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〝彼女〟の痕跡 編
もう一人の被害者
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俺は背筋を伸ばし、前を向いて深呼吸する。
「……人事部部長から話を聞き出せたタイミングが今というのは分かった。俺と宮本との間にすれ違いがあったのも理解したし、兄貴が世話を焼きたくなったのもある程度理解する。……でも俺が『今さら』と思うとは想像しなかったか? ……朱里との事を祝福してくれていると思ったから、どうして今になってこの話を持ち出してきたのか理解できなくて」
今になって風磨が俺に悪意を抱いているなんて考えたくないが、シンプルに「どうして」と思ってしまう。
風磨は俺を見て何度か頷く。
「そう思うよな。すまない。自分でも幸せ一杯のお前達に水を差す行為だと分かっている。……でも、届かなかった手紙が生む悲劇を、これ以上見たくないという気持ちがあった。楽になりたいからと言われたら、その通りかもしれない。だが俺は兄としてお前と朱里さんの味方でいたいけど、自分の考えとして、幸せになるべき二人のためなら他の人の気持ち、言葉をすべてに〝蓋〟をするのはどうかと思ったんだ」
まるで〝手紙〟によって他にも悲劇が生まれたような言い方に、俺は眉を寄せる。
「……誰か他にも、手紙が理由で不幸になった人がいるのか?」
尋ねると、風磨は溜め息をついてから話し始めた。
「……子供の頃、母の部屋に入った事があった。忍び込んだ訳じゃなくて、捜し物があったとかそういう理由だったと思う。その時に本棚の間に不自然に手紙が挟まっているのを見て、つい中身を見てしまったんだ」
嫌な予感を抱き、俺は表情を曇らせる。
「手紙はさゆりさんからの物だった。……内容は【あまりうちに来すぎると奥さんや息子さんに申し訳ないから、もう来ないでほしい。援助はありがたいが自分たちだけでも暮らせる。】……とか、そういう内容だったと思う」
ここでまた母の話が出て、先ほどとは違う種類の胸の痛みに襲われた。
「……母からの手紙を、あの人は父に見せなかったのか」
溜め息をついた俺は、怜香のやりそうな事だとある種の納得を得る。
「あの頃の母は、父の周囲のものすべてに神経質なまでに気を配っていたように思える。手紙を受け取っても父を糾弾しなかったのは、さゆりさん達を〝悪者〟にしたかったからだと思う。……すまない」
「いや、いい。あの人がそういう被害者的な思考なのは分かってるから」
怜香によって苦しめられていた当時、風磨の事を〝ただそこにいるだけの兄〟と思っていたが、彼なりに色々考え、板挟みになっていたんだろう。
本当なら父親の浮気相手の子供にきつく当たってもおかしくないのに、いま風磨はなるべく誠実に接しようと心がけてくれているし、エミリと共に朱里にも良くしてくれている。
想像するしかできないが、風磨にだって沢山〝言いたい事〟があったものの、あの強烈な母親を前に諦め続け、抑圧された性格になったのかもしれない。
風磨は名家の生まれで見た目も良く、性格もいいほうだと思う。
モテるスペックは充分にあるのに、風磨は人から求められる事をそれほど望まず、家に閉じこもってチマチマとプラモデルを弄り、一人で映画館に通って作品に没入していた。
自分に怒りをぶつけられていないとはいえ、母親が腹違いの弟を毎日いびっている姿を見れば、大きなストレスを抱えても仕方がない。
「……結果的に父はあの手紙を読まずにさゆりさんの所に通い、母はさらに憎しみを募らせていった。手紙を見せれば、通う頻度を落とす事はできたかもしれないし『お前の浮気を知ってるぞ』と直接伝えられたと思う。だがそうしなかったのは、俺には理解できない感情を母が持っていたからだと思う。……当時の俺はその手紙を発見しても、父に伝える事ができなかった。母はその頃から触れれば爆発しそうな雰囲気があって、関わるのが怖かったからだ。……すまない」
昔なら風磨に対して複雑な感情を抱いていたかもしれない。
でも今の俺は朱里と共に歩む事を選び、満たされている。
