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ある日の厨房
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※一章『忙しない日々』くらいの時系列の話
──────────────────────
トントントントン。
グツグツ。
ジュー。
様々な音が、狭い厨房に溢れている。
どこか心地好いそれらに耳を傾けながら野菜の皮剥きをしていたヴォルガは、ふと忙しなく動く厨房の長に視線を向けた。
「……何だ?」
揚げ物の様子を見ていたユーガは、特に何を言ったわけでもないのにすぐに振り返った。
菜箸で器用に肉を転がしながら、もう片方の手で炒め物の入ったフライパンを動かしている。
ヴォルガは少し躊躇ってから、手を止めて尋ねた。
「ユーガの仕事量、多すぎないか?」
「そうか?」
ユーガは不思議そうに首を傾げている。
こちらに目を向けてはいるが、手は止めていない。
揚げ物が落ち着くと、今度は背後の汁物が入った鍋を掻き混ぜ始めた。
忙しないことこの上ない。
ヴォルガはこくこくと頷き、シルビオから飛んできた注文を思い返す。
「さっき来た注文って、二人分くらいじゃなかったか?」
確か、炒め物と汁物は注文に入っていた。
だが、揚げ物を頼まれていた記憶はない。
何なら、今ヴォルガが下処理している野菜は何に使うのかも分かっていない。
じっと見つめるヴォルガに、ユーガはああと合点のいった様子で答えた。
「注文寄越したの、アルノとディルクだろ。あいつら今日は非番だから閉店まで居座るんだよ。そのうちもっとつまみ寄越せって言い始めるから、予め作ってる。食わなきゃお前らの晩飯になるしな」
「そうなのか……?」
基本厨房にしかいないヴォルガは、まだ常連客についてはそこまで把握していない。
そのため、ユーガの早すぎる行動に疑念を持っていたのだが……
「ちゅうもーん。なんか酒に合うもん作れってさー」
ちょうど揚げ物が程よく仕上がった頃、シルビオがひょこっと顔を出してそんなことを言ってきた。
ユーガは溜め息をつき、ちょうど皿に盛っていた肉団子の揚げ物を手渡す。
「どうせ安酒だろ?とびきり濃い味にしてやった」
「あははっ、さすがユーガ」
シルビオは慣れた様子で皿を受け取り、すたすたとホールへ戻って行った。
「ほらな?」
「……」
何も言えず黙り込むしかないヴォルガ。
何となく気になって、珍しく自分から彼に尋ねていた。
「常連客のこと、全部記憶してるのか?」
「んー、まぁ、付き合い長い奴が多いしな」
ユーガは既に別の料理に取り掛かっていた。
窯では、よく作り置きしているパン生地をいつの間にか型に詰めて焼いている。
当たり前のように、注文はまだ届いていない。
あまりにも段取りが良すぎる、効率主義の極みのような仕事ぶり。
それでいて、料理を提供する相手のことをしっかりと考えているのだから恐ろしい。
ヴォルガは、おずおずと口を開いた。
「ユーガは……望んで今の仕事をしてるのか?」
ぴたりと、彼の手が完全に止まった。
火力を調節するためにしゃがんでいたユーガは、ゆっくりと立ち上がってヴォルガを見つめた。
いつもの、感情の薄い笑み。
それでも、瞳だけは真っ直ぐにこちらの心を見透かしてくる。
「貧民区の小さな酒場に収まる器じゃないってか?随分な過大評価をされたもんだな」
彼にしては珍しく、声に自嘲の色が強く滲んでいた。
ヴォルガは慌てて首を横に振った。
「……悪い。今のユーガの環境を卑下したいわけじゃないんだ。ただ……」
「あぁ、いい、分かってる」
ユーガはヴォルガの台詞を遮り、無意識にか腕の傷痕を隠すように握り締めながらぽつりと呟く。
「俺みたいな世界のはみ出し者には、今の環境だって贅沢すぎるんだがね」
「……?」
ヴォルガからすると、ユーガの言葉は、時折全く違う世界の言語に聞こえる時がある。
話している言語は同じ筈なのに、意味ある言葉として頭に入ってこないのだ。
理由は明白で、彼の見る世界には、ヴォルガの世界より何十倍もの情報と知識が詰め込まれているからだろう。
仲が深まるほど、何故か遠い存在になっていく。
いつか、彼が背負わされた罪を知ることのできる日が来るのだろうか。
厨房に奇妙な沈黙が舞い降りて数秒、二人の硬直を解いたのは魔道具から吹き上がる不安定な煙の臭いだった。
「……あ、焦がした」
「えっ」
ユーガが料理に失敗したところは初めて見た。
ヴォルガが驚いて視線を送ると、それは先程ユーガがパン生地を詰めていた窯から出ていた。
火力調節の途中でユーガが手を止めたため、強い火力で焼き過ぎてしまったのだろう。
「俺が話しかけたからか……」
仕事中に気楽に持ちかけていい問いではなかった。
しゅんとするヴォルガだが、ユーガは全く気に留めていない様子でひらひらと手を振る。
「気にすんな。これ、お前らの賄い用だしな」
「……えっ」
再び時を止めるヴォルガ。
ユーガは少し意地の悪い笑みを浮かべる。
「俺が忙しいと思うんなら、手は止めさせない方がいいな?」
……一体、この人はどこまで計算づくなのか。
業務終了後、焦げかけた硬いパンをもそもそと頬張りながら、ヴォルガは敗北感と悔しさを一緒に飲み込むのだった。
