縁切り女郎

白井はやて

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3.糸の先

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「編んでいるとはいえ結うことさえできない短い髪でこんな古めかしい小袖を着た女を、何故紅樹の私室へ連れて行くのですか! 危険極まりない!」

 鼻立ちの整った外見。
 真ん中で分けた黒い前髪は少々長いために隙間から見えた気の強そうな黒い瞳がなお一層鋭く見える。
 高見の当主を父と呼んだ息子と思われる男がこちらへ遠慮のない大きな足音を立てて近づいてきて、横を通り抜ける際に鋭く睨んできた。
 頭ひとつぶんほどではないにしても背の高い息子は父である高見の当主も強く睨んでいるようだが、その父は呆れた目を浮かべつつも厳しい声を発した。

「…古めかしい? お前はもう少し反物の勉強をするがいい。彼女が身に着けているのはワシと同じ紬だ」
「……」

 高見の当主の言葉を聞いて、息子がこちらへと目を向けた。
 だがそれでもわたしを見る非難に満ちた訝しげな目に変化はない。
 
「それにどこの誰とも、というわけではない。彼女は千石呉服店の跡取りだ。顔を合わすのは初めてだが、千石の名はもちろん知っているだろう。そんな彼女が品のないものを着るはずがない」
「…………はい」
「宗近」
「……失礼な言葉を浴びせてしまい申し訳ありません」

 太い腕を組み、息子の名を呼ぶ高見の当主の声は怒りに満ちている。それは息子である宗近と呼ばれた彼にも伝わったようで、眉間を寄せて目を固く閉じたあと、真っ直ぐに見つめてきてから謝罪を口にしてきたため、苦笑を返す。

「お気になさらず。そうですね、確かに若い女性が着るような愛らしさのある小袖ではありません。花が描かれているとはいえ抽象的ですし泥染めで暗い色合いですから思い違いをしてしまいますよね」

 最近ようやく肩を超えたために三つ編みするようにはなれた髪はまだ頭の上で結えるほどの長さには足りない。
 身に付けている紬も黒ではないにしても暗い色と、花に見えにくい四角い形をした模様は、これだけ大事にしている妹と比べたら驚くほど真反対なもののはずだ。
 仕事であれば失礼のない格好をするのは当然のことではあるものの、価値に気付けない人だってやはりいるわけで、非難されたところで特に気にもならず。
 笑顔で宗近さんを見上げて、歩き始めた高見の当主を追いかけるため頭を下げてから足を進める。
 通り過ぎ背後になった宗近さんはしばらく動かなかったが、足音が聞こえるようになったため追いかけてきたようだ。
 そうして三人で当主の娘である紅樹さんの私室へたどり着く。
 声をかけて障子を開けると、それまであった肌にまとわりつく感覚がこの部屋からだと気付かされた。
 居心地が悪いというべきか。
 それとも見知らぬ誰かが自分を勝手に触れているかのような、奇妙な気持ち悪さというべきか。ぞくりと寒気のした自分の体を思わず両手で抱きしめる。
 室内は普通に見た限りではただ青い顔をした紅樹さんが布団へ横になっているだけだ。
 日中だというのに薄暗く、空気が重い。
 廊下からでもそれは感じられて、妹の名を口にしながら遠慮なく室内へ足を踏み入れる宗近さんの背を見てから、廊下で佇む先ほどよりも困惑の表情を浮かべた高見の当主を見上げて尋ねた。

「指抜きを通して室内を見てもよろしいですか?」
「頼む」

 左の手で握っていた指抜きを指で摘んで、右手のひらで右目を覆った。
 その動作を横で見ていた当主が微かに首を傾げたため、

「覆うほうがはっきりと見えるのです」

 目を細めて説明してから改めて指ぬきを通して、青白いとはいえそれでも容姿の整った可愛らしい紅樹さんの部屋を見た。

「…………」

 ああ気持ち悪い。
 見た瞬間、素直にそう頭の中で呟いた。
 きっと部屋の持ち主である紅樹さんも足を平気で踏み入れた息子の宗近さんも、この状況を知ることができるならば悲鳴をあげたくなるだろう。
 …私室はかなりの量の黒い糸で埋め尽くされてきていた。
 まるで蜘蛛の糸のように張り巡らされ、紅樹さんの腕や足にきつく巻き付いている。
 獲物を見つけて弱るのを待っているかのようだ。
 その黒い糸は獲物であるだろう紅樹さんだけでなく他の部屋にも伝って向かおうとしていて、私室から廊下を進み出していた。それらはまだ細いが、じきにこの屋敷を覆っていくだろう。
 そして数本の糸が私室から庭を通り、外へ伸びている。
 それらを指ぬきを通して確認し、向きを変えて垣根を越えた外へ指ぬきを通したまま目をやった。
 外へ伸びているのではなく、外からここに伸ばされているようだ。
 つまりこの糸を辿れば、あの気持ちの悪い葉書を出している人物を特定できるだろう。
 仮に特定できれば、糸を切ったあとに人物がどう変化したか確認はできるはず。

