不運な俺の歩きかた。

あきら

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「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ」

 何の説得力もない言葉にとりあえず頷きを返してはみるものの、早くなった心臓が元に戻るわけもない。
 こちとら王政に縁のない日本男児で、まして有名人なんかに会ったことも見かけたことすらもないのだ。
 それを、「王はこちらです」なんて案内されて平常心を保てるかというと、まあ俺じゃなくても大半の人が無理だと思う。

「え、えど」
「大丈夫ですから。私もいますし」

 安心させてくれようとしているのだろう、優しい指先が背中を軽く叩いた。
 実際、いつまでも扉の前でうだうだしたところで、だ。俺は深呼吸をひとつすると、意を決して頷いた。
 それでは、とエドが一歩先に出る。それを見計らっていたかのように、でかくて豪華な扉は左右に開いた。

「ゆっくりでいいですよ、ナオト」

 緊張のあまり、手と足が一緒に出そうだ。
 何とか息を吐いて落ち着きを引き摺り戻し、歩調を合わせてくれているエドに続いて赤い絨毯の上を歩いていく。
 そして最奥まで辿り着くと、ここにくる直前教わった通りに片膝をついた。

「ご苦労だったな、エイドリアス」
「陛下におかれましては、ご機嫌麗しゅう」
「それで、そちらがもう一人の異界人か?」

 威厳のある声だ。だけどその中にこちらを気遣う優しさがうかがえて、少し安心した俺は、はい、と答える。
 顔を上げて楽にしろという言葉が続き、不安になって横をちらりと見た。小さな頷きに安心して、言われた通りに顔を上げる。
 先程中庭の木のところで見かけた青年を、四十年ほど歳を取らせて威厳と慈愛をトッピングしたらこうなるのかな、という雰囲気の男性が、奥の椅子から俺を見ていた。

「名は聞いている。ナオト殿」
「は、はい」
「愚息が失礼したようだ。代わって詫びよう」
「いや、えっと、そんなわざわざ詫びてもらうことでもない、です、はい」

 あわあわと両手を振り回す。どう見ても偉い人が俺に向かって頭を下げているのなんか、慣れるわけもない。

「俺としては、結果的に命を救ってもらったと思ってるんで」
「……そうか。寛大なその言葉、痛み入る」

 なんていうか、大袈裟な人だと思った。王様という立場にある以上、仕方ないのかもしれないけど。

「して、ナオト殿。改めて問いたいのだが」
「はい」
「情けなくも愚息はもう一人の異界人、アヤメ殿に夢中でな。おそらく彼女を神子として認定するであろう」
「まあ、そうでしょうね」
「儂とてそれに異論があるわけではない。が、ナオト殿を蔑ろにしたいわけでもない」

 なんとなく言いたいことは理解できる。

「不自由なく暮らせるよう、便宜を図らせてもらいたい」
「……あの、すみません。俺からも聞きたいことがいくつかありまして、答えていただけますか?」

 王様の言う、「不自由ない暮らし」に興味がないこともなかったが、それよりも疑問が大きかった。
 俺の言葉に彼はそうだなと小さくつぶやき息を吐く。

「構わぬ」
「ええと、ではお言葉に甘えて。そもそも神子とは何をする役割があるんですか?」

 王の目がちらりとエドを見た。が、エドは何を言うでもなく柔和な笑みを貼り付けたままだ。
 やがて焦れたのか、端正な顔に整えられた髭を擦りながら王は言った。

「この世界には、そなたの世界にはおらぬだろう魔物というやつが存在していてな。街には結界が貼られておるのだ、そやつらの侵入を防ぐために」
「結界……」
「結界がなければ、人は生活もままならん。魔物は人の肉を糧とするからな」

 そんなもの、想像すらしたくない。
 俺の顔色を見てか、王は小さく微笑んだ。

「案ずるでない、結界の中は安全だ。しかし、数百年も経てばその結界も脆くなっていく。それを張り直せるのが神子だけなのだ」
「……なるほど」
「まずはこの王都からはじまり、他の街の結界も張り直してもらうことになるだろう」
「実際にあちこちを回って、ですか?」
「ああ、そうだ。もっとも、その前にーー」

 続きを少しばかり言い淀んで、適切な言葉を探しているように思える。

「アヤメ殿には、しかるべき立場を与えてからになるがな」
「立場、とは」
「異界から来たと言うてみたところで、我が国の身分を持っているわけではない。後見人をつける、と言えばわかりやすいか?」

 王の言葉を頭の中で反芻して、自分なりに結論づけた。
 ということは、だ。

「ありがとうございます、お答えいただいて助かりました」
「おお、なに、気にするでない。それで」
「はい、身の振り方を決めました。俺はーー」





 ちら、と部屋に備え付けられた時計に目をやる。
 思っていたよりも気楽に済んだ謁見から、早3時間が経過していた。

「いくらなんでも遅すぎだろ」

 独り言をぼやいて椅子から立ち上がる。
 様子を確かめようと扉を開くと、メイド服の女性がそこにいた。ミオとは違う、小柄な女性だ。

「何か御用でしょうか?」
「あー……うん、えっと、エドは……」
「申し訳ありません、まだこちらへはお戻りになられていません。先程申し上げましたように、戻られればお知らせいたしますので」
「……そっか。じゃあ悪いんだけど、お茶のお代わりもらえますか?」
「はい、中で少々お待ちください」

 言って身を翻した彼女の反対側には、鈍く光る鎧に身を包んだ男性がいる。
 凝視してくるようなことはないが、多分にちらちらと見てくるから、物珍しいのかと思ったけれど、おそらく監視だ。
 へら、と笑って軽く手を振って見せ、扉を閉めて椅子に戻った。ほどなくしてさっきのメイドさんが新しいお茶を用意してくれる。

「ありがとう」
「いえ、仕事ですから」

 取り付く島もない。彼女が一礼して部屋を出たのを見送って、うん、と頷いた。

「軟禁だな、これは」

 かちゃりと置いたカップが音を立てる。

「どうやら、よっぽど俺を他所にやりたくないらしい」

 何しろこの待遇だ。
 王との謁見で俺が告げたのは、「旅に出たい」という話だった。
 何しろすべてがきな臭い。それは王との会話でさらに疑いを強めた。
 正直、あまりこの国に長居したくない。それでも「神子」としての役割が俺にあるなら話は別だが、あやめさんという存在がある限り、逆に俺自身火種になりかねないし。
 死ぬところを救ってもらったと思っているのは本当だけれど、正直なところ、俺はやっぱり俺自身のために生きていきたいのだ。

「さて、どうするかな」

 旅をしたいと言ったあと、せめて歓待と準備だけでもと流されてしまったのが失敗だった。
 とはいえ、今それを嘆いても仕方がない。

「まあこのくらい、銀行強盗と鉢合わせた時よりマシだし」

 あの時もひどかった。軟禁どころか、後ろ手で縛られてしまったためなかなか身動きが取れなくて。

「人質として押し込まれた二階から、カーテン使ったんだっけ……いけるかな」

 見慣れない形の窓に触れてみる。幸い、何か仕掛けがあることもなさそうだ。
 鍵は簡単なもので、俺でもすぐに開けられた。ゆっくり外に押し開くと、夕焼けの向こうから気持ちのいい風がふわりと入ってくる。下を見れば綺麗な芝生があった。高さはちょうど、あの時と同じくらいだ。

「……とりあえず必要なのは路銀、と」

 罪悪感は多少あったものの、このくらいいいだろう、とカーテンを纏めていたタッセルを四つほどポケットに頂戴した。さすが王宮のもの、細工も繊細でなんなら小さな宝石までついているから、たぶんそこそこの値で売れることだろう。
 それから、音を立てないよう扉の方に向かい極力静かに鍵をかけた。少しは時間稼ぎができそうだ。
 あとは、実行に移すだけ。心の中で謝りながらカーテンを引きずり下ろし、地面まで繋げて落とす。
 それを伝ってするすると下りれば、俺に待っているのは自由ーーのはず、だった。



 
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