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7 かつての何か
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どこへ行こうかな、なんて。勝手に拝借した傘をくるくると回しながら歩く。
静かに降る雨の中、傘の表面に落ちる雨粒の音が何かの歌のように聞こえて、それは少しだけ俺のささくれた胸中を癒してくれていた。
「……がんばったじゃん、俺」
ぽつりと独り言が漏れる。
寂しい反面、本当によかった、と心の底から安堵もしていた。何も覚えていなくても、あいつから吸血するだけで済んだから。
まかり間違っても、逆のことをしなくてよかった。それは、俺が一番望んでないことだ。
「さてと、どうしようかな。こないだの家はもう使えねぇし、こんな街中じゃ夜は明るすぎるし」
俺の言葉を裏付けるように、にぎやかなネオンの灯りが点滅する。
昔はもっと静かで、俺みたいな夜の者でも生きやすかったのになぁ、なんて苦笑した。こんなにも夜が明るくなったのは、人の恐れからなのかもしれない。
そう、本来人は暗闇を恐れる生き物だ。だから火を見つけ発展させ、こんなにも夜を明るくした。
なのに、あいつは。何も恐れることなんかないって顔をして、俺を抱くから。
「……あーあ……まぁ、仕方ねぇんだけどさ。成宮の気遣いにも感謝しねぇと」
一緒にいたかった。俺は吸血鬼であいつは人間で、たとえいつか絶対に別れがくるとしても、そのときを見ていてやりたかった。
そうしたら、俺はまた眠りについて、永遠に近い時すらも思い出を夢にして、まどろんでいられたのに。
「贅沢、だよなぁ」
わかっている。俺の望んだそれは、ひどく贅沢なことで。
少しだけでも、この半年ほどの間でも、何のしがらみもなく、ただただあいつの側にいられたことを嬉しく思わなければならないんだ。
薄情なことに、どれだけ寂しくても。離れた温もりが欲しいと思っても。長い年月を生きてきた俺の涙は、これっぽっちも浮かんできてはくれなかった。
「……この際、離島にでも行くかな。さすがにあいつも追ってこれねぇだろ」
そんなことをつぶやきながら、まだ止まない雨の中を歩く。
幸せだった。こんなに幸せでいいのかと思うほどに、幸せだった。
俺があいつを好きだと思って、あいつが俺を好きだと言ってくれて。そんな夜から、数か月。昼夜逆転の日々ではあるものの、まるで普通の恋人同士のように過ごしていた。
仕事をして、食事に行って。帰ったらシャワーを浴びて、同じベッドで眠る。
あの夜の前と何ら変わらないはずの生活は、ずいぶんと暖かく感じられた。
吸血するときもあるし、しないときもある。だけどそこに大した違いはなく、あいつは嬉しそうに俺を抱く。
整った顔を柔らかく緩めて、甘ったるい言葉を散々囁いて。それだけで俺は、抱き着いて強請るしかできなくなって。
そうすると、あいつはまた笑った。ひどく、嬉しそうに。
幸せだった。嬉しそうな顔が見られることが、嬉しかった。
そんな日々が終わる足音がしたのは、いつものように仕事に出た時のことだ。
「はあ?なに、近くまできてんのかよ。いやこっちはもう終わったぜ」
携帯電話に向かって槙斗が言う。相手はいつも通り、東京支部のリーダーである成宮だ。
実際に会ったことはないものの、槙斗を覗く数人のことも多少は聞きかじっていた。
「んな急に……わかったって、じゃあそっちに向かうわ」
「どした?」
ため息をついて電話を切った槙斗に問いかける。かいつまむと、どうやらもう一体の討伐対象が近くに出現した、ということらしい。
「で、成宮がそっちに向かってんだと。でも俺のほうが現場近いから、念のため先に向かっておいてくれって言うんだわ」
「じゃあ、俺は行かないほうがいいよな。先帰ってようか」
一応、俺の存在は秘密のはずで。そう言うと、槙斗は微妙な顔をした。
「俺としては、もう話していいんじゃねえかと思うんだけどな。実際、俺らに協力してる吸血鬼の存在だって、ないわけじゃねえし」
「……俺は、お前の判断に任せるよ。とりあえず様子見ってことで近くにいてもいいし」
俺の存在で影響があるのは、俺自身よりも槙斗の方だ。だから、どうするかも彼が決めてくれて構わなかった。
「……成宮にだけは言っとこうかと思う。んで、そこから先はリーダー様の判断」
「ん、わかった。じゃあ俺、近くにいるから。話終わったら呼んで」
