17 / 37
生まれた家1
しおりを挟む
その後ジスランは渋々デジレを滞在させ、三日後には支度を調えてブリュイエール伯爵領に向かった。
一つ不思議だったのは、いつもコレットの身の回りの世話をしてくれるエマが、今回だけはシャブラン城に残ることだ。
「どうして?」と問うても彼女は曖昧に微笑み誤魔化すのみで、コレットもそれ以上無理に聞こうとしない。
ジスランに「彼女には、君が不在のあいだ屋敷を整えてもらうよう言っている」と教えられ、ようやく納得したのだった。
馬車はもちろん父とは別で、コレットの隣にはジスランがいつもの無表情で座っている。時折思い出したように太腿や胸元をまさぐられた。
彼への不信が募っているとはいえ、今さらジスランを拒むことなどできない。
結局ブリュイエール伯爵領に向かうまで、道中の宿や馬車内でさんざん悪戯をされ、時に抱かれることもあった。
甘い声を上げて喘ぐのは変わらないが、最中のコレットはどこか行為に集中しきれない。
だがきっと、生家で何かを思いだしたらジスランへの気持ちも決まる。
そう思い、コレットの心は見知らぬ故郷に向かうのだった。
フェレール王国の北端にあるルノアール侯爵領から一路南へ。
ブリュイエール伯爵領は王国の南西部にあった。
暖かく肥沃な土壌に葡萄畑が広がり、上質なワインを産出している。秋には小麦が金色の穂を実らせるようで、途中立ち寄った景色のいい場所でデジレが自慢をしていた。
こぢんまりとした上品な街並みがあり、その奥にブリュイエール伯爵の白い屋敷がある。デジレが言っていた通り、暖かなこの領地では花が咲き乱れていた。
「どうだ? 何か思い出せそうか?」
デジレとコレットの帰りを、使用人たちが揃って出迎える。
コレットの顔を見て「お嬢様、よくぞご無事で……」と涙ぐむメイドもいれば、同様に鼻の頭を赤くし目元を擦る中年の庭師もいる。
だが中にはなにかしらコレットに関して複雑な思いを抱く者もいるようで、微妙な顔をしつつも笑顔を見せている者もいる。
(この雰囲気を、どう取ればいいのかしら?)
内心困惑しつつも、コレットはペコリと頭を下げて「ただいま帰りました」と挨拶をした。
「ココ……」
出迎えたのは使用人だけではなく、母とおぼしき女性と兄らしき青年が近付いてくる。
どこかデジレにもよく似た、栗色の髪の青年が泣き出しそうな顔でコレットに手を伸ばし――。後ろにいるジスランに視線を送ってから、彼女を抱き寄せた。
「よく……、無事で」
低く落ち着いた声音は、微かに震えている。
コレットを抱く腕もジスランに負けじと逞しく男らしいのに、それも小刻みにわなないていた。
「あの……?」
この人は誰だろう? と若干の不安を覚え見上げると、デジレに似た青い目が泣きそうに細められた。
「……記憶が、ないのか。お前の兄のディオンだ」
コレットの肩に手を置き、兄は気遣わしげに微笑みかける。
チラッとジスランを見ても、彼はデジレの時のようにディオンに敵意を見せることはなかった。
「あの方はお母様ですか?」
ディオンの肩の向こうに、複雑な表情をした女性がいる。髪の色はディオンに継いだのか栗色だ。目はブルーで、コレットを除く全員がブルーアイだと分かる。
「ああ、あの人は母のカロリーヌだ」
コレットの肩を抱いたまま、ディオンは片手で母を示し紹介する。長男に名を呼ばれ、カロリーヌは貴婦人らしく丁寧に黙礼した。
だがどこか彼女の佇まいは緊張を帯びていて、コレットを見る目も硬質な光がある。
(お母様は……、私を歓迎してくださっていない?)
上品な笑みを浮かべているものの、コレットはカロリーヌの態度にそのような感想を抱いた。
「まぁ……まぁ。どうぞルノアール卿はあちらの迎賓館へ。コレットは……」
デジレがジスランを離れへやろうとするが、その前に彼が言葉を遮る。
「コレットは私と一緒にいることが絶対条件です。お分かりですね? 彼女の腹にはもう私の子がいますから、万が一があってはいけません」
ピシャリと言い、ジスランはコレットの肩を強引に抱き寄せた。
(ジスラン様……。私、まだ懐妊などしていないのに……)
この人は何をここまで父に牽制しているのだろう? と不思議になるが、ジスランが何を考えているかは、最初から分からない。
やがてコレットはブリュイエール家の使用人に先導され、ジスランやシャブラン城から同行した使用人たちと迎賓館に向かった。
「ジスラン様……。どういうおつもりですか? お父様に嘘などつかれて……」
使用人たちが荷物を運び込んでいるあいだ、ジスランとコレットにはお茶が振る舞われる。立派なソファセットに座る時も、やはりジスランはコレットの隣だ。
その執着具合は以前なら躊躇いなく「嬉しい」と思ったのに、いまはどこか「これでいいのだろうか?」という不気味さすら覚える。
「あなたをここで孤立させない。それが絶対条件で連れてきたつもりだ。俺は最初から約束を違えていない」
「ですが『子がいる』など嘘をつく必要はないはずです」
涼しい顔で紅茶を飲むジスランに、どこかじれったさを感じる。以前なら、「すべて彼が望むままに」と思っていたはずなのに。
「……そうでも言わなければ、……」
忌ま忌ましげに何か言いかけ、ジスランは口を噤む。
いつも明瞭なほどに自分の意志を隠さない彼だというのに、デジレの出現以来歯切れが悪い。
「……何を隠されているのですか? 私はこのブリュイエール伯爵家の娘で、お父様にもお母様にも愛されているのでしょう? お兄様だってあんなに……」
本当に心配したという顔のディオンを思い出し、コレットの顔も少し曇る。
あんな優しい家族だというのに、ジスランは何が不満なのだろう? まるで自分を家族に引き合わせ、返したくないと言っているようだ。
ポコリと浮き上がった疑惑のあぶくは、凪いでいたコレットの心を乱している。
ポコポコ、と色々な「もしかして」が浮かび上がり、穏やかで甘ったるい毎日が遠い日の出来事のようだ。
あれほど好きだと思ったジスランのことを、疑いの混じった目で見てしまう自分が情けない。
でも……。
グルグルと思考が空回り、コレットは頭痛すら覚えてくる。
「……少し、横になります。長旅で疲れました」
息をついて額を押さえ、立ち上がる。
先ほど案内されたベッドルームに向かうと、着替えることもせず柔らかな寝具に身を任せた。
「……どうしてこうなったのかしら。何もかも分からないし、混乱して辛い」
寝具はシャブラン城の物と違って、匂いもマットレスの硬さも違う。疲れたから寝ようと思っても、安心して眠りに就けないのは明白だ。
「自分の故郷のはずなのに……」
本邸にあるはずの自分の部屋を見れば、何か思い出すのだろうか?
