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過去と夢の記憶9
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体に異変を感じ、その場で蹲っていたフィーネの元にやって来たのはハンナだった。
エルナが持参したカップに盛られていた遅効性の毒が全身に周り、苦悶の表情を浮かべるフィーネに、彼女は濃い緑色をした液体を飲ませた。
これは解毒睡眠薬と忘却の薬を調合した物で、フィーネは市場でエルナと別れた後の記憶を綺麗さっぱり無くしてしまう。
その後、解毒睡眠薬の効果で体の中から毒が消え、眠りについたフィーネをハンナの護衛がバイゼル家まで運ぶ。
そしてエルナが就寝する時間までハンナの部屋にフィーネを寝かせておいたのだ。
その後、フィーネが着ていた服のポケットに小型のナイフを忍ばせ、時を見計ってフィーネをエルナの部屋に運び、床に寝かせ、彼女が目覚めるのを待った。
尚、ハンナはその時に協力した護衛とエルナの市場調査を見守っていた護衛にも忘却の薬を飲ませ、記憶を抹消している。
つまりこの計画の真相を知る者はエルナとハンナの二人のみである。
「うまくいきましたわね」
エルナが言う。
つい先程まで、恐怖で顔をひきつらせ、目に涙を浮かべていたのが嘘のようである。
天使のような、しかし悪意に満ち足りた笑みを溢していた。
エルナのあまりの変わり様に笑いを堪えながら、油断している彼女を諭す。
「気を抜くには早いわよ。むしろここからが本番。明日には裁判が行われて、このままだとフィーネは死刑になるけど、そうせずに一生仕えさせるんでしょう?」
「はい」
気を抜くなと言われたエルナは不機嫌そうな声色で返す。
「だったらまずはお父様とお母様を説得しなきゃならないわ。いくら被害にあった本人が死刑回避を求めても、あんたはまだ十歳。どれだけ聞き入れられるか分からないもの」
基本的にバイゼル家の敷地内で起きた事件は、バイゼル家の人間のみで裁判をし、判決を下せる。
その際は事件当事者の意見や主張が最も判決に影響を与えるが、それは齢十五からである。
十五未満ではまだ未熟とされ参考程度という扱いになる。
「前にお母様から説明されていたと思うけど、詳しい仕組みや進行の仕方については、知らないわよね……?」
ハンナがため息混じりに確認する。
エルナは己の無知を恥ずかしいと思う素振りを見せることなく、はっきりと頷く。
ハンナは呆れ顔でより深いため息を漏らす。
「ま、別にややこしくないわ」
そう言ってハンナは説明を始める。
「まず、バイゼル家の裁判は、最終的な判決を下す裁判長はバイゼル家当主であるお父様。一応確認だけど……今年の王家はローレン家だから、お父様は国王とは呼ばないってことはわかるわよね?」
ハンナの問いかけにエルナはこくんと頷く。
「で、裁判官は全部で五人。裁判長が三親等以内の親族から選出するわ。裁判の司会進行を務める進行役は当主の妻、つまりお母様が務める。流れはこうよ」
ハンナはエルナが理解しやすいよう、難しい言葉を出来るだけ避けてゆっくりと話す。
「一、進行役が容疑者の罪状を読み上げる。二、容疑者が証言台で主張する。三、被害者が証言台で主張する」
ここまでで一度エルナの表情を確認し、理解はしているようなので続ける。
「四、双方の主張を聞いた裁判官五人が有罪か無罪か、有罪の場合、刑はどうするか、一人ずつ意見を出す。五、裁判官の意見を聞いて最終的に裁判長が判決を下す。ここまでは良い?」
ハンナはエルナに再度確認する。
「はい」
エルナが無表情で答えた。
「ここで重要なのが、裁判官の意見よりも被害者の主張が優遇されるということ」
「はい」
「究極的な例をあげると、裁判官五人とも有罪としても、被害者が容疑者を庇って無罪を主張したら、最終判決は無罪になるってこと」
「なるほど」
適当に相槌を打つ。
「まあ、今までの例で被害者が容疑者を庇うなんてことなかったけれど」
ハンナはエルナの表情を確認しながら続けていく。
