縁切り女郎

白井はやて

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4.切れる糸

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 強引に戸を開けた宗近さんがそのまま他人の家へ押し入ろうとしていたため引き止めようと駆け寄ったところで、室内が見えた。
 明るい外とは違い、想像以上に暗い小さな長屋の中に力なく座っていたのは一人の女。
 不健康に見える細い体に、乱れた髪。褐色の小紋。
 こちらを見たぼんやりとしている黒い虚ろな瞳が、戸の前で佇むわたしたち二人を認識したと同時に大きく見開かれた。
 見つめる先は宗近さんで。

「貴様、何しに来た!!」

 怒りのあまり思った以上に大声で女が叫んで立ち上がった。
 知り合い? と思わず彼を見上げるが宗近さんは女から目を離さない。
 呟く声が聞こえてくる。

「あの男じゃない…?」

 混乱した様子で宗近さんは女を見つめたままだ。
 そんな僅かなやり取りの間に女は怒りに任せた足音を大きくたててこちらへ向かってきて、外へ飛び出してくるなり宗近さんの小紋の襟を無理やり掴む。

「お前の妹のせいで!!」
「な、何を…それより手を離せっ!」

 手を振り払い、歪んだ襟を整えながら相手をきつく睨みつける宗近さん。
 自分を振り払った彼を鬼のような形相で睨みつけている女。……と考えていたら、今度はわたしを睨みつけてきた。
 ズカズカと裸足で近寄ってくるなり、上から下まで全身を見て鼻で笑われてしまう。いつの間にか、怒りの顔が小馬鹿にしたものとなっていた。

「あんたも、そんな見た目であの人に用でもあるのかい? 相手にはされないからさっさと帰りな」

 ここにもこの紬の価値が分からない人がいるなあと呆れつつ、彼女から目を外して奥の室内を見る。
 指抜きを通して見てはいないのに、黒いように感じられた。
 たぶんあの黒い糸が部屋の中で渦巻いている。きっとこの人は憎悪の糸を遠慮なしに周囲と紅樹さんへ向けているのだろう。

「そうですね」

 にこりと笑い、宗近さんの袖をつんつんと軽く引き促す。

「帰りましょう」
「だ、だが……」
「は!? 帰れと言ったのはあんただけでそっちの男まで逃げるのかい!? 人の家へ押しかけてきたくせに!!」

 再び怒りの顔で女は手を固く握りしめてそう叫んだ。
 そして感情のまま宗近さんへ罵詈雑言をぶつけていく。

「あんたの妹のせいで! うちの人がアタシに見向きもしなくなったんだっ! 人の男に手ぇ出すやつなんざ死んでしまえ!!」

 悲鳴のような怒り混じりの絶叫で、長屋にいたらしい人々が戸を僅かに開けて様子を窺ったり、遠く離れた場所からこちらを警戒していることに気がつく。
 どうしたものかと悩んでいたちょうどそのとき、女が相手を罵倒する言葉を吐いた。

「あの女は男に色目ばかり使う売女だっ!」
「……っ聞き捨てならないな、妹はただあの日店番で外に立っただけだ…! あんたの旦那か知らないが、勝手に寄ってきて声をかけて、紅樹は心労で寝込んでいるってのに…!!!」

 それまで耐えていた宗近さんも妹への侮辱に堪忍袋の尾が切れて、怒鳴り返す。
 徐々に弱っていく大切な妹をそばで見ていれば、怒りが湧くのも当たり前だ。
 ただこうなると、わたしにはもう止めようがない。これだけの怒りを抱えた相手を冷静に止めようとしたところで、言い合いが止まるはずがない。
 一息ついてから、そっとその場から移動して、女の家の中に足を踏み入れた。
 室内はやはり黒い。
 指抜きを使って見た室内は思わず身震いしてしまうほどの糸で埋め尽くされていた。まるで蛹の繭の中にいるかのように。
 振り向き見た女からは黒い糸が溢れるように湧いて、高見の屋敷へと繋がる黒い糸が徐々に太くなっていくのが指抜きを通して確認できる。これはもうさっさと終わらせなければ、紅樹さんも目の前で毒を吐く女も無事では済まない。
 準備していて良かったと安堵のため息を胸の内でついて、袖から小ハサミの入った木箱を取り出し、箱を開ける。
 中には、小さな糸切りハサミ。それを左手で持った。
 指抜きは右手で挟んで持ち、どこを切ろうか指抜きを通して女を見た。
 頭上辺りから常に湧く黒い糸。
 それが束となり、細いはずの糸は絡まり太く変化していき、そして女から屋敷のある大通り方面へ伸びていく。どこを切ろうかと確認していると、辿った室内の糸は途中で他より細い箇所があった。
 その細い糸の中に赤い糸も紛れている。きっと女が、うちの人、という男へ向けた愛情だろう。
 話を聞く限り、男から声を掛けているのだから浮気性なのかもしれない。
 女はその浮気性に翻弄され、嫉妬に狂っている。この浮気からの嫉妬で何人の女性が苦しめられたのだろうか。
 怒りを向けるべきは相手の女ではなく、浮気を実行しようとする男へのはずなのに。
 その男へ向けた赤い糸も切るのは容易。
 だが本人が望んでいないのに切ってしまうことをしてはいけない。
 細く絡むような黒い糸の中から指抜きを通して赤い糸を見つめてから、「切るのは黒のみ」と胸の中で左手のハサミへ向けて願い、刃を開き。
 目を閉じて、はぁと小さく胸の内で息を吐く。この瞬間はいつも緊張する。
 腹を決め目を開けると、ちょきん、と音を立てて黒い糸を切った。
 それまで戸の前から聞こえていた激しい怒鳴り合いがぴたりと止まり、わたしは二人のいるほうへ目を向ける。

