568 / 1,591
第十部・ニセコ 編
四億の別荘の持ち主
しおりを挟む
――守らせてほしかった。
なのに彼女は――、憎いほど愛しい彼女は、自らの足で立ち上がり、北の地へ行ってしまった。
――ただ、守りたかっただけなのに。
――愛したかっただけなのに。
自分の何が悪いのかも、香澄は教えてくれない。
「……話し合わないと、……分からないじゃないか」
涙を流しきった目は壁の木目をぼんやりと見つめ、唇から力を失った言葉が漏れる。
「……香澄。……君と会って、話したい。君が何を求めているのか、俺のどこが悪いのか、……君の口から聞きたい」
あと――、二十三日。
二十三日もこの地獄が続くのだと思うと、耐えられる自信がない。
「時間があるから駄目なんだ。……松井さんに仕事を入れてもらおう」
呟いて、脱力して――、佑はそのまま香澄のベッドで眠る事にした。
とりあえずジャケットだけ脱ぎ、あとはもう、目を閉じて香澄の匂いに集中し、彼女と幸せに睦み合っている姿を想像した。
**
それからさらに一週間が経ち、香澄もニセコの生活に慣れ始めていた。
初日以来、和也と二人きりになりそうな時は、何かしら仕事を見つけて彼から距離を取った。
こういう時、八谷で働いていた時にアルバイトに向かって「積極的に仕事を見つけてみて」とアドバイスしていたのが役に立つ。
サービス業は絶えず動く事が基本だ。
ペンションでは掃除を基本にキッチンにいる聡子を手伝い、なるべく真奈美を和也と一緒にする事を気遣いつつ、母屋での仕事もちょこちょここなしてゆく。
それでも買い出しの時は気を遣う。
基本的に秋山か和也が車を運転し、真奈美と香澄が交互にアシスタントをする事になっている。
真奈美が当番の時は「いい事あるといいね」と見送るのだが、自分が助手席に座る時は緊張して堪らない。
秋山もできるだけ自分がペアになろうとしてくれるのだが、ずっと香澄につきっきりという訳にはいかない。
なるべく〝そういう〟雰囲気にならないようにし、佑の話題も避けた。
自分からニセコの事やペンションの事を質問し、和也から話題を振らせないように心がける。
何とかそのように努力をして、一週間が経ち、日付は十月七日になっていた。
「あ、あの人です」
週明けになって食料を買い足す事になり、香澄は和也と一緒にスーパーまで来ていた。
カートにカゴを二つ置いてメモを開いていると、和也が小声でそう言う。
「え?」
納豆を手にしていた香澄は顔を上げ、なんの事かと和也の視線を追う。
すると前方には背の高い男性の後ろ姿があり、魚売り場で固まっている。
「あの人が推定四億する別荘の持ち主です」
「へぇ……」
髪は茶髪のくせっ毛で、普通Tシャツとジーンズにダウンベストを着ている。
真剣に魚を見ているようだが、見慣れない魚があるのか頻りに首を傾げていた。
(何を困っているんだろう?)
香澄の少しお節介な部分がモゾモゾし、「よし」と決めるとメモを和也に渡した。
「ちょっと世間話してきますね」
「え?」
ここで行動力を見せる香澄に、和也は呆気にとられる。
その脇を香澄はスタスタと通り、彼のもとへ向かった。
『お困りですか?』
隣からヒョッと顔を覗かせ、英語で話しかけると茶色い目が驚いたように瞬いた。
(顔立ちからして……ラテン系……のような)
あまり欧米人の顔だちの区別がつく方ではないのだが、佑や双子と接するようになり、ざっくりと系統が分かる……ような気もしないでもない。
目の前の男性はくっきりとした顔立ちで、髪は短髪なのだがウェーブがかかっている。
目と髪も濃い目の茶色で、可能性としてはフランス、イタリア、もしくはスペイン、ポルトガルだ。
『可愛い子が話しかけて来てくれたな』
男性は魅力的な笑みを浮かべ、スルッと浮ついた言葉を口にする。
なのに彼女は――、憎いほど愛しい彼女は、自らの足で立ち上がり、北の地へ行ってしまった。
――ただ、守りたかっただけなのに。
――愛したかっただけなのに。
自分の何が悪いのかも、香澄は教えてくれない。
「……話し合わないと、……分からないじゃないか」
涙を流しきった目は壁の木目をぼんやりと見つめ、唇から力を失った言葉が漏れる。
「……香澄。……君と会って、話したい。君が何を求めているのか、俺のどこが悪いのか、……君の口から聞きたい」
あと――、二十三日。
二十三日もこの地獄が続くのだと思うと、耐えられる自信がない。
「時間があるから駄目なんだ。……松井さんに仕事を入れてもらおう」
呟いて、脱力して――、佑はそのまま香澄のベッドで眠る事にした。
とりあえずジャケットだけ脱ぎ、あとはもう、目を閉じて香澄の匂いに集中し、彼女と幸せに睦み合っている姿を想像した。
**
それからさらに一週間が経ち、香澄もニセコの生活に慣れ始めていた。
初日以来、和也と二人きりになりそうな時は、何かしら仕事を見つけて彼から距離を取った。
