【R-18】やさしい手の記憶

臣桜

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小瓶の行方

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 結局街道の途中でクロエの姿を見つける事はできず、三人はロシェの国境近くの町の街道まで馬を走らせ、少しだけ弱くなった雨のなかギルベルトが先導して森に入ってゆく。
 冷たい空気のなか馬の荒い息が白い空気となり、森のなかへ溶ける。
 長時間馬を走らせていた馬上の三人もそれは同じで、よく馬に乗っているフリッツとギルベルトは慣れている様子だったが、バルトルトは足腰の筋肉を痛くさせている様子だった。
「親父殿、聞かせてくれ。フリッツは今までこの森の奥で暮らしていた、アメリアという偽名の娘を探していた。クロエはその娘という事でいいのか?」
 暗い森のなか、カンテラに明かりをつけたギルベルトが後続の父親に尋ねる。
 考え通しだった事と二日酔いとで濁っていた頭は、外の空気を吸って雨に打たれた事で少しはスッキリしたらしい。
「……あの子がフリッツにどういう名前で自己紹介をしたのかは分からない。だがアメリアというのはフースの名前だ。恐らく自分の身が私に引き取られている事を気遣って、そう名乗ったのだろう」
 バルトルトはもう隠そうとはしていなかった。
「アメリア……いや、クロエは叔父さんの何なのですか?」
 フリッツが確信をつき、ギルベルトもそれが聴きたいとこちらを振り向く。
 雨が森の木々の葉を打つ音がする中、暫くバルトルトは言葉を選ぶように沈黙し、それでも最終的にはストレートな言葉を選んだ。
「……あの子は私の娘だ」
「は?」
 すぐに言葉を返したのは、自分だけがバルトルトの子供だと思っていたギルベルトだ。
「親父殿、浮気したのか? クロエはせいぜい二十歳前ぐらいだろう。俺が七つぐらいの時……、母上が亡くなってすぐに浮気をしたのか?」
 激昂した声が白い息となり、森の中にギルベルトの怒りと悲しみが反響した。
 いつの間にか先頭をゆくギルベルトの馬は止まっていて、シンとした深い森の中にやるせない空気が落ちる。
「エラを失って初めてロシェとの外交があった時……、弔問に訪れて下さった貴婦人と会うご縁があって……。私は悲しみに暮れたままその貴婦人と飲み明かした」
「じゃあ……クロエはそのロシェの婦人との、不義の子なのか?」
 現実を突き付けられて興奮しているギルベルトの声を耳にして、フリッツもまたアメリアが言っていた言葉を思い出していた。
「不義の子」
 自分の生まれた境遇に諦めたような、楽しいことから一歩引いたあの声。
 身に降りかかる事を全て自分一人で解決しようとする逞しさも、不義の子だから表に出られず、自分は実の両親に忌まれた子だから遠慮しなければならないという気持ちがあったのだろう。
 それを思うと、ギルベルトと幾ら仲がいいとはいえ、彼だけを可哀相とは言えなくなる。
「……」
 バルトルトは黙り込み、馬を静かに前進させた。
「母上への愛情はそんなもんだったのか?」
 頭上で天が低くうなり、暗い森の中でランタンの光を受けギルベルトの青い目が光っている。
 爛々としたその目は、逼迫しているがあまりに正気の色を失いかけているようにも見えた。
「ギル、小屋へ行こう。クロエも交えて話した方がいい」
 こんな外で親子喧嘩を始められても体に悪いとフリッツが声をかけ、二人の間を抜ける時、ギルベルトの肩を軽く叩く。
 それから三人はまた沈黙し、雨の音と天が鳴く音がするなか質素な小屋が目視できた。
「いる」
 小屋の窓からはほの温かい光りが漏れ、中に人がいるのが窺える。
 雷鳴が気になる所だが、小屋のなかに馬を入れる訳にもいかず、三人は小屋近くの農具などを置いてある納戸に手綱を括りつけた。
 三人が目をあわせ、互いの気持ちを確認してからフリッツがドアを叩く。
「クロエ……、アメリア!」
 今やどちらの名前を呼んだらいいのか分からないが、フリッツにとって『彼女』はアメリアであり、クロエだ。
 彼女が自ら名乗る名を尊重したいと思うし、彼女が混血ならば彼女が望む国籍を尊重したい。
 やや暫くフリッツが声を出しながらドアを叩く音が続き、雨に濡れた木製のドアは長いこと沈黙を守っていたが、やがて諦めたように細くドアが開かれた。
「クロエ!」
 隙間から困った表情でこちらを覗いているのは、やはりクロエだ。
 この瞬間に、フリッツの中でアメリアという顔の見えない恩人と、クロエという声を聞かせてくれない世話係が合致した。
「……馬鹿ね、濡れてしまうわ」
 諦めたように大きな溜息をつき、クロエはアメリアの時の口調で開口一番に呟いてから、後ろにいる二人にも気付いて「どうぞ」とドアを大きく開く。
「こんな人数が座れる応接セットはないけれど、座れる場所へどうぞ。濡れた雨具はコート掛けへ」
 三人が自分の小屋を訪れたというのに、追い詰められた感じを見せないクロエは、淡々とした対応をしてポットに水を入れて火にかける。
「上等なお茶ではないけれど」
 ティースプーンで人数分の茶葉を取り、使い込んであるティーポットにサラサラと入れてゆく姿は、ギルベルトにはフリッツの世話係のクロエに見えた。
 けれども彼女は自分の妹だという。
「……お前は何のために城に現れたんだ?」
 クロエの手製のソファカバーが掛けられているソファに座り、ギルベルトが疲弊した表情で問う。
「フリッツをたぶらかすのが目的か? フリッツを暗殺するのが目的か?」
 言葉を隠さずにストレートに言うギルベルトをちらりと見、クロエは涼しい声で「疲れているのね、蜂蜜を入れてあげるから」と、まるでこちらが年上のような反応だ。
「お前なぁ」
 苛立ったギルベルトがクロエを睨むが、その肩をバルトルトが制した。
「せめて茶の用意ができるまでは落ち着きなさい。お前も血気盛んとはいえ、それぐらいの落ち着きを取り戻さねばならない」
「……」
 小さな小屋の屋根には容赦なく雨が打ちつけ、まるで滝の中にいるような感じがする。
「……この小屋は私への反抗心なんだな」
 やがてぽつりとバルトルトが言葉を落とし、沸騰したお湯をティーポットに注ぎ、ジャンピングしている茶葉を見詰めながらクロエも静かに答えた。
「あんな豪華なお屋敷に私が主人として暮らしていたら、いずれあなたの立場が危うくなるでしょう? 身寄りのない娘を引き取ったと言っても、じゃあ他の孤児は? という話になるし」
 その言葉だけで、今までクロエがどのように目立たない様にしていたのかが窺える。
「十五になった時はもう既に色んな知識を得ていたわ。だから独り立ちする前の最後の我侭として、育ててくれた義理の両親にこの小屋を建ててもらったの。あとは一人で生きていきますって言って」
 ティーポットの中で茶葉が開き、次第にお湯の色が綺麗な琥珀色になってゆく。
「本当に……私は一生このままでも良かったの。ここでつましく暮らして、本当に将来のことが不安になったら、修道院にでも入る覚悟を持つつもりでいた」
 二人がけのダイニングテーブルに腰掛けていたフリッツは、ソファにいるギルベルトをそっと見やった。
 顔色が悪い。
 現実を突き付けられ、自分が陽向を歩いている間、このクロエという娘は自分の日陰を歩いて来たのだ。
「どうぞ」
 クロエが小屋の中にある全てのティーカップを使って客人をもてなし、ギルベルトのものには約束通り蜂蜜をさじ一杯入れたものを出す。
「ありがとう、クロエ」
「いいえ」
 こんなやり取りを、彼女の事をまだアメリアだと思っていた時に、何度しただろうか。
 心優しい彼女が、自分の暗殺を共謀しただなんて思わないし、思いたくもない。
「フリッツ……様には、ごめんなさい。あなたを拾った時、一目であなたが身分の高い人だと分かったわ。だから少しの情報でもこの人を……危うい立場にさせる訳にはいかなかったの。だからあんな真似を」
「いいんだよ、クロエ。ただちゃんと君の口から確認させてくれ。君は俺にアメリアと名乗って、奇妙な看病をしてくれたあの子なんだね?」
 フリッツはただ、それを確認するのが第一目的でもある。
 クロエは穏やかな表情で二、三瞬きをして――小さく微笑んだ。
「ええ。アメリアという偽名を名乗ったのは私。本当の名前はクロエ」
「……良かった」
 一気に心の中で開放感が生まれ、フリッツの胸の中で綺麗な花が咲いたような錯覚に陥った。
 そこにギルベルトの疲れきった声がする。
「……で、その隠し子を急に城へ呼んで、親父殿は何がしたかったんだよ」
 ガラガラッと近い場所で雷が鳴り、雨は尚も屋根を叩く。
 まるでそれはギルベルトの胸中のようでもあった。
「……お前に……」
 バルトルトが苦しそうに声を出し、紅茶を一口飲んで喉を湿らせてから続きを口にする。
「お前に世継ぎの親になって欲しかった」
 幸か不幸か、その場にいた者は全員機転が早く、聡い者ばかりだった。
 フリッツはバルトルトが国王の弟である立場を思い出し、今まで淡々と仕事をこなしていたものの、やはり野心があったのかと目の前が暗くなり、ギルベルトはまだ決まった相手すらいない自分に、父がそんな期待をかけているなど思ってもみなかった。
 クロエは――静かに決意をし、深い胸元から小瓶を取り出した。

 今まで自分は不義の子として隠された立場にいながらも、こうやって今日の日まで生きてこられた。
 はじめて異性として意識した人は、恋愛小説で読んだような素敵な人で、まさかの王子様だった。
 いない者が、必要とされる者のためにできる事なら、何だってしたい。
 初めて好きになった男性のために死ねるのなら――本望だ。

 強い意思を持った飴色の瞳の端に涙が光り、雨の音だけがやたら響く小屋の中で、小さくポン、という音がした。
 ハッとした三人が音に気付いて視線を彷徨わせ、その先に見たのは、両手の間に何かを包んだクロエが天井を仰ぎ、何かを煽っている姿だ。
「っ……クロエ!?」
 向かいに座っていたフリッツが立ち上がり、テーブルを回り込んでクロエの手に包まれているものを払った。
 コン……、と小さな音がして床に小瓶が転がり、それを見たギルベルトが顔色を変えてこちらに駆けつける。
「おい! クロエ! 吐き出せ!」
 あの小瓶の中身の毒薬をクロエが飲んだと知り、フリッツとギルベルトが青ざめてクロエを介抱しだした。
 背中を叩き、口の中に指を入れ、何とかして毒を吐かせようとするが……。
「いいの、あなたのためなら何だってするわ」
 フリッツの腕に抱かれてクロエが微笑み、そっと手を差し出して泣き出しそうに歪んでいる彼の頬を撫でる。
「クロエ……ッ」
「駄目よ、王子様がそんな情けない顔をしていたら」
 その声も手も、聖母のようにただ美しく清らかで。
「おい……、まてよ。俺の妹なんだろ? ちょ、待てよ。ろくに話もしてないのに、こんな……」
 クロエを一方的に悪者と決め付けてかかっていたギルベルトは、突然の展開についていけず、母違いの妹が毒を煽ったという事実を受け入れられないでいる。
「いいの。……私は元々いてはいけない者だったの。最後に好きな人の役に立てて、身の潔白ができたのならいいわ。私がこれを飲んでしまえば、証拠はなくなる。あなたはこれからも、今まで通りに過ごして」
 最後の最後まで、クロエは父の邪魔にならない様にと考え、自分を妹と呼ぶ事のなかった兄を思って微笑んだ。
「駄目だ……、クロエ」
「待てよ、クロエ。俺……、兄貴としてちゃんとするから。お前を受け入れてちゃんと親父殿の息子として、恥ずかしくない生き方するから……。待ってくれ」
 泣き出しそうになったギルベルトがどれだけクロエの薄い背中を叩いても、クロエは毒を吐き出そうとしない。

 体が冷たくなって――、
 意識が遠くなってきた気がした。

 今日と同じあの雨の日に拾った王子様と、気持ちが通じ合ってもろくに話せなかったし、明朗な性格の兄を「兄様」と呼ぶ事はできなかったけれど……。
 最後までこうやって自分の我を通せたのは自分らしいと思うし、大好きな二人と父を助けられるのなら、元々いなかった私が一人消えても、全ての歯車は綺麗に回っているはず。

 長い睫毛が伏せられてそっと震え、形のいい唇が綺麗に微笑む。
 まるでそれは宗教画の聖母のような微笑で……。
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