「おう」
笑って言って、二人で言われた辺りまで移動する。だいたい、一駅分あるかないかの距離で、なるほど近い、と感心した。
「最近、多くね?」
「そうだな」
言いながら歩く。俺が起きてから約半年、思ったよりも不定型や変化型の数が多いとは思っていたけれど、ここひと月ほどはそれに輪をかけて多くなっている気がした。
「なんか原因とかわかってんの?」
「その辺は今結城が探ってくれてるわ。俺らはとにかく、人に被害が出ねえようにすんのが最優先」
同僚の名前を出しながらの答えに、それはそうだ、と頷く。
ほどなくして指定された公園に着くと、俺は入り口近くの木の下にいることにした。
少しの騒音と時間が流れ、槙斗がこちらへ駆け寄ってくる。手招きされたので、行ってもいいということだと判断し、そちらへ向かった。
「こいつがさっき話したやつ」
「ああ、話は――」
軽く頭を下げた俺の顔を見て、なぜだか微妙に強張った表情になる。
俺や槙斗より小柄ながら、服の上からでもわかるしっかりと鍛え上げられた体。意志の強そうな唇は、何か言いたげに開くもまた閉じられた。
「アル、こっちが成宮。成宮 亮。東京支部で陣頭指揮も取ってるし、こうやって現場にも出てるんだ」
「お話はかねがね」
「……あ、ああ。こちらこそ、いろいろ協力してもらってるみたいで」
多少の不信感は仕方ない。あまり顔を合わせていてもいいこともないだろうと思っていると、目の前に成宮の右手が差し出された。
握手ということだろうかと、俺も右手を差し出す。軽く握った後、微かな声が聞こえた。
『話がある。今日の深夜、またここに来てほしい』
少なからず俺は驚いた。できるだけ顔には出さないようにしたが、彼は俺たち吸血鬼特有の、超音波に近い声色で言う。
『槙斗には知られないほうが、そっちにとってもいいと思う。お前がもしも記憶がないなら、の話だが』
『……わかった』
なぜ彼が俺の記憶のことを知っているのか、謎ではあったが単純な好奇心もあった。にこりと顔は笑ったまま頷いて、手を離す。
「そんじゃ、また。悪かったな、急に手伝ってもらってさ」
「別にいいって。お前にアルのこともちゃんと紹介できたし」
「……そうだな。お疲れ」
槙斗と会話を交わし、ひらりと手を振って踵を返す彼の背を見送った。不思議に思いながらも、何故か魅力のある人物だと思った。
静かに降る雨の中、傘の表面に落ちる雨粒の音が何かの歌のように聞こえて、それは少しだけ俺のささくれた胸中を癒してくれていた。
「……がんばったじゃん、俺」
ぽつりと独り言が漏れる。
寂しい反面、本当によかった、と心の底から安堵もしていた。何も覚えていなくても、あいつから吸血するだけで済んだから。
まかり間違っても、逆のことをしなくてよかった。それは、俺が一番望んでないことだ。
「さてと、どうしようかな。こないだの家はもう使えねぇし、こんな街中じゃ夜は明るすぎるし」
俺の言葉を裏付けるように、にぎやかなネオンの灯りが点滅する。
昔はもっと静かで、俺みたいな夜の者でも生きやすかったのになぁ、なんて苦笑した。こんなにも夜が明るくなったのは、人の恐れからなのかもしれない。
そう、本来人は暗闇を恐れる生き物だ。だから火を見つけ発展させ、こんなにも夜を明るくした。
なのに、あいつは。何も恐れることなんかないって顔をして、俺を抱くから。
「……あーあ……まぁ、仕方ねぇんだけどさ。成宮の気遣いにも感謝しねぇと」
一緒にいたかった。俺は吸血鬼であいつは人間で、たとえいつか絶対に別れがくるとしても、そのときを見ていてやりたかった。
そうしたら、俺はまた眠りについて、永遠に近い時すらも思い出を夢にして、まどろんでいられたのに。
「贅沢、だよなぁ」
わかっている。俺の望んだそれは、ひどく贅沢なことで。
少しだけでも、この半年ほどの間でも、何のしがらみもなく、ただただあいつの側にいられたことを嬉しく思わなければならないんだ。
薄情なことに、どれだけ寂しくても。離れた温もりが欲しいと思っても。長い年月を生きてきた俺の涙は、これっぽっちも浮かんできてはくれなかった。
「……この際、離島にでも行くかな。さすがにあいつも追ってこれねぇだろ」
そんなことをつぶやきながら、まだ止まない雨の中を歩く。
幸せだった。こんなに幸せでいいのかと思うほどに、幸せだった。
俺があいつを好きだと思って、あいつが俺を好きだと言ってくれて。そんな夜から、数か月。昼夜逆転の日々ではあるものの、まるで普通の恋人同士のように過ごしていた。
仕事をして、食事に行って。帰ったらシャワーを浴びて、同じベッドで眠る。
あの夜の前と何ら変わらないはずの生活は、ずいぶんと暖かく感じられた。
吸血するときもあるし、しないときもある。だけどそこに大した違いはなく、あいつは嬉しそうに俺を抱く。
整った顔を柔らかく緩めて、甘ったるい言葉を散々囁いて。それだけで俺は、抱き着いて強請るしかできなくなって。
そうすると、あいつはまた笑った。ひどく、嬉しそうに。
幸せだった。嬉しそうな顔が見られることが、嬉しかった。
そんな日々が終わる足音がしたのは、いつものように仕事に出た時のことだ。
「はあ?なに、近くまできてんのかよ。いやこっちはもう終わったぜ」
携帯電話に向かって槙斗が言う。相手はいつも通り、東京支部のリーダーである成宮だ。
実際に会ったことはないものの、槙斗を覗く数人のことも多少は聞きかじっていた。
「んな急に……わかったって、じゃあそっちに向かうわ」
「どした?」
ため息をついて電話を切った槙斗に問いかける。かいつまむと、どうやらもう一体の討伐対象が近くに出現した、ということらしい。
「で、成宮がそっちに向かってんだと。でも俺のほうが現場近いから、念のため先に向かっておいてくれって言うんだわ」
「じゃあ、俺は行かないほうがいいよな。先帰ってようか」
一応、俺の存在は秘密のはずで。そう言うと、槙斗は微妙な顔をした。
「俺としては、もう話していいんじゃねえかと思うんだけどな。実際、俺らに協力してる吸血鬼の存在だって、ないわけじゃねえし」
「……俺は、お前の判断に任せるよ。とりあえず様子見ってことで近くにいてもいいし」
俺の存在で影響があるのは、俺自身よりも槙斗の方だ。だから、どうするかも彼が決めてくれて構わなかった。
「……成宮にだけは言っとこうかと思う。んで、そこから先はリーダー様の判断」
「ん、わかった。じゃあ俺、近くにいるから。話終わったら呼んで」
「おう」
笑って言って、二人で言われた辺りまで移動する。だいたい、一駅分あるかないかの距離で、なるほど近い、と感心した。
「最近、多くね?」
「そうだな」
言いながら歩く。俺が起きてから約半年、思ったよりも不定型や変化型の数が多いとは思っていたけれど、ここひと月ほどはそれに輪をかけて多くなっている気がした。
「なんか原因とかわかってんの?」
「その辺は今結城が探ってくれてるわ。俺らはとにかく、人に被害が出ねえようにすんのが最優先」
同僚の名前を出しながらの答えに、それはそうだ、と頷く。
ほどなくして指定された公園に着くと、俺は入り口近くの木の下にいることにした。
少しの騒音と時間が流れ、槙斗がこちらへ駆け寄ってくる。手招きされたので、行ってもいいということだと判断し、そちらへ向かった。
「こいつがさっき話したやつ」
「ああ、話は――」
軽く頭を下げた俺の顔を見て、なぜだか微妙に強張った表情になる。
俺や槙斗より小柄ながら、服の上からでもわかるしっかりと鍛え上げられた体。意志の強そうな唇は、何か言いたげに開くもまた閉じられた。
「アル、こっちが成宮。成宮 亮。東京支部で陣頭指揮も取ってるし、こうやって現場にも出てるんだ」
「お話はかねがね」
「……あ、ああ。こちらこそ、いろいろ協力してもらってるみたいで」
多少の不信感は仕方ない。あまり顔を合わせていてもいいこともないだろうと思っていると、目の前に成宮の右手が差し出された。
握手ということだろうかと、俺も右手を差し出す。軽く握った後、微かな声が聞こえた。
『話がある。今日の深夜、またここに来てほしい』
少なからず俺は驚いた。できるだけ顔には出さないようにしたが、彼は俺たち吸血鬼特有の、超音波に近い声色で言う。
『槙斗には知られないほうが、そっちにとってもいいと思う。お前がもしも記憶がないなら、の話だが』
『……わかった』
なぜ彼が俺の記憶のことを知っているのか、謎ではあったが単純な好奇心もあった。にこりと顔は笑ったまま頷いて、手を離す。
「そんじゃ、また。悪かったな、急に手伝ってもらってさ」
「別にいいって。お前にアルのこともちゃんと紹介できたし」
「……そうだな。お疲れ」
槙斗と会話を交わし、ひらりと手を振って踵を返す彼の背を見送った。不思議に思いながらも、何故か魅力のある人物だと思った。
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