こういう時、八谷で働いていた時にアルバイトに向かって「積極的に仕事を見つけてみて」とアドバイスしていたのが役に立つ。
サービス業は絶えず動く事が基本だ。
ペンションでは掃除を基本にキッチンにいる聡子を手伝い、なるべく真奈美を和也と一緒にする事を気遣いつつ、母屋での仕事もちょこちょここなしてゆく。
それでも買い出しの時は気を遣う。
基本的に秋山か和也が車を運転し、真奈美と香澄が交互にアシスタントをする事になっている。
真奈美が当番の時は「いい事あるといいね」と見送るのだが、自分が助手席に座る時は緊張して堪らない。
秋山もできるだけ自分がペアになろうとしてくれるのだが、ずっと香澄につきっきりという訳にはいかない。
なるべく〝そういう〟雰囲気にならないようにし、佑の話題も避けた。
自分からニセコの事やペンションの事を質問し、和也から話題を振らせないように心がける。
何とかそのように努力をして、一週間が経ち、日付は十月七日になっていた。
「あ、あの人です」
週明けになって食料を買い足す事になり、香澄は和也と一緒にスーパーまで来ていた。
カートにカゴを二つ置いてメモを開いていると、和也が小声でそう言う。
「え?」
納豆を手にしていた香澄は顔を上げ、なんの事かと和也の視線を追う。
すると前方には背の高い男性の後ろ姿があり、魚売り場で固まっている。
「あの人が推定四億する別荘の持ち主です」
「へぇ……」
髪は茶髪のくせっ毛で、普通Tシャツとジーンズにダウンベストを着ている。
真剣に魚を見ているようだが、見慣れない魚があるのか頻りに首を傾げていた。
(何を困っているんだろう?)
香澄の少しお節介な部分がモゾモゾし、「よし」と決めるとメモを和也に渡した。
「ちょっと世間話してきますね」
「え?」
ここで行動力を見せる香澄に、和也は呆気にとられる。
その脇を香澄はスタスタと通り、彼のもとへ向かった。
『お困りですか?』
隣からヒョッと顔を覗かせ、英語で話しかけると茶色い目が驚いたように瞬いた。
(顔立ちからして……ラテン系……のような)
あまり欧米人の顔だちの区別がつく方ではないのだが、佑や双子と接するようになり、ざっくりと系統が分かる……ような気もしないでもない。
目の前の男性はくっきりとした顔立ちで、髪は短髪なのだがウェーブがかかっている。
目と髪も濃い目の茶色で、可能性としてはフランス、イタリア、もしくはスペイン、ポルトガルだ。
『可愛い子が話しかけて来てくれたな』
男性は魅力的な笑みを浮かべ、スルッと浮ついた言葉を口にする。
21
あなたにおすすめの小説
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
女の子がほとんど産まれない国に転生しました。
さくらもち
恋愛
何番煎じかのお話です。
100人に3~5人しか産まれない女の子は大切にされ一妻多夫制の国に産まれたのは前世の記憶、日本で亭主関白の旦那に嫁いびりと男尊女卑な家に嫁いで挙句栄養失調と過労死と言う令和になってもまだ昭和な家庭!でありえない最後を迎えてしまった清水 理央、享年44歳
そんな彼女を不憫に思った女神が自身の世界の女性至上主義な国に転生させたお話。
当面は2日に1話更新予定!
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
俺様上司に今宵も激しく求められる。
美凪ましろ
恋愛
鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。
蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。
ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。
「おまえの顔、えっろい」
神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。
――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。
**2026.01.02start~2026.01.17end**
◆エブリスタ様にも掲載。人気沸騰中です!
https://estar.jp/novels/26513389
橘若頭と怖がり姫
真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。
その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。
高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる