怖いもののなり損ない

雲晴夏木

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三人目「彼女は桃の味がした」

おしまい、と男は真っ赤な口を吊り上げ笑い

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 語り終えた男は、口の端を吊り上げて笑った。真っ赤な口から出る快活な声が、「おしまい」と締めくくる。
 あなたはこの話に不満があった。あなたは怪談収集家ではない。嘘や誇張を毛嫌いするつもりもない。けれどこんな明らかなほら話は求めていなかった。体験談を話せとは言わない。だがせめて、もう少し作り物臭さを消してもらいたいところだ。
 顔いっぱいに不満を表現するあなたを見て、男は快活に笑った。笑いを絶やさない男だ。あなたはこの男に対し、初めて気味の悪さを覚えた。

「嘘つきだと思ってるでしょう。警察側で起きたことを知ってるはずがないと思ってるんでしょう?」

 ご明察、と男は肩を竦め両手を広げた。

「そうです、その通り。今の話はぜぇんぶ作り話。僕が考えたお話です。作家志望なんですよ。どうです、少しは怖かったですか? 新たなゾンビものとして売れそうですか? 正直な感想を聞かせてくださいよ」

 あなたは何だか腹が立って仕方なくて、子供のようにそっぽを向いてしまった。男は気分を害した様子もなく、「あらら」とおどけてカップに手を伸ばした。
 一度は飲むのをやめたコーヒーを、男はぐいと飲み干した。喉仏が「誤魔化してなんかないぞ」と主張するように動く。
 コーヒーを飲み干し、男は立ち上がった。

「それでは、話を聞いてくださりどうもありがとう。あなたが怖いと思わなくても、別のあなたが怖いと思ってくれたなら僕は満足です」

 男の言う意味がわからず、あなたは男を見上げた。男は「あなたからは桃の香りがしませんね」と茶目っ気たっぷりに片目を瞑り、一礼してテーブルを後にした。
 そのとき、むせてしまいそうなほど強く、強く、桃の香りがした。
 男が出ていって、姿も気配もなくなってから、あなたは携帯端末を取り出して男の話を検索ワードに入力した。
 似たような事件はいくつもあった。けれど警察署で起きた傷害事件まで含めれば、たった一件しかない。
 あなたのコーヒーはすっかり冷めている。冷めたコーヒーを一口含み、薄れつつある香りにあなたはハッとした。

『あなたからは桃の香りがしませんね』

 桃の香りがしたら、はたしてどうなっていたのか。このコーヒーから桃の香りが立ち上っていたら、あの男は躊躇なくコーヒーを飲み干し、普通の客として振る舞っただろうか。
 仮定の話に意味はない。けれど端末のスクリーンに表示される記事の内容が自分にも訪れていた可能性を思い、あなたはそっと、体を震わせた。
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