されど、愛を唄う

あきら

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 目覚まし時計が鳴って、半分寝ぼけた頭でそれを止める。いつもの通りに起きて、今日が休みであることを確認した。
 なんだか妙な夢を見た気がする。だけどその内容までははっきりと思い出せなくて、軽く頭を振った。

「……なんか食うか」

 一人暮らしの家で、返事があるわけでもないが言葉は勝手に漏れる。
 冷凍してあったパンを焼いて、野菜ジュースを用意した。簡素なテーブルに置いて、テレビをつける。
 画面の中では、よく目にするアナウンサーがニュースを伝えていた。

「では、次のニュースです……」

 聞き流しながら、トーストに齧り付く。ざく、という音がした。

「昨夜未明、原因不明の変死体が相次いで発見されました」

 野菜ジュースのストローを伸ばし、パックに突き刺す。

「いずれも身元は判明していますが、死因が不明なことから、警察は何らかの事件性および被害者三名の関連性が……」
 
 一口飲んで、視線をテレビに戻した。
 並べられる被害者たちの名前に、覚えはない。だけれども、心臓の周囲がざわりと揺れ動いたような感覚がした。
 
『テキトーに三人殺しておくね』

 弧を描く唇が脳裏に浮かぶ。
 白い肌。細い体。鮮やかな、声音。
 
『ちゃんと見てよね?』

 何を?俺は、何を見ている?何を見せられている?
 ぐらんと視界が揺らいで、吐き気がした。軽く頭を振って立ち上がり、空になった皿を片付けることにする。
 キッチンに置いたそれに水を流し、飲み干した野菜ジュースのゴミを捨てた。

 不意に電話が鳴る。
 緩慢な動作で固定電話の受話器を取ると、聞き慣れた声がした。

「……は?」

 思わず間抜けな返事をしてしまう。
 
『……とにかく、そういうことだから』
「そ、そういう、って」
『運が悪かったんだ。すまないが』

 何を言われているのか理解できないまま電話は切れた。
 ツー、と無機質な電子音が響く。
 呆然と受話器を見つめるも、どうしようもない。それを元の位置に戻し、息を吐いた。
 勤めていた会社からクビを言い渡されたという現実が、腹の底に収まるまでは少しの時間が必要で。

「……どういう、ことだよ……?」

 独り言を漏らし、ベッドの上へ戻り座る。働かない頭を回してはみるものの、何も答えは浮かんできてくれなかった。

「まだ、寝るには早いんじゃない?」

 突然の声に、そちらを向く。窓が勝手に開いて、するりと細い指先が覗いた。
 そのまま、ひょこ、と顔を出したと思ったら、窓から部屋の中へと侵入してくる。
 不思議と丁寧に、脱いだ靴を片手に下げてそいつは微笑んだ。

「ちゃんと見てくれたみたいだね」

 俺の肩越しにテレビを顎で指す。
 深く被ったフードの中から、悪意など何もないような笑みを浮かべた唇が見えた。
 すたすたとそいつは人の部屋の中を歩き、玄関まで行くと手にしていた靴を揃えて置く。

「……は?」

 さっきと同じ、間抜けな声が出た。
 何故だか楽しそうに振り返るけれど、相変わらずフードは被ったままで。
 
「言ったじゃん。三人、テキトーに殺しとくって」
「……なに、を」
「ね、俺のになってよ。見たんだろ?あれ」

 夢だと、思いたかった。悪い夢だと。
 
「んー?なんか、まだ信じてないって感じ」

 だけど、そいつは。
 にこにこと微笑むそいつは、目の前に存在している。
 ぞわりと背筋を悪寒が這い上がり、たぶん俺は非常に情けない顔をして、フードの中の目を覗いた。

「まあ、俺としてはさぁ。お前が信じようと信じまいとどっちでもいいんだよね」
「どういう、ことだ……?」
「だってお前以外全部壊せばそれでいいじゃん?はい、耳栓。わざわざ買ってきてやったんだよ?」

 軽い音を立てて、それはベッドの上に転がる。

「俺の歌さえ聞かなきゃ、お前は大丈夫だからさぁ……なぁ、シグルド?」
 
 ベッドから立ち上がれない俺の膝の上に跨って、くすりと笑って。
 
「……いったい、なにが……俺のなにが、そんなに」
「何が気に入ったのかって?」

 聞きたいことはそんなことじゃないのに。
 そうだなぁ、なんて言いながら、唇を舐める赤い舌から目が離せない。
 
「んーと、まず見た目が好みなんだよね。睫毛長くて鼻高くて、綺麗な顔してるしスタイルいいし」

 フードをぱさりと後ろにやりながら、着ていたその服を脱ぐ仕草も。

「それに……ふふ、お前今自分がどんな顔してるかわかってんの?」

 落としたパーカーの中から現れたのは、肋骨まで見えそうなほど胸元の開いた緩いシャツ一枚の上半身。
 するりと俺のスウェットに手を伸ばし、その中心を柔く掴まれた。

「っ、やめっ」
「ちょっと触っただけでも固くしてるくせに。黙ってなよ、イイコトしてやるからさぁ」
 
 薄く笑って、上下させる手に腰が浮く。それを待っていたように、スウェットも下着も一緒くたに奪い取られた。
 そして、露わになった俺自身に、あろうことか唇が近づいていく。
 
「あ、っう」
「イイ反応すんじゃん」

 思わず強く目を閉じると、揶揄うような声がした。
 
「駄目だよ、ほら。ちゃんと見て?」
「ぅあ、っ、な、なに、を」
「お前が今から誰に何されんのか、しっかり見てなよ」

 笑う口からちらちらと舌が蠢く。
 見せつけるように先の方を舐めるから、凝視してしまって。
 
「は、はな、せっ」
「だぁめ」

 楽しそうに言って、根元を強く握った。びく、と跳ねた体が憎い。
 気づけば、さっさと自分の下は脱ぎ去っていて。

「ほら」
「……っ」

 ぴちゃりと音を立てて舐めた指を、何も履いていない下半身へと持っていったかと思うと、それを後ろへと沈めた。
 俺に見えるように足を開いて、ぐちゃぐちゃと中を広げていく。
 
「ん、っ……あ、ふぁ、あぁっ……ん」

 甘ったるい声を上げながら指を動かす姿に、情けなくも完全に勃ち上がる自分に腹が立った。
 案の定、楽しそうに笑うそいつは改めて俺の上に乗っかってくる。ぬぷり、と指を引き抜く音がした。

「……ちゃんと見て。今から、お前のコレが俺の中に入るとこ」
「や、めっ」
「お前が誰に突っ込んでんのか、誰で気持ちよくなってんのか、ちゃんと見て?」
 
 艶やかに笑って、跨った足の間に俺自身が飲み込まれていくところから目を逸らせない。
 ゆらりと腰を動かして、もっと奥へと誘う。
 
「……そう、その顔……初めて会った、時から、その顔、してるんだよ、お前」
「っあ、な、なに、言ってっ」
「自覚、ないんだ?ふふ、まぁ、いいけど」

 顔がどうのこうの、と言われたところで自分の表情なんかわかるわけもなくて。
 滑った胎内と、鼓膜を震わせる嬌声と。熱を持ってほんのりと赤くなった体を組み敷いて、欲望のままに内側を抉ってやりたい衝動を、息を吐くことで必死に逃した。

「……ふふ。気持ち、いい?」
「っあ、ぅ」
「んっ……おれ、も……気持ち、いい」

 覆い被さってきた唇が頬に触れる。
 
「もっと……して……?」
「し、ない」

 奥歯を噛み締め、肩で息をしながら答えた。

「……はな、れろ」
「素直じゃない、なぁ……まあ、いいけど。好きに、動くから」
「っ」

 宣言通りに、俺の上で細い体が跳ねる。とぷ、と前からとろとろとした白濁が流れても、その動きを緩める気はないらしい。
 いくら精神力で耐えようとしたって、どうにもならなくて。
 
「ん、っ……ふ、ぁ、すご……も、イきそ?」
「やめ、ろ、って」
「俺の中で、こんなっ……ぁ、あんっ……こんな、なって、んのに」

 指先が、俺の胸から腹をなぞっていく。
 それはゆっくり下りていって、繋がっている場所を通り過ぎ、本人の腹に触れた。

「ほら……こっか、らでもわか、る……ここ、まできてんの」
「っ、あ、ぅっ」
「出しちゃえ、よ。俺の、腹ん中、この奥で出したらもっと気持ちいいよ……?」

 こんな悪魔の誘惑に、いったい誰が抗えるというのだろうか。
 ひどく淫靡に誘うその体と、目と表情と、そして声は、俺の脳髄を痺れされるのに十分すぎるほどで。
 きゅう、と柔く締め付けられれば俺の努力なんて、なんの意味も持たなかった。

「あ、ぁあっ……あ、ん……ふぁ、あ……」
「っ、あ……っ」
「ん、あっつい……の、俺の、中で出て、る……上手、じゃん」

 まるで子供を褒めるように、伸びてきた手が俺の頬を撫でる。
 荒くなった息を整えていると、それにあわせるようにぼろりと涙が落ちた。

「泣いちゃった?かーわい」
「……っ、な、なんなん、だよ……どけ、よ」
「えー?やだ、もったいないじゃん。もっかいイけるだろ?」

 涙は赤い舌で拭い取られる。俺を解放する気がないらしいこの悪魔は、またゆらりと腰を揺らした。

「や、め……やめて、くれ……なんで、こんな」
「なんで、って……体の相性が良かったら、俺のになってくれんじゃないかと思って」
「……っあ、う、動く、な」
「なぁ、だめ?気持ちいいだろ?」

 額、頬、瞼、鼻先、それから唇。人の顔じゅうにキスを落とし、また固くなってきた、と微笑む。
 
「しよ?もっと、俺のことぐちゃぐちゃにしていいんだよ?」
「な、っ」
「溢れてくるぐらい中に出したっていいし、壊れるぐらい奥まで入ってもいいし。女の子相手じゃできないこと、いくらでもしていいのに」

 思わず絶句して、その顔を見つめた。
 
「何してもいいよ。俺は壊れても勝手に直るから」
 
 そんなことを言う表情は、何故だかやけに悲しそうで。

「だから、ほら、もっと。お前の、シグルドの、熱いの、俺の中にちょうだい?」
「っ、ま、まて、って」
「待たない」

 まるで何かに追い立てられているかのように、俺の上で喘ぐ。
 そんな姿を見てしまえば、かわいらしくすら思えてきてしまって。

「……動きたい?」

 見透かしたように笑うその唇を、俺から塞いだ。
 ぐっと細い腰を掴んで、足を引き抜いて押し倒す。ぐちぐちと音をさせて口内を犯し、爪先が伸びた足を掴んだ。

「っあ!あ、ぁあっ」
 
 ただその声を聞きたくて、自分本位に腰を振る。
 中を、奥を、強く抉って。その度にびくりと全身を震わせ絶頂する姿を見下ろせば、確かに胸中には優越感のようなものが湧いた。

「っ、あ、激し、っ」
「何してもいいって言ったのはそっちだろ?」
「あ、ぁあ、あっ」

 気遣いや愛しさなど何一つ感じないこの行為は、空しいだけのはずなのに。
 快楽だけを追い求めるように、めちゃくちゃに抱く俺を、悪魔は目を細めて見てくる。

「……ああ、ほんと……その顔、いいな」

 中で果てても、そんな風に囁かれて。
 細い腰がゆらめけば、まるで条件反射のように俺の下半身には何度でも熱が集まった。


 まどろみからゆっくりと浮上する。
 外はいつのまにか日が傾き始めていて、どれほどの時間体を重ねていたのかも定かではない。
 狭いベッドの中、俺のものではない体温にため息をついた。
 
「……ん、う」
 
 もぞ、と悪魔は寝返りを打つ。
 そうしていればどこからどう見てもただの人間で、全てが夢の中の出来事のような気もした。
 ベッドから抜け出し、シャワーを浴びて着替える。それから、仕事をクビになったことを思い出した。
 しばらくは貯金があるからまだいいが、新しく何か探さなければいけない。それは俺にとって、なかなかの苦痛だ。
 
「俺のになる決心ついた?」
 
 ベッドから聞こえた声にそちらを向く。なるわけないだろ、と返すとつまらなそうに唇を尖らせた。
 
「じゃあまた何人か殺してくるかぁ」
「……やめろよ」
「お前が俺のになるならやめる」

 だから、どういう二択だ。
 再びのため息をついたとき、家のインターホンが来客を知らせた。
 モニターを確認したところ、このアパートの管理人のようだ。首を傾げながら、玄関へと向かう。

「……あの、何か?」

 そう言った俺に、かなり年上の管理人は申し訳ないが、と前置きして言った。

「いつ、出て行ってくれるのかを聞きにきたんだが」
「……え?」

 管理人の目線は、俺を飛び越して奥の方へと向いている。

「けして君のせいじゃないことはわかっている。だが、君にここにい続けられては……」
「あの、いったい、何の話ですか」
「……君は、この町を、地図から消したいのか?」

 わずかに、唇が動いた。声を発していないはずのそれは、やけにはっきりと聞き取れる。
 フレスベルクのように、と。

「……あーあ。人間ってほんっと、薄情」

 管理人が消え、閉まった扉を呆然と見つめる俺にそいつは言った。
 あの、肋骨が見えそうなシャツ一枚を着ただけの姿で、後ろから俺の腰に手を回し抱きついてくる。

「な、んで……」
「ん?そっか、お前知らなかったんだ?なんだ、てっきり大人なんだと思ってたからさぁ」

 なんの話だ、と思った瞬間、脳内に星が飛び散って。
 そして、瞬間的に理解した。俺に抱きついているこいつは、実在する悪魔で。
 あの同僚だった男が俺に話したことは、全て真実なのだ、ということを。

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