415 / 1,589
第八部・イギリス捜索 編
彼女の痕跡
しおりを挟む
そしてその表面に『退職願』と書かれてあるのを見て、放心した。
引っ込んだはずの涙が、また零れてしまいそうになる。
香澄がどんな気持ちでこれを書いたのか想像し――、悲しくて堪らない。
「何も香澄が自分を責める事はないんだ」
そう呟いても、聞かせるべき相手はいない。
――彼女は今、どこにいるのだろう。
――どんな顔をして自分を責めているのだろう。
「君に何も非はない。愛しているから帰っておいで」と、抱き締めて囁いてあげたい。
香澄がボロボロに傷ついていると思うだけで、泣きそうだ。
「……駄目だな。すっかり涙脆くなってる」
呟いて目元を乱暴にこすってから、佑は退職願を机の引き出しにしまった。
そしてここにはいない彼女に、しっかりと言い聞かせる。
「絶対に受け取らないよ。これについては、またここに戻ってきてから、二人でじっくり話し合おう。いいや、撤回してほしい。……君は俺の側以外では生きられないんだから」
――俺がそう躾けた。
最後の言葉は、半ば自分に言い聞かせた。
そうでなければ、佑こそ、香澄がいなくて死んでしまいそうだからだ。
「はぁ……」
ため息をつき、佑は気分を変えようと試みる。
感傷に浸れば時間のロスを生む。
書斎を出て荷物をまとめる作業を進めようとした時、寝室でトラップのようにまた香澄の痕跡を見つけた。
メモだ。
『今までお世話になりました。 香澄』
「――――っ」
今度こそ膝から力が抜け、佑は力なくベッドに座り込んだ。
彼女の寝顔を見て、温もりを感じているこのベッドで、――別れの言葉を書かれた。
いつもなら佑が先に起きて、まだ眠っている彼女の寝顔をじっくり鑑賞し、「おはよう」から始まるメッセージを書いていたのに。
「香澄……」
彼女の名前を呼んだだけで、胸の奥がぐっと苦しくなる。
まるで、ズブズブと底なしの闇に包まれていくような心地を味わった。
冷たくまとわりつく闇は、呼吸すら奪い佑の思考も冷静さも、何もかもを奪っていく。。
佑は懸命に息を吸い、嗚咽に似た震えと共に吐き出した。
「こんな……、こんな物を書かせるために愛したんじゃない。笑っていてほしいから、幸せにしたいから手を握ったんだ……っ」
小さなメモ紙をかき抱き、佑は声なき声で慟哭する。
同時に――凄まじい怒りが沸き起こった。
お門違いな嫉妬をしたエミリア、彼女を直接傷付けたマティアス、そして彼女を囮にすると決めた祖父と、知っていながら自身のために黙っていた双子。
全員に激しい怒りを抱いた。
「……待ってろ。今すぐ迎えに行く」
どす黒い感情を胸に、佑は低く呟くとメモを二つ折りにし、ポケットにしまった。
それから後は、もう何も考えず手早く荷物をまとめ、ボディバッグにパスポートや貴重品を入れて玄関に向かった。
佑のプライベートジェットが羽田空港から離陸したのは、午前十一時すぎだ。
エミリアにどれだけ遅れてしまったかは分からない。
離陸前にアドラーに連絡をし、できるだけ冷静に香澄が被害を受けた事と、アドラーに後ほど話があると伝えた。
彼は一言『分かった』と了承し、それだけで電話は終わった。
まずは香澄の安全の確保から。
そう思い、佑はシートにもたれかかり目を閉じた。
**
香澄がヒースロー空港に降り立ったのは、現地の時間で十六時前だ。
寝不足でフラフラしていると、エミリアが笑う。
『大丈夫? カスミさんのために大きい車を手配したから、後部座席で横になっているといいわ。私は長時間のフライトには慣れているけれど、カスミさんは疲れたでしょう。今晩泊まるホテルに着いたら教えるから、それまでゆっくりしていて』
空港のベンチに座って車を待っていると、彼女がそう言ってくれた。
エミリアの護衛というスーツの男性たちは、異様に美形なので一緒にいると気後れする。
引っ込んだはずの涙が、また零れてしまいそうになる。
香澄がどんな気持ちでこれを書いたのか想像し――、悲しくて堪らない。
「何も香澄が自分を責める事はないんだ」
そう呟いても、聞かせるべき相手はいない。
――彼女は今、どこにいるのだろう。
――どんな顔をして自分を責めているのだろう。
「君に何も非はない。愛しているから帰っておいで」と、抱き締めて囁いてあげたい。
香澄がボロボロに傷ついていると思うだけで、泣きそうだ。
「……駄目だな。すっかり涙脆くなってる」