「他の極端な例としては、被害者の所持品を盗んだとか軽い罪で起訴されて、裁判官五人が数年牢獄に閉じ込めておく懲役刑という軽い刑罰を提案した場合でも、被害者が死刑と言えば死刑になる」
「はい」
「これは実例があったわ。こんなの、裁判官必要ないって思っちゃうわよね」
「確かにそうですね」
無表情のまま淡々と返す。
エルナが理解しているのか心配になりながらも、ハンナは更に続ける。
「但し、さっきも言った通り、被害者の主張が優遇されるのは十五歳以上の場合のみ。十五未満は裁判官の主張が優遇される可能性も高い。今回はここが一番難所よ」
「難所……」
「でも最終的な判断を下すのは裁判長であるお父様だから、彼を説得しにいくのが一番効果的ってわけ」
漸く全て話し終えたハンナはエルナをチラリと見る。
「そもそも……フィーネを飼い殺しにする意味あるの? あんたにとって邪魔者なら、そのまま死刑にすれば良いのに」
ハンナからの問いかけにエルナはうーんと唸る。
「それも考えましたが……殺すまで行かなくても良いかなと」
ハンナは目を丸くする。
てっきり、殺さずに自分の元でこき使って苦しめた方が楽しいから……とか言うと思っていたからだ。
以前のエルナならそう言っていただろう。もしくは普通に死刑にしていたかもしれない。
オリバーがフィーネを特別大切に扱うことに嫉妬して彼女を消そうとしているのに、フィーネに情が湧いて来ているのか?
一ヶ月間の調査で他人と密接に交流したことで、エルナの感情に何か変化が起きているのか……?
とは言え、嫉妬から何の罪もないフィーネを陥れる所はやはり悪魔と言えるが。
この子の心情は理解できないし厄介だわ。
どうしてここまで安定しないのかしら?
まだ十歳の子供ということもあるけれど……。それだけではない気がする。
ハンナはエルナがオリバーに復讐したいと言っていた時から感じていた違和感を思い出す。
……そもそも最初のオリバーの件もおかしいのよね。
例えムカついたとしても、こんな大掛かりなことをしてまで復讐したいと思うかしら?
それも同じ王家であるローレン家に。
しかも自分に対して生意気な態度を取ったオリバーに復讐したいって言っていたくせに、オリバーとも過ごす内に心変わりして惚れるし。
フィーネのことは好意的に思っていた筈なのに急に憎悪の対象になるし。
意味わからないわ。
情緒不安定過ぎる。
これ……血筋かしら?
今でこそ、バイゼル家の女性はローレン家に嫁ぎ、ローレン家の女性はバイゼル家に嫁ぐことが当たり前になっているけど……。
確か昔はバイゼルの血を絶やさない様に血族結婚をしていたと家伝に書かれていたわね。
そしてその影響か、精神や身体に異常をきたしている者が多かったり、超能力のような、不可思議な力を持つ者もいたり。
考えたくないけど、私たちの祖先が持っていた異常遺伝子が、エルナにも隔世遺伝していたりして。
近いうちに家系図も見てみようかしら。
そこでハンナは思考を中断し、エルナとの会話に戻った。
「そう。なら説得しにいきましょう」
長い廊下を進み一番奥にある両親の寝室に向かう。
エルナは就寝の時間だが、両親が就寝する時間にはまだ早い。起きている筈である。
そうでなくとも今は緊急事態。
先ほどの騒ぎで既に警備兵から報告がいっているかも知れない。
むしろ娘の危機に両親が様子を観に来ないのもどうかと思うが。
部屋の前に着くとハンナはコンコンとノックをし、両親に呼びかける。
「お父様、お母様」
すると、きいという音を立てて扉が開き、中から長身のスラリとした細身で、立派な口髭をはやしている男……父親のルーカスが姿を現した。
「エルナか。さっき警備兵から報告があったよ。とにかく無事で良かった。ハンナも付き添いありがとう」
エルナを心配する様な言葉をかけるが、実際二人とも、エルナの身に危険があったことを知っても、エルナの部屋に駆けつけることはなかった。
そのことにエルナは気づきながらも、自らの身に起きたことを話す。
「とても怖かったです。でも彼女は私の知り合いでして……」
