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馴れ初め編/第一章 きっかけは懇親会

08.歯車は動き出す その1

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「ほん……っとに申し訳ありませんでした!」

「あはは、いいのいいの。気にしないで。ほら、そんな所にいないで椅子に座って」

 ダイニングの床に正座し、今にも頭を擦りつけん勢いの千優を、ケラリと笑う優しい國枝の手が撫でていく。
 今彼女の顔、いや身体は本人の自覚以上に熱を発しているかもしれない。
 穴があったら入りたいとは、まさにこのことか。なんて己の失態を、千優はとても恥じていた。

 風呂から上がった國枝は、濡れた髪を乾かしながら、昨夜の詳細について教えてくれた。
 主に千優が気を失ってからの出来事に重点を置き聞き、記憶にない情報を彼の言葉と共に繋ぎ合わせていく。

 どうやらカクテルを一気飲みした直後に、自分は意識を失うように眠ってしまったらしい。
 手に取ったカクテルに使われるベースの酒が、度数の高いものだったようだ。
 怒りで興奮していたこともあり、急激に酔いがまわったのだろうと、國枝が教えてくれた。

『それで、アタシが柳ちゃんを連れて帰ってきたわけ。本当なら、貴方の家に送ってあげたかったけど……住所がわからなかったし。だからアタシの家にご招待しちゃった』

 そう言って、彼はペロリと舌を覗かせ、女性顔負けのウィンクを放つ。
 國枝の特徴とも言える長髪も相まって、ホンモノと錯覚しそうになる。

 己には無い茶目っ気に圧倒されていると、ほんの一時忘れかけていた戸惑いと情けなさ、マイナスな感情がひょっこり顔を出す。
 何度もすぐに帰ると訴えているのに、目の前にいる男はそれを良しとしない。
 彼の巧妙な言葉の導きにより、いまだ國枝家に居座り続けている現実を、千優は直視出来ずにいた。





 ぼんやりと先程の出来事を思い出していると、もう一度、席につくよう國枝から促される。
 この状況でホイホイ従うのもどうかと、千優はしばしその場から動かない。
 そのまま、互いに見つめ合うこと数十秒。状況を冷静に分析し、悔しさが残るものの白旗をあげる。
 そして、心の片隅に、どこか腑に落ちない気持ちを残したまま、千優はそばのダイニングテーブルへ近づき、椅子に腰かけた。

 立ち上がって席につくまでの間、ついテーブルに並ぶ料理に目移りしそうになる。
 綺麗な焼き色のついた食パンに、具沢山なコンソメスープ。色鮮やかなサラダにフワフワなオムレツ。
 そして、淹れたてのコーヒーが香るマグカップ。
 豪華な二人分の朝食が並ぶ食卓に、先程までとは違う衝撃を感じ、驚きのあまり喉元まで出かかった声を飲み込む。

(いや、もう……女子力高すぎでしょ)

 千優に昨夜の出来事を説明している最中、何やらパタパタと動く気配はあった。
 國枝から語られる予想の斜め上をいく展開について行けず、呆然としている間に準備されたものらしい。

 洋食なら焼いてバターを塗ったトーストとカップスープ。和食なら、納豆ご飯にインスタント味噌汁。
 千優的休日の朝食と言えば、この上なく簡素なものが定番である。
 別に料理が出来ないわけではないが、己のために手の込んだものを作る気力がわかず、節約のためとついつい手を抜いてしまう。
 働き始めてからの食生活を思い出しつつ、再度目の前に鎮座する料理へ目を向ける。
 まるで、テレビで目にするホテルの朝食みたいだ。
 華やかな料理を手早く作ってしまう國枝を前に、色んな意味で敗北感を感じずにはいられない。

 ズン、と身体の中でやけに重く沈んでいくナニカを感じながら、料理に釘付けだった眼差しと一緒に顔をあげる。
 そこに居るのは、欠伸を噛み殺す部屋着姿の先輩、國枝螢。
 普段の会社にいる時より緩く髪をまとめ、スーツ姿とは違うラフな服を身につけた姿を、つい観察してしまう。
 少し気だるげにスマートフォンをいじる。そんな仕草すら、妙に色っぽい。
 一旦は落ち着いたはずの火照りが何故かぶり返し、心が不思議とざわつく。
 何故、と内心首を傾げるも、答えの糸口さえ見つけられそうにない。





「あら? ふふっ。柳ちゃん見て見て、篠原の土下座写真」

「えっ?」

 女子力勝負とはまた違う敗北感に、心がひび割れる感覚を味わっていると、突然國枝の笑い声が鼓膜を刺激する。
 我に返ると、先程まで視線を自分の手元へ落としていたはずの彼が、笑みを浮かべこちらに自分のスマートフォンを差し出している。
 言動の意味が理解出来ないまま、國枝の促すような声に導かれ、千優は一緒になり画面を覗き込む。
 するとそこに表示されていたのは、多くの人が利用するメッセージアプリのトーク画面。

