されど、愛を唄う

あきら

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 おとぎ話だと、思っていた。
 そんな価値観がひっくり返されて、丸一日が過ぎて。あの悪魔は、まだここにいる。
 身辺の整理が済んだら付いていくから、これ以上被害を出すなと。嘘も方便で釘を刺せば案外素直に頷いてくれた。ただ、当然のように俺の家にいる。

「でも意外だったなぁ。まだお前、手つかずだったなんてさぁ」

 ごろりとベッドに寝そべりながらそんなことを言われて、じろりと睨み付けた。

「てっきりもう大人なんだと思ってたからさぁ。俺のことも知ってたし」
「……話に、聞いただけだ。だいたい……大人だの子供だの、ってどういうことだよ」
「ん?それも知らねぇの?どんだけ純粋培養されてんだよ」

 からかうような口振りに、首を横に振る。

「教えてくれるような相手がいなかっただけだ。家族はとっくに死んでるしな」
「ふーん。ま、いっか。なら俺が教えてやるよ」

 そこ座れ、と言いながら自分も体を起こした。大きく開いた胸元に赤い跡が見えて、思わず目を逸らす。無我夢中でつけたような気もするが、よく思い出せなかった。

「小さいころはよく言われただろ?悪さをすると悪魔がくるって」
「……ああ」
「それが俺ね。俺」

 うっかり呆れのため息が漏れる。

「まだ信じてねぇの?」
「違う。ずいぶん軽いなと思っただけだ」
「暗く言ったところで事実は変わんねぇじゃん。んなことどーでもいいんだよ、続きな」

 言いながら、人のベッドの上で胡坐をかいた。家主の俺は、床に座って先を待つ。

「正直子供の悪さなんかに興味はねぇんだけどな。俺がくると町が地図から消えるから、脅し文句に使われてんの」
「地図から消える?」
「昨日来た爺も言ってただろ。あー、なんだっけか、フレス……」
「フレスベルク」
「それな」

 自分が消した町の名前ぐらい覚えておいてやってほしいが、おそらくそんなことを言っても無駄だろう。

「人も消えて、建物も消える。そしたら、町はなくなって地図上からも消えるだろ」
「……なんで」

 なぜそんなことをするのか、と問う。すると彼はわずかに眉をしかめて、天井を仰いだ。

「なんでって言われても困るんだよなぁ。うーん、例えば……そうだ、お前らだって眠くなりゃ寝るし、腹が減りゃ飯を食うだろ?それと一緒」
「……本能ってことか?」
「本能ってのが何を指すのか俺にはいまいちよくわかんねぇけど、たぶんそう。明確な基準があるわけじゃないんだよ」

 つまり、眠くなったら寝るように。壊したくなったから壊す、ということなのだろうか。

「よく言われんのがさぁ、この町や人が何をしたって台詞なんだけど」
「そりゃ、そうだろうな」
「別に何もしてないしされたわけでもないんだよなぁ。俺はただ、歌いたくなったから歌うだけで」
「歌?」
「歌。人も町も壊れる、歌」

 そう言って、視線を動かすその表情はどこか寂しそうに見える。

「俺は歌いたいだけなのに、みんな壊れちゃうからさぁ」
「……そうか」

 言って、腕を上に伸ばし。ぼすん、と背中からベッドに倒れこむ。

「……で、大人とか子供とかってのは何なんだよ」
「ああ、それな。この世界の大人は、みんな俺のこと知ってるから」
「は?」
「不思議に思ったこと、ねぇの?なんで悪魔なんだろう、って」

 倒れこんだ体を、腹筋を使ってまた起こして。

「あれか、お前あんまりこの町から出たことない?」
「……ああ。子供の頃引っ越してきてそのままだな」
「じゃあ疑問にも思わねぇか。まあ聞いとけよ、この世界で子供に使われる脅し文句って、全部悪魔なんだぜ」

 どういうことかと首を傾げた。

「場所が変われば言葉だって文化だって宗教だって変わる。それなのに、誰もが口をそろえて『悪さをしたら悪魔がくるよ』って言うんだ」
「それは」
「言っただろ?その悪魔は、俺なんだって。大人になると自然にそれがわかる、らしい」
「らしいってなんだよ」
「それはお前の方がよく知ってんじゃねぇの?」

 くすくすとした笑いを間にちりばめて言う。

「俺は、お前のことなんか知らなかった」
「そりゃそうだよ。だってお前、昨日まで子供だったじゃん」

 言われたことの意味を考えた。昨日と今日で、決定的に違うこと、それは。

「昨日まで、童貞だったんだろ?」
「っ!」

 図星を刺されて、一気に顔が熱くなる。
 ふふ、と満足そうに笑って。頭を抱え、大人と子供ってそういうことかよ、と言う俺に、彼はさらに続けた。

「そうだよ。面白いよなぁ、だいたい夢に出てきたり、無意識のうちに悪魔の俺っていうものが事実だって刷り込まれたりするらしいけど」
「……いや、俺は……」
「お前は別、だって直接俺を抱いてんじゃん。そりゃもっと鮮明に、明確に、俺っていう存在があることを理解もするだろ」

 見透かしたように言われて、頭を掻く。

「でもまあ、たまにいるらしいけどな。直接じゃなくても、はっきりと俺を感じ取るようなやつ」

 あの、数日だけ同僚だった彼もそうだったのだろうか。不意に頭をよぎる面影に、また息を吐いた。

「にしても、ほんっと人間てわかんねぇわ」

 言いながら、俺を手招きして。馬鹿みたいに近づいた俺に、緩く腕を回して抱き着いてくる。
 そのまま引き倒されて、慌てて両腕をついた。細いくせに、俺の体を移動させるぐらいの腕力はあるらしい。多少驚きつつも体勢を変えて、シングルのベッドに大の男二人で横になる。

「本当だったら、この町の奴らはお前に感謝するべきであってさぁ。仕事辞めさせたり追い出したりすんのはおかしいと思わねぇのかね」
「感謝?」
「そうだろ?お前がいるから、俺はこの町を消してないんだぞ?」

 わかんねぇ、ともう一度言って体を横向きにし、俺を見た。

「そのことはわかってるはずなのになぁ。なんだって追い出したがんのか」
「……怖いんだろ」
「俺が?」
「それもあるだろうさ。お前が隣人としてその辺にいること自体が怖いんだろうし、実際三人……殺してるじゃないか」
「お前が信じてくれないからじゃん」
「……俺のせいかよ」

 はあ、と何度目かのため息をつく。するりと手が伸びてきて、仰向けのままの俺の前髪を軽く弄った。

「自分が、その三人かもしれなかった、とか。ある日突然、お前の気が変わったら、とか。そういうのが怖いんだろう」
「そのわりには、お前普通じゃん」
「……そうだな」

 自分でも、少し不思議だった。目の前で俺の髪を楽しそうにかき混ぜているのは、確かにあの夜恐怖した存在だと言うのに。
 こうして二人でいると、こいつはただの人間なんじゃないかとすら思えてくる。
 おいで、と髪から離れた手を広げて言われ。穏やかに微笑むその顔は、やっぱりどう見ても悪魔だなんて思えない。

「ほら、こっち」
「っ、苦しいって」
「ぎゅってすると、少し落ち着くだろ?俺にも一応心臓あるからさぁ」

 悔しいが、その通りだ。顔に胸が押し付けられて、そこでとくとくと動く心臓の音を聞いていると、まるで自分が小さな子供にでもなったような気がした。
 ためらいながら、その細い体に腕を回す。遠慮がちに抱きしめると、強くても大丈夫なのに、という笑い声が聞こえた。

「いいこいいこ。大丈夫だよ」
「……お、れは」
「うん。シグルドはなーんにも悪くない。悪いのは俺だもん、俺のせいにしていいんだよ」

 悪魔のくせに、やけに優しい声で囁いてくる。
 いや、悪魔だからか、なんて考えて。だけど、この空しい気持ちをどうすることもできなくて、ただその優しい声と頭を撫でる手に身を委ねたくなる。

「ねぇ、俺のになってよ。俺がお前のこと、ずうっと守ってやるから」
「……ならない」
「なんで?俺はお前のことこんなに好きなのに。俺のこと、好きになってよ」

 言葉とは裏腹に、ぎゅう、とその体に抱き着き否定を口にする俺を、悪魔は優しく誘惑した。

「お前が行きたいところに連れてってあげる。好きなこと、好きなだけやらせてあげられるし、いつだって俺のこと抱かせてやれるよ?シグルドはシグルドのまま、俺と一緒にいてくれればいいのに」
「……んな、やりたい、ことなん、て……」

 頭を掠める捨てた夢を見ないふりをして、平たい胸に顔を摺り寄せる。

「……嘘つきだ」
「そんな、こと、ない」
「まぁ、俺は別にいいよ。どんなお前でも好きだから。もし何かしたいことができたなら言ってよ」
「……なあ」

 なんでそんな。なんで、そんなに俺のこと。
 問おうとした言葉は声になってくれず、吐いた息と絡み合って消えていった。

「どした?」
「……お前ってさ、名前、ないの」
「ないよ」

 あっさりとした答えに、顔を上げる。
 相変わらず俺の後頭部を優しく撫でながら、彼は続けた。

「名前っていうのは、固体識別のための記号だろ?たとえばシグルドを表すのに、人間って言ったらお前個人を指す言葉じゃなくなっちゃうから、個人を表す言葉が必要なんだよな、お前らは」
「そう言われりゃそうだな」
「でも、俺は俺しかいないんだよ。知らないだけで他にもいるかもしんないし、人の作り出した話の中にも悪魔はいるだろうけど、俺は俺でしかなくてさ。この世界で『悪魔』って言ったら俺を表す言葉になるんだ」
「……そうか。それもなんか少し、寂しいな」