「知り合い……? 何の知り合いだね? それに例え知り合いであっても彼女のしたことは許されることではなかろう」
ルーカスが厳しい顔で言う。クリスティンも横で頷く。
「実は私の研究の一環と社会勉強として、エルナを市場へ調査に行かせておりましたの。黙っていて申し訳ございません」
ハンナが代わりに答える。
「エルナを調査に行かせていた……?」
ルーカスがハンナを 訝しげに見る。
「ええ。エルナもぜひ行きたいとのことでしたので。庶民の生活を今の内に見ておいた方が良いと思いまして。で、その時に出会ったのが今回の犯人であるフィーネ。ローレン家の使用人です」
「なっ……ローレン家だと?」
ローレン家という言葉に、ルーカスの顔が険しくなる。
「末端の立場ですけど。ついでに言うと、途中からローレン家の王子、オリバーも一緒にいましたよ」
ハンナから更なる事実を聞かされ、ルーカスは呆気に取られる。
「オリバーも一緒に……」
ルーカスは理解が追いつかない様子で口をあんぐりさせている。
するとルーカスの横で黙って聞いていたクリスティンが口を開く。
「オリバー……。先月のお茶会でエルナ、あなた確か彼と揉めていたわよね。今回はその事と何か関係あるのかしら……? それともただの偶然?」
クリスティンが鋭い眼差しをエルナに向ける。
「私が依頼した調査とエルナとオリバーのお茶会での揉め事は関係ありませんわ。フィーネとエルナが親しくなって話をしていた所にフィーネの後を追って来たオリバーと鉢合わせただけです」
ハンナがすかさず間に入る。
「今、重要な所はそこではないです。私たちが来たのは、明日行われるフィーネの裁判についてです。詳しい事は裁判が終わった後に私からお話致しますし、どんな質問でも答えますわ」
「……本当ね? 後から詳しく聞かせてもらうわよ、ハンナ」
クリスティンはやや納得いかない様子だが、ひとまず引き下がる事にした。
「エルナはフィーネの処遇について、死刑は回避したいと言っております」
そう言ってエルナに視線を投げる。
「はい。確かに怖い思いはしましたが、ご覧の通り、私は傷一つ負っていませんし、それにナイフが床に落ちた時、フィーネは掴もうともせず、その場で後退りしておりました」
ルーカスとクリスティンは黙って聞いている。
「決して私に突き付けようとする素振りはありませんでしたし、彼女自身が混乱していて、なぜこんな状況になっているかわからない様子でした」
「……」
「あの時は私もただただ驚きと恐怖で取り乱してしまいましたが、今冷静に考えると、死刑までいかなくても……と思います」
「しかし……」
渋るルーカスに、ハンナが口を挟む。
「それに……いくら末端の使用人とは言え、フィーネはローレン家に仕える者。しかもオリバーと特別親しいみたいです」
「使用人と王子が親しいだと……?」
ルーカスの眼光が鋭くなるが、ハンナは構わず続ける。
「今回の事件はバイゼル家の敷地内で起こってしまった事なので、バイゼル家の独断で裁きを与えられますが……後々のことを考えるなら、死刑は回避される方が宜しいかと」
「しかし、中途半端な刑罰を与えると、刑期を終えた後に逆恨みすることも考えられる」
ルーカスは険しい顔で懸念を示す。
「ええ、だから死刑でもなく、懲役刑でもなく、バイゼル家の使用人として一生仕えさせるというのはいかがでしょう?」
ハンナの思いも寄らぬ提案にルーカスもクリスティンも愕然とした。
「なっ…… そんなことは……」
「いいえ。これが最良の判断ですわ。お父様」
ハンナはルーカスが全てを言い終える前に遮る。
「使用人としてバイゼル家で働かせれば常に監視できます。それに、ローレン家からバイゼル家の使用人になるということは、バイゼル家の所有物となる訳です」
「それは……」
「バイゼル家の使用人となってから、例えフィーネが死んでしまったとしても……ローレン家は口出しすることはないでしょう」
「確かにそうだが……」
「明日の裁判でローレン家の所有物のまま有罪、死刑にすれば、使用人であってもローレン家から正式に罪人が出てしまう事になります」
「うむ」