「夕食は……。本邸で一緒にとると言っていたし……。その時に何かお話しできたら……」
目蓋がとろりと落ちてくるが、眠るまでは至らない。
「ジスラン様に生意気なことを言ってしまったわ……」
自分の言葉を思い出し、また新たな溜め息が漏れる。
「何をどうしたらいいのか、分からない。私はただ自分の記憶を取り戻して、何者かを知りたいだけなのに……」
単純にそれだけなのに、どうして味方になってほしいジスランが邪魔をする立場にいるのだろう? 彼にこそ、一番応援してほしいのに……。
コレットを優しい眼差しで見下ろす彼を思いだし、閨での熱い視線が脳裏に浮かぶと自然に体が震える。
彼だけを盲目的に信じたいのに、どうして……。
「……ばか」
ジスランの前でなら絶対に口に出来ない言葉を呟き、涙が一粒零れた。
**
一つ不思議だったのは、いつもコレットの身の回りの世話をしてくれるエマが、今回だけはシャブラン城に残ることだ。
「どうして?」と問うても彼女は曖昧に微笑み誤魔化すのみで、コレットもそれ以上無理に聞こうとしない。
ジスランに「彼女には、君が不在のあいだ屋敷を整えてもらうよう言っている」と教えられ、ようやく納得したのだった。
馬車はもちろん父とは別で、コレットの隣にはジスランがいつもの無表情で座っている。時折思い出したように太腿や胸元をまさぐられた。
彼への不信が募っているとはいえ、今さらジスランを拒むことなどできない。
結局ブリュイエール伯爵領に向かうまで、道中の宿や馬車内でさんざん悪戯をされ、時に抱かれることもあった。
甘い声を上げて喘ぐのは変わらないが、最中のコレットはどこか行為に集中しきれない。
だがきっと、生家で何かを思いだしたらジスランへの気持ちも決まる。
そう思い、コレットの心は見知らぬ故郷に向かうのだった。
フェレール王国の北端にあるルノアール侯爵領から一路南へ。
ブリュイエール伯爵領は王国の南西部にあった。
暖かく肥沃な土壌に葡萄畑が広がり、上質なワインを産出している。秋には小麦が金色の穂を実らせるようで、途中立ち寄った景色のいい場所でデジレが自慢をしていた。
こぢんまりとした上品な街並みがあり、その奥にブリュイエール伯爵の白い屋敷がある。デジレが言っていた通り、暖かなこの領地では花が咲き乱れていた。
「どうだ? 何か思い出せそうか?」
デジレとコレットの帰りを、使用人たちが揃って出迎える。
コレットの顔を見て「お嬢様、よくぞご無事で……」と涙ぐむメイドもいれば、同様に鼻の頭を赤くし目元を擦る中年の庭師もいる。
だが中にはなにかしらコレットに関して複雑な思いを抱く者もいるようで、微妙な顔をしつつも笑顔を見せている者もいる。
(この雰囲気を、どう取ればいいのかしら?)
内心困惑しつつも、コレットはペコリと頭を下げて「ただいま帰りました」と挨拶をした。
「ココ……」
出迎えたのは使用人だけではなく、母とおぼしき女性と兄らしき青年が近付いてくる。
どこかデジレにもよく似た、栗色の髪の青年が泣き出しそうな顔でコレットに手を伸ばし――。後ろにいるジスランに視線を送ってから、彼女を抱き寄せた。
「よく……、無事で」
低く落ち着いた声音は、微かに震えている。
コレットを抱く腕もジスランに負けじと逞しく男らしいのに、それも小刻みにわなないていた。
「あの……?」
この人は誰だろう? と若干の不安を覚え見上げると、デジレに似た青い目が泣きそうに細められた。
「……記憶が、ないのか。お前の兄のディオンだ」
コレットの肩に手を置き、兄は気遣わしげに微笑みかける。
チラッとジスランを見ても、彼はデジレの時のようにディオンに敵意を見せることはなかった。
「あの方はお母様ですか?」
ディオンの肩の向こうに、複雑な表情をした女性がいる。髪の色はディオンに継いだのか栗色だ。目はブルーで、コレットを除く全員がブルーアイだと分かる。
「ああ、あの人は母のカロリーヌだ」
コレットの肩を抱いたまま、ディオンは片手で母を示し紹介する。長男に名を呼ばれ、カロリーヌは貴婦人らしく丁寧に黙礼した。
だがどこか彼女の佇まいは緊張を帯びていて、コレットを見る目も硬質な光がある。
(お母様は……、私を歓迎してくださっていない?)
