縁切り女郎

白井はやて

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1.頼まれごと

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 獅子布町という大きな町の隣には、黒い柱と白い壁で造られた似たような三階建ての建物が密集して並んでいる。
 二階から上には窓の障子外に等間隔で提灯が並び、赤、橙色に塗られている。
 一階の通り沿い側には黒い格子の嵌められた部屋が外から丸見えの状態だ。
 その格子の部屋の中には、人によっては可愛らしく、または美しく着飾り、通りを歩く男たちがそこに佇む女を眺めては何かそれぞれ話していた。
 壁に囲まれたここは男が女を買う遊郭。
 そんな遊郭の中でも多くの遊女を抱える淡海屋という妓楼へわたしはいくつかの荷物を入れた風呂敷を抱え向かっていた。
 背後にはたくさんの荷物を風呂敷に包んで背中に抱えた細身で目つきが鋭いものの弁が立つ男従業員の左門次が一人付いてきている。
 夜の町とはいえ日中でも人の多いこの場所は独特の雰囲気を醸し出しており、慣れない間はこの地へ足を踏み入れることさえ躊躇させた。
 格子の隙間から見える女たちを横目で見つつ、目的地へまっすぐ進み、淡海屋の暖簾を掻き分けて中へと踏み入れる。
 妓楼は夜を迎える準備で少々慌ただしい。

「お世話になっております」
「ああいらっしゃい。氷雨は三階の左端の部屋にいるよ」
「ありがとうございます、早速向かわせていただきます」

 この淡海屋の入り口付近に佇んで指示を飛ばしていたふっくらな体型の女主人が、こちらの顔を確認してから口端を持ち上げて笑みを浮かべた。
 女主人の左側にある階段を指差してくれたので、感謝を込めて深々と頭を下げてから左門次と共に階段を登っていく。
 とん、とん、急傾斜の階段の手すりを掴みながら三階へ向かう。背後を見ると、左門次はわたしよりも荷物があるために登るのは大変そうだが、これも仕事。
 先に登って階段の登り切った先で彼が上がってくるのを待ち、左門次がたどり着いたところで階段から左端の部屋へと今度は足を向けた。
 たどり着いた左端の部屋を仕切る障子の向こうに人の気配。廊下に膝をついて、中へと声をかける。

「氷雨さま、千石呉服店のはつなが参りました」
「早かったですね、室内へどうぞ」

 促されて「失礼します」と声をかけてから障子を開いた。
 中にいたのは切れ長の栗色の瞳を持つ、美しい女性。彼女が訪ね人である氷雨さんだ。
 今は姿見の前に座って長く艶のある黒い髪を簡単に結っている。格子で隔たれた一階の部屋にいる女たちよりもずっと美しい彼女はこちらへ向けて態勢を変えると微笑みを浮かべながら出迎えてくれた。
 彼女の隣で鳥かごに入った背が青く腹の白い小さな鳥が水を飲んでいる。

「持ってきてくださったのね、助かるわ」
「いえ、仕事でございます」

 にこりと笑いかけてから、背後で正座をして口を噤んでいる左門次へ目を向け、頷いて促す。
 彼は氷雨さんへ向けて軽い会釈をしたあと、わたしが運んだ風呂敷と背中から床へ下ろした風呂敷を丁寧に広げた。そこには色とりどりの反物があり、その中の一つを手にして氷雨さんへと持ち上げて見せる。

「これなどどうでしょう? 氷雨さまのお好きな唐紅色の生地に花と鶴をあしらってあります」
「素敵」

 座っている氷雨さんの肩から前にかけて反物を伸ばし、どんな風に見えるか想像してもらう。
 微笑みを浮かべつつ氷雨さんは反物の端を手にして見つめていたので、その反物を手渡し、次のものを自分の手元で広げた。

「こちらは小紫でございます。金糸で大きく花を描いており、目を引くかと」
「鮮やかね、これも素敵」
「他にも黒や杏色など、普段とは違う雰囲気のものも取り揃えて持参しております」
「落ち着いた雰囲気も良いわね、……どれも素敵で悩んでしまうわ」

 感想を口にしながら目だけで反物を一つ一つ見ていく。

「常連客の方であれば、そのお相手に合わせた色合いを抑えたものにされても良いかもしれません」
「…そうねぇ」

 思案顔で氷雨さんは反物を見つめているため、少し反物の生地を引き伸ばしてそれぞれを見比べやすいように床へ置き並べておく。座ったまま氷雨さんはそれぞれの反物を手にしていたが、花車と大輪の華が描かれている紺色の反物を手にして横顔からでも分かるほど優しい瞳を微かに浮かべた…が。
 ふと何かを思い出したような顔でこちらを見つめて手招いてきたので、どうしたのですか、と問い返す前に彼女から小声での耳打ち。

