伝統民芸彼女

臣桜

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外出1

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 そして週末。七海は彩乃と一緒に札幌駅にある映画館に向かうと言って、俺も別の映画を見ようかと、父さんに最寄り駅まで一緒に送ってもらうことにした。
「どうせなら拓也くんも同じの見ればいいのにね~」
 夏場なのでロングヘアを女らしい編み込みやらお団子やらでまとめた彩乃は、さすがミスコンで優勝しただけある。フワッとしたワンピースを着ていかにも女らしいという彩乃に対し、七海はポニーテールにTシャツミニスカートとサッパリだ。
 同い年のいとこ同士で同じ性別なのに、ジャンルが正反対なんだなといつも思ってる。
「やだよ綾ちゃん。拓也なんかと一緒に行動したくない」
 これは七海の通常営業なので、別に気にしない。
 気になるのは、俺の膝の上に座っている槐や、車の屋根の上に乗っている藤紫とギンだ。
 家そのものが狙われることよりも、外出した時に狙われるのを恐れて、三人はついてきてくれると言ったのだ。
「車に乗るのは久しぶりだ。やっぱり人間は凄いもんを発明するな」
 フロントガラスから見える景色に槐は興味津々で、前方に見える手稲山も今日は綺麗なシルエットを見せている。
「槐、街に行ったら人が大勢いるから、はぐれないでよ」
 小声でコソッと言うと、槐は振り向いてじっと強い目で見つめてくる。
「槐たちにとって仲間とケガレと主以外の匂いはあんまり感じねぇ。拓也の匂いについて行けば迷わねぇべ。それより映画楽しみだ」
 不覚にも、映画を楽しみにする槐を可愛く思ってしまった。
 今まであの家を中心に生きてきたから、映画とか見たらどういう反応するのかな? ひい婆ちゃんはあんまり街の方には行かない人だったから。きっと色んな人についてるケガレをあまり見たくなかったのかな。
「拓也、何の映画見に行くんだ?」
「行けば分かるよ。でも俺の好みだから槐にはつまらないかもしれないよ」
「いんだ。槐は映画が見れれば何でもいい」
 ……なんだ、素直な槐って随分可愛いな。……いかんいかん、こんな気持ちを漏らしたらまた絶対零度の視線をもらうに決まってる。
「拓也、帰りも一緒に帰るつもり?」
「いいじゃん、七海ちゃん。一緒のほうが迎えに来てくれる伯父さんも楽だし」
 彩乃の言葉に、何か文句を言おうとした七海もそれを呑み込んでしまったようだ。
「彩乃ちゃんそう言ってもらえて助かるよ」
 父さんの言葉に彩乃は「いいえ」と微笑み、つまらなさそうな七海の手をポンポンと撫でていた。
 やがて車は手稲駅の北口に着いて、俺たちは父さんに礼を言って駅の中へ入ってゆく。もちろん、槐、藤紫、ギンも一緒だ。
 三人は人通りの多い駅周りをキョロキョロと眺めていたが、俺が彼女たちを振り向くとこちらに歩き出す。藤紫は着物の裾を引きずってるけど、歩きづらくないのかな?
 改札までエスカレーターで上がり、俺はひい婆ちゃんにもらった柔らかい牛革の財布から二六十円を出して切符を買う。
 手稲駅は快速電車が停まる駅だから、タイミングが合えば快速に乗れるし、鈍行でも十五分ちょいで行ける。今回は快速に間に合ったから、十分で到着可能だ。
 ホームへ降りると列に並び、藤紫は俺の後ろに大人しく並んでいる……もとい後ろから抱きついている。槐とギンはホームの端まで歩いて行ったり、線路を覗き込んだりせわしない。
「わて、知ってるえ」
「ん?」
 耳元で藤紫が喋るもんだから、俺は内心ドキッと鼓動を跳ねさせたが、いつも通りの対応で小さく返事をする。
「電車の中で痴漢っていうのする男性がいはるんやろ」
「あぁー……」
 言われて俺は生返事をする。確かにテレビのニュースを見ていれば、痴漢で捕まったとか、捕まるのを恐れて線路の上を走って逃げてったとか。万引きGメンの痴漢バージョンのような人がいるとか、日々の情報の中では切って離せない犯罪になってる。
 けど、俺がいつもJRに乗る時はそんなに混む時間には乗らないし、朝や夕方は混むだろうけど、実際どうなんだろうな? 東京や大阪と比べて、札幌のJRでの乗客密度っていうのはそんなに高くはないとも思うし。
 ネットを見ていて、東京のラッシュで成人男性の体が浮き上がるとか、荷物が勝手にどこかにいくとか、今でも信じられないもんなぁ。
 見たことのないもの、想像すらできないものっていうのは、人間の日常生活のできごとでも、彼女たちに教えづらいものがある。俺だってすべてを知っている訳じゃないし、知っていることしか教えられないもんな。
 やがて汽車がホームに来る前のお知らせチャイムが鳴り、それが鳴ると槐とギンは俺の元へ戻って来た。
 三人とも汽車に乗るのは初めてだから、俺の真似をして降りる人を待ってから、ロングシートと呼ばれるタイプの新しい汽車に乗る。以前はボックスシートタイプが主流だったんだが、気が付いたらロングシートタイプのものが増えてきた。
