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2. 知人の友人は優しい
しおりを挟む冬も終わって春がそろそろ訪れるような季節。
ジャスパやベリルの姿は酒場で話していたひと月ほど前から町や酒場で見かけることはなく、二人で冒険者の仕事をしているんだろうということはその仕事をしていないアゲートでさえ想像がついた。
約百二十年ほど前、冒険者という職業が国の制度として出来てから、多くの人がその職についている。
その職に就いてはいなくても、酒場にやって来る冒険者たちからある程度の一般的な情報は仕入れることができた。
ギルドに仕事の依頼を出し、それを冒険者たちが依頼主に代わってやってくれる。説明すれば、仕事としてはごく単純だ。
そんな冒険者にあの二人が就いているならば、会うこともそうそうないだろう。
特に白の混じったような金髪の男ジャスパはその冒険者としてはまだ新人の部類だというのに、ランクをがんがん上げている有名人。酒場でもその名をよく耳にする。
指名依頼なんてものもあると聞くから、あの日以来見かけないところから想像すると、他の冒険者より段違いで忙しいのかもしれない。
いつものように酒場で注文された料理を運びながら、いつものように忙しなく動き回る。
この酒場は人気店だからとにかく訪れる人も多く、おかげでアゲートのもう一つの仕事もそれなりに繁盛だ。
ただ続けて変な客に当たった上、数日前の男は厄介極まりなかったため体もだがそれ以上に精神的に疲れていて。
頭の片隅でずっと考えていたとはいえ、やはりそろそろ夜の仕事は辞めどきかもしれない。
「アゲート~、今夜どう?」
「ごめんなさい。ちょっと体調優れなくて、最近断っているの」
顔はいいのに酒癖がかなり悪い男に声を掛けられても、アゲートは断りを入れて軽く頭を下げた。
きちんと休まなきゃ、色々と保たないかも。
はふと小さくため息を吐き出してから、まだ忙しい酒場の給仕仕事に戻った。
仕事を終えて酒場から出ることができるのは、日付が変わる頃。
酒場の外に備え付けられているテーブルと椅子にはいつも誰かしら人がいる。
店内で呑んだあとに酔っ払ったまま寝ていたりもするが、彼女にそんな男たちを介抱する責任はないので声掛けもせずスルーして通り過ぎる。
それもいつもと同じだったのだが、今日は違った。
通り過ぎてすぐ、腕を掴まれた。
ぎょっとして振り向くと、テーブルに突っ伏していたのは、さっき声を掛けてきた男ということに気がつく。
顔はいいのに、酒癖がやたら悪い。飲んだときだけ威勢の良さが上がって、しかも周囲の人に絡む。
仕事をしているというのに絡んでくるものだから、アゲートとしてはどちらの仕事をしていてもあまり関わり合いになりたくはない男が、酔っ払った赤ら顔で人の腕を掴んだまま椅子から立ち上がった。
「体調優れねぇってのはよぉ、断るための方便ってやつだろ?」
「いえ、本当に調子悪いの。ごめんなさい」
目が据わっている。
こういう男には当たり障りのない言葉を選んで切り抜けるしかない。
少なくとも表面上は申し訳なさを装って答えるが、男は腕を離してはくれない。
「ため息ついちゃってまあ、お前ごときが相手を選べるなんて思っちゃいねぇだろうなぁ」
「思っていませんよ」
疲れからくるため息を、変な風に受け取られてしまったらしいことに気がついて苦笑いを浮かべたままでやんわり腕を離そうと試みる。
外せそうにない。しかも酔って力加減ができないようで、掴まれた腕が痛い。
どうすればいいだろうか。
体調が優れないのは変わらないが、相手をしたほうがすんなり離してくれるような気もして、胸の内で諦めのため息をついた……ときだった。
「何してるーよ?」
こんな夜中に通りすがりらしいベリルがこちらを見ていて、一瞬だけ「助けて」と縋りたくなった。
だがこのベリルに縋ったところで、男が掴む腕を離してくれるとは限らない。
彼が助けてくれるとも限らない。
今後のためにも相手をしたほうが一番安心安全だろう。迷惑をかけるのも何を引き換えにされるか分からないから嫌だ。そう結論に達してアゲートは赤ら顔の男へ口を開きかけた、が。
それより先にベリルが、男の腕を掴んで割って入った。
一瞬の間のあと、ベリルが楽しげな声で一言。
「……こわ~~い彼女がいるーね?」
「!!」
その言葉を聞いた男が、びくっと体を震わせる。
赤かった顔色が一気に青ざめた。
「見てたらどう言い訳するーよ?」
「い、い、居ないはずだ! こここ、こんな時間に、か、かの…っ!!」
男が慌てて周囲を見回したので、ベリルはこれ幸いとアゲートの手を握ってさっさとその場から離れた。
酒場からどこへ向かったか分からないように通りから細道を入り、何度か曲がり、細い路地の影でベリルはようやく掴んでいたアゲートの手を離して振り向くと口元で笑みを浮かべる。
動きに伴って綺麗な長い赤毛が背中で揺れる。
色のついたメガネのせいと夜の暗闇で目を細めたはず、ということしか分からないが、彼の声の調子は明るい。
「ここまで来れば今日のところはさすがにあの男も諦めるーね」
「あ、ありがとう……助かったよ」
怪しい変な喋り方をしているが、信頼しても良さそうだなんてアゲートは頭の中で思わず呟く。
だって掴んだ手の握り方がさっきの酔っ払い男と比較することさえ失礼なほどに、優しい掴み方だった。
色のついたメガネではっきり分からないが、口元が綻んでいるからきっと表情は笑顔だ。
「でもなんであんなところに?」
「ギルドへ用事あったーよ、だから今から改めて向かうーね」
「そうなんだ、邪魔しちゃったね。えっと……」
ベリルという名だったはず。聞いたから自信はあったのに、いざ呼ぼうとすると名前が間違っていないかと一気に自信が喪失していた。
「ベリル」
「うん、改めてありがとうベリル」
「気にしないでいいーね。……家には帰れる?」
一瞬だけいつもと違う優しい口調を聞いた気がしたが、大きく何度か頷いたアゲートを見てギルドへ向けて立ち去ろうとしたので、「あ」と思わず引き止めるような声を出してしまった。
慌ててアゲートは口を抑える。
何事かと振り向いたベリルへ、彼女は気づかれないように深呼吸してから切り出す。
「ウチはアゲートって名前。酒場来たら、声かけてよ。お礼に何か奢るから」
「ああ、そうするーよ」
手をひらりと振ってベリルは背中を向けて歩いていき、通りへ姿を消した。
ここからは家も近いから、安全。現在いる北西部の住宅街は細い路地は住人でもないと迷子になるほど入り組んでいて、追いかけてくることもなかなか難しい。
そういえば助けてと言ってもいないのに助けてくれた。
夜中とはいえ用事があったから外にいたわけで迷惑をかけただろうに、引き換えに何も要求されなかった。
変だけど優しいのかもなんて感想が頭に浮かんで、ふと口角を持ち上げる。
本当に疲れていたからゆっくり休めそうだ。
ほっと胸を撫で下ろして、何を奢れば見合うお礼になるだろうかと考えながらアゲートは家路を急いだ。
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