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馴れ初め編/第三章 不明瞭な心の距離

34.デートの意味 その1

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 國枝からの唐突過ぎる誘いから数日。ついにその日はやってきた。

(うぅ……どうしよう。やっぱり、今からでも止めて……。いや、そんな事したら失礼だっ!)

 普段なら、グダグダとテレビを見ながら遅めの朝食を口にしているであろう日曜午前十時。
 細身のジーンズと長袖のインナーとカーディガンを身にまとい、秋めいてきた空の下、アパートの前で千優は佇んでいる。
 何故そんなことをしているかと言えば、自分を迎えに来ると言って聞かない男の到着を待つためだ。


 今日のコーディネートは、数少ない手持ち服の中から、昨夜テレビ電話越しに茅乃が選んでくれたもの。
 どこかへ出かけるとなった時、家族や茅乃が相手なら、千優自身の拙いチョイスでも十分対応できる。
 しかし今回は、相手が相手だけに、何をどう組み合わせて良いかわからず、彼女は友人に助けを求めた。
 ファッションの知識に乏しい自分とは違う茅乃のセンスを頼ろうと思って。

『え? 服をどこで買ってるのか? そんなの、ファストファッションの店か、バーゲンセールのはしごに決まってるじゃん』

『へぇ……全然、そんな風に見えないよ。茅乃は買い物上手なんだね』

『オタクはね、趣味にも、擬態にも金がかかるもんなのよ。本当は、洋服代だってケチりたいんだ。でも、でも……一般社会に溶け込むには、それなりに金がかかる。そして……推し声優のライブに行く時は、お洒落をしていきたい!』

 推し声優と一対一で話すわけでもないのに。そんな、友人の逆鱗に触れそうな事を考えながら、茅乃の私服事情を聞いたことを、千優は電話をかける前思い出していた。


 デートと言われた事は秘密にし、國枝から一緒に出掛けないかと誘われ、着ていく服を迷っているという用件だけを伝えた。
 話を聞いた茅乃の声は、不思議とワントーン高くなった気がして、その後は終始脳内に彼女のニヤついた顔がチラつく。

『ちょっとあんた、もしかしてスカート持ってないの?』

『ん? 持ってるよ、ほら』

 外出時に着ている私服をすべてベッドの上に並べた千優は、スマートフォンのテレビ電話機能を使い茅乃と会話を続ける。
 彼女の言葉に、通話中のスマートフォンを手にしたまま、部屋の壁に吊るしてあるスーツの方へふり向くと、電話越しに盛大なため息が聞こえた。

『そうじゃなーい! 会社以外で穿くスカートって意味』

『あー、それは無い。子供の時から、ずっと動きやすさ重視でズボン派なもので』

 流石に赤ちゃんの頃の記憶はほとんど無いが、物心ついた時から千優は、ショートカットにパンツスタイルだった。
 その方が、目を離すとすぐにそばを離れる弟達を追いかけるには丁度良かった。
 一緒に遊ぶ時に、長い髪で視界を遮られることは無い。入浴の時も、短い時間で髪を洗えて楽だった。
 そんな生活を二十五年以上続けているため、すっかり千優の中ではスカートの存在自体が希薄である。
 彼女がこれまでに身につけたスカートは、学生時代の制服と、社会人になってからのスーツくらいだ。

『まったく、あんたはもう。今度、一緒にスカート買いに行こうね』

『んー……んん?』

 電話越しに聞こえる友人の苦笑が腑に落ちず、千優は自分以外誰もいない部屋で小首を傾げ、ベッドの上に並ぶ洋服を見つめた。





 別に、スカートが嫌いなわけでも、絶対穿きたくないというこだわりがあるわけでもない。
 ただ、プライベートな時間でそれを身にまとうことに、躊躇いを感じる自分がいるだけ。
 女性らしいなんて言葉から、己がかけ離れていることくらい知っている。
 そのせいか、千優は、無意識にパンツスタイルな服装を好んだ。

 時折服を買いに行くと、嫌でもキラキラと輝くそれらが目につく。
 その度に彼女は、どうせ自分には似合わないものだと、いつも目をそらしていた。


 自分を迎えに来る國枝について悩んでいたはずなのに、気づけば意識が違うところへ飛ぶ。

「……っ!」

 しばらくして、マイナス思考の迷宮をさ迷う千優の思考は、どこか遠慮がちに響く車のクラクションによって現実へ引き戻された。

「おはよう柳ちゃん、昨日はよく眠れたかしら?」

「おはようございます、國枝さん。えっと……はい、それなりに」

 伏せていた瞼をあげると、丁度目の前に止まった國枝の愛車が目につく。
 助手席の窓を開け、運転席からこちらへ手を振る彼の姿までバッチリ見えた。
 投げかけられた問いに対し、思わず頷く千優だったが、彼女は無意識に小さな嘘を吐く。