「……どうかね」

 不安げな高見の当主の問いかけに、見上げて頭を左右に振った。 

「黒い糸が、……びっしりと室内を埋め尽くしています。この中にいれば体だけでなく心も憎悪や恨みに引きずられて沈んでいってしまうかと」
「どうすればいいか問うてもよいかな」
「切るのは容易です。ですが、この憎悪を向けている相手との繋がりが本当に断てたのか、例の葉書を出している人物を特定して確認せねばならないかと。もちろん相手の特定は糸を見えるわたしが行いますので、今から見つけて参ります。早めに対処しなければ、紅樹さんは弱る一方ですから」
 
 その言葉の意味を理解した高見の当主は初めて見るほど悲痛な面持ちを浮かべ、無言で頭を下げて。
 顔を上げるなり、息子である宗近さんへ声をかけた。

「宗近、はつなの護衛をしなさい」
「えっ…」

 暗い表情で弱りきった様子の妹である紅樹さんから目を外し、振り向きこちらを見た彼はかなり驚いた顔を浮かべている。
 状況に頭が追いつかない不安や焦りもあるだろうか。
 そんな彼の様子に気づいているはずの高見の当主は意に介さず続けた。

「弱いとはいえ剣道を学んでいるだろう。何事もないことが一番だが、紅樹を助けるために動いているはつなを守るように」
「わ、分かりました」

 戸惑いつつ、宗近さんは頷く。
 それを確認してから、高見の当主は改めてわたしを見つめてから。
 悲しげに目を伏せた。

「娘を頼んだぞ」
「もちろんでございます。御当主様も、この件に関して内密にお願いいたします」
「承知した」

 高見の当主へ頭を下げてから、まず屋敷から出てこの黒い糸を辿らなければいけないと考えて、屋敷の外へ向かうため歩き出す。
 父親からの指示で宗近さんもまた後ろをついてくる。
 廊下を進み、店の外へ出て、紅樹さんの私室近くにあった庭の垣根の外に立つと指抜きで様子を見る。
 少し先に屋敷側から出ている黒い糸は立っている場所から見て緩やかに左奥へと曲がっていっている。糸は道に合わせてはおらず、通り沿いに立っている店の屋根へと上がり、どこかへつたっていた。
 それらを指抜きを通して確認してから、道を歩く。
 時折足を止めて見直し、糸の方向を確認。
 宗近さんはそんなわたしをただ無言で眺めて、言葉をかけてくることもなくただ付いてきている。
 昨日訪れた淡海屋含む遊郭街は広いこの町の右区画に位置しており、その遊郭だけを囲う壁から外ではごく一般的な生活をしている人たちが暮らしている。どちらかといえば近くの山の土が扱いやすいということで陶工などの職人が多い町だ。
 そんな職人たちの生活必需品を扱う店が集まりだし、町が大きくなり、そのうちに遊郭が出来上がった。
 職人の多い町とはいえ、当たり前だがその家族だって住んでいて、長屋住みも多いと聞く。
 町の左側、遊郭の反対辺りにはそんな家族連れの長屋が多かった。
 糸の方向を何度も確認しながら、町の左区画にある家族連れの多い長屋方面へ足を進め、そちらへ近づくごとにピリピリと肌に違和感を感じるように。
 ふと見ると、宗近さんも糸が見えないにしても微かな触感はあるようで手のひらを擦っている。

「何か感じます?」
「…………肌に、綿毛でも付いているような…変な違和感がある」
「糸ですよ」
「え」
「この辺りはもう周辺に糸が張り巡らされつつありますから、歩くたび顔や手足に触れます」

 眉間を寄せて宗近さんは手や足をパタパタと払う。もちろん現実には何も付いていないので、払ったところで糸の感覚はたぶん取れないだろう。

「……その糸はどこからきている?」
「そこの長屋が出所のようですね」

 広めの大通りから細い路地へと入った先にある、数軒の長屋が集まった裏長屋の中の一軒を指差した。
 指抜きを通してみると、黒い糸が内部から湧くように長屋の上空を舞い、辺りへと散らばっていく。
 その光景を気持ち悪いなと思っていると、隣から震える声で問いかけられた。

「……つまりこの長屋の者が紅樹を?」
「可能性は高いです、……が断言は」

 できないと言いかけたわたしより先に彼は遠慮なしに指差した長屋の戸を思い切り開け放った。
 

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