されど、愛を唄う

あきら

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 気づいたのは、そういう関係になってから二カ月ほど過ぎたころだ、とレスターが言う。

「目の色が、変わってな。俺と同じ色に」

 シグルドが近づきその目を覗き込む。光の反射でわかりにくくはあるけれども。

「赤いな」
「ここまであいつは赤くないんだけどな。もう少しピンク色に近いっつーか、俺より少し薄い」

 くるりと振り返り、シグルドが俺を見た。いいかどうかを視線で伝えてくるので、もぞもぞと自分の体を毛布で覆い、体を起こす。
 それでも、それだけのことにずいぶん時間がかかってしまって。結局、シグルドの手を借りて寝台の上に座りなおした。

「……緑色だ」
「ぱっと見はわかんないぐらいだけどな」

 苦笑して返す。今まで気づかなかったのだから、それほど鮮やかな色と言うわけでもない。

「人間はみんな、黒い目の色をしてるだろ?色が入ってんのは、俺たちみたいなのだけだ」
「……正直、このぐらい近づかないとわからないレベルだけどな」
「まあ、俺らはお互いなんとなくわかった。レスターたちと初めて会った時もそうだったし」

 軽く頷いて、レスターは続けた。

「俺としては黙ってりゃわかんねぇと思ってたんだけどさ。あいつ真面目だから、全部正教会に話したんだよ」
「……よく生きてるな」
「交換条件を突きつけられたんだ。目溢しできない悪魔を討伐するか、俺とアレクまとめて討伐対象にされるか」
「なんだよそれ、選択の余地ねぇじゃん」
「本当だよな。で、結果俺らはこうしてる」

 肩をすくめ、それから不意に真剣な表情になって。

「あー……エディキエル。お前、確かにここひと月ほどは大人しくしてたみたいだけど」
「うん」
「その、大人しくなる前……に」

 彼は目線をさまよわせ、言い淀む。その理由はよくわかっていた。ちらりとシグルドを見た俺に、何を感じたのかはわからない。
 わからないけれど、何も言わない俺に対し、レスターは息を吐いてから言った。

「……内陸の町をひとつ、消してるだろ」

 シグルドの表情は俺からは見えない。だから、こくりと頷く。

「お前が消したその町が、どうも正教会の保護区だったらしいんだよな。で、俺たちがお前を探すように命令が入った」
「保護区?」
「金払うから悪魔がきたら守ってくださいねって約束してたんだと」
「……へぇ」

 だとしたら、俺が消した他の町はそうじゃなかったってことか。
 妙な納得をしながら、若干の胡散臭いものも感じる。だけど、それを追求したところで何にもならない。

「ここからは、勝手な俺の勝手な推測と願望なんだけど」
「……なんだ?」

 ぼそりとシグルドが口を開いた。いつもと変わらない声音に聞こえる。

「もしかしたら、俺たちとお前たちが一緒なら……そっちのシグルドも悪魔になりかけてんじゃねぇかと思ってよ」
「俺が?」
「見たところ、まだ目の色は黒いけどな。俺らっつー前例があるから、それは話しておこうと思った」

 シグルドが?悪魔に?
 それは確かに、俺の願ったことではあったけれど。
 頭が混乱して、どうもうまく回りそうにない。

「で、だ。もし俺たちと同じケースなら、話し合いもできんな、と思ってさ」
「話し合い、って」
「お前ら二人が正教会に属して、悪魔討伐の命令を受けるなら……見逃してやれる」

 そう言ったレスターの顔は、けれども少し複雑そうだった。

「難しいかもしんねぇけどさ。俺らは、お前たちを殺したくねぇから」
「……なんでだよ」
「親近感ってやつかね?ま、気にすんな、俺がしたくてしてることだからさ」

 シグルドが首を少し回す。俺を一度見て、それからまた視線をレスターに戻した。

「いくつか疑問はある、けどな。それ、今すぐ返事が必要か?」
「うんにゃ。つっても、じゃあさようならってわけにいかねぇから、しばらく同行はさせて欲しい」
「わかった。いいよな?エディ」

 俺に拒否する道理なんてあるわけもなくて、かくかくと頷きを返す。
 サンキュ、というレスターとシグルドの声が重なった。



 高原はものすごく気持ちがよかった。
 万年雪が白く彩る山を見上げられる場所にあるホテルの一室で、やっぱり今日も一部屋を遮光して。さっき撮ったばかりの写真を、シグルドが現像している。
 ぽすん、と大きなベッドに体を横たえ、列車の中でレスターが話してくれたことを思い出した。
 あの話が、本当なのだとしたら。シグルドは、悪魔になりかけているのかもしれない。
 俺が、人間だったら。それとも、シグルドが悪魔だったら。そんなことを考えたことがないわけじゃない。ないし、確かにそうだったらよかったのに、と思わなかったと言ったら嘘だ。
 だけど。現実として、それが目の前にあると思うと。

「……いや、だなぁ」

 ぽつりと言葉が落ちた。
 それを見計らったかのように、シグルドが写真を手に部屋から出てくる。

「できたぜ、見る?」
「うん」

 数枚受け取って、改めて感心した。綺麗なのはもちろんなんだけれど、高原に咲く花だとか、緑の芝生の向こうに見える空と白い山だとか。
 そういう、切り取り方がとても好きだ。俺が綺麗だと、好きだと感じた風景が、そのままそこに詰まっているような気がして。
 ちら、とシグルドを見た。当の本人は、近くのテーブルに残った数枚を並べて眺めている。

「……なぁ。なんでお前、何も言わねぇの」
「何が?」

 いつもと変わらない声が向けられて、体の中心がざわりとした。

「な、にが、って……レスターから、聞いただろ」
「ああ、消した町のことな。俺がいた町だったんだって?」

 広げた写真をまとめながら言う。その背中に、そうだよ、と返した。

「いつの間に、とは思ったけどよく考えりゃ、行ったことのある場所には行けるんだもんな。さっと行って帰ってくるぐらいすぐか」
「……そう、だけど。なんで、お前……」
「ん?」

 振り返ったその顔は、俺の好きな笑顔だ。

「なんで……?俺は」
「約束のこと、気にしてるのか?」

 その笑顔のまま、シグルドは続ける。

「俺が一緒に行くなら町の連中には手を出さないって言ってたこと」
「……そう。正直……あんときは何とも、思ってなかった、んだけど」
「今になって罪悪感が出てきたってわけか」

 罪悪感。たぶん、そうだ。
 静かに頷いて、おもむろに立ち上がる。自分の持っていた写真と、テーブルの隅に片づけられた分のそれを合わせて一枚一枚に目を通した。
 どうしたよ、という声。変わらないそれに、駄目だと警告音が鳴る。

 このまま、俺といたら、駄目だ。俺に引きずられて悪魔になって、人なんかなんとも思わなくなる。今までの俺みたいに。
 そんなシグルドを見たくない。俺が好きだと思ったのは、ひどく優しくて不安定で、人間あるが故に揺れ動くお前なのに。
 自分勝手だという自覚はあった。だけど、それでも。

「……これとこれと……ああ、あとこれ、もらってもいい?」
「いつも全部やるって言ってるだろ」
「……いいんだよ、これだけで。あとはほら、お前が持っとけ」

 ぐいぐいと、ベッドの前に立ったままのシグルドに残りの写真を押し付ける。わかったよと笑って、彼がそれを自分の鞄にしまうのを見届けた。

「……シグ、ルド」

 言わなきゃ駄目だ。どれだけ俺が寂しくても嫌でも、こいつには、人でいて欲しいから。

「この町で、別れよ」
「は?」

 大きな目が見開かれる。それに射抜かれたらそれ以上の言葉を紡げる気もしなくて、俺はシグルドに背を向けた。

「なんで」
「……なんでって、飽きたんだよ、もう」

 空気が凍る。不穏な気配に振り向くこともできず、そのまま続けた。

「お前が俺のこと、好きだっていったからもうお終い。ゲームは終わり」
「……ゲーム?」
「忘れたわけ?俺は悪魔だよ。悪魔が人間なんかを本気で好きになるって思った?」

 くすりという笑いを混ぜて。

「そんなわけないじゃん。お前を堕とすのは、まあまあ楽しかったけど?でも、堕ちたんだからもう終わり」
「エディ」
「その名前も呼ばないでいいよ」
「エディ」

 二度目のそれは、思いのほか近く。すぐ後ろでした声に、返事なんかできるわけもない。

「わかったらさっさと出てって。路銀だってまだあるんだから、他の空いてるとこ行きなよ。お前ひとりならレスターたちに聞いてもいいんだし」
「……エディ」
「触るな」

 肩に置かれようとした手が、一瞬のためらいを見せる。だけれど、それは本当に一瞬で。
 強く掴まれ、引き倒されて。足には力がうまく入らず、数歩たたらを踏んだ後にベッドに転がる。

「っ、やめっ」
「お前、嘘下手くそすぎるだろ」
「誰がっ!」
「だからお前。そんな顔して強がったって無駄だ」

 どんな顔だよ、と思うが口には出さない。上半身を起こし、じろりと精一杯睨み付けてはみるが、鼻で笑われた。

「お前が本気で俺から離れようとしてんなら、今ここで歌えよ」
「な、っ」
「小声で充分だろ。俺にだけ歌え」

 咄嗟に首を横に振る。片方の口角と眉が上がって、できないのかよ、という声が落ちた。

「お前に――悪魔にとっての人間なんて、そんな大したものでもないだろ。俺を壊せよ」
「いや、だっ」
「飽きたんじゃないのかよ?いらないんだろ?」

 嫌だ、と繰り返すことしかできなくなる。
 ぎし、とベッドのスプリングが音を立てた。俺を跨ぐように、シグルドが上へと乗って。

「ふざけるなよ。今更戻れると思うな」
「シ、シグ」
「俺を堕とした責任ぐらい取れよ。俺にはもう、帰る場所もないんだ」
「……どこでだって、大丈夫だろ。それこそ、この町でだって」
「お前がいなきゃ何の意味もない」

 薄手のシャツを脱ぎ捨てて、俺の両手を取ったと思ったら、あっという間にそれを巻きつけられる。
 解けと言ってみたところで、何の効果もない。薄く笑った唇が、首のあたりを噛んで離れた。

「本当のこと言えよ。そしたら止めるし、昨日みたいに抱く」
「っ、な、なに、言って」
「自分だけで完結してるなよ。付いてこいって言ったのは……エディ、お前だろ」

 絞り出すような声に、ぎゅう、と苦しくなる。
 駄目だと、突き放さなきゃと思うのに。体も頭もまともに動いてくれなくて。

「や、め……」
「言えよ、本当のこと。何が怖い?」

 怖い?俺が?悪魔の、俺が?
 誰かに怖がられることこそ当たり前で。俺が何を怖がってるって言うんだ。

「……俺は、お前の歌で死ぬならそれでいい」
「いやだっ」

 否定の言葉は勝手にこぼれる。

「嫌、だ……そんなの、駄目だ」
「何で?」

 きゅ、と唇をかみしめた俺を見るシグルドの目は、なんだか暗くて。だけど、その奥からちらちらと優しさみたいなものが見えた気がした。



「っ、あ、うぅ」
「力抜けって」
「ぅ、ひあぁ、あ、や、それ、やだ、って」

 下腹部を緩く押されて、また。水音がして、透明な液をこぼしてしまう。

「ここ押されると潮吹く癖でもあるのか?」
「し、しら、な、あぁあ、あ、やだ、おさなっ」
「空っぽになるまで出せよ」

 ひ、と引きつる俺を、シグルドの手が容赦なく追い詰めていく。
 彼のシャツで拘束されたままの腕は前について。ぺたんとベッドの上に膝を曲げて座り込む俺の背後から、何度も腹を撫でられた。
 やだ、と拒否を示してみても聞き入れられるわけもなく、後ろから熱いシグルド自身が挿入ってくる。
 ぐ、と深いところを先端で押されて、中だけで達してしまった。
 がくがくと震える俺の体を撫でていく手。ひどく温かく、そして柔らかく動くそれは、俺の体を痺れさせた。

「……あの時と、逆だな」

 ぼろぼろと溢れる涙を、指先が拭っていく。緩く揺さぶられ、自由にならない両手でシーツを掴んだ。

「初めて、お前が俺に乗っかってきた時と逆だ」
「っひ、ぅぅ……や、やだぁ、も、や……っ」
「俺も、やめろって言ったっけか」
「ぁ、ぁあっ!ふ、かい、っ、それ、ふかい、から……っ」
「お前のものにはならない、とは……っ、言った、覚え、が……あるな、っ」
「や、むり、も、それ……っ、あ、ぁああっ、ああぁ……っ!」
「エディ……エディ、なぁ……エディ」

 一番奥を抉られて、そこで達しても解放されるはずもなく。体の中から音がするんじゃないかと思うほど、強く深く突かれ続ける。
 かくん、と体から力が抜けて、そのまま倒れそうになるけれど、手が前に伸びてきて支えられて。

「奥まで入れないだろ。顔、あげて」
「ぁ、あ……ぅ……ぁ……」
「……エディ。俺の……俺のに、なって。俺だけの……俺だけのお前に、なって。お前が、欲しい」

 甘くて切なくて、熱くて重くて暗くてとろけそうな声。
 それと一緒に、シグルドの涙が俺の体に落ちたような気がした。
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