Bloody Rose〜血染め女王の罪と罰〜

鳩谷つむぎ

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夢と過去の記憶4

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翌日、アリアはエルナに用意した庶民の衣服を提示した。

それは安っぽいウール素材でできており、小汚い灰色をした、いかにもみすぼらしい服装であった。

頭を隠すのに必要な古びた頭巾もセットで用意されていた。

エルナは自分の想像を遥かに超える服装が用意されたことに対し、怒りを抑えきれずにアリアにぶつける。

「何よこれは! こんな物を私に着ろと言うの? お前は服のセンスがあると思っていたけれど、私の思い違いだったようね! こんなみすぼらしい格好をするなんてあり得ないわ!」

エルナの怒鳴り声が廊下に響く。アリアはエルナのに触れてしまい、身を縮めてワナワナと震えている。

「あら、それなら行かなくてもいいわよ」

突然エルナの背後から声がした。

振り向くとそこには、姉のハンナが無表情で立っていた。

「お……お姉様」

エルナは顔をひきつらせた。

「エルナ、あなたが私の命令に背くのならそれでもいいわ。お父様やお母様にきついお叱りを受けるだろうけど。嫌なら私が直接調査に行くし」

ハンナはアリアの手前、そう言いながら、アリアに聞こえない様にエルナの耳元で呟いた。

「フィーネと接点を持つチャンスを棒にふりたいのならそうしなさいな。私はどちらでも構わないわ」

エルナは怒りをグッと堪え、ハンナに向き合った。

「取り乱してしまい、申し訳ございません、お姉様。しっかりと調査をして参りますわ……」

そう言い、アリアから庶民の服装をひったくる様にして奪い、自室へ駆け込んだ。

「……」

アリアは怯えているような表情を見せながらも、瞳の奥には『無』を感じさせる。

「ねえ、アリア。あなたもしかして……」

ハンナは何か言いかけたが、すぐに首を横に振った。

「いえ、何でもないわ。もう下がっていいわよ」

アリアの肩をポンと軽く叩き、くるりと背を向け、自身の部屋がある地下室へ戻ろうとすると……

「ハンナ様」

アリアに呼び止められた。

その顔つきには、先程までエルナに対して見せた『怯え』の感情は存在していない。

むしろある種の威圧感のような空気を纏っている。

ハンナは何か、自分の好奇心が強く刺激されるのを感じた。

「あら、どうしたの?」

アリアは周囲を警戒するように、ぐるりと見渡した後、ハンナに向き直る。

「……失礼ながら、ハンナ様にご相談がございます。ここでは少し申し上げにくいのですが……」

視線を少しずらして言う。

「わかったわ。それなら、私の部屋はどう? 地下だし、誰も来ないわ」

地下室にあるのは、ハンナの自室と図書館のみ。

薄暗く、何となく不気味な感じが漂っているからか、誰も積極的に地下へ近づこうとはしない。

確かに極秘事項等を話すには最適である。

「お心遣い、感謝いたします」

こうしてアリアはハンナの後をついて、地下へ降りて行った。

いつもエルナに対して見せている侍女の顔を捨てて、アリアは小さく微笑んでいた。


一方で、自室に戻ったエルナは鏡を見ながらため息をついた。

「本当になんて汚らしい……。フィーネに近づくためとはいえ、こんな……。でも全てはオリバーを屈服させるため……」

エルナは目的達成のためと自分に言い聞かせ、部屋を出た。

今からフィーネが日頃から食料調達に来ている市場へ向かうのだが、庶民の格好をしているとはいえ、万が一の場合に備えて、護衛は当然つけている。


エルナから少し離れた所から見守る形になるが。

市場の近くまでは馬車で移動し、そこからは怪しまれない様に徒歩で市場へと向かう。

おおよそ三十分かけて市場へ到着した頃にはエルナの体力がほぼ無くなっていた。

「はあ……はあ……もう……無理」

エルナは肩で激しく息をする。

普段から移動手段は馬車なので、歩くことなど滅多にない。

途中で何度も休憩しながら漸く市場にたどり着いたのである。

「フィーネを……探さないと……」

市場はたくさんの人々でごった返しており、フィーネを探すも、多くの人が集まる場所でそう簡単に見つかる筈はない。

使用人とハンナの情報で、毎日この時間にフィーネがこの市場に来ることはわかっていたが、それでも大勢の人々が押し寄せる市場で彼女を見つけることなど困難極まりない。

最早無謀である。

「人が多すぎるわ……」

エルナはキョロキョロと辺りを見回しながら探していたが、慣れない人混みに酔い、その場でってしまった。

行き交う人々から、邪魔だと罵声を浴びせられても、怒る気力もなく、その場にへたり込んでしまっていた。

「あの……大丈夫ですか……? 立てますか?」

その時、同年代位の少女が、動けず地面に座り込んでいるエルナに声をかけて来た。
エルナは力なく首を横に振る。

「ここは危ないので、とりあえず端の方へ移動しましょう」

少女はエルナの体を必死に支えながら、人混みを抜け、近くにあった大きな木の陰に彼女を連れていく。

「水分も摂った方がいいと思うから、これをどうぞ」

少女は腰にかけている羊の皮で出来た水筒をエルナに手渡した。

エルナは黙って受け取り、一気に飲み干した。

どこの誰ともわからない少女から受け取った水など、危険すぎて普通は飲まないが、エルナは喉の乾きと疲れの方が勝っていたため、少女の言う通りにしたのだった。

少女は心配そうな顔つきでエルナを見つめる。

「あ! ちょっと血が出ていますね! さっき擦りむいちゃったのかな……?」

エルナの左手に目を遣ると、薄らと血が滲んでいた。

フィーネは鞄の中から軟膏を取り出した。

「少し染みるかもしれないけど、雑菌が入るといけないので、手当てをしても良いですか?」

「……」

エルナは無言のまま、弱々しく頷く。

少女は手際よく、エルナの左手の傷に、軟膏を塗り込んでいく。

「っ……」

傷口に軟膏がしみたのか、エルナは思わず顔を顰める。

「大丈夫ですか? 痛かったですよね……。でもお薬塗ったので、もう大丈夫だと思います」

少女は軟膏を鞄の中にしまいながら、優しくエルナを励ます。

「……」

今まで人にあまり優しくされたことがないエルナは、少女の行動に驚きを隠せない。

……今の私は庶民の格好をしているから、バイゼル家の人間とはわからない筈……。

それなのに……どうしてこの子は見ず知らずの人間に優しく出来るのかしら……?

エルナは改めて少女の顔を見る。

小柄で華奢、愛想の良さそうな少女だった。

そして、右目は自分と同じ青い瞳をしているが、左目は深く、澄んだ緑色をしていたのだ。

エルナは驚き、思わず叫びそうになるのを何とか堪えた。

間違いない……!この子、フィーネだわ! 

左目だけが緑色の人間なんてそうそういないもの。

何としても彼女と接点を持ち、こちら側に引き込まなければ……。

エルナは初めてフィーネに口を開いた。

「ありがとう。助かったわ。私はエルナ。あなたは?」

家族以外に感謝の言葉など、これまでにただの一度も口にしたことがないが、エルナは必死に良い娘を演じようとした。

「元気になったみたいでよかった。私はフィーネと言います」

フィーネは穏やかな笑みをエルナに向けた。

「あなたはここで何をしていたの?」

聞くまでもなく買い出しなのだが、エルナは他に何を聞けばいいのか分からなかった。

「食材の買い出しです。私は王家に仕えていて、晩ご飯の買い出しに来ています。と言っても王家の方々のではなく、あくまで我々使用人のですが……。エルナさん、あなたも買い出しですか?」

フィーネに問われ、エルナは正体を明かすことにした。

ハンナからフィーネに接触できたら自らの正体を明かせと言われている。

「いいえ。私はバイゼル家の人間だけれど、今日はお姉様の御命令で、この市場で庶民の暮らしはどんな感じなのか調査してくる様に言われたの」

フィーネはそれを聞いて驚き、地面に顔をつけて土下座をした。

「バイゼル家! も……申し訳ございません! 失礼な事をしてしまいました」

エルナは、ふうっとため息を吐き静かに言った。

「……まあ、良いわ」

フィーネは相変わらず地面に顔をつけたまま、ありがとうございます! と力強く言った。

「そろそろ顔を上げなさい」

エルナに促され、フィーネはゆっくりと顔を上げる。

改めてエルナを見ると、小汚い格好をしているが、その隠し切れていない美貌に圧倒され、思わず息を飲む。

「あなた、王家に仕えていると言っていたけど」

エルナは白々しく尋ねる。

「は……はい。私はローレン家に仕えております」

フィーネは緊張からか、った声で答えた。

「ふうん。この前お母様がお茶会を開かれた時に、オリバーという少年も一緒に来ていたわ。あまりお話はしていないけれど」

エルナはオリバーとあったことは当然フィーネには伏せた。

「オリバー様ですか! オリバー様は大変素晴らしいお方で、私の様な末端の使用人でさえも、気さくに接して下さります」

オリバーの名前が出て、フィーネはやや興奮気味にエルナに言った。

オリバーのことが大嫌いなエルナはいくら復讐計画のためといえど、オリバーを称賛する言葉など聞きたくもないため、表情に出ない様に必死に取り繕いながらも、心の中で思い切り毒づいていた。

「そ……そうなの。彼のことは良く知らないわ。あ! 私が調査に来ていたことは、他家に知られるのはまずいから、今日ここで私と出会ったことは絶対に他言しないこと」

エルナは念を押す様に言う。

「オリバーは勿論、誰一人としてダメよ」

フィーネは少しも疑うことなく頷く。

「かしこまりました。絶対に他言は致しません」

「それにしても……」

エルナはフィーネの顔をまじまじと見る。美しいエルナに見つめられて、フィーネは顔を紅潮させた。

エルナの美しさは、女性であっても圧倒され、見惚れてしまう様だ。

「あなた、目の色が左右で違うのね。左目だけ緑色……初めて見たわ」

「これは、母譲りですね。母が片目だけ緑色をしていて、私にも受け継がれた様です。左右で目の色が違うことを『オッドアイ』っていうみたいです」

フィーネは少しはにかみながら答える。

「オッドアイ……。初めて聞いたわ」

「そうですよね。左右で違う瞳の色の人ってあまりいないみたいで、初対面の人には驚かれることも多いです」

人懐こい笑顔で話すフィーネは、誰からも好かれそうな感じである。

「まあ、驚くわよね。この目のことで嫌なことを言われたりしないの……?」

「うーん。確かにからかってくる人もたまにいますけど、あまり気にしてないですね! 周囲には優しい人が多いですし、その人達はこの目のこと悪く言ったりしないので」

「そう……。あなたの周りには良い人が多いのね」

「はい!」

フィーネが明るい口調でそう答えた後、二人の間にわずかな沈黙が流れた。

しかし不思議と、居心地の悪さはない。

フィーネの醸し出す柔らかな雰囲気が心地良さを作っている様だ。

「……ねえ」

エルナが再度口を開く。

「私と繋がっていると知られるのはダメだけれど……またあなたとお話したいわ。今日は体調も崩してしまったから、ろくに調査もできなかったし……。あなたは毎日この市場へ買い出しに来てるの?」

思いもよらぬエルナの言葉に、フィーネは驚きながら返す。

「は……はい。毎日この時間にここへ来ています」

「そう。なら問題ないわね。私も調査のために暫くここに通うことになる。一ヶ月くらいね。あなた明日から少し早くこの場所に来なさいよ。買い出しの前に少しお話する位は出来るでしょう?」

フィーネは突然のことに頭の整理が追いついていなかったが、バイゼル家の娘からの頼みとあれば、断る訳にはいかなかった。

「も……勿論です! 私でよろしければ喜んで」

フィーネは勢いよく答えた。

「じゃあ決まりね。さて、今日は帰るわ。また明日ね、フィーネ」

そう言うとエルナは立ち上がり、フィーネに背を向けた。

帰り道、エルナは馬車が待機している場所まで再び歩かなければならなかった。

……さすがにこんなに歩くのはきつい。明日から毎日この距離は無理だわ。

疲れた体を引き摺るように歩き、漸く馬車が待つ場所へたどり着くと、倒れ込むように馬車に乗り込んだ。

馬車の揺れがいつもより心地よく感じられ、心身共に疲弊していたので、エルナはすぐに眠りに落ちた。

城に着いても目覚める様子がなかったので、護衛はハンナの命令通りエルナを彼女の自室ではなく、ハンナの部屋に運んだ。


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