ルーカスは短く相槌を打つ。
「そうすれば、ローレン家との関係が悪化する可能性もなくはありませんわ。バイゼル家の者になってからどんな扱いを受けようと、ローレン家は関係ないので、名誉も傷つかない。むしろ感謝されてもおかしくないでしょうね」
「それは……一理あるな」
ルーカスは一呼吸置いてから答える。
「今年はローレン家に統治権がありますよね」
「そうだ」
「任期中にローレン家から罪人が出れば、カーディル家から確実に調査が入ります。しかも今回は、同じ王家であるバイゼル家の娘に危害を加えようとした」
「ああ……」
カーディル家という単語に、ルーカスはあからさまに顔を曇らせた。
「基本的に統治権を持つ王家が監視対象になりますが、揉め事を起した相手がバイゼル家となれば、こちらにも調査が入る可能性はゼロではありません」
カーディル家から調査が入るという事態は、両王家にとって一番避けたい事である。
国民にもその事実が知らされるし、更に監視が厳しくなるからだ。
しかし統治権を持つローレン家から、『正式な罪人』が出なければ、調査が入ることはない。
ここまで聞かされて、漸くルーカスは納得した様に深く頷いて見せた。
「なるほど……。フィーネとやらの罪を不問にし、代わりに彼女の身柄を永久にこちらに引き渡してもらう。そうすればローレン家から罪人は出ないから、カーディル家の調査は入らない」
「ええ」
「尚且つ、ローレン家に恩が売れると言う訳か。悪くない」
ルーカスはニヤリとイヤらしい笑みを浮かべる。
「こちらとしても……交代制で統治をしている以上、ローレン家との揉め事はなるべく避けたいからな」
……あーあ。何でこんな簡単なことも思いつかないのかしら。
本当お父様って頭が硬いのよね。
その頭脳レベルで来年は国王として国を統治するなんて、世も末よね。
その点、お母様は割と鋭いし、今回の件も私達が仕組んだと、もしかしたら疑っているかも。
それでも口を出さないのは、私の提案が事実バイゼル家にとって有利になるから。
「エルナもそれで良いのか?」
念のためルーカスはエルナにも尋ねる。
「ええ。構いません。私もそれが一番良いと思いますわ」
「わかった。では明日の裁判ではそう主張してくれ。一応形式として裁判をやらなければならないからな。お前達、明日は早いからもう休みなさい」
話が纏まったので、ルーカスは娘たちに退出する様促した。
エルナが持参したカップに盛られていた遅効性の毒が全身に周り、苦悶の表情を浮かべるフィーネに、彼女は濃い緑色をした液体を飲ませた。
これは解毒睡眠薬と忘却の薬を調合した物で、フィーネは市場でエルナと別れた後の記憶を綺麗さっぱり無くしてしまう。
その後、解毒睡眠薬の効果で体の中から毒が消え、眠りについたフィーネをハンナの護衛がバイゼル家まで運ぶ。
そしてエルナが就寝する時間までハンナの部屋にフィーネを寝かせておいたのだ。
その後、フィーネが着ていた服のポケットに小型のナイフを忍ばせ、時を見計ってフィーネをエルナの部屋に運び、床に寝かせ、彼女が目覚めるのを待った。
尚、ハンナはその時に協力した護衛とエルナの市場調査を見守っていた護衛にも忘却の薬を飲ませ、記憶を抹消している。
つまりこの計画の真相を知る者はエルナとハンナの二人のみである。
「うまくいきましたわね」
エルナが言う。
つい先程まで、恐怖で顔をひきつらせ、目に涙を浮かべていたのが嘘のようである。
天使のような、しかし悪意に満ち足りた笑みを溢していた。
エルナのあまりの変わり様に笑いを堪えながら、油断している彼女を諭す。
「気を抜くには早いわよ。むしろここからが本番。明日には裁判が行われて、このままだとフィーネは死刑になるけど、そうせずに一生仕えさせるんでしょう?」
「はい」
気を抜くなと言われたエルナは不機嫌そうな声色で返す。
「だったらまずはお父様とお母様を説得しなきゃならないわ。いくら被害にあった本人が死刑回避を求めても、あんたはまだ十歳。どれだけ聞き入れられるか分からないもの」
基本的にバイゼル家の敷地内で起きた事件は、バイゼル家の人間のみで裁判をし、判決を下せる。