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トントントントン。
グツグツ。
ジュー。
様々な音が、狭い厨房に溢れている。
どこか心地好いそれらに耳を傾けながら野菜の皮剥きをしていたヴォルガは、ふと忙しなく動く厨房の長に視線を向けた。
「……何だ?」
揚げ物の様子を見ていたユーガは、特に何を言ったわけでもないのにすぐに振り返った。
菜箸で器用に肉を転がしながら、もう片方の手で炒め物の入ったフライパンを動かしている。
ヴォルガは少し躊躇ってから、手を止めて尋ねた。
「ユーガの仕事量、多すぎないか?」
「そうか?」
ユーガは不思議そうに首を傾げている。
こちらに目を向けてはいるが、手は止めていない。
揚げ物が落ち着くと、今度は背後の汁物が入った鍋を掻き混ぜ始めた。
忙しないことこの上ない。
ヴォルガはこくこくと頷き、シルビオから飛んできた注文を思い返す。
「さっき来た注文って、二人分くらいじゃなかったか?」
確か、炒め物と汁物は注文に入っていた。
だが、揚げ物を頼まれていた記憶はない。
何なら、今ヴォルガが下処理している野菜は何に使うのかも分かっていない。
じっと見つめるヴォルガに、ユーガはああと合点のいった様子で答えた。
「注文寄越したの、アルノとディルクだろ。あいつら今日は非番だから閉店まで居座るんだよ。そのうちもっとつまみ寄越せって言い始めるから、予め作ってる。食わなきゃお前らの晩飯になるしな」
「そうなのか……?」
基本厨房にしかいないヴォルガは、まだ常連客についてはそこまで把握していない。
そのため、ユーガの早すぎる行動に疑念を持っていたのだが……
「ちゅうもーん。なんか酒に合うもん作れってさー」
ちょうど揚げ物が程よく仕上がった頃、シルビオがひょこっと顔を出してそんなことを言ってきた。
ユーガは溜め息をつき、ちょうど皿に盛っていた肉団子の揚げ物を手渡す。
「どうせ安酒だろ?とびきり濃い味にしてやった」
「あははっ、さすがユーガ」
シルビオは慣れた様子で皿を受け取り、すたすたとホールへ戻って行った。
「ほらな?」
「……」
何も言えず黙り込むしかないヴォルガ。
何となく気になって、珍しく自分から彼に尋ねていた。
「常連客のこと、全部記憶してるのか?」
「んー、まぁ、付き合い長い奴が多いしな」
ユーガは既に別の料理に取り掛かっていた。
窯では、よく作り置きしているパン生地をいつの間にか型に詰めて焼いている。
当たり前のように、注文はまだ届いていない。
あまりにも段取りが良すぎる、効率主義の極みのような仕事ぶり。
それでいて、料理を提供する相手のことをしっかりと考えているのだから恐ろしい。
ヴォルガは、おずおずと口を開いた。
「ユーガは……望んで今の仕事をしてるのか?」
ぴたりと、彼の手が完全に止まった。
火力を調節するためにしゃがんでいたユーガは、ゆっくりと立ち上がってヴォルガを見つめた。
いつもの、感情の薄い笑み。
それでも、瞳だけは真っ直ぐにこちらの心を見透かしてくる。
「貧民区の小さな酒場に収まる器じゃないってか?随分な過大評価をされたもんだな」
彼にしては珍しく、声に自嘲の色が強く滲んでいた。
ヴォルガは慌てて首を横に振った。
「……悪い。今のユーガの環境を卑下したいわけじゃないんだ。ただ……」
「あぁ、いい、分かってる」
ユーガはヴォルガの台詞を遮り、無意識にか腕の傷痕を隠すように握り締めながらぽつりと呟く。
「俺みたいな世界のはみ出し者には、今の環境だって贅沢すぎるんだがね」
「……?」
ヴォルガからすると、ユーガの言葉は、時折全く違う世界の言語に聞こえる時がある。
話している言語は同じ筈なのに、意味ある言葉として頭に入ってこないのだ。
理由は明白で、彼の見る世界には、ヴォルガの世界より何十倍もの情報と知識が詰め込まれているからだろう。
仲が深まるほど、何故か遠い存在になっていく。
いつか、彼が背負わされた罪を知ることのできる日が来るのだろうか。
厨房に奇妙な沈黙が舞い降りて数秒、二人の硬直を解いたのは魔道具から吹き上がる不安定な煙の臭いだった。
「……あ、焦がした」
「えっ」
ユーガが料理に失敗したところは初めて見た。
ヴォルガが驚いて視線を送ると、それは先程ユーガがパン生地を詰めていた窯から出ていた。
火力調節の途中でユーガが手を止めたため、強い火力で焼き過ぎてしまったのだろう。
「俺が話しかけたからか……」
仕事中に気楽に持ちかけていい問いではなかった。
しゅんとするヴォルガだが、ユーガは全く気に留めていない様子でひらひらと手を振る。
「気にすんな。これ、お前らの賄い用だしな」
「……えっ」
再び時を止めるヴォルガ。
ユーガは少し意地の悪い笑みを浮かべる。
「俺が忙しいと思うんなら、手は止めさせない方がいいな?」
……一体、この人はどこまで計算づくなのか。
業務終了後、焦げかけた硬いパンをもそもそと頬張りながら、ヴォルガは敗北感と悔しさを一緒に飲み込むのだった。
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