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十年ぶりの再会 編
私はもう戦えない
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「私ね、広島で生まれ育って、大人になって上京して色んな目に遭って、またここへ帰ってきた。……広島にいると平和について考える機会が凄く増える。毎年八月に黙祷をしているけど、東京にいた頃は忘れていた事もあった。……この街は一度破壊し尽くされ、それでも蘇った奇跡の街だと思ってる」
私はパフェを食べつつ、宮本さんの話を真剣に聞く。
「ちょっと真面目な話になるけど、原爆投下する場所に広島が選ばれたのも、ざっくりと言ってしまえば〝運が悪かった〟に尽きるじゃない。広島の人たちが他の土地の人より悪い人だった訳じゃない。ただ、空爆目標都市の中で連合軍の捕虜施設がないと思われていたから選ばれただけ。……人生の上で起こる物事って、そういう事が多いんだよ。自分はただ、可能な限り人に優しく、良く生きてきたつもりだった。お年寄りには席を譲ったし、困っていそうな人がいたら積極的に声を掛けた。……そうしたら『いつか巡り巡って良い事が起きるよ』って祖母に言われていた」
宮本さんはパフェのアイスを弄びつつ、少し強張った表情で続ける。
「……でも、正直に誠実に生きていれば、いい事が起き続ける訳じゃない。どんな人にも平等に不幸は訪れる。いい人であろうと努力していても、やけっぱちになって悪事に手を染めても、いつか病気になるし、怪我もするし、友達や家族は亡くなる。……自分自身が悪い事に手を染めていたら、自業自得な事も起こるから、なるべく善く生きていたほうがいいと思うけどね」
彼女はそこまで言い、アイスを一口食べてから息を吐く。
「私は自分の身に起こった事を、仕方ない悪運と思うようにした。この街に生きていた人たちだって、『どうして自分がこんな目に』と思ったでしょう。みんな同じ。理不尽な出来事に巻き込まれた時は、大きすぎる運命のうねりに蹂躙されるしかないの。きっかけとなった存在がいるとしても、自分一人じゃ対処しきれない場合もある。……あの時、証拠を掴んで裁判を起こしたとしても、きっと握りつぶされていた。巨額の和解金を渡されて〝なかった事〟にされる。……そして私がどれだけ憤り、悲しみ、絶望を訴えても、君の継母の腐りきった根性がまともになる事はない。それだけは言い切れる」
尊さんは静かに頷いた。
「彼女は今、裁判を受けてるだろうけど『自分は夫を寝取られた』という被害者意識がある以上、心から改心する事はないんじゃないかな。『自分は悪くない』と思う事でしか、あの人は弱い自分の心を守れないんだと思う。……あの人は老舗旅館のお嬢様で、いい人だったと思う。……でも、安心安全と思っていた生活を壊されると、どんな人でも豹変する。彼女はいつ夫に離婚を切り出されるか怯え、君たち家族を異様なまでに見張っていたと思う。常に猜疑心に苛まれ、家族を信じる事ができなかった篠宮怜香は、不幸な人だと思う」
静かに言い切った宮本さんは、とても穏やかな顔をしていた。
「哀れだと思うし、彼女がそこまで堕ちた理由には同情する。……でも私は彼女を許さないし、法の裁きを受ける事になってせいせいしている。君が動いたんだよね? ありがとう」
感謝の言葉を向けられたけれど、尊さんは苦しげな表情で首を横に振った。
「……俺は家族の無念を晴らすために動いただけだ。宮本に危害を加えた事までは、罪を追及しきれていない。……お前が被害者として名乗り出るなら……」
「ううん」
尊さんの言葉の途中で、宮本さんはきっぱりと否定する。
「もういいの。……もういい。……きっと私を撮影した〝証拠〟はどこかにある。それを使えばさらにあの女に罪を被せる事ができる。……でもまた苦しみたくないの。私はもう戦えない。立ちむかい、戦えば過去に傷付いた自分の仇をとれると分かっていても、やっと平穏な生活を楽しめるようになった今、あの地獄のような日々に向き合いたくない。理解できない悪魔のような心を持つ人たちの事を考えるだけで、苦しくて堪らなくなる。『どうしてそんな酷い事ができるの?』って聞いても、あの人たちは『自分は被害者だから、正義のために悪を罰している』としか言わないと思う。……それぐらい、考えも価値観も何もかも、噛み合わない人たちなんだよ。……人の人生を滅茶苦茶にして、尊厳も何もかも奪って、死にたくなるような想いをさせて、…………自分たちは高級マンションで悠々と暮らしていい物を食べて〝友達〟と笑い合っている。……私はもう、そんな現実に向き合いたくない」
血を吐くような彼女の言葉を聞き、私は涙を流していた。
宮本さんを初めて見た時は、「元気そうで良かった」と感じた。
明るそうな人だし、日差しを浴びて笑っているのがよく似合う女性だとも思った。
けどそうなれるようになるまで、彼女は信じられないぐらいの苦痛の中でのたうちまわり、何度も何度も絶望して、すべてを恨みたくなるような想いを抱き、それでも尊さんの事だけは信じ抜き、――――ようやくこの土地で光を得た。
確かに宮本さんが証言し、彼女が襲われた動画が残っているならさらに怜香さんと伊形社長を追い詰められるだろう。
でもそうする事で、彼女はセカンドレイプされる。
悪人には相応の罰を与えてほしいと望む気持ちはあれど、過去の深すぎる傷に向き合うエネルギーはないのだろう。
やっとかさぶたに覆われて、傷があった事を気にせず生きられるようになったのに、それをメリメリと剥がして痛みに耐えながら過去と向き合うなんて、……私にはできない。