「…………」
「…おい?」
「……」
「はっ!?」

 窺う宗近さんの声にも反応しなかった女は突然意識を失って倒れ込み、彼は思わず支えの手を伸ばした。
 混乱している彼からまた目を離し、小ハサミを木箱へ仕舞うと、今度は指抜きを通して室内を見回す。
 ずっと張り巡らされていた黒い糸が光へ溶けるように消えていく。
 女から伸びていた糸も、室内を埋め尽くしていた糸も、そして高見の屋敷へ伸びていた糸も全て。
 光に溶けて、見えなくなった。
 残ったのは細いけれど確かに存在する赤い糸のみ。
 できうるなら、もう黒い糸を生み出すような状況にならずに済むよう願って、ほお、と息をついたところで宗近さんがわたしに戸惑いの声を掛けてきた。

「おい、どういうことだ?」
「紅樹さんへ向けていた憎悪を断ち切ったので、彼女の心を奮い立たせていたものが消えてしまったんです。そのために意識を失いましたが、じきに目を覚ましますから中で寝かせてあげましょうか」
「…帰りの道中で詳細を聞かせてくれ」
「では高見のお屋敷で、御当主様と共に」

 その言葉に宗近さんは怪訝な顔を浮かべてはいたものの、女を支えながら長屋の中に移動すると優しく横たえさせた。
 顔色は最初会ったときより少しばかり赤みが戻ってきているように見える。
 静かに寝息を立てている女の近所の人らしいふくよかな女がやって来て寝顔を覗き込みながら「これは大丈夫なのかい?」と不安げな様子で問いかけてきたので、

「この方、最近お疲れだったのでは?」

 問いかけには答えず、あえてこちらから質問を向ける。
 ふくよかな女は隣の長屋だったらしく、走り寄ってきた幼子の頭を撫でながら、

「あの子の旦那が浮気を繰り返すもんだから、夜眠れていなかったようだよ」
「浮気相手にされそうになった身内のため浮気性の旦那へ苦情を伝えに来たところでしたが、眠れていなかったのであれば疲労の極地だったのかもしれませんね」

 そう返しつつ苦笑いを浮かべたあと、ふくよかな女へ頭を下げて室内から外へ。
 戸惑いながら宗近さんも付いてきたが、そんなわたしたちへ女が背後で眠る女を気にしながら声をかけて来た。

「起きたら、あんたらのことを伝えておいたほうがいいかい?」
「いえ、また別の機会にいたしますのでお気遣いなさらず。ありがとうございます」

 軽い会釈を返し、路地裏の長屋から出ると、高見の屋敷へ二人で向かう。
 通りを歩きながら時折足を止めて黒い糸が残っていないか確認した。さっきの女から伸びていたものはなさそうで、これで大丈夫だろうと一安心してから歩き出したところで、背後を言葉なく歩いていた宗近さんが声を掛けてきた。

「これで紅樹に元気は戻るのか?」
「弱っていた期間がありますからしばらくは引きずると思いますが、今までと違って元気になっていくかと」
「……そうか」

 相槌をうつ声が沈んでいるように感じられて答えてあと振り向き、足を止めた。
 そこには俯いている宗近さんがいて、項垂れている。
 大事な妹の紅樹さんが元気になるというのに、何故こんな顔をしているのだろうと首を傾げたところで、彼から理由が告げられた。

「それが本当ならば、これほど嬉しいことはない……が。本当だったら、私はかなり貴女へ失礼な言動を繰り返してしまっている…よな」
「それはお気になさらず。素性のわからぬ女を警戒することも、心配のあまり激情を露わにしてしまうことも、当然です。わたしも弟妹がおりますから」

 頷いて微笑むと、申し訳なさそうにしながらも彼が微かに顔を傾けて目を閉じて苦笑い。

「さあ、高見の御当主様のおられる屋敷へ急ぎましょう」
「そうだな」

 促しながら歩き出すと、宗近さんもまた足を進め出した。


 
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