったのは」

 ルニアがこちらと視線を交わし、先ほどまでより深く笑う。その表情にゾワリとしたものを感じつつも、努めて息を整える。

「はぁ……! はぁ……! はぁ……!」

 時間にしてみればわずかの攻防。けれど息は上がり、動悸は収まらず、全身に冷や汗をかいている。

 いくら流れを読めるといっても、あの速さに対処するには身体に負担をかけないわけにはいかない。しかもあの帯電する右手は、一度でも貰ってしまえばそれだけで終わってしまいかねない威力を秘めている。鎧も纏っていない私ではなおさらだ。さらには、間近で魔将の魔力を受け続けてもいた。
 それらがもたらす重圧は、通常では考えられないほどの肉体的・精神的疲労を与えてくる。激流に身を投げ出し続ける心地だ。正直、あとどのくらい保つか分からない――

「――ありがと、リュイスちゃん」

 そこで、声が聞こえた。私が、待ち望んでいた声が。

「後は、任せて」
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