されど、愛を唄う

あきら

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 テラス席で二杯目のコーヒーを傾けながら、町行く人の流れを目で追いかける。
 男女のカップル、親子連れ。忙しそうな、スーツで走っている人や、のんびり歩いているお年寄り。
 俺が今まで気にしたこともなかった、生活というものが、人間たちの町には確かに根付いていた。
 今の俺のように、好きな相手と一緒にいられて幸せだという人。今のシグルドみたいに、たくさんの新しいものを目にして次を期待する人。そんな人たちが、当たり前に存在していて。
 俺は、どれだけのそういう当たり前を消してきたんだろう。

 人間に興味がないころは、そんなことを考えもしなかった。ただ、歌いたいから歌って。消したいから消して。
 それが俺にとっての当たり前だったのに、こんな僅かな期間でシグルドは俺の当たり前を書き換えてしまう。

「……嫌、だなぁ」

 歌うことじゃなく。俺が歌うことによって、当たり前を失っていく人たちがいるという、その現実が嫌になってしまった。
 壊すことも消すことも、楽しんですらいたのに。今は、そんなことしたくない。ただシグルドと笑って、歩いて、食事をして。新しい場所にでかけて、綺麗なものに感動して。
 それを写真に収める、あいつを見ていたい。

 ひどく、自分勝手で傲慢な願いだとは思いつつも、そこは生来の気質のせいと自分に言い聞かせる。
 こういう時ばかり、自分は悪魔なのだと改めて思い知りながら、カップの半分ほど残ったコーヒーを眺め、一口飲んだ。
 そのカップが空になったころ、まだ戻ってこないシグルドをぼんやりと待っていた俺の前を二人組が通り過ぎていく。
 俺やシグルドよりは少し低めの身長の、男二人だ。彼らはふと足を止め、俺を見た。

「……なにか?」

 もしやと思い、軽く声をかけてみる。これで、だいたいの人間は俺が俺だとわかってくれるからだ。
 けれども、その二人は俺の声に互いに顔を見合わせて、軽く頷いた。

「話が、ある」

 二人のうち、やや背の低いほうが低く言う。鋭い眼差しに、意志の強そうな唇と、服の上からでもわかるほど鍛えられた体をした彼は、なんだか複雑そうな表情をしていた。

「連れを、待ってるんだけど」
「……その連れとやらが、来ないうちのほうがいいと思うけどな」
「あんた、俺のこと知ってんの?」
「ああ、よく知ってるよ」

 ぴり、とした空気が流れた。もうひとりのほうが、小さくため息をついて俺と彼の間に入る。

「ここじゃ、碌に話もできないでしょ。ほらレスターも」

 優しげな目の下のほくろ。レスター、と呼ばれた方とは対称的な柔和な口元に、緩やかな笑みを浮かべて続けた。

「話だけで終わってくれたほうが、俺たちとしてもありがたいし」
「……ん、わかった。これだけ片づけてくるから少し待ってて」

 妙なところで律儀だな、という言葉が聞こえたけれど。それは聞こえないふりをして、空のカップを片づける。
 二人はテラスで待っていて、逃げようと思えばできるのかもしれなかったけれど、単純に気になってしまった。
 いったい彼らは何者で、その話とやらは、なんなのか、ということが。



 二人に促されるまま、人気のない郊外へと向かう。
 山を切り開いたのだろうこの町には、小さな広場みたいなものがいくつもあった。
 おそらく、向かっているのは、町から少し外れた場所にいくつかあるそういった広場のようだ。

「悪かったな、いきなり」

 目つきの鋭い方が、広場につくなりそんなことを言うものだから。俺の彼らへの興味はますます大きくなった。

「むしろあそこで騒いだりしなかったことに感謝するよ、ありがと」
「まぁ、俺らもあんまり大事になっても困るしね」

 もう片方が軽く肩をすくめる。

「自己紹介からいこうか。俺はアレク、アレク・シルディア。で、こっちがレスター」
「……俺は」

 一瞬、迷った。だって、あの名前は。

「名前、ないの?」
「ある、けど……言いたく、ない。とくべつ、だから」

 まるで子供みたいな言い訳だ。だけど、二人はまた顔を見合わせたかと思うと、そっか、と頷いてくれた。

「それなら、それでいいや。聞きたいことにはあんまり、関係ないし」

 アレク、と言った方が笑う。その笑顔は人懐こそうで、とても優しい感じがした。
 もう片方の、レスターという方は少し首を傾げて、俺とそのアレクを交互に見ている。けして穏やかな空気を纏っているわけではないが、敵意があるわけじゃなさそうだと判断した。

「それで、俺に、何の用?」
「……違ってたら、悪い。確認させてくれ」
「確認?」
「お前が……あの、『悪魔』なのか?」

 にわかには信じられないといった顔になって言うレスターに、俺は首を縦に振ることしかできない。嘘は、つけないから。
 そうか、と彼は言う。それからアレクを見ると、ひどく難しい表情をしていた。

「……本当に?信じられないんだけど」
「そう、言われてもなぁ……誰か壊すってわけにもいかないし」
「ほら、それ。その言動、すでに信じられない」

 俺が言ったことに対して、彼は軽く首を横に振る。

「だって俺たちの知ってる『悪魔』はさぁ、そんなこと気にしないはずじゃん?」
「……気に、してなかったよ。ついこないだまで」

 指先を軽く弄る。

「でも、今は……嫌だ。あんたたちが何なのかわかんねぇけど、俺のこと知ってるなら、ここひと月ぐらい俺が何もしてないのも知ってるだろ?」
「まぁね」
「……俺たちは」

 レスターが静かに俺を見る。目が合って、なぜだか懐かしい匂いがした。
 あ、と思った瞬間、同時に理解する。彼が何者で、どうして俺の前に現れたのか、を。

「そっか……あんたも?」
「ああ、俺はな」
「またそういう言い方する。俺も、だよ」

 レスターが先に頷き、アレクが横から呆れたように口を出した。
 どういうことかと首を傾げる俺に、彼は頬を掻く。

「まあ、気にしないで。俺もこいつも、君と同じってことだけ」
「……他にも、いたんだな。俺みたいなの」
「まぁな。つっても、俺らは完全に人間側に付いてんだわ」

 組んでいた腕を、レスターはゆっくり解いて。そのまま片足を引き、俺に対してやや斜めに構えた。

「……だから、もし……お前があの、『悪魔』なら」
「見逃して、って言っても無理?」
「……話に、よる。俺だって、やたらめったら同胞を殺したいわけじゃねえ」

 その言葉で、レスターが本当は物凄く優しいのだと気づいてしまう。
 人間側に付いた、と言いながら。俺を、悪魔を、同胞と呼んでくれるその優しさが嬉しい。
 だから俺は、俺のことを包み隠さず彼に話すことにした。

「…………マジか」

 ひとしきり俺の話を聞いた後、ぼそりと呟く。眉間の皺がすごい。

「どう思うよアレク」
「嘘は言ってない。でしょ?」
「うん」
「いや俺が聞きてぇのは」
「レスター」

 優しい表情を少しだけしかめ、アレクがレスターを見た。
 
「決めるのは、お前だろ?」

 彼の言葉を不思議に思い、二人を交互に見る。だけどそれはたぶん、俺の知らないところの話で。
 ただ、迷っているのは伝わってきた。

「あの、さぁ……あいつがいなくなるまでで、いいんだ。俺はあいつといる限り、今までみたいに人を壊したり、町を消したりしないから」
「…………」
「あ、でも……ひとりも、とは言えない、かも……」
「バカ正直か」

 レスターが呆れたようにぼやく。

「だって、俺にとってはあいつが一番大事だからさぁ。あいつを傷つけるやつがいたら、それは許せねぇもん」
「……よくわかったわ。やっぱり、お前は……悪魔だ」

 落とした肩が上がって、気を取り直したように再度身構えた。
 
「悪く、思うなよ」
「……見逃しては、くれないんだ」
「俺は、人に危害を与える悪魔を討伐することで許されている」
「誰に、何を」
「……無駄口が、すぎる、よな。情が沸いちまう」

 それはお互いさまで。だけど、と俺は少し考えて口を開く。

「耳栓持ってんの?」

 ぴくりとアレクの指先が動いた。

「俺の声が、届く方が速いよ」
「……それでも」
 
 できるだけ穏便に終わらせたかったけど、俺だって簡単に死にたくない。仕方ないか、と息を吸い込んで。

「――エディ?!」

 その声に、首を回した。
 腕を引かれ、伸ばされた腕の中に抱きしめられる。何が起きているのか少しの間理解できず、声を発することも忘れていた。

「……こいつが、あんたらになんかしたのか?」
「いやそういうわけじゃ……まいったなぁ」

 シグルドの声と、アレクの声が聞こえる。

「お前、人間か?」
「そうだ」
「そいつがなんなのか、知ってんのかよ」
「当たり前だろ」
「だったら、俺らが何をしてるかもわかんだろ?」
「……わからないな。わかるのは、お前らがこいつを殺そうとしてるってことだけだ」

 今度はレスターとシグルドの声。
 ぎゅうぎゅうに抱きすくめられているから、二人を見ることもできなくて。
 
「ちょ……ねぇ、苦しい」
「……あ、わ、悪い、大丈夫か」
「びっくりしたけど……大丈夫」

 なんともいえず気まずい空気が流れた。
 やがて、アレクが軽く息を吐く。

「……レスター、やめよう」
「でも」
「たぶん、この二人も俺たちと一緒だよ。それなら、彼ひとり殺したところで無意味だ」

 何を言われているのかはわからないままだったけれど、彼はごめんね、と微笑んだ。

「待って。どういうこと?何が、どうなってんの」
「……知らないほうがいいことだってあるんだぜ」
「あんたたちは知ってんのに?」
「知ってるからこそ言ってんだよ……」

 俺の問いに答えてくれる気はないらしく、レスターが頭を乱暴に掻く。
 彼から聞くのは難しそうだ、とアレクに視線を戻した。

「まあ、そのうちわかるよ……たぶん。二人がずっと一緒にいるなら、ね」
「はっきりしないな」
「とにかく、俺らは人間には手を出せねぇ。今日は帰るわ」
「今日は、って」
「……見極めさせろよ。しばらく、ついていくことにする。いいよなアレク」
「お前が決めたんなら俺は構わないよ」

 完全に蚊帳の外だ。思わずシグルドと顔を見合わせる。自然に伸びてきた手が、俺の腰をさりげなく抱いた。
 
 

「妙なことになったな」
「うん……」

 寝台列車の一部屋で二人してつぶやく。
 結局、ついてくるというレスターとアレクを振り払うこともできず。彼らもまた、同じ列車の違う部屋にいるはずだった。

「……でも、無事で……よかった」

 あからさまにほっとした様子で言うから、俺は少し意地悪したくなる。

「俺がいなくなったほうがいいんじゃねぇの?」

 寝台に腰掛けるシグルドの隣で、すり、と体を寄せて。
 そんなことを囁けば、眉を寄せて俺を見た。

「……目覚めが悪い、だろ」
「否定してくんないんだ」
「っ」

 息を飲んで、必死に次の言葉を探している。
 膝に置かれた手の、その甲を指先でなぞった。

「……なぁ、もういいじゃん。俺のになって」
 
 俺は今、どんな表情をしてるんだろうか。ただ、そんな俺の顔を目にしたシグルドのほうが、泣き出しそうに目尻が下がる。
 
「なら、ないって……」
「だった、ら、俺が、お前から離れてもいいんだ?」
「……エディ」
「他の誰かに、その名前呼ばせても……お前は、いいんだ?」

 両腕が回されて、抱きしめてくるから。本当は、それだけで何もかもどうでもよくなってしまうのに、必死に言葉を紡いだ。

「それか、また……違う名前つけられても、シグルドは、それで……いいんだ?」
「……っ、エディ」
「なぁ、俺、どこにも行きたくねぇよ。お前の側にいたい。お前が年取って死ぬまで、それか俺が誰かに殺されるまで、シグルドの、シグの側にいたい」

 なんで、と震える声が言う。何度もそれを聞かれた。
 なんで、自分のことをそんなにも好きなんだと。問いかけはいつも最後まで発せられず、途中て黙ってしまうけど。

「……俺を変えたのは、お前だよ」
「俺は……なにも」
「うん。そうだな。俺が勝手にお前を好きになって、変わっただけ……でも、俺はそんな自分がわりと好きなんだよな」

 ふふ、と笑う。
 腕の力が少し強まって、俺もそっとその背中に触れた。

「好きだよ」
「エディ……」
「だけど、もしお前が……本当に、お前が、俺のこと……これっぽっちも必要としないなら、俺はお前から離れたほうがいいんだと……思う」

 嫌だけど、と間に挟んで。

「教えて……?お前に、突き放されるなら諦めがつくから」
「俺、は……」

 戸惑い、というよりは、迷い。
 息を吸って吐いて、さらに腕に力を込めて。

「……す、き……だ」

 ぼろ、と勝手に涙が落ちる。
 それを拭う指先に目を閉じて、近づいてくる唇を受け入れた。
 
 ああ、そうだ。俺は、知っていた。
 シグルドの、俺を撫でる指が。手のひらが。その全てが、俺のことを求めてくれていることを。
 それでも、言葉が欲しいと思うのは、贅沢だろうか。

 とさりと押し倒され、俺を見下ろすシグルドの頬に手を伸ばす。
 この一瞬が、永遠に続けばいいのに、なんて思いながら。

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