その際は事件当事者の意見や主張が最も判決に影響を与えるが、それは齢十五からである。
十五未満ではまだ未熟とされ参考程度という扱いになる。
「前にお母様から説明されていたと思うけど、詳しい仕組みや進行の仕方については、知らないわよね……?」
ハンナがため息混じりに確認する。
エルナは己の無知を恥ずかしいと思う素振りを見せることなく、はっきりと頷く。
ハンナは呆れ顔でより深いため息を漏らす。
「ま、別にややこしくないわ」
そう言ってハンナは説明を始める。
「まず、バイゼル家の裁判は、最終的な判決を下す裁判長はバイゼル家当主であるお父様。一応確認だけど……今年の王家はローレン家だから、お父様は国王とは呼ばないってことはわかるわよね?」
ハンナの問いかけにエルナはこくんと頷く。
「で、裁判官は全部で五人。裁判長が三親等以内の親族から選出するわ。裁判の司会進行を務める進行役は当主の妻、つまりお母様が務める。流れはこうよ」
ハンナはエルナが理解しやすいよう、難しい言葉を出来るだけ避けてゆっくりと話す。
「一、進行役が容疑者の罪状を読み上げる。二、容疑者が証言台で主張する。三、被害者が証言台で主張する」
ここまでで一度エルナの表情を確認し、理解はしているようなので続ける。
「四、双方の主張を聞いた裁判官五人が有罪か無罪か、有罪の場合、刑はどうするか、一人ずつ意見を出す。五、裁判官の意見を聞いて最終的に裁判長が判決を下す。ここまでは良い?」
ハンナはエルナに再度確認する。
「はい」
エルナが無表情で答えた。
「ここで重要なのが、裁判官の意見よりも被害者の主張が優遇されるということ」
「はい」
「究極的な例をあげると、裁判官五人とも有罪としても、被害者が容疑者を庇って無罪を主張したら、最終判決は無罪になるってこと」
「なるほど」
適当に相槌を打つ。
「まあ、今までの例で被害者が容疑者を庇うなんてことなかったけれど」
ハンナはエルナの表情を確認しながら続けていく。
「他の極端な例としては、被害者の所持品を盗んだとか軽い罪で起訴されて、裁判官五人が数年牢獄に閉じ込めておく懲役刑という軽い刑罰を提案した場合でも、被害者が死刑と言えば死刑になる」
「はい」
「これは実例があったわ。こんなの、裁判官必要ないって思っちゃうわよね」
「確かにそうですね」
無表情のまま淡々と返す。
エルナが理解しているのか心配になりながらも、ハンナは更に続ける。
「但し、さっきも言った通り、被害者の主張が優遇されるのは十五歳以上の場合のみ。十五未満は裁判官の主張が優遇される可能性も高い。今回はここが一番難所よ」
「難所……」
「でも最終的な判断を下すのは裁判長であるお父様だから、彼を説得しにいくのが一番効果的ってわけ」
漸く全て話し終えたハンナはエルナをチラリと見る。
「そもそも……フィーネを飼い殺しにする意味あるの? あんたにとって邪魔者なら、そのまま死刑にすれば良いのに」
ハンナからの問いかけにエルナはうーんと唸る。
「それも考えましたが……殺すまで行かなくても良いかなと」
ハンナは目を丸くする。
てっきり、殺さずに自分の元でこき使って苦しめた方が楽しいから……とか言うと思っていたからだ。
以前のエルナならそう言っていただろう。もしくは普通に死刑にしていたかもしれない。
オリバーがフィーネを特別大切に扱うことに嫉妬して彼女を消そうとしているのに、フィーネに情が湧いて来ているのか?
一ヶ月間の調査で他人と密接に交流したことで、エルナの感情に何か変化が起きているのか……?
とは言え、嫉妬から何の罪もないフィーネを陥れる所はやはり悪魔と言えるが。
この子の心情は理解できないし厄介だわ。
どうしてここまで安定しないのかしら?
まだ十歳の子供ということもあるけれど……。それだけではない気がする。
ハンナはエルナがオリバーに復讐したいと言っていた時から感じていた違和感を思い出す。
……そもそも最初のオリバーの件もおかしいのよね。
例えムカついたとしても、こんな大掛かりなことをしてまで復讐したいと思うかしら?
それも同じ王家であるローレン家に。
しかも自分に対して生意気な態度を取ったオリバーに復讐したいって言っていたくせに、オリバーとも過ごす内に心変わりして惚れるし。
フィーネのことは好意的に思っていた筈なのに急に憎悪の対象になるし。
意味わからないわ。
情緒不安定過ぎる。
これ……血筋かしら?
今でこそ、バイゼル家の女性はローレン家に嫁ぎ、ローレン家の女性はバイゼル家に嫁ぐことが当たり前になっているけど……。
確か昔はバイゼルの血を絶やさない様に血族結婚をしていたと家伝に書かれていたわね。
そしてその影響か、精神や身体に異常をきたしている者が多かったり、超能力のような、不可思議な力を持つ者もいたり。
考えたくないけど、私たちの祖先が持っていた異常遺伝子が、エルナにも隔世遺伝していたりして。
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そこでハンナは思考を中断し、エルナとの会話に戻った。
「そう。なら説得しにいきましょう」
長い廊下を進み一番奥にある両親の寝室に向かう。
エルナは就寝の時間だが、両親が就寝する時間にはまだ早い。起きている筈である。
そうでなくとも今は緊急事態。
先ほどの騒ぎで既に警備兵から報告がいっているかも知れない。
むしろ娘の危機に両親が様子を観に来ないのもどうかと思うが。
部屋の前に着くとハンナはコンコンとノックをし、両親に呼びかける。
「お父様、お母様」
すると、きいという音を立てて扉が開き、中から長身のスラリとした細身で、立派な口髭をはやしている男……父親のルーカスが姿を現した。
「エルナか。さっき警備兵から報告があったよ。とにかく無事で良かった。ハンナも付き添いありがとう」
エルナを心配する様な言葉をかけるが、実際二人とも、エルナの身に危険があったことを知っても、エルナの部屋に駆けつけることはなかった。
そのことにエルナは気づきながらも、自らの身に起きたことを話す。
「とても怖かったです。でも彼女は私の知り合いでして……」
「知り合い……? 何の知り合いだね? それに例え知り合いであっても彼女のしたことは許されることではなかろう」
ルーカスが厳しい顔で言う。クリスティンも横で頷く。
「実は私の研究の一環と社会勉強として、エルナを市場へ調査に行かせておりましたの。黙っていて申し訳ございません」
ハンナが代わりに答える。
「エルナを調査に行かせていた……?」
ルーカスがハンナを 訝しげに見る。
「ええ。エルナもぜひ行きたいとのことでしたので。庶民の生活を今の内に見ておいた方が良いと思いまして。で、その時に出会ったのが今回の犯人であるフィーネ。ローレン家の使用人です」
「なっ……ローレン家だと?」
ローレン家という言葉に、ルーカスの顔が険しくなる。
「末端の立場ですけど。ついでに言うと、途中からローレン家の王子、オリバーも一緒にいましたよ」
ハンナから更なる事実を聞かされ、ルーカスは呆気に取られる。
「オリバーも一緒に……」
ルーカスは理解が追いつかない様子で口をあんぐりさせている。
するとルーカスの横で黙って聞いていたクリスティンが口を開く。
「オリバー……。先月のお茶会でエルナ、あなた確か彼と揉めていたわよね。今回はその事と何か関係あるのかしら……? それともただの偶然?」
クリスティンが鋭い眼差しをエルナに向ける。
「私が依頼した調査とエルナとオリバーのお茶会での揉め事は関係ありませんわ。フィーネとエルナが親しくなって話をしていた所にフィーネの後を追って来たオリバーと鉢合わせただけです」
ハンナがすかさず間に入る。
「今、重要な所はそこではないです。私たちが来たのは、明日行われるフィーネの裁判についてです。詳しい事は裁判が終わった後に私からお話致しますし、どんな質問でも答えますわ」
「……本当ね? 後から詳しく聞かせてもらうわよ、ハンナ」
クリスティンはやや納得いかない様子だが、ひとまず引き下がる事にした。
「エルナはフィーネの処遇について、死刑は回避したいと言っております」
そう言ってエルナに視線を投げる。
「はい。確かに怖い思いはしましたが、ご覧の通り、私は傷一つ負っていませんし、それにナイフが床に落ちた時、フィーネは掴もうともせず、その場で後退りしておりました」
ルーカスとクリスティンは黙って聞いている。
「決して私に突き付けようとする素振りはありませんでしたし、彼女自身が混乱していて、なぜこんな状況になっているかわからない様子でした」
「……」
「あの時は私もただただ驚きと恐怖で取り乱してしまいましたが、今冷静に考えると、死刑までいかなくても……と思います」
「しかし……」
渋るルーカスに、ハンナが口を挟む。
「それに……いくら末端の使用人とは言え、フィーネはローレン家に仕える者。しかもオリバーと特別親しいみたいです」
「使用人と王子が親しいだと……?」
ルーカスの眼光が鋭くなるが、ハンナは構わず続ける。
「今回の事件はバイゼル家の敷地内で起こってしまった事なので、バイゼル家の独断で裁きを与えられますが……後々のことを考えるなら、死刑は回避される方が宜しいかと」
「しかし、中途半端な刑罰を与えると、刑期を終えた後に逆恨みすることも考えられる」
ルーカスは険しい顔で懸念を示す。
「ええ、だから死刑でもなく、懲役刑でもなく、バイゼル家の使用人として一生仕えさせるというのはいかがでしょう?」
ハンナの思いも寄らぬ提案にルーカスもクリスティンも愕然とした。
「なっ…… そんなことは……」
「いいえ。これが最良の判断ですわ。お父様」
ハンナはルーカスが全てを言い終える前に遮る。
「使用人としてバイゼル家で働かせれば常に監視できます。それに、ローレン家からバイゼル家の使用人になるということは、バイゼル家の所有物となる訳です」
「それは……」
「バイゼル家の使用人となってから、例えフィーネが死んでしまったとしても……ローレン家は口出しすることはないでしょう」
「確かにそうだが……」
「明日の裁判でローレン家の所有物のまま有罪、死刑にすれば、使用人であってもローレン家から正式に罪人が出てしまう事になります」
「うむ」
ルーカスは短く相槌を打つ。
「そうすれば、ローレン家との関係が悪化する可能性もなくはありませんわ。バイゼル家の者になってからどんな扱いを受けようと、ローレン家は関係ないので、名誉も傷つかない。むしろ感謝されてもおかしくないでしょうね」
「それは……一理あるな」
ルーカスは一呼吸置いてから答える。
「今年はローレン家に統治権がありますよね」
「そうだ」
「任期中にローレン家から罪人が出れば、カーディル家から確実に調査が入ります。しかも今回は、同じ王家であるバイゼル家の娘に危害を加えようとした」
「ああ……」
カーディル家という単語に、ルーカスはあからさまに顔を曇らせた。
「基本的に統治権を持つ王家が監視対象になりますが、揉め事を起した相手がバイゼル家となれば、こちらにも調査が入る可能性はゼロではありません」
カーディル家から調査が入るという事態は、両王家にとって一番避けたい事である。
国民にもその事実が知らされるし、更に監視が厳しくなるからだ。
しかし統治権を持つローレン家から、『正式な罪人』が出なければ、調査が入ることはない。
ここまで聞かされて、漸くルーカスは納得した様に深く頷いて見せた。
「なるほど……。フィーネとやらの罪を不問にし、代わりに彼女の身柄を永久にこちらに引き渡してもらう。そうすればローレン家から罪人は出ないから、カーディル家の調査は入らない」
「ええ」
「尚且つ、ローレン家に恩が売れると言う訳か。悪くない」
ルーカスはニヤリとイヤらしい笑みを浮かべる。
「こちらとしても……交代制で統治をしている以上、ローレン家との揉め事はなるべく避けたいからな」
……あーあ。何でこんな簡単なことも思いつかないのかしら。
本当お父様って頭が硬いのよね。
その頭脳レベルで来年は国王として国を統治するなんて、世も末よね。
その点、お母様は割と鋭いし、今回の件も私達が仕組んだと、もしかしたら疑っているかも。
それでも口を出さないのは、私の提案が事実バイゼル家にとって有利になるから。
「エルナもそれで良いのか?」
念のためルーカスはエルナにも尋ねる。
「ええ。構いません。私もそれが一番良いと思いますわ」
「わかった。では明日の裁判ではそう主張してくれ。一応形式として裁判をやらなければならないからな。お前達、明日は早いからもう休みなさい」
話が纏まったので、ルーカスは娘たちに退出する様促した。
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つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
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絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
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