呟いて目元を乱暴にこすってから、佑は退職願を机の引き出しにしまった。
そしてここにはいない彼女に、しっかりと言い聞かせる。
「絶対に受け取らないよ。これについては、またここに戻ってきてから、二人でじっくり話し合おう。いいや、撤回してほしい。……君は俺の側以外では生きられないんだから」
――俺がそう躾けた。
最後の言葉は、半ば自分に言い聞かせた。
そうでなければ、佑こそ、香澄がいなくて死んでしまいそうだからだ。
「はぁ……」
ため息をつき、佑は気分を変えようと試みる。
感傷に浸れば時間のロスを生む。
書斎を出て荷物をまとめる作業を進めようとした時、寝室でトラップのようにまた香澄の痕跡を見つけた。
メモだ。
『今までお世話になりました。 香澄』
「――――っ」
今度こそ膝から力が抜け、佑は力なくベッドに座り込んだ。
彼女の寝顔を見て、温もりを感じているこのベッドで、――別れの言葉を書かれた。
いつもなら佑が先に起きて、まだ眠っている彼女の寝顔をじっくり鑑賞し、「おはよう」から始まるメッセージを書いていたのに。
「香澄……」
彼女の名前を呼んだだけで、胸の奥がぐっと苦しくなる。
まるで、ズブズブと底なしの闇に包まれていくような心地を味わった。
冷たくまとわりつく闇は、呼吸すら奪い佑の思考も冷静さも、何もかもを奪っていく。。
佑は懸命に息を吸い、嗚咽に似た震えと共に吐き出した。
「こんな……、こんな物を書かせるために愛したんじゃない。笑っていてほしいから、幸せにしたいから手を握ったんだ……っ」
小さなメモ紙をかき抱き、佑は声なき声で慟哭する。
同時に――凄まじい怒りが沸き起こった。
お門違いな嫉妬をしたエミリア、彼女を直接傷付けたマティアス、そして彼女を囮にすると決めた祖父と、知っていながら自身のために黙っていた双子。
全員に激しい怒りを抱いた。
「……待ってろ。今すぐ迎えに行く」
どす黒い感情を胸に、佑は低く呟くとメモを二つ折りにし、ポケットにしまった。
それから後は、もう何も考えず手早く荷物をまとめ、ボディバッグにパスポートや貴重品を入れて玄関に向かった。
佑のプライベートジェットが羽田空港から離陸したのは、午前十一時すぎだ。
エミリアにどれだけ遅れてしまったかは分からない。
離陸前にアドラーに連絡をし、できるだけ冷静に香澄が被害を受けた事と、アドラーに後ほど話があると伝えた。
彼は一言『分かった』と了承し、それだけで電話は終わった。
まずは香澄の安全の確保から。
そう思い、佑はシートにもたれかかり目を閉じた。
**
香澄がヒースロー空港に降り立ったのは、現地の時間で十六時前だ。
寝不足でフラフラしていると、エミリアが笑う。
『大丈夫? カスミさんのために大きい車を手配したから、後部座席で横になっているといいわ。私は長時間のフライトには慣れているけれど、カスミさんは疲れたでしょう。今晩泊まるホテルに着いたら教えるから、それまでゆっくりしていて』
空港のベンチに座って車を待っていると、彼女がそう言ってくれた。
エミリアの護衛というスーツの男性たちは、異様に美形なので一緒にいると気後れする。
33
あなたにおすすめの小説
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
元カノと復縁する方法
なとみ
恋愛
「別れよっか」
同棲して1年ちょっとの榛名旭(はるな あさひ)に、ある日別れを告げられた無自覚男の瀬戸口颯(せとぐち そう)。
会社の同僚でもある二人の付き合いは、突然終わりを迎える。
自分の気持ちを振り返りながら、復縁に向けて頑張るお話。
表紙はまるぶち銀河様からの頂き物です。素敵です!
俺様上司に今宵も激しく求められる。
美凪ましろ
恋愛
鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。
蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。
ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。
「おまえの顔、えっろい」
神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。
――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる