されど、愛を唄う

あきら

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2・1

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 心配そうな両目が俺を見る。大丈夫だよ、と返しても、やっぱりどこかまだそれは消えない。
 ちょこん、とベッドに座った俺のその正面、床にしゃがみ込んで。真剣な目で、だけど眉は下がった。

「一度ちゃんと病院行って、検査してもらったほうがいいんじゃないか?」
「……それは、まぁ、そうだけど」

 同じように眉を下げて言う俺の両手を、温かいシグの手が包む。

「体温だって、こんなに下がってる」
「それはもともとっていうか……特に最近は寒いし」
「いつもよりひどい。俺のほうがお前の体触ってんだからわかるんだよ、舐めんな」
「な、なめんなって、お前それ、自慢することじゃ」
「いいからほらベッドの中戻れ。病院行く気がないなら大人しく寝てろ」

 言って、ほとんど無理やり起きたばかりの体を戻された。
 待ってろ、と言い残したシグが階下に移動したかと思うと、少しの時間のあと両手に乗るぐらいの、タオルに包まれた何かを持って戻ってくる。

「足も冷えてんだろ。これ入れとくから」
「……?なに、それ」
「湯たんぽってんだって。市場のおばちゃんがお前にってくれた」
「市場の?」
「ここ数日来ないって心配してたぞ。具合悪いって話したら温めろと」
「……ありがと」

 足元に入れてくれたそれのおかげで、ベッドの中がほんわりと暖かくなる。
 足の指先を握ったり開いたりと動かしてみて、そこがこわばっていることに気付いた。

「何か食いたいもんあるか?エディほど美味いものは作れないけど」
「あんまり、食欲ない……」
「無理してでも、ちょっとでもいいから食ってくれよ」

 俺よりももっと、ずっと辛そうな。泣き出しそうな顔で言う。
 正直何か口に入れるのも面倒だったけれど、そんな顔をしてほしくはなくて。

「じゃあ、スープみたいな……そういうやつ」
「ん、わかった。大人しく寝てろよ」

 心配でたまらないっていう表情とため息を残し、シグが寝室を出ていくのをベッドの中から見送った。



 俺が人間になって、わかったこと。どうやら俺の体は、あまり丈夫ではないようで。
 シグとこの海辺の町で暮らし始めてから、勝手がわからないまま体調を崩すことも珍しくなかった。特に冬場、温暖な気候とはいえ空気が冷えてくると寝込むこともある。
 とはいえ、シグの体もレスターやアレクほど丈夫じゃないから、二人して寝込むこともあって。

「……あのときほど、二人がこの町にいてくれて感謝したことなかったなぁ」

 俺の看病をしてくれていたシグが、リビングで倒れていたのを見つけてくれたのも、たまたま来たレスターだった。
 結局二人は正教会を飛び出した後、しばらく旅をしていたけれど。結局一年の半分ほどは、この町に滞在している。
 俺とシグが完治してからしこたま怒られたことを思い出し、笑いが漏れた。

「でも……」

 独り言が続けて落ちる。
 今回の体調不良については、原因がさっぱりわからない。
 だいたい風邪をひくことが多い俺だけれど、それとも少し違うように思えた。

 何せ熱はない。吐き気もない。とにかく体がだるくて、さっきシグが言ったように指先足先がひどく冷えている。
 それだけの症状なわけで、正直な話無理をすれば起き上がれないこともなかったし、普通に生活できなくもないけれど。手が冷たい、と俺よりも焦った顔をしたシグに止められるだろうことは容易に想像できた。
 早く治したいのはやまやまで。だけど、どうしたらいいかわからない。
 俺のこの妙な症状は、今日で三日目だ。

「できたぞ」
「ありがと」

 なにやらいい匂いがして、ゆっくり体を起こす。無理すんなと言いながら、サイドテーブルにトレイを置いたシグの手が、俺の背中に回った。

「大丈夫だって」
「いいから。寄りかかれよ」

 互いに言いながら、だけど優しく、俺の体を支えてくれる。
 クッションと枕が起き上がった背中側に差し入れられて、息を吐いてそれに寄りかかった。

「何作ったの?」
「こないだアレクに教えてもらったポトフ」
「良い匂い……」
「食べられそうか?」

 うん、と頷けば嬉しそうに笑うから、俺も嬉しくなった。

「口開けて」
「い、いいよ、自分で食えるって」
「やらせて」

 捨てられた子犬みたいな目。これはもう譲らないやつだと思いながら、渋々口を開ける。
 猫舌の俺のために、何度か息を吹きかけて。どうぞ、と差し出されたスプーンをぱくりと咥えた。
 じんわりとした温かさと、コンソメの香りが鼻に抜けるのを味わいながら、喉に流す。それほど時間は経っていないように思うのに、煮込まれた野菜の風味が優しいな、なんて思った。

 シグの目が口ほどに物を言うから、にこりと笑って美味しい、と答える。
 ほっとしたのか息を吐いて、じゃあもう一口、とスプーンを動かした。

「……俺、寝てた?」
「ん?なんで」
「なんか、すごく煮込んだような味がするから」

 二口目を入れてもらって、飲み込んでから疑問に思ったことを聞いてみる。
 ああ、とシグが笑って、その答えをくれた。

「昨日の夜のうちに作っといたから。今やったのは、あっため直してキャベツ追加しただけ」
「え、いつの間に」
「お前が寝た後に。いつもお前が具合悪い時はスープ欲しがるからさ。正解だったな」

 笑いながら言われたので、俺も笑ってそっか、と返す。
 本人はあまり得意じゃないなんて言っているけれど、こうして俺の好きな味のものを作ってくれることが単純に嬉しかった。
 もう少し、もう一口、と子供をあやすようにスプーンを繰り返し口へと運ばれて、結局シグが持ってきてくれた分を完食する。

「よし、食えたな。それじゃ寝てろ」
「……あのさ、シグ」
「ん?」

 俺のことを気遣ってくれるのは嬉しいけれど、俺だって心配だ。

「その、俺は大人しく寝てるから。お前も、無理とかすんなよ。また一緒に寝込みたくなんかないからさ」
「ああ、わかってる。おやすみ、エディ」
「――おやすみ」

 トレイを片づけようと立ち上がったシグを見送って、ベッドの中に戻る。
 ポトフを完食したからか、それとも足元に広がる湯たんぽの温かさのせいか。すぐに訪れた眠気に逆らうことなく、俺は静かに目を閉じた。



 暗い中を、ひとりで。ふわふわと漂うように歩いていることに気付く。
 不安や恐怖のようなものは微塵もなく、ただどこへともなく歩を進める俺は、悪魔と呼ばれていたころの俺だ。
 歌が好きだ。歌うことが、好きだ。だけど俺の歌を聞いてくれる奴は、誰もいない。

 人間たちの奏でる愛の歌も、友情のそれも。恩師に向けるものも、家族を夢見る曲も。
 何一つその題材には関係なく、俺の口から紡いでしまえば、歌はすべて滅びの歌になる。
 人は死んで、無機物は砂になり。後には何も残らない。

「――」

 それでも。それでも、歌いたくなる衝動は抑えることもできなくて。
 何より、人間の命なんて、営みなんて、どうでもよかったころの俺は、ひとり好きな歌を口ずさむ。
 そのうちに足元がどろどろしたものに変わっていることに気付いた。底なし沼のように蠢いて、それは俺を飲み込んでいく。
 手を伸ばす。飛ぼうとする。どれも叶わず、俺は落ちて行った。
 聞こえるのは、怨嗟の声。俺が消した、俺が壊したものたちの恨みの言葉。

「……うん」

 俺はそれを受け止めることしかできなくて、息苦しくなっていく体をぼんやりとたゆたう世界で重力を手放した。
 わかってるよ、と唇が動く。だけど。

「エディ?!」

 揺さぶられて目を開けた。思い切り至近距離で、濡れた長い睫毛が瞬く。

「……よ、かった……急に魘されだしたから」
「ん……夢、見てた……」

 体を離したシグを目で追って、テーブルに置かれた水が欲しいと強請る。
 体を起こし、コップに注がれたそれを受け取って、半分ほど一気に飲んだ。

「汗すごいな。着替え持ってくるわ」
「俺、どのぐらい寝てた?」
「半日ってとこだな。暑いか?」
「ううん」

 むしろ、掛け布団の中はちょうど心地いいぐらいの温度なのに。うなされていた俺は、全身にひどく汗を掻いていた。
 手早くタオルと着替えを持ってきてくれたシグに甘えて、一式変えてもらう。

「…………」
「見すぎ」
「仕方なくね?!」

 体を拭いてくれるのはありがたいけれど。その視線がどうしても気になって、茶化して言った。案の定、不満げな声が返ってきて苦笑する。
 ふふ、と笑った俺に唇を尖らせ、そのまま頬に触れる。

「こ、ら」
「いいだろ。移るもんでもなさそうだし」
「ん……」

 啄むように顔や首筋に唇を落とされ、手のひらがそっと撫でるそのわずかな感覚にすらぞくりとした。
 そういえば、と考える。いつから、してないんだっけ、と。

 俺の思考が不意にそちらへ飛んでったその瞬間に、インターホンが鳴って。びくっと身を竦ませた俺と、深いため息をついたシグの目が合う。
 ち、と舌打ちをひとつし、俺の服を手早く着させて。その間にも何度か鳴ったインターホンに急かされて、階下へと急いだ。

「びっくり、したぁ……」

 あまりに突然だったその音に、まだ心臓がどきどきしている。何度か深呼吸を繰り返していると、戻ってきたシグの後ろにアレクの姿が見えた。
 そして、そのさらに後ろには見知らぬ顔が覗いている。

「起きられるか?」
「うん、大丈夫」
「ごめんね急に」

 シグが部屋の中の椅子をセッティングし始めるのに合わせて、中に入ってきたアレクから果物の入った袋を受け取った。

「こっちはリーン。エディキエルの具合が良くならないってシグルドから相談されてさぁ、でも俺たちじゃよくわかんないから専門家連れてきたんだ」
「はじめまして、リーン・キルシュだ。よろしく」

 アレクの後ろにいた、眼鏡の女性が軽く顎を引いて言う。きりりとした美人だ。彼女と同じセリフを口にして、俺とシグは同時に頭を下げた。

「で、専門家って?」
「えーと、どっから説明したらいいかな」

 シグに椅子を勧められた二人が腰を下ろす。

「前はさぁ、正教会に協力してもらってたじゃない。二人の体のこと」
「ああ」
「でも、俺とレスターが所属するのをやめちゃったから、その、悪魔ってものに対して身体的なことを調べれられなくなっちゃったんだよね」

 別にそれは二人が悪いわけじゃない。ごめん、と俺が言うとアレクは笑って続ける。

「まあ、だけどさ。個人的に付き合いのある奴がたまたま近くにきてるって聞いて」
「で、それがわたし。昔は正教会にいたんだけど嫌気が差して……まぁこいつらと一緒だな。んで、二人とはそのあとも付き合いがあってさ」
「リーンは正教会で悪魔とそれに関わる人間の生態について研究してたんだ。俺が悪魔堕ちしたって気づいたのもこいつでさ」
「そんな大層なもんじゃない。医者の真似事してるってだけだ……そんで、えっと、エディキエルだっけか。ちょっと見せてもらってもいいか?」

 アレクとリーンと、二人の説明を受けて。ちら、とシグの方を見ると少し複雑そうな顔はしていたけれど、反対する気もないようだ。
 俺もアレクとレスターのことは信用しているし、その二人の知り合いというのだから目の前のリーンも信用しよう、と決めて頷いた。

「それじゃちょっと触るな。痛かったり、違和感があったりしたら教えてくれ」
「うん」

 もう一度頷いて、伸びてくる手に身を任せる。
 当然だけれど、シグのそれとは違う温かなそれに、なぜだか少し安心した。
 ひとしきり触診と言うか、俺の体を触り終えた彼女は顎に手をやり考える素振りをする。
 それから、シグを見て。また、俺に視線を戻した。

「症状も治療法も、そう珍しいものでもないし、今すぐ命に関わるようなものでもないから心配しなくていい」

 リーンのその言葉に、少なからずほっと胸をなでおろす。視界の端で、シグも同じように息を吐いたのがわかった。

「それで、どうすればいい?」

 俺よりも焦ったように聞くシグに、リーンが複雑そうな顔になる。

「……確認なんだけど、アレクとは逆で、悪魔から人間になったんだよな?」
「たぶん、そう」
「アレクの時にもあったけど、もともとの生態に引っ張られてるんだと思う」
「つまりほっとくと、悪魔に戻るってことか?」
 
 シグの疑問にこくりと頷いて。
 
「戻るだけならまだいいけど、人間だった時の記憶を全部失ったり、下手したら廃人みたいになる」
「……それが珍しくないって?」
「珍しくはないんだよ、変質したものにとっちゃさ」
「俺もなったしね。俺の場合、人間に引きずられたわけだけど」

 アレクの言葉に、今度はそっちを見た。
 それから軽く首を振って、リーンのほうに向き直る。

「それで、どうすればいい?」
「……アレクに聞け」
「お前ねぇ……別にいいけど」

 なんだか渋い顔をしたままのリーンが、話の矛先をアレクの方に振った。

「思い出して。なんで、エディキエルは人間になったんだっけ」
「え」
「あ」

 俺とシグの声が重なって、顔を見合わせて。
 たぶんその時の俺の顔は、真っ赤になっていたことだろう。

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