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何か、感じない?

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「つらい経験をしてきたのは、話してもらって分かっている。突然、俺に二億出されて取り引きしようと言われて、家族のために受け入れた。不安がなかった訳がないだろう。今は慣れない環境で頑張ってくれている。……それなのに、君はいつも努めて笑顔のままで、俺の前で本音や弱さをほとんど出してくれていない」

 ハッとした芳乃はその通りだと思い、――けれど、どうしたらいいのか分からない。

「……ただでさえご迷惑をかけているのに、……泣いたり、愚痴や弱音を吐いたり……できません」

 それは本音で、それ以上の理由はなかった。
 けれど、暁人にグッと二の腕を掴まれ、思わず芳乃は顔を上げる。

 目の前には、真剣な、それでいてどこか傷ついた目をした暁人がいた。

「……俺は、そんなに頼りがいがないか? 年下だから?」

 真に迫った彼の様子に、芳乃は自分が置かれている状況も忘れて息を呑む。

「……どうして、そこまで私に深入りしようとするんです?」

 その言葉は、心からの問いだった。

 深入りしてほしくないから牽制しているのではなく、本当に分からず聞いた。

 面接を受けた先の副社長で、社員になるとはいえ借金の肩代わりをして衣食住の面倒も見てくれ、その上心のケアまでしようとしてくれている。

 何かも、受け取りすぎていて怖いほどだ。

 だから、何か裏があるのではないか? と、失礼ながらも疑ってしまう。

 芳乃の言葉を聞き、暁人は微かに眉間に皺を寄せ、傷ついた表情を見せる。
 そのあと自身を落ち着かせるように息をつき、彼女の二の腕を掴む手を緩め、微笑んだ。

「俺の顔を見て」

「……はい」

 先ほどから、直視するのもはばかられるほど、麗しい顔を見つめ続けている。

「何か、感じない?」

(何か……と言われても……)

 暁人は風呂に入る前で、仕事時の髪型のままだ。
 短めの髪を整髪料で爽やかにセットし、きりりとした眉の下には意志の強い双眸がある。
 通った鼻筋に、潔癖そうな形のいい唇。

 ――不意に彼にキスをされた事を思い出し、芳乃は赤面すると俯いてしまった。

「……芳乃?」

「……い、いえ。……ごめんなさい」

 まさか「あなたの顔が良すぎて、直視するのがつらいです」だなんて、こんな真剣な雰囲気の時に言えない。

 だが俯いた事によって、暁人は自分が迫りすぎ、芳乃に圧を加えていたと勘違いしたようだった。

 パッと離れ、彼は気まずそうに「すまない」と謝る。

 そのあと何とも言えない空気が流れ、芳乃は努めて笑顔を作り「お皿、洗いますね」と言ってテーブルの上にあったケーキ皿を片付けた。
 キッチンで皿やフォークを洗いながら、食器棚に入っている物はほとんど、芳乃がここに来てから買いそろえた物だと思い出す。

 彼のために料理を作ると決まってから、「食器がないと食事ができません」と言うと、鍋や調理器具もすべて、芳乃の好みで使いやすい物を決めていいと一任された。
 調理器具だけならともかく、食器はセンスも問われるのでさすがに相談する。
 そうしたら家にコーディネーターが来て買い物に同行する事になり、芳乃が気に入った美しい色合いの焼き物や、ブランド物のプレートセットなどが次々に決まっていった。

 特に高い物でなくても……と思ったのだが、暁人は芳乃が気に入った表情をしたのを見逃さず、「じゃあこれにしよう」とすかさずチェックを入れていた。

(まるで新婚じゃない。……借金を返すまでの関係なのに)

 洗った物を水切りのカゴに置き、芳乃はそっと溜め息をつく。
 リビングのソファに座っている暁人は、タブレット端末で株価に関わるニュースなどを読んでいるようだった。

(どうして私にここまでお金を掛けるんだろう)

 考えても、分からない。

 面接を受けた日、他にも数名が〝エデンズ・ホテル東京〟に臨んだようだった。
 一名のみ芳乃と同じ時期に、清掃スタッフになった年下の女性がいたが、彼女は特別な待遇を受けているとは思えない。

 そもそも芳乃は暁人と一緒に暮らしているが、彼は仕事で忙しそうで個人的に他の誰かに深く関わっているように思えない。

 時々家族と電話をしているのは聞くが、彼の話では会う頻度は月に一回程度で、父親は神楽坂グループの社長なので仕事の関係で毎日のように顔を合わせている。
 母も暁人に用事がある時は、本社まで来て夫に会うついでに……という体で済ませているらしい。

 あとは本社での仕事、そして出張の日々。

 どこにも彼の〝特別〟がいる気配は窺えない。

 けれど自分について考えると、そこまで多忙な彼の生活に関わり、巨額な金を掛けてもらえるほどの価値があるのだろうか? と疑問でならない。
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