【R-18・連載版】部長と私の秘め事

臣桜

文字の大きさ
322 / 780
祖父母と孫 編

礼拝

しおりを挟む
 力なく言った彼女を見て、百合さんはずっとこうやって謝りたかったのではと感じた。

 きっとその言葉は、さゆりさんにも向けられている。

 一度も顔を見る事なく、抱っこする事もなく亡くしてしまったあかりちゃんにも。

 深い悔恨の籠もった言葉を聞き、尊さんはゆっくり息を吸い、吐く。

 彼は少し間を開けて、言葉を考えているようだった。

 尊さんが百合さんを「許さない」と言うなんてあり得ないけど、「気にしないでください」と言うにしても、二人の間には色々ありすぎた。

 たった一言でこの二十二年、いや、百合さんにとってはそれ以上の年月を語る事はできない。

 とても大切な場面だからこそ、言葉を大事にしている尊さんは、なんと言うべきか迷っているのだと思う。

 やがて彼は小さく溜め息をつき、切なげに笑う。

「……すみません、色んな想いがあって。勿論、許さないとかじゃないんです。今日こうして押しかけたにも拘わらず、『出ていけ』と言わず受け入れてくれた事にとても感謝しています」

 尊さんの胸にこみ上げているのは、きっと篠宮家で味わった屈辱と悲しみ、憎しみだ。

 篠宮家に引き取られる運命は変えられなかったとしても、もっと早くに速水家の人たちと関わっていれば、尊さんはここまで酷い扱いを受けなかったかもしれない。

 彼は望まなかったかもしれないけれど、虐待を受けていた時に速水家の人たちに訴えれば、待遇が改善されたかもしれない。

 今さら何を言っても「たられば」にしかならないけれど……。

 尊さんはそっと息を吐き、小さく笑う。

「……こうして話せるまで、長かったなと感じています。母は実家の事をあまり語りませんでしたが、身内の事を一度も悪く言った事はありませんでした」

 それを聞き、百合さんは安堵したように表情を緩める。

「むしろ『自分は悪い事をしてしまったから、せめて残る人生は清く正しくありたい』と言って、俺と妹にも人を憎まず誠実に、正直に生きてほしいと言っていました」

 彼の言葉を聞いて、私は視線を落とす。

 篠宮家でどれだけいい子に過ごしても、彼の行動はまったく報われなかった。

 怜香さんに然るべき報復をしても、尊さんはそれ以上彼女を不必要に糾弾せず、悪循環に陥らないために考えないように努めていた。

 その高潔ともいえる姿勢は、すべてさゆりさんの教えからだった。

 けれどさゆりさんが『悪い事をしてしまった』と思っていただなんて……。

(悪いのは優柔不断な亘さんなのに)

 尊さんの実父だから、できる事なら憎みたくない。

 本人だってずっと『悪い事をした』と思っていただろうし、尊さんに申し訳なさを感じていると思う。

 一月に怜香さんが断罪された時、腹を括って篠宮フーズの社長を辞任する事も受け入れたし、今後ずっと妻に向き合っていくとも言っていた。

 でも、彼の過ちが引き起こした不幸は、あまりに大きすぎ、色んな人の運命を狂わせ、悲しみを生んだ。

 何度だってそもそも論を考えてしまうけれど、すべてがなかった事になれば、今この場に尊さんはいない。

(……でも、さゆりさんが『悪い事をした』って思う必要はないんだよ)

 心の中で呟いた時、それまで黙って事を静観していた将馬さんが口を開いた。

「確かに、さゆりは結果的に浮気相手になり、世間的には褒められた立場にないだろう。……だが私たちから見れば、好きな人と一緒になろうとすべてを捨てて決意したのに、捨てられてしまった可哀想な子だ。まじめで優しい子だから、自分を責めてそう考えるようになってしまったのは理解する。……だがさゆりがそう思う必要はないんだ」

 しんみりとした声がしたあと、誰かがズッと洟を啜る音がした。

 少し経ったあと、尊さんが微笑んで言った。

「母の想いを継いで、……良かったらこれからは祖父母として親しくしていただけたら嬉しいです。母と妹の分、俺に孝行させてください」

 彼の言葉を聞き、百合さんと将馬さんは微笑んで頷いた。

「喜んで。私たちにも孫として大切にさせてちょうだい」

 そのあと、尊さんが「母とあかりに手を合わせさせてもらえませんか?」と言い、百合さんが私たちを仏間にいざなった。

 和室には立派な仏壇があり、天井近くには恐らく亡くなった頃のさゆりさん、あかりちゃんの遺影があった。

「ちえりが写真を撮ってくれていたの。当時は私に叱られると思ったのか何も言わなかったけれど、写真があって本当に良かったわ。……あかりにも会ってみたかった」

 大きな座布団に正座した百合さんは、線香に火を付けて香炉に立て、おりんを鳴らす。

 そのあと手を合わせて娘と孫に拝み、尊さんに場所を譲った。

 ジャケットの内ポケットから数珠を取りだした尊さんは、しばらく手を合わせて遺影や位牌を見つめていた。

 それから丁寧に線香に火を付けて香炉に立て、おりんを鳴らして手を合わせる。

 私は彼の斜め後ろに座り、周囲の空気を震わせる音の余韻を聞きながら、正座した尊さんを見てからお二人の遺影を見上げた。
しおりを挟む
感想 2,463

あなたにおすすめの小説

【完結】広間でドレスを脱ぎ捨てた公爵令嬢は優しい香りに包まれる【短編】

青波鳩子
恋愛
シャーリー・フォークナー公爵令嬢は、この国の第一王子であり婚約者であるゼブロン・メルレアンに呼び出されていた。 婚約破棄は皆の総意だと言われたシャーリーは、ゼブロンの友人たちの総意では受け入れられないと、王宮で働く者たちの意見を集めて欲しいと言う。 そんなことを言いだすシャーリーを小馬鹿にするゼブロンと取り巻きの生徒会役員たち。 それで納得してくれるのならと卒業パーティ会場から王宮へ向かう。 ゼブロンは自分が住まう王宮で集めた意見が自分と食い違っていることに茫然とする。 *別サイトにアップ済みで、加筆改稿しています。 *約2万字の短編です。 *完結しています。 *11月8日22時に1、2、3話、11月9日10時に4、5、最終話を投稿します。

大丈夫のその先は…

水姫
恋愛
実来はシングルマザーの母が再婚すると聞いた。母が嬉しそうにしているのを見るとこれまで苦労かけた分幸せになって欲しいと思う。 新しくできた父はよりにもよって医者だった。新しくできた兄たちも同様で…。 バレないように、バレないように。 「大丈夫だよ」 すいません。ゆっくりお待ち下さい。m(_ _)m

いちばん好きな人…

麻実
恋愛
夫の裏切りを知った妻は 自分もまた・・・。

偽装夫婦

詩織
恋愛
付き合って5年になる彼は後輩に横取りされた。 会社も一緒だし行く気がない。 けど、横取りされたからって会社辞めるってアホすぎません?

拗れた恋の行方

音爽(ネソウ)
恋愛
どうしてあの人はワザと絡んで意地悪をするの? 理解できない子爵令嬢のナリレットは幼少期から悩んでいた。 大切にしていた亡き祖母の髪飾りを隠され、ボロボロにされて……。 彼女は次第に恨むようになっていく。 隣に住む男爵家の次男グランはナリレットに焦がれていた。 しかし、素直になれないまま今日もナリレットに意地悪をするのだった。

地味な私を捨てた元婚約者にざまぁ返し!私の才能に惚れたハイスペ社長にスカウトされ溺愛されてます

久遠翠
恋愛
「君は、可愛げがない。いつも数字しか見ていないじゃないか」 大手商社に勤める地味なOL・相沢美月は、エリートの婚約者・高遠彰から突然婚約破棄を告げられる。 彼の心変わりと社内での孤立に傷つき、退職を選んだ美月。 しかし、彼らは知らなかった。彼女には、IT業界で“K”という名で知られる伝説的なデータアナリストという、もう一つの顔があったことを。 失意の中、足を運んだ交流会で美月が出会ったのは、急成長中のIT企業「ホライゾン・テクノロジーズ」の若き社長・一条蓮。 彼女が何気なく口にした市場分析の鋭さに衝撃を受けた蓮は、すぐさま彼女を破格の条件でスカウトする。 「君のその目で、俺と未来を見てほしい」──。 蓮の情熱に心を動かされ、新たな一歩を踏み出した美月は、その才能を遺憾なく発揮していく。 地味なOLから、誰もが注目するキャリアウーマンへ。 そして、仕事のパートナーである蓮の、真っ直ぐで誠実な愛情に、凍てついていた心は次第に溶かされていく。 これは、才能というガラスの靴を見出された、一人の女性のシンデレラストーリー。 数字の奥に隠された真実を見抜く彼女が、本当の愛と幸せを掴むまでの、最高にドラマチックな逆転ラブストーリー。

結婚して5年、冷たい夫に離縁を申し立てたらみんなに止められています。

真田どんぐり
恋愛
ー5年前、ストレイ伯爵家の美しい令嬢、アルヴィラ・ストレイはアレンベル侯爵家の侯爵、ダリウス・アレンベルと結婚してアルヴィラ・アレンベルへとなった。 親同士に決められた政略結婚だったが、アルヴィラは旦那様とちゃんと愛し合ってやっていこうと決意していたのに……。 そんな決意を打ち砕くかのように旦那様の態度はずっと冷たかった。 (しかも私にだけ!!) 社交界に行っても、使用人の前でもどんな時でも冷たい態度を取られた私は周りの噂の恰好の的。 最初こそ我慢していたが、ある日、偶然旦那様とその幼馴染の不倫疑惑を耳にする。 (((こんな仕打ち、あんまりよーー!!))) 旦那様の態度にとうとう耐えられなくなった私は、ついに離縁を決意したーーーー。

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

処理中です...