「拓也、走り出したぞ」
 小さい子供のように槐とギンはシートに膝をついて窓を覗き込み、俺の隣で藤紫も窓を振り向いている。
 休日のJRなので空いているとも混んでいるともつかない状態で、槐たちの体は他の乗客に触れたらどうなるんだろう? と思っていたが、ギンの姿にかかっている大学生ぐらいの男は何も感じていないようだった。
「ギン、汽車って凄ぇな。景色がどんどん流れてくぞ」
「そうじゃの、槐。まるで空を飛んでいるようじゃ」
「電車の中って、色んな人間がいはるんやねぇ」
 俺たち道民が「汽車」と言うのに対し、気持ちは京都人である藤紫は「電車」と言っている。そこの所、違いが出るんだなぁ。ギンの出自は分からないけど、気が付いたらあの家の蔵にあったって言っていたし、ギン自体あまり拘りとかを持たない人っぽいから、そこは特に決めていないんだろう。
 向かいのシートには七海と彩乃が並んで座っていて、器用にもそれぞれスマホを弄りながらお喋りをしている。
 ふと、向かいのベンチシートの隅の方に座っている、少し暗い顔をした中年男性の足元に小さなケガレを見付けた。
(あ……)
 あの人どうしたんだろう? と思うのと同時に隣にいる藤紫を見ると、彼女はもう分かっているという様子で小さく頷く。
「あのお家は守られてるけど、お外は穢れに溢れてるんやえ。祓い屋はんたちはそれぞれの領域を守るのに精一杯で、例えばこういう交通手段の中とかは……誰の領域でもあらへんもんね」
 そりゃそうだ。駅とか汽車の中で寝泊まりして、そこを私有地にしてる人はいないもんな。
「じゃが、同時にこういう場所は誰が祓っても良いことになっておる。普通、他の祓い屋がいる場所では出しゃばってはいかんのだがの。拓也がどうしてもここで浄化が必要じゃと思えば、わしらを使って穢れを祓えばいい」
 汽車の中なので家よりも独り言には注意しなければならず、小さく頷くと槐が言う。
「拓也は外で変な目で見られんの嫌なんだろ。穢れは気になるだろうけど、ある程度のもんは見過ごさないと、やってけねぇぞ」
 確かに槐の言うとおりだ。現状俺はその案に頷くしかない。
 汽車は琴似に着き、そこで少しの乗客の変動があってから札幌駅へと向かう。
 休日はみんな市街地に行って遊ぼうっていう魂胆は同じらしく、学生っぽい人から社会人っぽい人、中年やお年寄りまで様々だ。
 槐たちは次第に景色の中に大きなビルが増えてきたのにまた目を奪われ、窓の外を指差しながら何か言っている。人よりもずっと長く生きている存在のはずなのに、こういう所は純粋なんだなぁ。
 手の中でオレンジ色の切符を弄びながら、汽車が札幌駅の十に分かれているホームに向かって線路を複雑に変えている時点で、俺はスマホをポケットに突っ込んで立ち上がった。
「おう、拓也。もう降りるのか?」
 ドア付近の手すりに掴まっていると、槐たちも立ち上がって揺れる汽車を楽しんでいるようだった。
 やがて汽車は滑るようにホームに着き、俺は少し後方を気にしながら混雑するホームを歩く。
 槐たちは人をすり抜けられるから、俺が危惧していたように人ごみに押されて迷うということはなさそうだった。
 俺のあとをついて歩きながら、三人はキョロキョロと混雑する駅を見回し、人ごみの向こうから七海が声をかけてくる。
「拓也、私たち勝手に映画見てくるから、あんたも勝手に見てきてね。十七時くらいに改札西口集合」
「はいよ」
 それだけが決まってしまうと七海は彩乃とスタスタと行ってしまい、俺はのんびり札幌駅にある商業施設内の映画館を目指す。
 気になるのは、あちこちにケガレがいることだった。
 特に誰に危害を加える訳でもないんだが、人の足元に纏わりついているのを見ると、その人が調子悪そうにしているのが分かるし、不安になる。
 構内の隅の方に煤けたようにケガレが溜まっているのを見ると、祓った方がいいのかな? と思ってしまうが、人が大勢いる中で立ち回る訳にもいかない。
「槐、見えるケガレは本当に祓わなくても大丈夫なの?」
 独り言を言っていると思われない声量で尋ねても、この混雑の中で彼女たちにはちゃんと聞こえているようだ。
「あぁ、大丈夫だ。こういう混雑した場所って沢山人がいるから、その中にイライラした人間がいてもおかしくねぇだろ。穢れが集まれば事故や人の負の感情が起こりやすいけど、逆に人が怒ったり悲しんだりイライラしてたら、穢れも集まりやすい。でもそこから犯罪に走る人はごく僅かだ。分かるな?」
「うん」
 納得はしたものの、どこか釈然としない。
 そこここにケガレが見えているのに、祓わないで放置しているというのはどうにもスッキリしない。まるで片付ける時間があるのに、散らかった部屋を放置しているみたいだ。
「拓也、映画を見ようぞ」
「そうや、わて楽しみにしてるんよ」
 少し考え込んでいたものの、両側からギンと藤紫に腕を抱かれ、俺は先を急ぐことにした。

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