先日は父の事と向き合って乗り越えたし、昭人に誘拐された事件の事も日々の中に押し込んで忘れようとしている。
けれど心の痛みや死ぬかもしれないという恐怖を思い出すと、いまだに胸の奥にうつろな穴がポッカリと空いた心地になり、怖くて正気でいられなくなる。
私はパフェを食べつつ、宮本さんの話を真剣に聞く。
「ちょっと真面目な話になるけど、原爆投下する場所に広島が選ばれたのも、ざっくりと言ってしまえば〝運が悪かった〟に尽きるじゃない。広島の人たちが他の土地の人より悪い人だった訳じゃない。ただ、空爆目標都市の中で連合軍の捕虜施設がないと思われていたから選ばれただけ。……人生の上で起こる物事って、そういう事が多いんだよ。自分はただ、可能な限り人に優しく、良く生きてきたつもりだった。お年寄りには席を譲ったし、困っていそうな人がいたら積極的に声を掛けた。……そうしたら『いつか巡り巡って良い事が起きるよ』って祖母に言われていた」
宮本さんはパフェのアイスを弄びつつ、少し強張った表情で続ける。
「……でも、正直に誠実に生きていれば、いい事が起き続ける訳じゃない。どんな人にも平等に不幸は訪れる。いい人であろうと努力していても、やけっぱちになって悪事に手を染めても、いつか病気になるし、怪我もするし、友達や家族は亡くなる。……自分自身が悪い事に手を染めていたら、自業自得な事も起こるから、なるべく善く生きていたほうがいいと思うけどね」
彼女はそこまで言い、アイスを一口食べてから息を吐く。
「私は自分の身に起こった事を、仕方ない悪運と思うようにした。この街に生きていた人たちだって、『どうして自分がこんな目に』と思ったでしょう。みんな同じ。理不尽な出来事に巻き込まれた時は、大きすぎる運命のうねりに蹂躙されるしかないの。きっかけとなった存在がいるとしても、自分一人じゃ対処しきれない場合もある。……あの時、証拠を掴んで裁判を起こしたとしても、きっと握りつぶされていた。巨額の和解金を渡されて〝なかった事〟にされる。……そして私がどれだけ憤り、悲しみ、絶望を訴えても、君の継母の腐りきった根性がまともになる事はない。それだけは言い切れる」
尊さんは静かに頷いた。
「彼女は今、裁判を受けてるだろうけど『自分は夫を寝取られた』という被害者意識がある以上、心から改心する事はないんじゃないかな。『自分は悪くない』と思う事でしか、あの人は弱い自分の心を守れないんだと思う。……あの人は老舗旅館のお嬢様で、いい人だったと思う。……でも、安心安全と思っていた生活を壊されると、どんな人でも豹変する。彼女はいつ夫に離婚を切り出されるか怯え、君たち家族を異様なまでに見張っていたと思う。常に猜疑心に苛まれ、家族を信じる事ができなかった篠宮怜香は、不幸な人だと思う」
静かに言い切った宮本さんは、とても穏やかな顔をしていた。
「哀れだと思うし、彼女がそこまで堕ちた理由には同情する。……でも私は彼女を許さないし、法の裁きを受ける事になってせいせいしている。君が動いたんだよね? ありがとう」
感謝の言葉を向けられたけれど、尊さんは苦しげな表情で首を横に振った。
「……俺は家族の無念を晴らすために動いただけだ。宮本に危害を加えた事までは、罪を追及しきれていない。……お前が被害者として名乗り出るなら……」
「ううん」
尊さんの言葉の途中で、宮本さんはきっぱりと否定する。
「もういいの。……もういい。……きっと私を撮影した〝証拠〟はどこかにある。それを使えばさらにあの女に罪を被せる事ができる。……でもまた苦しみたくないの。私はもう戦えない。立ちむかい、戦えば過去に傷付いた自分の仇をとれると分かっていても、やっと平穏な生活を楽しめるようになった今、あの地獄のような日々に向き合いたくない。理解できない悪魔のような心を持つ人たちの事を考えるだけで、苦しくて堪らなくなる。『どうしてそんな酷い事ができるの?』って聞いても、あの人たちは『自分は被害者だから、正義のために悪を罰している』としか言わないと思う。……それぐらい、考えも価値観も何もかも、噛み合わない人たちなんだよ。……人の人生を滅茶苦茶にして、尊厳も何もかも奪って、死にたくなるような想いをさせて、…………自分たちは高級マンションで悠々と暮らしていい物を食べて〝友達〟と笑い合っている。……私はもう、そんな現実に向き合いたくない」
血を吐くような彼女の言葉を聞き、私は涙を流していた。
宮本さんを初めて見た時は、「元気そうで良かった」と感じた。
明るそうな人だし、日差しを浴びて笑っているのがよく似合う女性だとも思った。
けどそうなれるようになるまで、彼女は信じられないぐらいの苦痛の中でのたうちまわり、何度も何度も絶望して、すべてを恨みたくなるような想いを抱き、それでも尊さんの事だけは信じ抜き、――――ようやくこの土地で光を得た。
確かに宮本さんが証言し、彼女が襲われた動画が残っているならさらに怜香さんと伊形社長を追い詰められるだろう。
でもそうする事で、彼女はセカンドレイプされる。
悪人には相応の罰を与えてほしいと望む気持ちはあれど、過去の深すぎる傷に向き合うエネルギーはないのだろう。
やっとかさぶたに覆われて、傷があった事を気にせず生きられるようになったのに、それをメリメリと剥がして痛みに耐えながら過去と向き合うなんて、……私にはできない。
先日は父の事と向き合って乗り越えたし、昭人に誘拐された事件の事も日々の中に押し込んで忘れようとしている。
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