あのパンの香りが届かないように

八月森

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5話 肉付きが悪いからな

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 アルテアさんは少女に向かって駆け出しながら、腰に提げていた長剣を引き抜く。

(え……!?)

 驚いたのも束の間。彼女は少女に向けて鋭く叫んだ。

「伏せろ!」

「――!」

 少女が反射的にしゃがみ込むのと、ギィン!と、金属同士が強く衝突する音が響き渡るのは、ほとんど同時だった。

(何、が……!?)

 混乱しながらも状況を把握しようと目を凝らし、気づく。少女の背後に、いつの間にか黒いローブのようなものを着た男が忍び寄り、手にした剣を振り下ろしていた。さっきの衝突音は、その剣撃をアルテアさんが防いだ音だったのだ。

「――ふっ!」

 彼女は相手の剣を巧みに弾き、返す刀で男を斬りつける。

「ぐっ!?」

 胸を切り裂かれ、鮮血が舞う。しかしアルテアさんの動きは止まらない。さらにどこからか現れた第二、第三の男たちの攻撃を弾き、受け流し、斬り結んで……

「――おっと、そこまでだ騎士さま。こっちを見な」

 唐突に、響く男の声。そして喉元に当てられる冷たい感触。
 ――誰かが私のすぐ背後に立って、刃を突き付けている――!

 私は恐怖で動くことができなかった。知らぬうちに背後に迫られていたこともそうだが、何よりもひたりと触れてくる刃の冷たさが、下手に動けば易々と皮膚を食い破ることを想像させて身体を震わせる。

 硬直する私を見て、アルテアさんが苦々しい顔で刃を引く。そこで周囲の建物から次々に黒いローブを着た男たちが現れ、武器を突き付けながら彼女を取り囲んだ。見える範囲に六、七人ぐらい。私の背後にももっといるとすれば、総勢で十人ほどだろうか。

 アルテアさんの動きを封じたことで、自分たちの優位を確信したのだろう。背後の男が勝ち誇ったように声を上げる。

「そこの小娘には優しかったくせに、俺らは問答無用で斬り捨てるのかよ騎士さま? ずいぶん冷てぇじゃねぇか」

 アルテアさんは動くに動けない状況に歯噛みし、けれど抵抗の意思を示すように、視線で男を射貫く。

「……殺意には殺意で返すのが、私の信条だ。――先刻の男は、その少女に明確に殺意を向けていたな? なぜだ?」

「あんたの注意を引きたくてな。それに痩せっぽちでみすぼらしい貧民街の小娘じゃ、金にもなりゃしねぇ。、殺しちまったほうが後腐れがない」

 背後の男の台詞に、私は違和感を覚えた。なんだか話が繋がっているような、いないような……?
 それはアルテアさんも同感だったらしく、わずかに怪訝な表情を見せながら問いを続ける。

「……そもそも、お前たちは何者だ? 身なりからすれば、この貧民街の住人には見えない……ここで、何をしていた?」

「おいおい、話して俺らになんの得がある? ――答えてやる。俺らはここを隠れ蓑に、非合法なヤクの取り引きをしててな」

「な……!」

「そうしたら表が騒がしくなったじゃねぇか。取り引きが見つかったのかと警戒してみれば、見えたのは女が三人だけだ。それなら、人数と腕力で押し切って、立場を分からせてやるほうが手っ取り早い」

「下劣な……しかし薬の取り引きだと。それにその黒のローブ……もしやお前たち、近頃この街で暗躍している、悪魔崇拝者――」

「おっと、話はここまでだ。――おい、お前ら。その騎士さまを捕らえちまえ。この変わった服を着た嬢ちゃんといい、高値で売れそうだ。その前に俺らで楽しんでもいいな。あぁ、そこの貧民街のガキは殺していい。肉付きが悪いからな」

 売られる……辱められる……!? 私も、アルテアさんも……それに、あの女の子は……

「……そんな悠長なことを言っていていいのか?」

「何……?」

 アルテアさんの言葉に、背後の男が反応を示す。

「私はこう見えて部隊長だ。この場に来ることも部下に伝えてある」

「なんだと? ってことは……」

「そうだ。私たちを辱めるような時間の猶予は、お前たちにはない。もちろん、跡を残さず始末する暇もな。私たちが戻らなければ、いずれ異変を感じ取った彼らが手勢を率いて、この貧民街を徹底的に捜索するだろう。そうなれば……」

「俺らは悪事を暴かれ、捕まるか、あるいはその場で殺される……ってのか? マジかよ……」

 背後の男が呆然と呟く。喉元に触れていた刃がわずかに遠くなった気がした。

「状況は理解できただろう。互いに命は惜しいはずだ。ならば大人しく私たちを解放し――」

「……引き連れて移動は時間を取られる。楽しむのは論外。始末しても死体を処理しなきゃいけねぇ……」

「……? そうだ。だから――」

 ブツブツと呟く男を訝しく見てから、アルテアさんが再度警告を飛ばそうとしたところで――

「――――もういいや。殺しちまおう」

 ツパっ――パタタ

 わずかに遠ざかっていた刃が再び私の首に触れ――素早く、左右に移動した。

(え――あ……?)

 私の喉から赤い液体が噴き出し、地面の土に滴った。少しして、痛みと灼熱感が首に走る。

(何、が……? ……喉を……かき切られた……?)

 それを認識するのにわずかに時間がかかった。何が起こったのか、咄嗟に理解できなかったのだ。
 そして傷が気道にまで達していたのだろうか。声を出そうと思ってもヒュー、ヒューと傷口から空気が抜けていくだけで、まともな音にならない。やがて身体から力が抜け、膝をつき……そのまま、倒れ込む。地面から立ち昇る血の香りにむせる。

「――貴様ぁぁぁあ!」

 彼女も動揺していたのだろう。ようやく状況を認識したアルテアさんは、怒りに押されるようにこちらに駆け出そうとするが……

「お前ら――やれ」

 リーダー格の男の指示と共に、四方から突き付けられていた剣や槍が、彼女の身に降り注ぎ……

「グっ、ぶ……!?」

 鎧のすき間を縫って繰り出された刃が、彼女をめった刺しにする。口からは血がこぼれていた。あれではきっと助からない……

 視界が閉じてゆく。それでも耳だけは音を拾っていて――

「あとは貧民街の小娘だな。そいつも始末しとけ」

「クソっ、なんで、あたしまで……! 嫌だ、こんな……!」

 それらの声と、何かが肉を裂く音、そして悲鳴が聞こえて――

「ごぷっ……きさ、ま……」

「まだ息があるか。さすがは騎士さまだな。心配するなよ、トドメは刺してやる。これはそう、救いってやつだ。我らが悪魔、エラトマ・セリスの名の下に――」

(悪、魔……)

 男の言葉を最後に、怒声も悲鳴も遠のいていく。自分の、そして彼女たちの命が消えゆく気配に恐怖しながら……私の意識は、そこで途絶えた。

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