あのパンの香りが届かないように

八月森

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4話 そう警戒しないでもらえるとありがたい

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 気づけば私は、先刻までいた通りのど真ん中に立っていた。

「ここに並ぶのはハイラント帝国から仕入れた高品質の魔具ばかり! さあ、見ていって――」

「うちのパンは美味しいわよー! お値段もお買い得――」

「魔王も討伐されたし、少しは魔物の被害も減るかも――」

「いやー、『戦場』に近いこの街じゃ、あんまり変わらないんじゃ――」

「それより、最近怪しい連中がうろついてるって噂のほうが――」

(――……え?)

 呆然とその場に立ち尽くす。力の抜けた肩からリュックがずれ落ち、地面に落下する。

(私、なんでまたここに……? さっきまで、スラムみたいなとこにいて、そこで……)

 そこで、短剣に刺されて――

(――っ)

 その時の感触、恐怖を思い出し、背筋がぞわりとする。思わず刺された脇腹に視線を落とし、恐る恐る服をめくり、手で探ってみる。が……そこには、なんの痕跡もなかった。確かに刺さっていたはずの刃も。それによって刻まれた傷痕も。血の染みの一つすら。

(……どういう、こと……?)

 誰かが刺された私を見つけて治療してくれた? でも、そんなにすぐに治るもの? 傷痕すら全く残さずに……

 それに、どうしてまたこの場所に? 誰かがここまで私を運び込んで、この通りに立たせておいた? なんのために? そもそも、時間がどれだけ経ってるのかも分からないし、それまでずっと目を覚まさなかったの、私? ……それとも、ここまでの全部が夢……?

 疑問は尽きず、心は乱れる。往来で立ち止まりながら服をめくっていた私を、通り過ぎる人々が奇異の目で見てくる。それに気づき、慌てて服装を正したところで――

「あ!?」

 バっ!と通行人の陰からボロボロの衣服を纏った赤髪の少女が現れ、落ちていた私の荷物を奪い去っていった。――気を失う前に見た光景を、なぞるように。

(何、これ……? また、あの子が荷物を奪って……ううん、それだけじゃない。見える光景も、聞こえる喧騒も、さっきとほとんど変わってない気さえしてる……既視感、どころじゃない。まるで、みたいに――)

 自分のその想像にありえないという思いを抱く一方で、すでにありえない現象がこの身に起きていることも認めざるを得ない。

「ま、待って!」

 これもまた繰り返すように、私は彼女を制止しようと声を上げる。しかし今度は足が動かなかった。もし、本当に同じ時を繰り返してるのだとしたら、私は、追いかけた先で……

 そうしてわずかな間、先刻の恐怖を思い出して身を震わせていると――

「――どうかしたかい?」

 横合いからそう声を掛けられ、びくりと反応してしまう。

 話しかけてきたのは、身長170㎝ほどの、背の高い女性だった。
 私の身長が160に満たないくらいなので、10㎝以上開きがある。
 長い金の髪をポニーテールに結わえていて、切れ長の青い目がこちらを見下ろしていた。身体には白銀に輝く鎧を纏い、腰には長剣を提げている。隣には似たような風体の若い男性も立っていた。

「突然声をかけてすまない。私はこの街の治安維持に努める騎士団の一員で、アルテアという。そう警戒しないでもらえるとありがたい」

 騎士団……騎士? ファンタジーではお馴染みの……治安維持ということは、警察のような役割なのだろうか。

「君は、見たところ他国からの旅行者というところか? 名前は?」

「え、あ……たちばな美玲みれい、といいます」

「ふむ、他国のものだからか、聞き馴染みのない響きだね。タチバナが名前かい?」

「あ、いえ、美玲が名前で……」

 そうか、反射的に日本式で名乗ってしまったけど、この世界は(少なくともこの街では)ファーストネームを先に名乗るんだ。

「ふむ、ミレイか。それで、ミレイ。騒ぎがあったようだが、何か困りごとかい? もしかして、荷物を盗まれたとか……?」

 状況に流されていたが、その言葉にハッとする。

「そ、そうなんです!」

「やはりそうか。『戦場』に近いこの街にも最近は旅人が増えているんだが、今度はそれを狙った盗人も発生していてね。私たちも対応に追われてるんだ。相手がどこに逃げたか分かるかい?」

「え、と、あっちのほうに……」

 私が指差した方向を確認すると、アルテアさんはわずかに苦い顔を見せる。

「貧民街か……となると食い詰めた子供たちの仕業かもしれないな。なんにしても、急げばまだ取り返せるかもしれない。君は彼と一緒にここで待って――」

「! あ、あの! 私も一緒に行かせてください!」

 隣の同僚と思しき男性に預けられそうになった私は、それに反発するように叫んでいた。

「君が? いや、しかし……」

「に、荷物が本当に私のものかどうか、確認しなきゃいけないでしょう? それに私は、盗んだ子の顔も見てますから。お役に立てると……」

 確かにここで待っているほうが安全かもしれないが、この何も分からない世界で見知らぬ男性――それが警察的な人だとしても――と二人というのは落ち着かない。

 それに、荷物を盗んだあの子のことも気になるというか、前回の反応を思い出すに、そんなに悪い子じゃないような気がして……要は、アルテアさんが彼女にどんな処罰を下すかが気懸りで、自分の目で確かめたいのだ。

「……分かった。君は被害者だが、確かに目撃者でもある。来てくれれば助かる部分もあるだろう。――ディルク。君は詰め所に戻ってこのことを報告してきてくれ」

 同僚(それとも部下?)の男性は「はい」と返事をした後、貧民街とは逆の方向に歩き去っていった。それを見送ってからアルテアさんがこちらに顔を向ける。

「よし、行こう。ただし、この先は危険が降りかかる可能性もある。私の傍から離れないように」

「はい!」

 そうして私はアルテアさんと共に、再び貧民街へと駆けていった。

  ――――

「こっちです! 確か、前回はこの辺りで……」

「前回?」

「あ、いえ、なんでも……!」

 適当に誤魔化しつつ、走りながら改めて周辺に目を向ける。

 先刻までいた大通りと比べると道はあまり舗装されておらず、ややでこぼこしている。建物も、向こうが石や煉瓦を使ってしっかり建てられているのに対して、こちらは木造が多く、造りも粗雑なように見えた。

 今いるこの通りは、前回のループで盗人の少女と対峙し、結果として私が刺された場所だった。いや、同じ時間を繰り返してるというのが私の気のせいでなければ、なのだけど。

 しかしそれが気のせいではない証拠であるように、道の端に前回怪我をさせてしまった猫さん(今は元気そうだ)の姿と、そのさらに前方に見覚えのある少女の後ろ姿を発見する。

「……いた! あの子です!」

 盗人である赤髪の少女は、走り疲れたのか通りの途中で足を止め、荒い息をついていた。

「……ゲっ!? お前、さっきの……!? ……クソっ、騎士を連れてきやがったのか!」

 少女は苦々しくこちらを睨みながら、腰に差した鞘から短剣を引き抜き、威嚇する。私はまたそれにびくりとするが、隣に立つアルテアさんは落ち着いたものだった。

「それはやめておけ。場合によっては、手加減できなくなる」

「うるせぇ! お偉い騎士さまだからって、見下してんじゃねぇよ!」

「そんなつもりはないが、気に障ったのなら謝罪しよう。とにかく、武器を下ろしてくれ。そして彼女に荷物を返すんだ。今ならまだ、私一人の胸の内にとどめておける」

「そんな簡単に返せるなら、初めからこんなことしてねぇんだよ! あたしら貧民街の住人は、盗みに手を染めでもしなけりゃ食っていけねぇんだ! それとも、代わりにあんたが面倒見てくれんのかよ!」

「こう見えて騎士も薄給でね。私にそこまでの余裕はない。が……君に仕事を斡旋するくらいなら、できなくはないよ」

 その提案を聞いて、少女がにわかに目を見開く。

「仕事を……? 本当、に……? あたしは、ここの住人だぞ……?」

「ああ。これでも街の治安を担っている身だからね。あちこちに顔が利くんだ。多少の無理は聞いてもらえるだろう」

「……」

 少女の持つ短剣の刃先が下がる。見るからに戦意が失われていた。

 武器を構えられた時はどうなることかと思ったけれど、アルテアさんは私の予想より遥かに穏便な解決方法を提示してくれた。これなら、私の荷物は無事取り返せるし、少女もひどい扱いを受けずに済むかもしれない。そう考えたところで――

 ――突然、アルテアさんが少女に向かって駆け出し、腰から長剣を引き抜いた。
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