「少し内密の話があるのですが、人払いできます?」

 氷雨さんからの内密という言葉を聞いて僅かに目を伏せたあと、反物を運んできていて今は静かに正座して待機中の左門次へ顔を向けて声をかける。

「こちらは決まり次第採寸についての細かな打ち合わせになりますから、あなたはその間に女主人へ最近始めた例の事業について話してみてきてください」
「承知いたしました」

 事業については元々話すつもりでいたため、彼もすぐに床へ手をつき頭を下げてしまうと座敷から出ていく。
 こちらがそうやって人払いしている間に、氷雨さんもまた座敷に滞在していた自分付きになっている少女へ声をかけて一度座敷から退室させた。
 座敷には氷雨さんとわたしの二人きりになったところで、彼女はそれでも小声で切り出す。

「葉茶屋高見は存じていると思うけれど、一昨日御当主様がいらっしゃった際に娘様が厄介ごとに巻き込まれているとお困りでしたの」

 葉茶屋高見はもちろん知っている。
 最近売り物の茶葉を使用して、ゆったりと長椅子に腰掛けて過ごせる語り合いをするための茶屋も新規展開し始めた大きな老舗の店だ。
 そこの当主には会ったことないが大きな店なために名前は知っていたので、店の外観を頭に思い描きながら彼女がこちらへ伝えたいことを先に理解した。
 ……が先にそのことには触れず、続きを聞く。

「貴女の目は糸が見えたわよね」
「はい」
「切ることは可能でしたね?」
「可能でございます」

 淡々と短く返して頷いた。
 それを聞いて、彼女は姿見の後ろに置いていたらしい琴を引っ張り出すと、弾くためのべっ甲の爪を一つ手に取り、わたしの左手を手に取るとその爪をそっと手のひらに乗せる。
 本来の茶色とは少し色合いが異なり、珍しく赤が強いそのべっ甲の爪には指に固定するための黒い紐が付いている。先が丸くて珍しいと見つめていると、氷雨さんが言葉を続けた。

「はつなの力については伝えておりませんが、その困りごとを解決できる方を知ってるかもと話してありますの。葉茶屋高見の御当主様へお会いに行っていただけないかしら。そのときにこの爪を見せていただければ、氷雨からの紹介と気づいてもらえますわ」
「……分かりました」

 彼女へ笑いかけ、べっ甲の爪を乗せる左手に右手をそっと乗せて包む。

「こちらをお借りしても問題ありませんか?」
「予備があるので大丈夫でございますよ」

 にっこりと柔らかく微笑んで頷いた氷雨さんは同姓の自分でも見惚れるほどの美人だから、男からすれば目を離せないし自分のために何かしてもらいたいと考えるだろうなとつくづく考えてしまう。
 女を買う男など基本的に信用ならないが、氷雨さんは身を売らず芸だけで人気の遊女と淡海屋の女主人から聞いたことがあったので、少なくとも彼女の元へ来る人は聞き惚れるほど上手いという琴の演奏と歌を堪能したいがために通うのだろう。
 その商売道具の一つを、紹介するためと予備があるとはいえ貸してくれるというのだから、流石に応えなければならないなと覚悟を決める。
 改めて気持ちを切り替えると、彼女が触れてから目を離さない紺色の反物にわたしも触れて笑いかける。

「今回はこちらになさいます?」
「え、えぇ……、そうね。たまには良いかもしれませんわね」

 一瞬動揺したが、氷雨さんはそれでもすぐに気持ちを立て直して目を細めた。
 早速採寸についての言葉を交わすが、以前に注文で小紋を作っているのでその上から羽織る打ち掛けであれば微調整だけで問題なさそうだ。
 とはいえ、一応仮縫いで確認は必要だなと考えてから完成時期に思い至り、彼女へ提案する。

「出来上がりが三ヶ月ほど先になりますし、時期的にちょうど寒くなる頃ですから打ち掛けの中に綿を入れて暖かく致しましょう」
「助かります」
「紺色に思い入れでも?」

 赤や黒などの色合いを好きな人が選んだものだったため、広げていた反物を片付けながら何とは無しに尋ねてみる。
 反応がないことで顔を上げると、ほんのりと赤い頬で真紅の口紅を乗せた口元を抑え、唇の左下にある黒子が細くて白い指の隙間から見えた。目線は窓を向いている。
 だが、その目に映るのはたぶん目の前にある窓ではない。

「……あの方の好きな色、ですの」
「そうでございますか」

 立場上名前を言う事などできないだろう彼女が、それでも普段は胸の内に秘めている想いを呟いたことにわたしはただ微笑む。
 普段は冷めた表情の彼女が珍しく恥ずかしそうな様子で、慌てて話題を変える。

「は、話しは変わりますが、例の事業とはなんです?」
「古くなった袖の引き取りを始めました。引き取る際に新しいものを購入いただければ、半額にいたしますよ」
「それならば、かなり傷んできた袖があるの。お願いしようかしら」

 明るい表情となり手をパチリと叩いた氷雨さんの言葉に「ぜひ」と笑顔で頷いた。
 
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