上品な笑みを浮かべているものの、コレットはカロリーヌの態度にそのような感想を抱いた。
「まぁ……まぁ。どうぞルノアール卿はあちらの迎賓館へ。コレットは……」
デジレがジスランを離れへやろうとするが、その前に彼が言葉を遮る。
「コレットは私と一緒にいることが絶対条件です。お分かりですね? 彼女の腹にはもう私の子がいますから、万が一があってはいけません」
ピシャリと言い、ジスランはコレットの肩を強引に抱き寄せた。
(ジスラン様……。私、まだ懐妊などしていないのに……)
この人は何をここまで父に牽制しているのだろう? と不思議になるが、ジスランが何を考えているかは、最初から分からない。
やがてコレットはブリュイエール家の使用人に先導され、ジスランやシャブラン城から同行した使用人たちと迎賓館に向かった。
「ジスラン様……。どういうおつもりですか? お父様に嘘などつかれて……」
使用人たちが荷物を運び込んでいるあいだ、ジスランとコレットにはお茶が振る舞われる。立派なソファセットに座る時も、やはりジスランはコレットの隣だ。
その執着具合は以前なら躊躇いなく「嬉しい」と思ったのに、いまはどこか「これでいいのだろうか?」という不気味さすら覚える。
「あなたをここで孤立させない。それが絶対条件で連れてきたつもりだ。俺は最初から約束を違えていない」
「ですが『子がいる』など嘘をつく必要はないはずです」
涼しい顔で紅茶を飲むジスランに、どこかじれったさを感じる。以前なら、「すべて彼が望むままに」と思っていたはずなのに。
「……そうでも言わなければ、……」
忌ま忌ましげに何か言いかけ、ジスランは口を噤む。
いつも明瞭なほどに自分の意志を隠さない彼だというのに、デジレの出現以来歯切れが悪い。
「……何を隠されているのですか? 私はこのブリュイエール伯爵家の娘で、お父様にもお母様にも愛されているのでしょう? お兄様だってあんなに……」
本当に心配したという顔のディオンを思い出し、コレットの顔も少し曇る。
あんな優しい家族だというのに、ジスランは何が不満なのだろう? まるで自分を家族に引き合わせ、返したくないと言っているようだ。
ポコリと浮き上がった疑惑のあぶくは、凪いでいたコレットの心を乱している。
ポコポコ、と色々な「もしかして」が浮かび上がり、穏やかで甘ったるい毎日が遠い日の出来事のようだ。
あれほど好きだと思ったジスランのことを、疑いの混じった目で見てしまう自分が情けない。
でも……。
グルグルと思考が空回り、コレットは頭痛すら覚えてくる。
「……少し、横になります。長旅で疲れました」
息をついて額を押さえ、立ち上がる。
先ほど案内されたベッドルームに向かうと、着替えることもせず柔らかな寝具に身を任せた。
「……どうしてこうなったのかしら。何もかも分からないし、混乱して辛い」
寝具はシャブラン城の物と違って、匂いもマットレスの硬さも違う。疲れたから寝ようと思っても、安心して眠りに就けないのは明白だ。
「自分の故郷のはずなのに……」
本邸にあるはずの自分の部屋を見れば、何か思い出すのだろうか?
「夕食は……。本邸で一緒にとると言っていたし……。その時に何かお話しできたら……」
目蓋がとろりと落ちてくるが、眠るまでは至らない。
「ジスラン様に生意気なことを言ってしまったわ……」
自分の言葉を思い出し、また新たな溜め息が漏れる。
「何をどうしたらいいのか、分からない。私はただ自分の記憶を取り戻して、何者かを知りたいだけなのに……」
単純にそれだけなのに、どうして味方になってほしいジスランが邪魔をする立場にいるのだろう? 彼にこそ、一番応援してほしいのに……。
コレットを優しい眼差しで見下ろす彼を思いだし、閨での熱い視線が脳裏に浮かぶと自然に体が震える。
彼だけを盲目的に信じたいのに、どうして……。
「……ばか」
ジスランの前でなら絶対に口に出来ない言葉を呟き、涙が一粒零れた。
**
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
597
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる