Gemini

あきら

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 がくがくと、勝手に俺の足が震える。
 必死に息を吸って酸素を取り込んでいるのに、まだ解放してくれる気はないらしい。

「っ、ま、って……やすま、せて……っ」
「んー?じゃあこっち向いて」

 俯せになっていた肩を引かれて、されるがまま仰向けになる。くしゃ、と軽く俺の頭を撫でた手が離れて、そこでやっと深呼吸をした。

「ほら、口開けて」
「じ、自分で、飲むってば」

 離れた手が、ペットボトルの蓋を開ける。
 貸して、と言ってみるけど俺の意見は通らない。おもむろにその中身を口に含んだかと思うと、整った顔が近づいてくる。
 つう、と指先が俺の唇をなぞって。ほとんど反射的に開いた口に、薄く笑った唇が重なった。

「ん、う」

 口腔の体温でぬるくなった水が流れてくる。こぼさないように飲み下すと、満足そうに口は離れた。

「あ、ありがと」
「ん」

 笑う横顔を追いかけるように見つめる。
 やっぱり恰好いいなぁなんて考えていると、蓋を閉めたペットボトルをサイドテーブルに置いて。何やらその引き出しを探り始めた。

「ど、したの?」
「ちょっとな……あ、よかったあったわ」
「なにが?」

 少しばかり嫌な予感はしたけれど、とりあえず聞いてみる。すると、彼は振り返ってとてもいい笑顔で言った。

「ゴム。まだもうひと箱あった」
「……え?」
「つーわけで、まだできるよな?樹」

 にやり、と口角が上がる。
 それを目にして、ひ、と俺の口から引きつった声がこぼれた。



 うううう、と唸る俺の肩を、双子の弟が優しく叩いてくれる。

「なんなの?!なんなのあいつ!絶倫なの?!」
「樹、声でかいって。落ち着け」
「だってさぁ、ほんと、なんなの……無理って言ったって聞いてくんないし、意識飛ばしたのだって一回や二回じゃねぇし、なのに手加減もしてくれないし」
「よしよし」

 言ってるうちに涙が浮いてきて、ぎゅう、と楓に抱き着いた。

「それでか、何回か圭人が代わりに電話よこしたの」
「うう……俺が気絶してる間に泊まらせるって連絡入れてたっぽい」
「別に無断外泊しようが、もう二十歳過ぎてんだしそんな気にされないのにな。変なとこ律儀だなあいつ」

 笑いながら言うけど、笑いごとじゃない。
 楓と智にぃの仲が無事に進展したらしい今日この頃。それに反して、俺の悩みの種は。

 「いやでもまさか、圭人がそんなに絶倫だとは」

 ぽそりと楓がつぶやく。
 そう、俺の悩みの種は、恋人である圭人のその絶倫さにあった。

「確かにされるほうはけっこうしんどいよなそれじゃ」
「べ、べつに、別に痛いとか、嫌だとか、そういうわけじゃないんだけど。だけどさぁ、その、ヤり過ぎなんじゃないかって」
「俺らと比べてもしょうがないけど、まぁ、うん、なんだ」

 なんでもはっきりきっぱり言う性格の楓が、珍しく言いよどむ。

「もうちょっと気遣ってくれてもいいよなぁ」
「そうそれ!」

 よしよし、と俺の頭を撫でる楓の手が、背中に移動した。ぽんぽんと落ち着かせるみたいに優しく叩いてくれる。
 その仕草がまるで智にぃみたいだなと感じて、微笑ましく思えた。だけど。

「まぁ、あれだよ。何よりさぁ、それ目的だけみたいじゃん」
「……ちがう、と、おもい、たいけど」
「違うとは思うよ?俺も。ごめん、泣かないでよ樹」
「ないて、ない」
「……うん」

 泣いてない。そう言いながら、楓の肩にくっつけた額を上げることもできず。

「俺から言おうか?」

 そんな言葉に、少し考えて。いい、と首を横に振った。

「じぶん、で、言う」
「そっか。無理すんなよ、しんどいなら俺も付いてくから」
「……ありがと、楓」

 いえいえ、と冗談めかして言ってくれる弟の存在が、本当にありがたい。
 だから、抱きついたままの腕にもう一度力をこめる。

「強いって、樹」
「感謝の気持ち」
「まあ、俺の大事な兄貴を泣かせるようなやつは許せねぇし?」
「頼むから智にぃには言うなよ」
「言わねぇよ……その足で乗り込むだろあの人。殺しかねない」
「言えてる」

 今頃智にぃがくしゃみしてるんじゃないかな、なんて考えながら。
 たぶん同じことを考えた楓と、同時に小さく笑った。


 だけど、せっかく人がちゃんと話をしようと決意したその後から、なかなか俺と圭人は会うことができなくなっていた。
 いつも通り大学へ通って、空いている教室で弾くよとメールしてみても、ごめん行けない、という返事がくるだけだ。
 理由はいろいろだった。レポートが終わらないとか、ゼミの教授に手伝いを頼まれただとか。

「……別に、仕方ない、けど」

 ぽそ、と。一曲弾き終わって、独り言が漏れる。
 もう、三週間ぐらい顔を見ていない。話がどうとかより、単純に寂しさのほうが強くなってしまう。
 俺がため息をつくのに合わせたように、携帯電話がメッセージの到着を告げるから、もそもそと移動してそれを確認した。

『悪い、明日も会えそうにない。本当にごめん』
「……そっか」

 いいよ、がんばって、と心にもない返事をして、椅子に深く座り直した。
 学部もキャンパスも、同じ敷地内とはいえ異なる俺たちは、会おうと思わなければ会うことすらできないんだという事実を改めて噛みしめる。
 いつもは、圭人の方が来てくれていたから。そんなことを実感する暇もなかったけれど、当たり前のことだ。

「――よし」

 いつまでもこうしてても何も変わらない。椅子から立ち上がり、戸締りをして空き教室を出る。
 途中で圭人の好きなコーヒーを買って、俺は工学部のキャンパスへ向かうことにした。
 歩いて数分の距離だけれど、ずいぶん長く感じる。何しろ、入学してから他の建物のほうへ行くことなんてなくて。
 そもそも臆病で引っ込み思案で人見知りの俺には、知らない場所というだけでハードルが高すぎるのだ。

「ううう」

 軽く頭を振り、いつの間にか止まってしまっていた足を踏み出す。
 圭人に、会いたかった。
 話だとか、そういうものはとりあえず全部横に放り投げて、ただ、会いたいという気持ちのほうが大きくなっていた。

「ひっろ、いな……どこって言ってたっけ」

 少し急ぎ足できたせいで、軽く上がった息を整える。
 確か、と以前聞いたおぼろげな記憶を頼りに、圭人が普段いるだろう建物の方へと足を向けた。
 こっちにもカフェテラスがあるんだな、と周囲を見回しながら、奥にある目的の建物を目指す。
 中に入るのは少し気が引けたので、本当にここにいるのか辺りの人に聞いてみようか、なんて考えた。

「あれ?あんた、うちの学部じゃねえよな?」

 不意にかけられた声に振り向く。俺より頭ひとつ分ぐらい低い位置から、その声はした。

「どっかで見た気はすっけど。一応そこの建物、部外者立ち入り禁止なんだわ」
「あ、え、えっと、すみませ、ん」
「いいって、入ってないんだから。で、部外者がこんなとこでどうした?」
「あの、えっと、人を、探し、てて」

 にか、と笑ってくれたので少し安心して聞いてみる。
 まあ座れよと近くのベンチを指され、大人しく従った。

「誰探してんの?俺の知ってる奴なら、呼んできてやるよ」
「い、いや、悪い、し」
「大した手間じゃねえし、ちょうど今暇してたとこなんだ。気にすんなって」

 それなら、という思いと、いやでもやっぱり自分で、という思いが混ざり合う。
 結局断ろうとしたところで、俺の横に座った彼は、あ、と声を上げた。

「よう!今終わりか?」
「ったく、まだあるっつの。お前も手伝えよ」

 聞き慣れた声に、思わず振り向く。驚いた目が、俺を見た。

「樹?!なんでここに」
「あ、それは、その」

 うまく言葉を紡げなくて、眉が下がる。こういうときの自分が、本当に嫌だ。

「なんだ探してたのって圭人のことかよ」
「は、はい」
「探してた?おい佐倉どーいうことだよ」
「どうもこうも。こいつがそっちの研究棟行こうとしてたから止めたら、誰か探してるって言うからさ」

 圭人が佐倉、と呼んだ彼を見て。それからまた、その視線が俺に戻った。
 眉を顰めて、口元は笑っているけれど目が笑っていない。そんな初めて見る顔に、びくりと体がすくむ。
 来ちゃいけなかったんだろうか。やっぱり、俺なんかを友達と会わせてしまったことに後悔しているんだろうか、とぐるぐると嫌な考えが頭の中を巡った。

「樹、せっかく来てくれたのに悪い。さっきメールした通りで」
「う、うん。いいよ、俺が勝手に近くまできちゃっただけだから。はいこれ、差し入れ、頑張ってね」

 幸か不幸か、こういう時に取り繕うのは得意だ。
 にこ、と笑って手の中のコーヒーを押し付けるように渡してやる。

「樹、あとで連絡するから」
「いいって、無理しなくて。お前にはお前のやることがあるんだろ?俺なら大丈夫だから」
「連絡する」

 真剣な目と声。だけど、俺の唇は嘘ばかりつく。

「……わかったよ。それじゃ」
「ああ」

 ひらりと手を振って踵を返し、自分のキャンパスに戻ろうと、気づけば震えていた膝を叱咤し、何とか逃げるようにしてその場から立ち去った。



 ぼたぼたと落ちる涙が鬱陶しいけれど、なかなか止まってくれない。
 どうしよう、と考えた。こんな状態じゃ、楓にも会えないし智にぃにはもっと会えない。
 二人とも、圭人に何するかわかったもんじゃない、と思えば少しだけ笑いが零れた。

 とりあえず、楓にだけメールを送っておく。少し遅くなる、とだけ。
 がんばれよ、なんて優しい返事が届いて、俺は抱えた膝に顔を埋めた。
 結局、俺は何も変われてない。見た目だけ変えても、中身は俺のままで。楓みたいにはできない。

「……がんばったよなぁ……」

 あの場で泣き出したり取り乱したりせず、表面だけでも普通にできた自分を褒めてやりたくて、そんな言葉が零れた。
 俺のスマホが光って、今度は着信を知らせた。楓かな、と思って画面を見てみると、そこに表示されたのは圭人の名前だ。
 嫌だ、と思った。何を言われても、変なことを口走ってしまいそうで。
 気づかないふりをして、その着信には出ずにスマホをひっくり返す。

「かえら、ないと」

 ぼそりとつぶやいてはみるけれど、体がひどく重かった。
 サークル棟の、その一室。あまり顔は出せてないし活動頻度も低いけれど、一応俺が所属しているカードゲームのサークルが利用している部屋で、ごろりと横になる。
 そのままうとうとしてしまい、気づけばとっくに日は暮れて、あたりは真っ暗になっていた。
 さすがにまずいと起き上がり、鞄を手に取る。電気を消して、とにかく帰ろう、と放りっぱなしのスマホを掴んだ。

「――うわ」

 画面を埋めつくす着信履歴。ほとんどが圭人だけれど、楓や智にぃの名前もある。
 思ったよりも遅くなって、心配かけてるよな、ととりあえず楓に電話しようと、スマホの画面に触れた。
 その瞬間、電話がかかってきて。指を置いていた俺は、うっかり出てしまう。

『樹?!無事なのか?!』
「え、ぶ、無事、って」
『メールの返事もねーし電話にも出ねーし!楓や智にぃに聞いてもわかんねーし、あの二人からの電話にも』
「わ、わかった、わかったから、そんな大きな声出さなくても聞こえるから!」

 案の定、その相手は俺が通話したくないと思っていた圭人で。
 一方的に大きな声で捲し立ててくるから、なんとかその言葉を遮った。

『無事、なんだな?』
「う、うん……ごめん、心配かけて」
『何もねーならいいんだよ。どこにいんのお前』
「えっと、サークル棟――」
『サークル棟な、わかった』

 言って、これまた一方的に電話が切れる。
 少しの間呆然としていた俺は、自分が今居場所を言ってしまったことに気づくまで時間が必要だった。
 はっとして立ち上がったけれどもう遅い。無遠慮に扉が開けられて、その向こうには携帯電話を手にした圭人が立っている。

「樹」
「あ、っと、そ、その」

 戸惑う俺の顔に、圭人の両手が触れた。
 あちこち確かめるように触れてから、ぎゅう、と抱きしめられる。

「ご、ごめん、俺、その」
「いいから。何かあったわけじゃないんだよな?無事なんだろ?」

 その声は、なんだか泣き出しそうに聞こえて。
 うん、と頷くと、肩の方で深く息を吐く音が聞こえた。

「ったく……あんま心配かけんな。ちょっと楓に電話だけする」
「え?」
「あーもしもし?おう、いたわ。悪い、智にぃにも言っといてくれよ」

 俺から体を離し、電話をかけて。どうせ一緒にいんだろ、なんて笑う声をどこか他人事のように聞く。

「おう、送ってく。じゃあな」
「……圭人」
「ん?どうした、ほら帰ろうぜ。家まで送るから」

 電話を切って、振り向いて。
 俺と目が合った圭人が、ぎょっとして固まった。

「ちょ、な、なんだよ、どしたの、なあ」
「な、にが」
「なんでお前泣いてんの?ごめん、俺?俺のせいか?」

 あわあわと両手を上下に動かしながら、焦った顔で俺をなだめようとするから、なんだかおかしくなってしまう。
 笑ったつもりがたぶんあまり笑えてなくて、圭人が余計に眉を八の字に下げた。

「圭人の、せいじゃない……俺が、悪いだけ」
「馬鹿なこというなよ。お前の何が悪いって言うんだ」

 それには答えず、静かに首を横に振る。

「……あの、さぁ……」
「なに、なんでも言って。なんでも聞くから」
「これから、おまえんち、いってもいい?」

 きゅ、と。
 圭人の胸辺りの服を弱々しく掴んで、つぶやくように言った。
 伝わってくるのは、戸惑いと困ったような空気で。嫌が応にも俺はそれを感じ取ってしまって、またぼろりと涙が落ちる。

「……ご、ごめん。忙しい、んだもんな」
「いやそれは――」
「ほんと、ごめん。大丈夫、俺、ひとりで帰るし」
「――っ、樹!」

 鞄を持っていたほうの手首を捕まえられ、僅かに痛みが走った。

「ごめん、違う、そうじゃない。大丈夫だから、うち来て」
「で、も」
「ちゃんと話すから。お前も言いたいことあんなら言って。お願い」

 ぐい、と引き寄せられて体が圭人の腕の中に入り込む。
 いいのかな、なんて。頭のどこかで後ろ向きなことを考えながらも、俺は小さく頷きを返した。



 とあるマンションの一室。
 このマンション自体が親の持ち物らしいけれど、深くは聞いていない。ちょっと聞くのは怖いし。
 その一室が、圭人の部屋だ。到底、学生が一人暮らしするようなマンションではないのだけれど、そこはまぁ、親心なんだろう。

「お邪魔、します」

 小さく言って、靴を脱ぐ。当然のようにオートロックで、俺の背中側から鍵のかかる音がした。
 こっち、と。手首を掴まれたまま、廊下を抜けて広いリビングへ誘導される。大学からずっとそのままで、何度か離してとは言ってみたものの、誰に見られることもなく部屋まで帰り着いてしまった。
 所在無く、促されるままソファーに腰を下す。

「なんか飲むか」
「う、ううん、大丈夫」

 若干低い気がする声音に、首を横に振って答えた。そうか、と返ってきて、少しのあと俺の横に圭人が座る。肩が触れそうな距離に、そんな場合じゃないけれどどきりとした。

「――ごめん」

 先にそう言ったのは圭人の方だ。

「傷つけるつもりじゃなかった……何言っても言い訳にしかならないけど」
「ど、どういう、こと?」
「気づいてたかどうか、わかんねーけど。ここしばらく、お前のこと避けてた」

 疑問よりも納得が勝って、こくりと頷く。

「忙しかったのも本当だけど。会えないほどじゃなかった」
「……なんで、避けてたんだよ?」
「そ、それは」

 ぐ、と言葉を詰まらせ言い淀むから、ああやっぱり、と俺のネガティブな部分が顔を覗かせた。

「俺と、いるの……恥ずかしい?」
「樹?」
「友達とかに、俺といんの見られるのとか嫌なんだろ?だから」
「待て、待てって。なんでそんな方向に話が行くんだよ」
「今日……あの、人、佐倉?って人といたとき……お前、笑ってなかった」

 俺の言葉に、圭人が深く息を吐く。
 言葉を探しているみたいだったから、いいよ、と小さくつぶやいた。

「いいよ、言い訳探さなくて。俺は、慣れてるから」
「違う!」
「っ」

 突然の大きな声に、びくりとソファーから跳ね上がる。
 
「そうじゃ、なくて……ああもう、くそ」

 がしがしと乱暴に頭を掻いて、また息を吐き出して。それから天井を見上げ、違うんだと繰り返した。

「し、っと、した」
「は?」
「だから!お前が!佐倉と話してんの見て、その、佐倉に、めちゃくちゃ嫉妬したの!」

 きょとんとした俺に手を伸ばし、ぎゅうぎゅうに抱きしめて。

「あーもう、かっこ悪……必死に我慢してたっつーのに」
「我慢?何を?」
「あ、いや、だから態度にだな」

 明らかな嘘だとわかるほどに声に動揺が滲み出ているから、つい笑ってしまう。

「なんだよ」
「嘘が下手だなと思って。ちゃんと話すって言ったのも嘘?」
「……違う」

 言いながら、俺から腕をゆっくりと離した。
 
「お前に触るの、我慢してた」
「……だから、避けてたってこと?」
「そう」

 なんで、と問う俺の唇は、少し震えていたかもしれない。
 圭人の手が頬に触れて、柔く耳を撫でる。ぴく、とわずかに肩が跳ねた。

「会えば、触りたくなる」
「さ、さわる、って」
「今だってそうだ。押し倒して服脱がして、身体中触って鳴かせたい」
「な、なな、な、っ」
「体の内側触って気持ちよくしてやって、受け入れて欲しい。そんなことばっか考えてる」

 懺悔のようにこぼす圭人の言葉に、顔が熱くなる。
 
「……でも、さあ。やっぱり、キツいだろ?」
「え、えっ、と」
「ちょくちょくお前、意識飛ばしてるし。俺としてはまだ足りないくらいなんだけど」

 ぼそりとつぶやいた言葉に、頭を抱えたくなった。
 今までを散々絶倫だと言ってきたけれど、それでもまだ足りない、なんて。
 だけど同時に、鳩尾のあたりが温かくなるような感覚があって。嬉しい、確かにそんな感情がそこに存在する。

「やっぱ、どう考えてもお前の負担が大きいわけだし。だったら少しぐらい我慢しなきゃなって」
「……三週間が、少し?」
「あ、いや、その。ここまで長引く予定じゃなかった」

 忙しいのは半分本当だったらしく、違うと首を横に振った。
 でも、俺はもはやそんなことはどうでもよくて、ただただ、嬉しい。
 圭人が俺がしんどいんじゃないかってちゃんと考えてくれていたこと。それでも足りないと思っていたこと。足りないくせに、俺のために我慢しようとしてくれていたこと。全部が嬉しくなって、今度は俺から抱きついた。

「い、樹」
「ありがと、嬉しい」
「いや……悪い。お前に変な誤解させて。ちゃんと否定させてくれよ、な?」

 もうわかったから大丈夫だよ、と答えると、ちゅ、と音を立てて唇が俺のそれに触れた。



 水音が広い寝室に響く。

「っ、は……どしたの、お前」

 俺の中を抉る、凶器みたいなそれがずるりと引き抜かれて。ひく、と勝手に動く後孔を、指先でなぞられて震えた。
 なにが、と覚束ない声で問う。体を起こされ、向かい合わせに乗せられて、かぷりと首筋に噛みつかれた。

「なんか、いつもより感じてる」
「わ、わかん、な……あ、っ!」

 人が話している最中に腰を持ち上げられて、さっき抜かれたそれがまた入ってくるから、背筋を反らす。
 後ろに倒れそうになる体を圭人の手が支えて、前に押された。

「ん、っ……も、そんな、きゅう、に」
「ごめんって。ほら腕、こっち回して」
「あ、ぅ……ん、っ、あ、ふぁ」

 しがみつくように肩から背中へと腕を誘導され、軽い引っ掻き傷を作ってしまう。
 けれど、圭人はその瞬間、なぜだかすごく嬉しそうに笑った。

「ん、いいな、それ」

 俺を揺さぶっていた動きを止めて、頬に唇で触れながら言う。

「もっと跡つけて」
「な、だ、だめ、だろ」
「駄目じゃない。お前が俺にくれるもんなら、なんでも嬉しい」
「ばか、っ、あ、ああぁ、あうっ」

 馬鹿、という言葉に合わせるように腰を動かされて、俺の声はまた融けていってしまって。
 がり、と爪を立てれば痛みに眉を顰めるものの、それも一瞬だ。

「樹……すき」
「ん、うっ、あ、あぁ、お、れも……っ」
「すき。すきだよ、どうしようもなく」

 まるで耳から甘いはちみつを流し込まれているみたいな気分になりながら、俺はまた圭人の背中に傷を作った。
 どく、と。俺の中の圭人が脈打つ。ぞくぞくとしたものが背中を這い上がって、ほとんど同時に俺も達した。だけど、その感覚はいつもと違って。

「……樹?」
「ん……?な、に……?」
「でてない」

 圭人の指が俺自身に触れる。固く上を向いたままのそこが、ひくりと震えた。

「腰あげて」
「……ん……」

 どこかふわふわしたまま、言われた通りにする。

「あ、ふぁ……っ」

 体の中から出て行くその感覚に、勝手に声が零れた。

「出さないでイけんの?」
「しら、なっ、あ、だめ、っ」

 悪戯するみたいに柔く撫でられて、それだけでも体は跳ねて。
 ぎゅう、と回したままの腕に力をこめて抱きつけば、背中をそっと叩かれた。

「……大丈夫か?」
「へい、き……圭人は……?」
「俺?俺は、えっと」

 なんだかはっきりしないので、少し体をずらす。
 気になってしまったら見てみたくて、そのまま圭人自身に触れた。こら、という声は無視して、よいしょ、とゴムを外す。

「うわ、すごい量」
「ちょ、おま、な、っ、んで、そういう、こと言うかな」
「事実じゃん……こぼれそう」

 とぷ、と音を立てそうなほどの量に、思わず率直な感想が漏れた。
 すかさず取り上げられて、ティッシュと共にゴミ箱へ放られるのを見送っていると、圭人が俺の頭をくしゃりと撫でる。

「とりあえずシャワーと……樹はどーする、泊まってくか?帰るなら送ってくけど」
「え?」
「え?」

 思わず聞き返すと、まったく同じ声を返された。

「え、なに?」
「なに、って……」

 一回しかしてないのに、と言いかけて止まる。
 圭人が俺の顔を覗き込んできて、それからゆっくりと口角を上げた。
 今、俺はどんな顔をしてるんだろうか。あんなに絶倫だと責め立てて、なんなら楓にも泣きついて。
 そのぐらい、困っていたはずなのに。

「……樹」
「っ、け、いと」

 伸ばされる手。頬から唇へ、確かめるようになぞる。
 正面から見つめる圭人の両目に映る色は、圭人のものなのか、それとも、俺のものなのか。
 なんだか頭の中まで浸されていくような感覚の中で、ああそうかと一人納得した。

 明日帰ったら、ちゃんと楓に説明しよう。呆れられることは絶対だけど。
 結局俺だって、圭人が欲しがってくれることが嬉しくて仕方ないんだ、って。



「馬鹿じゃないの」
「ごめんって」
「俺もう樹の心配なんかしてやんない」
「ごめんね」
「うううう……圭人から連絡つかないって電話きたとき本当に焦ったんだからな」
「うん」
「智にぃにも連絡してさぁ、ほんと、ほんとに……こわかった……」
「……心配ばっかかけて、駄目な兄貴でごめんな」
「ばか。おれ、は、樹が、しあわせじゃないとだめ、なんだからな」
「うん、ありがと。ほら楓、もう泣くなよ」
「……ん」

「完全に俺ら蚊帳の外じゃん」
「あはは、まぁ仕方ないよねぇ」
「……あの二人っていつもあんな感じ?」
「わりと。妬けるでしょ」
「めちゃくちゃ妬ける」
「何馬鹿なこと言ってんの二人とも。ほら智にぃ、楓のことよろしく」

 
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