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利佳 編
破綻の理由
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恐らく、報告が足りなかったからなんだろう。
親しさに甘えて、自分の望みをすべて察してほしいなんて、まず無理だ。
熟年夫婦の阿吽の呼吸は、パートナーの事を常に見て、何を望むか先回りで知ろうという思いが長年続いた結果だ。
普通の人は、何をしてほしいのか言葉にしなければまず分からない。
慎也や正樹みたいなスパダリでも、私が無言で「オレンジジュースが飲みたい」と思っていても、分かるはずがない。
だから私は利佳さんに、「望みがあるなら言いなさいよ!」という苛立ちを感じた。
「理由は分かってるよ。お互い気持ちを伝えなかった。定型文みたいな『愛してる』は毎日言ってたけど、その他の事が足りなかった。でも、気付いた時には遅すぎた。僕はもとから彼女を愛していなかったから、まったく奉仕したいと思っていなかった。彼女は〝理想の新妻像〟を望んで、僕の気持ちを無視していた。僕と彼女は結婚したけど、まった別の道を歩いていた」
正樹は私の顎に手を掛け、何とはなしにフェイスラインや唇を弄ってくる。
「とうとう彼女が爆発したのは、結婚生活六か月だったかな。『何でもいいから、本音を言って。私はあなたの奥さんになりたいの!』って言われて、僕は離婚してもいいやと思いながら、『スワッピングがしたい』って言ったんだ」
オッオゥ……。
正樹も、ストレートすぎる……。
……っていうか、我慢していたのは分かるんだけど……。うーん。
「そしたら、汚物を見るような目で見られたね。でも気を取り直して、『刺激が足りないの? 今の私じゃ駄目なの? 私の魅力が足りないの?』って言って、……まー、色々してくれたよ。およそお金持ちのお嬢様がしなさそうな事まで、沢山」
正樹は乱暴な溜め息をつく。
「……僕が利佳を追い詰めたんだ。それは自覚してる」
後悔しつつも、正樹としてはどうする事もできなかったんだろう。
利佳さんがどんな〝刺激的な事〟をしても、正樹の望みにマッチングしなかった。
それでも私は、利佳さんの藁にも縋るような思いが理解できる気がした。
彼女なりに夫婦破綻の危機を恐れたんだろう。
利佳さんは正樹の家柄や外見など、最初にスペックを好きになったようだから、どれだけ正樹を愛していたか分からない。
結婚してからどれだけ愛情を深めていったかは、想像するしかできない。
それに加えて「離婚したら世間体が悪い」とか、「友達は幸せな結婚生活を送っているのに、自分は失敗した」とか、様々な恐れがあったのは察する。
「エロ動画で勉強した、慣れないフェラをしてくれて、ストリップして騎乗位で頑張って、目の前でオナニーまでしてくれた。それなのに、まったく興奮しない僕が悪者に思えてきた。一応、息子は反応して普通にセックスはできたけどね。……でも、そういう風に一生懸命されるほど、僕はどんどん冷めていった。これ以上彼女を愛せないって確信した。彼女がどれだけ頑張っても、僕がまったく態度を変えない様子に、利佳も女としてのプライドを傷付けられたんだろう。『異常なプレイだけは絶対しない!』って言って、夫婦の営みもそれで終わりになった」
利佳さんの立場を考えると、気の毒に思う。
理想の王子様のような男性と結婚したけれど、自分は愛されない。
箱庭の世界でままごとのような新婚生活を送る傍ら、リアルの友人たちは愛し愛されの結婚生活、恋人の時間を過ごしている。
正樹がどれだけ〝理想の旦那様〟を演じても、本気とフリでは熱量が違う。
本気で相手を愛しているなら、奥さん、彼女に何かがあれば、自分の事のように怒り、悲しみ、または心の底から喜ぶ。
セックスだって愛しくて堪らないっていう気持ちが滲みでるだろう。
「自分は愛されていない」と、利佳さんはどんどん思い知らされていったのだ。
正樹が演じれば演じるほど、心の溝は深くなっていった。
どんな形であっても愛していたからこそ、利佳さんは正樹が自分を愛していないと敏感に気付いた。
焦って一生懸命愛して、心配してほしくて気を引こうとして、愛している証拠がほしくて我が儘を言い、――疲れてしまったんだろう。
「最終的には、淡々と仕事をする夫と、夫が稼いだ金で豪遊する妻になった。勿論セックスレスで、夫婦らしい会話もなし。ただの同居人だったね。機嫌が悪くなると僕に当たり散らして、仕事で遅くなると乱交パーティーでも行ってたのかとか、他の女と会ってたのかとか、詰問されるようになった。たまに世間話してた隣の奥さんを執拗に疑ってて、あの時の利佳は普通じゃなかった」
話を聞いても、正樹側の事情も分かっている私は、どちらが一方的に悪いとも言えない。
今日の昼間は突っかかってくる利佳さんにカチーンときたけれど、彼女には彼女の理由がある。
どんな事情があっても、この世の中に完全なる悪はないのだろう。
九割以上悪いという状況でも、大体の事には理由がある。
誰もが皆、その人の人生を歩み、培われた価値観、正義を胸に生きている。
利佳さんは正樹が求める存在ではなかった。
彼女はそれを認められず、一度結婚して受け入れられたと思ったから、余計に正樹を憎んだのだろう。
人は、好意を抱いていた相手ほど、「裏切られた」と感じた時の憎悪が深くなる。
プライドを傷付けられたのを許せず、自分は間違えていなかったと主張したいがために、相手を〝悪〟に仕立て上げる。
親しさに甘えて、自分の望みをすべて察してほしいなんて、まず無理だ。
熟年夫婦の阿吽の呼吸は、パートナーの事を常に見て、何を望むか先回りで知ろうという思いが長年続いた結果だ。
普通の人は、何をしてほしいのか言葉にしなければまず分からない。
慎也や正樹みたいなスパダリでも、私が無言で「オレンジジュースが飲みたい」と思っていても、分かるはずがない。
だから私は利佳さんに、「望みがあるなら言いなさいよ!」という苛立ちを感じた。
「理由は分かってるよ。お互い気持ちを伝えなかった。定型文みたいな『愛してる』は毎日言ってたけど、その他の事が足りなかった。でも、気付いた時には遅すぎた。僕はもとから彼女を愛していなかったから、まったく奉仕したいと思っていなかった。彼女は〝理想の新妻像〟を望んで、僕の気持ちを無視していた。僕と彼女は結婚したけど、まった別の道を歩いていた」
正樹は私の顎に手を掛け、何とはなしにフェイスラインや唇を弄ってくる。
「とうとう彼女が爆発したのは、結婚生活六か月だったかな。『何でもいいから、本音を言って。私はあなたの奥さんになりたいの!』って言われて、僕は離婚してもいいやと思いながら、『スワッピングがしたい』って言ったんだ」
オッオゥ……。
正樹も、ストレートすぎる……。
……っていうか、我慢していたのは分かるんだけど……。うーん。
「そしたら、汚物を見るような目で見られたね。でも気を取り直して、『刺激が足りないの? 今の私じゃ駄目なの? 私の魅力が足りないの?』って言って、……まー、色々してくれたよ。およそお金持ちのお嬢様がしなさそうな事まで、沢山」
正樹は乱暴な溜め息をつく。
「……僕が利佳を追い詰めたんだ。それは自覚してる」
後悔しつつも、正樹としてはどうする事もできなかったんだろう。
利佳さんがどんな〝刺激的な事〟をしても、正樹の望みにマッチングしなかった。
それでも私は、利佳さんの藁にも縋るような思いが理解できる気がした。
彼女なりに夫婦破綻の危機を恐れたんだろう。
利佳さんは正樹の家柄や外見など、最初にスペックを好きになったようだから、どれだけ正樹を愛していたか分からない。
結婚してからどれだけ愛情を深めていったかは、想像するしかできない。
それに加えて「離婚したら世間体が悪い」とか、「友達は幸せな結婚生活を送っているのに、自分は失敗した」とか、様々な恐れがあったのは察する。
「エロ動画で勉強した、慣れないフェラをしてくれて、ストリップして騎乗位で頑張って、目の前でオナニーまでしてくれた。それなのに、まったく興奮しない僕が悪者に思えてきた。一応、息子は反応して普通にセックスはできたけどね。……でも、そういう風に一生懸命されるほど、僕はどんどん冷めていった。これ以上彼女を愛せないって確信した。彼女がどれだけ頑張っても、僕がまったく態度を変えない様子に、利佳も女としてのプライドを傷付けられたんだろう。『異常なプレイだけは絶対しない!』って言って、夫婦の営みもそれで終わりになった」
利佳さんの立場を考えると、気の毒に思う。
理想の王子様のような男性と結婚したけれど、自分は愛されない。
箱庭の世界でままごとのような新婚生活を送る傍ら、リアルの友人たちは愛し愛されの結婚生活、恋人の時間を過ごしている。
正樹がどれだけ〝理想の旦那様〟を演じても、本気とフリでは熱量が違う。
本気で相手を愛しているなら、奥さん、彼女に何かがあれば、自分の事のように怒り、悲しみ、または心の底から喜ぶ。
セックスだって愛しくて堪らないっていう気持ちが滲みでるだろう。
「自分は愛されていない」と、利佳さんはどんどん思い知らされていったのだ。
正樹が演じれば演じるほど、心の溝は深くなっていった。
どんな形であっても愛していたからこそ、利佳さんは正樹が自分を愛していないと敏感に気付いた。
焦って一生懸命愛して、心配してほしくて気を引こうとして、愛している証拠がほしくて我が儘を言い、――疲れてしまったんだろう。
「最終的には、淡々と仕事をする夫と、夫が稼いだ金で豪遊する妻になった。勿論セックスレスで、夫婦らしい会話もなし。ただの同居人だったね。機嫌が悪くなると僕に当たり散らして、仕事で遅くなると乱交パーティーでも行ってたのかとか、他の女と会ってたのかとか、詰問されるようになった。たまに世間話してた隣の奥さんを執拗に疑ってて、あの時の利佳は普通じゃなかった」
話を聞いても、正樹側の事情も分かっている私は、どちらが一方的に悪いとも言えない。
今日の昼間は突っかかってくる利佳さんにカチーンときたけれど、彼女には彼女の理由がある。
どんな事情があっても、この世の中に完全なる悪はないのだろう。
九割以上悪いという状況でも、大体の事には理由がある。
誰もが皆、その人の人生を歩み、培われた価値観、正義を胸に生きている。
利佳さんは正樹が求める存在ではなかった。
彼女はそれを認められず、一度結婚して受け入れられたと思ったから、余計に正樹を憎んだのだろう。
人は、好意を抱いていた相手ほど、「裏切られた」と感じた時の憎悪が深くなる。
プライドを傷付けられたのを許せず、自分は間違えていなかったと主張したいがために、相手を〝悪〟に仕立て上げる。
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