過去を思いだして動揺する事は多少あれど、幸せになると決めた道を踏み外す事はしないし、朱里が笑顔で過ごせるように色んな人と軋轢なく過ごしていきたい。
だから風磨に過去の話を持ち出されても、「いいよ」と許す事ができる。
「……その罪悪感があるから、宮本の手紙を〝なかった事〟にできなかったのか」
まとめると、風磨は決まり悪そうに頷く。
「余計な事をしたと分かっている。動揺させたと思うし、せっかく塞がりかけていた過去の傷をこじ開ける真似をした。でもあの時『どうして』とちぎれるほどに思っていたお前には、知る権利があるんじゃないかと思った。……何をしても〝余計な事〟で、エミリにも『空気が読めない』って言われるし、お前のためにならない事なのも承知している。……けど、俺の中にも『こうすべきだった』という後悔があるし、なるべく同じ過ちを繰り返したくない。……すべて保身に聞こえるかもしれないし、理解を得られないかもしれないが、……気持ちを伝えたかった」
視線を落としたまま言う風磨は、胸の奥にとても複雑な感情を抱えて苦しみ続けてきたんだろう。
ある意味、こいつも怜香の被害者だ。
「……いいよ。……確かに驚いたしショックを受けたけど、知るべき事だったと思う」
怜香の邪魔が入ったとしても、俺が宮本を無視してしまった事実は変わらない。
俺は四通の手紙を手に取り、トントンとテーブルで揃えた。
「これ、持ち帰っても構わないか?」
「ああ」
「宮本はあの人や伊形前社長に加害された訳だし、被害を受けた当事者は不在だがきちんと考えたいと思う。……朱里にもちゃんと説明、相談して、二人で考えていきたい」
風磨が『尊の性格なら広島に向かうと思う』と言ったのは、宮本恋しさに追いかけるという意味ではなく、すれ違いがあったと知ったら謝罪しにいくだろうと思っての事だった。
そして俺なら宮本について朱里に隠し事をしないと踏んだから、彼女が受けた仕打ちを聞いて女性である朱里が傷付く事も想定した。……という事になる。
俺は溜め息をつき、すっかりぬるくなったコーヒーを飲み干す。
朱里は宮本の事を気にし続けてきたけど、この話を聞いてどう思うだろうか。
分からない。――けど、きちんと向き合って話さないと。
「……人事部部長から話を聞き出せたタイミングが今というのは分かった。俺と宮本との間にすれ違いがあったのも理解したし、兄貴が世話を焼きたくなったのもある程度理解する。……でも俺が『今さら』と思うとは想像しなかったか? ……朱里との事を祝福してくれていると思ったから、どうして今になってこの話を持ち出してきたのか理解できなくて」
今になって風磨が俺に悪意を抱いているなんて考えたくないが、シンプルに「どうして」と思ってしまう。
風磨は俺を見て何度か頷く。
「そう思うよな。すまない。自分でも幸せ一杯のお前達に水を差す行為だと分かっている。……でも、届かなかった手紙が生む悲劇を、これ以上見たくないという気持ちがあった。楽になりたいからと言われたら、その通りかもしれない。だが俺は兄としてお前と朱里さんの味方でいたいけど、自分の考えとして、幸せになるべき二人のためなら他の人の気持ち、言葉をすべてに〝蓋〟をするのはどうかと思ったんだ」
まるで〝手紙〟によって他にも悲劇が生まれたような言い方に、俺は眉を寄せる。
「……誰か他にも、手紙が理由で不幸になった人がいるのか?」
尋ねると、風磨は溜め息をついてから話し始めた。
「……子供の頃、母の部屋に入った事があった。忍び込んだ訳じゃなくて、捜し物があったとかそういう理由だったと思う。その時に本棚の間に不自然に手紙が挟まっているのを見て、つい中身を見てしまったんだ」
嫌な予感を抱き、俺は表情を曇らせる。
「手紙はさゆりさんからの物だった。……内容は【あまりうちに来すぎると奥さんや息子さんに申し訳ないから、もう来ないでほしい。援助はありがたいが自分たちだけでも暮らせる。】……とか、そういう内容だったと思う」
ここでまた母の話が出て、先ほどとは違う種類の胸の痛みに襲われた。
「……母からの手紙を、あの人は父に見せなかったのか」
溜め息をついた俺は、怜香のやりそうな事だとある種の納得を得る。
「あの頃の母は、父の周囲のものすべてに神経質なまでに気を配っていたように思える。手紙を受け取っても父を糾弾しなかったのは、さゆりさん達を〝悪者〟にしたかったからだと思う。……すまない」
「いや、いい。あの人がそういう被害者的な思考なのは分かってるから」
怜香によって苦しめられていた当時、風磨の事を〝ただそこにいるだけの兄〟と思っていたが、彼なりに色々考え、板挟みになっていたんだろう。
本当なら父親の浮気相手の子供にきつく当たってもおかしくないのに、いま風磨はなるべく誠実に接しようと心がけてくれているし、エミリと共に朱里にも良くしてくれている。
想像するしかできないが、風磨にだって沢山〝言いたい事〟があったものの、あの強烈な母親を前に諦め続け、抑圧された性格になったのかもしれない。
風磨は名家の生まれで見た目も良く、性格もいいほうだと思う。
モテるスペックは充分にあるのに、風磨は人から求められる事をそれほど望まず、家に閉じこもってチマチマとプラモデルを弄り、一人で映画館に通って作品に没入していた。
自分に怒りをぶつけられていないとはいえ、母親が腹違いの弟を毎日いびっている姿を見れば、大きなストレスを抱えても仕方がない。
「……結果的に父はあの手紙を読まずにさゆりさんの所に通い、母はさらに憎しみを募らせていった。手紙を見せれば、通う頻度を落とす事はできたかもしれないし『お前の浮気を知ってるぞ』と直接伝えられたと思う。だがそうしなかったのは、俺には理解できない感情を母が持っていたからだと思う。……当時の俺はその手紙を発見しても、父に伝える事ができなかった。母はその頃から触れれば爆発しそうな雰囲気があって、関わるのが怖かったからだ。……すまない」
昔なら風磨に対して複雑な感情を抱いていたかもしれない。
でも今の俺は朱里と共に歩む事を選び、満たされている。
過去を思いだして動揺する事は多少あれど、幸せになると決めた道を踏み外す事はしないし、朱里が笑顔で過ごせるように色んな人と軋轢なく過ごしていきたい。
だから風磨に過去の話を持ち出されても、「いいよ」と許す事ができる。
「……その罪悪感があるから、宮本の手紙を〝なかった事〟にできなかったのか」
まとめると、風磨は決まり悪そうに頷く。
「余計な事をしたと分かっている。動揺させたと思うし、せっかく塞がりかけていた過去の傷をこじ開ける真似をした。でもあの時『どうして』とちぎれるほどに思っていたお前には、知る権利があるんじゃないかと思った。……何をしても〝余計な事〟で、エミリにも『空気が読めない』って言われるし、お前のためにならない事なのも承知している。……けど、俺の中にも『こうすべきだった』という後悔があるし、なるべく同じ過ちを繰り返したくない。……すべて保身に聞こえるかもしれないし、理解を得られないかもしれないが、……気持ちを伝えたかった」
視線を落としたまま言う風磨は、胸の奥にとても複雑な感情を抱えて苦しみ続けてきたんだろう。
ある意味、こいつも怜香の被害者だ。
「……いいよ。……確かに驚いたしショックを受けたけど、知るべき事だったと思う」
怜香の邪魔が入ったとしても、俺が宮本を無視してしまった事実は変わらない。
俺は四通の手紙を手に取り、トントンとテーブルで揃えた。
「これ、持ち帰っても構わないか?」
「ああ」
「宮本はあの人や伊形前社長に加害された訳だし、被害を受けた当事者は不在だがきちんと考えたいと思う。……朱里にもちゃんと説明、相談して、二人で考えていきたい」
風磨が『尊の性格なら広島に向かうと思う』と言ったのは、宮本恋しさに追いかけるという意味ではなく、すれ違いがあったと知ったら謝罪しにいくだろうと思っての事だった。
そして俺なら宮本について朱里に隠し事をしないと踏んだから、彼女が受けた仕打ちを聞いて女性である朱里が傷付く事も想定した。……という事になる。
俺は溜め息をつき、すっかりぬるくなったコーヒーを飲み干す。
朱里は宮本の事を気にし続けてきたけど、この話を聞いてどう思うだろうか。
分からない。――けど、きちんと向き合って話さないと。
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