 何を言っているんだ、と咄嗟に口をつぐむ。だけど、俺の漏らした言葉はしっかり聞かれていた。

「だったらさぁ、シグルドが俺に名前付けてよ。お前が呼びやすいやつ」
「俺が?」
「うん。どうせ、お前しか呼んでくれる奴いないだろうし」

 言われて、考える。いいのか、と思わなくもなかったが、本人はただわくわくとした目をして俺のことを見てくるだけだ。
 とはいえ、俺にそんなセンスがあるわけもない。首を捻って落ちてきたそれは、幸せだったころの記憶の片隅にあった名前だった。

「……エディ」
「エディ?」
「あ、いや。正確にはエディキエルなんだけど。悪い、忘れてくれ。人につけるような名前じゃない」
「なんで、いいよ?いいじゃん、エディキエル」

 繰り返し、エディキエル、と口にするそいつの表情は、柔らかくて。
 嬉しそうに、恥ずかしそうに、そして少し照れながら。何度も、何度も言うもんだから、俺まで照れ臭くなってしまう。

「じゃあ、俺は今からエディキエルです。呼んで」
「……エディキエル」
「ふふふ。はぁい」

 言われたとおりに呼んでやれば、くしゃりと笑った。昨夜のような、妖艶なそれではなく、本当に感情が胸の内から湧き上がってきているのがわかるほどに、嬉しそうで。

「エディ」
「それもいいなぁ。特別って感じ」
「……馬鹿なこと言ってんなよ」
「いいんだ、お前だから。もっと呼んで、呼ばれたい」

 笑いながら、俺を抱きしめていた腕が解かれて。その両手が俺の顔を包み込んだ。

「呼んでよ、シグルド……シグ」
「……エディ」
「なぁに?」

 自分で呼べと言ったくせに、軽く首を傾げて微笑む。
 その顔を見ていたら、いろいろなことが些末に思えてきて。

「ん、っ」

 体を上へと動かし、楽しそうに笑う唇を自分のそれで塞いだ。
 戸惑いが伝わってきたのは一瞬で、誘うように開く口に舌を差し入れる。ぴく、と睫毛が震えるのがわかった。
 合わせた口はそのままに、体を動かして上から押さえつける。悪魔の――エディの、両足の間に自分の膝を入れれば、腰がびくりと跳ねた。

「っ、あ……な、に?」
「……さぁ、な。ただ、なんか……」
「ん……いいよ、触って。そういう時って、ある、よな」

 人恋しいと。温かな体に触れたいと、そう思ったことを見透かして、エディが笑う。
 服の裾から手を差し入れて、薄い腹を撫で回した。鼻にかかった息が漏れて、それは即座に俺の下半身を重たくする。

「ぅ、ん……ふ、ぁあ、あっ」

 艶かしい声が響いた。
 ダメだ、と思うのに、手は止められなくて。目の前で体をくねらせるこいつの、エディの、その声をもっと聞きたいと思ってしまう。
 自分で自分の唇を噛んで、必死に理性を繋ぎ留めて。どさりと覆いかぶさるように、エディの上に倒れた。

「もう、重い、ってば」
「……悪い。少しだけ、こうさせて」

 体に感じる、確かな温もりを抱きしめて。耳元で聞こえる、少しの笑い声に苦しくなる。

 違う、と自分に言い聞かせた。今俺は、人恋しくなっているだけなんだ、と。
 会社にもいられず、家は追い出される。それでも、今の状況にいる自分が、誰かに触れたいだけなんだと。たとえその誰かが、すべての元凶なのだとしても。
 そうやって自分を納得させていないと、今にも服を脱がせ襲い掛かってしまいそうだった。
 体を起こし、軽く頭を振る。

「……しないの?」
「やめとく」
「なんで……?」
「なんでも。荷物まとめるわ」

 不満げに体を起こしたエディの視線を背中に浴びながらも、部屋の片づけを優先させることにした。
 嘘のつもりだった。ここを追い出されても、エディと一緒にいるつもりなんか、なかった。
 だけど今は。俺がそう呼べば顔をほころばせる彼を、見てしまったから。少しぐらいはいいんじゃないか、と胸中で思う。

 だけれども、けして好きにはなるまい、と。そう自分に言い聞かせながら、必要な物だけを持っていこうと心に決めた。
 それがすでに、不自然であることにはただ気づかないふりをして。

 
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