『色々と迷惑かけてすまん。篠原にはきっちり言い聞かせておいたから、もう大丈夫、だと思いたい。あれからお前達の方は大丈夫だったか?』

 そんな後藤からのメッセージと共に、ホテルの廊下らしき片隅で、土下座をする馬鹿犬の写真が送られてきている。

 千優は、未だ笑いが止まらない國枝と、彼の手元にある写真を見比べながら、小さな疑問を抱かずにはいられない。

「あの……國枝さん。どうして、篠原が土下座してるんですか? それに、後藤さんがこんな写真送ってきて……」

「ははっ……あー、お腹痛い。ん? あぁ、そうか。柳ちゃん、寝てたからわからないものね」

 おもむろに口を開き、答えを求め言葉を紡ぐ。すると、國枝は笑いすぎて涙が滲み始めた目元を指で拭い、改めてこちらへと向き直った。

「柳ちゃんと同じ総務の子から聞いた話になるんだけど……篠原のバカがあなたに酷いこと言ったらしいじゃない? アタシが話聞いてた時、後藤ちゃんも丁度そばに居たのよ。だから、篠原にお説教したんだと思うわ。
この写真はきっと、篠原が反省してることを伝えたかったんだと思うの。アタシにもってことは……きっと柳ちゃんにも何かしらメッセージが来てるはずよ」

 どこか楽しそうに話す彼の声に、千優は慌てて椅子から立ち上がり、いつの間にかリビングの隅に寄せられた自分のバッグへ走る。
 そして中からスマートフォンを取り出しアプリを確認すると、確かに未読通知が来ていた。

『柳、具合は大丈夫か? 篠原はきっちり懲らしめといたから、安心していいぞ。本人もしっかり反省してるみたいだ。この写真、俺の携帯で撮ったから一緒に送るな。ちなみに、下の文は篠原から』

『変に絡んでごめん。久々の飲み会で、なんか楽しくてペースミスった、かも。週明けに、ちゃんとお前と会って、もう一回謝るから……だから、この写真は消してください!! 篠原』

 後藤とのトーク画面を見れば、メッセージが二つと写真が一枚。
 國枝の言う通り、彼のスマートフォンに送られてきたものと同等の文面が表示されている。
 唯一違う点と言えば、騒動の発端となった人物からの謝罪が添えられていることくらいだ。最後に何やら号泣しながら土下座をしているキャラクタースタンプまで押されている。


「うわぁ……後藤さんにまで迷惑かけてたなんて。……後で謝らないと」

 己の中で状況把握と納得という名の消化を済ませた途端、千優は大きく溜息をつき、その場にしゃがみんだ。
 國枝や後藤だけではない。あの場にいた同僚やナンパ軍団にも、きっと自分は多大な迷惑をかけてしまったのだろう。
 次々と、頭の中に浮かぶ謝罪先リストが埋まっていく。その都度湧き上がる負の感情に潰されかけ、頭を抱えたくなる。

「いいのよー、謝らなくったって。悪いのは、ぜーんぶ篠原なんだから。どちらかと言えば、柳ちゃんは被害者なのよ!」

 そんな時、頭上から不服そうな國枝の声が聞こえてきた。顔をあげると、唇を尖らせ妙に可愛らしくこちらを見下ろす彼と目が合う。
 当事者である自分以上に怒りを露わにする。そんな彼の姿が嬉しくもあり、過剰すぎる優しさに、つい苦笑いが零れそうになった。

「でも、篠原の言葉にカッとなったのは私だし。みんなに迷惑をかけたのは事実なので、ちゃんと謝らないと」

 スマートフォンをバッグの中へ戻し、グッと両足に力を入れ立ち上がる。
 そのまま拳を握りしめた千優は、決意表明でもするように、國枝を見つめ声を発した。

 やはりここは皆直接謝罪した方がいいだろうか。しかし、そうなると人数的に大変だ。
 だからと言って、メッセージのみでは気持ちが伝わりづらい。
 どうしたものかと、千優は頭を悩ませる。

(……ん?)

 それから約数分。千優は何かの視線を感じ、ふと我に返った。
 パチパチと瞬きをする視線の先にあるのは、こちらを見つめる國枝の姿。
 慈愛に満ちた彼の表情に、不思議と胸がザワつく。

「あの……何か?」

「やっぱり……好きだなーって思って」

「んなっ!?」

 対策を考えるあまり、みっともない顔をしていたのかと不安になり、恐る恐る問いかける。
 すると間髪入れず、どこか気怠さを纏った國枝の口から返答が紡がれた。
 あまりに予想の斜め上を行く内容を耳にしたせいか、千優の身体は一瞬にしてカッと熱くなっていく。

(なっ! な……何を、言って!?)

 驚くあまり、無意識に数歩後退すれば、トンっと、リビングの壁に両肩がぶつかる。
 バクバクと煩い心音に、思わず手が胸元へのびる。
 驚愕に見開いた瞳に映る、相変わらずな笑顔を見つめたまま、動揺するなと念じてみるも、何一つ静まる様子は無い。



「アタシ……柳ちゃんのそういう男らしい所大好きよ!」

 一体どうすれば動悸が治まるのかを必死に考える千優。そんな彼女の耳に、明るく元気な声が届いた。

「はぁ……はあ?」

 唐突な爆弾発言から約十数秒後。聞こえてきた言葉を理解した途端、一気に全身から力が抜けていく。
 語尾にハートマークでも飛びそうな声で、「キャー、柳ちゃんったらかっこいいー!」と、目の前の男が急に騒ぎ始めた。

 その様子をしばし眺めていれば、先程まで混乱していた自分が急に馬鹿らしくなる。
 やり場のない複雑な想いを昇華させようと、無意識に吐いた小さなため息が、ポツリと彼女の口からこぼれ落ちた。
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