 遠足前の子供のように、今日の外出が楽しみで眠れなかった、なんて笑い話を出来ればまだ良かった。
 しかし、思うように事は運ばない。
 千優は昨日から今日の朝方まで、断続的に眠りについた。しかし、そのどれもが浅く、十分な睡眠とは言い難い。
 しばし眠っては起き、國枝との外出について思い悩み、ソワソワしながら気づけば眠る。そんな一夜を過ごした後なのだ。
 それなりに、の意味をプラス方向に捉えてくれればと願う。
 目の前にいる男を欺ける程の話術を持ち合わせているのかと言われれば、正直口を噤むしかなかった。

「……そっか。アタシはねぇ、今日のお出かけが楽しみで、なかなか寝付けなかったの」

 数秒の沈黙が二人の間に流れた後、國枝は口元に小さな笑みを浮かべた。
 その後すぐに、照れ隠しなのか、顔に浮かぶものは明るい笑顔へ変わり、「子供みたいで、恥ずかしいったらないわー」とお道化た様子を見せる。

(バレて……どっちだ?)

 素直に彼の言動を見れば、誤魔化せたと喜ぶべきなのだろう。
 しかし、どこかはぐらかされた感が否めない状況に、千優は思わず首を小首を傾げる。

「さあ、柳ちゃん。そんな所に突っ立ってないで、乗ってちょうだい。出発しましょう」

 一人思い悩む千優を尻目に、國枝は窓を全開にした状態で助手席のドアをポンポンと叩く。

「は、はい……っ」

 少々グラついた思考が、彼の明るい声で、一瞬にして切り替わる。そのまま乗車を促す言葉に、ドアの取っ手部分に手をのばした瞬間、どっちつかずな気持ちで頷いていいのかと、分身が耳元で囁いた。
 散々悩んだはずなのに、未だ迷い続けている心を見透かされるのが怖くて、視線を中途半端に浮いた手元へ固定する。

(もしここで、やっぱり行かないと言ったら、どうなるんだろう)

『柳ちゃん、今度の日曜日はお暇かしら? 良かったら、アタシとデートしましょ!』

 思い出すのは、数日前に届いたメッセージ。
 千優の中にある知識では、恋人同士の男女が一緒に出掛けることを示す言葉をデートと認識している。
 しかし、現状自分と國枝はそんな関係ではない。向こうも知っているはずなのに、何故彼の口からデートなんて言葉が飛び出したのか、ずっと不思議だった。

 恋人同士では無いにしろ、國枝から好意を向けられていることくらい、いくら千優でも理解はしている。
 今立っている場所で、あの日自分は彼から告白されたのだから。
 冗談ではないことくらい、すぐにわかった。
 普段はお道化てばかりな國枝でも、冗談や遊び半分でそんなことは言わない。ましてや、軽い気持ちで女性を抱いたりなどしない、はずだ。
 そんな男から発せられた『デート』という単語に、どう対応したら良いかと、現在進行形で彼女は悩み続けている。

「今日は……どこに、行くんですか?」

「うーん。特に目的地は決めてないのよねぇ。柳ちゃんと、移動中に相談すればいいかと思って。そんなに遠出をするわけじゃないから、大丈夫よ」

 無言で固まったままでは怪しまれると思い、千優は徐に口を開いた。
 わずかに上げた視線の先では、國枝が優しく微笑んでいる。彼の瞳を視界にとらえれば、不思議なことに、胸の奥が甘く疼いた。

 何がどう大丈夫なのかは、よくわからない。

 それでも、やはり國枝が今日の事を楽しみにしていることは伝わってきた。
 社交辞令などではない。彼は本当に行きたがっているのだ、千優との『デート』へ。

(もしも。もしも……)

 先程脳内に浮かんだ疑問が再び頭の中を掠める。
 ――今ここで、自分が首を横に振ったら。
 きっと彼は嫌な顔をせず、「わかったわ。それじゃあ、また今度ね」と、一人この場から去っていくだろう。
 そしてもう二度と、このような誘いはしてこない。
 想像でしかない未来のはずが、妙に確信めいたものを感じ、ズキリと胸の奥が痛む。





「……私、普段そんなに遊んだりしないので、どういう場所に行けばいいとか、よくわかりませんよ」

「ふふ、いいのいいの。思いつかなくったって、フラーっとドライブするのも、きっと楽しいわ」

 強張る腕を動かし開けたドアの隙間から、身体を滑り込ませ車へ乗り込む。
 完全なノープランだと主張する彼の笑顔は、どこまでも清々しく、こちらが驚かされる。
 話をしながらシートベルトを締め、ドアロックを閉めたことを確認し顔をあげると、國枝は小さく頷き前を向いた。

 ゆっくりと動き出す車の心地よい揺れに身を任せ、次第に遠ざかっていくアパートから視線を運転席へ向ける。
 ハンドルを握る彼の横顔を初めて見た時とは違い、心身共に力が抜けていく。
 座席の背もたれに身体を預けながら、トクントクンと、普段よりほんの少し速い心音が聞こえた気がした。
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