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四人目 人魚は海底でピアノと眠る
怖い話をお求めでしょう、と紳士は断言し
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その日もあなたは、『純喫茶・生熟り』を訪れた。仕事帰りのことだった。いつものテーブルに案内されたあなたは、寒さと疲れをコーヒーと軽食で癒していた。腹を満たし暖を取りほっと一息をついていると、不意に声をかけられた。
「怖い話を、お求めでしょう」
あなたに声をかけたのは、時代錯誤な髭を蓄えた白髪の紳士だった。豊かではないものの、白髪はきっちりと後ろへ撫でつけられている。紳士が身に着ける仕立ての良いモーニングコートが、『純喫茶・生熟り』の黄色い照明に浮かび上がっていた。
顔を上げたあなたは紳士から目を離し、店内を控えめに見渡した。
時刻は午後八時を回った頃。客の入りは少なく、中にいる客もほとんどが一人客だ。あなたと紳士に注目している客は一人もいない。
あなたはもう一度、話しかけてきた紳士に目を戻した。人生を感じさせる皺が愉快そうに動く。海に似た深い色の瞳が、あなたを優しく見下ろした。
「この店には、怖い話を求める人もいると聞きました。あなたは、怖い話を求める人でしょう?」
滑らかな口調だが、どこか発音が拙い。瞳の色と相まって、紳士からは異国の空気を感じた。
あなたが答えられずにいると、紳士は「座っても?」と向かいの椅子を引いた。あなたは迷ったが、恐る恐るうなずいた。あなたの了承を得て、紳士は微笑み、音もなく椅子を引いて落ち着いた。所作の一つひとつに品があった。
あなたはぼんやりと、パーティーの帰りだろうかと考えた。格好だけではない。紳士からは、豪勢な催しの香りがした。どんな香りかと尋ねられても困るだろうが、あなたは確かに、紳士から音楽とざわめき、談笑の香りを感じた。
つい不躾に眺めるあなたを、紳士は咎めるでもなく、ゆったりした笑みで受け入れる。微笑みを浮かべて見つめられ、あなたは我に返った。無遠慮に見つめてしまったことを謝ると、紳士は控えめな笑い声を上げて首を振った。
「無遠慮は私も同じです。一人の時間を楽しむあなたに、声をかけたのですから」
そんなことは、とあなたは否定すした。紳士は微笑み、「ですが」と続けた。
「私は、あなたに聞いてほしい話を持ってきました」
「聞いてくださいますか」と尋ねる声は、穏やかな波を思わせる。あなたの鼓膜を優しく震わせ、瞼を重くさせた。
あなたはゆっくり、うなずいた。紳士もうなずき、髭の向こうの口を開いた。柔らかな声と口調で語られるのは、まるでおとぎ話のような〝怖い話〟だった。
「怖い話を、お求めでしょう」
あなたに声をかけたのは、時代錯誤な髭を蓄えた白髪の紳士だった。豊かではないものの、白髪はきっちりと後ろへ撫でつけられている。紳士が身に着ける仕立ての良いモーニングコートが、『純喫茶・生熟り』の黄色い照明に浮かび上がっていた。
顔を上げたあなたは紳士から目を離し、店内を控えめに見渡した。
時刻は午後八時を回った頃。客の入りは少なく、中にいる客もほとんどが一人客だ。あなたと紳士に注目している客は一人もいない。
あなたはもう一度、話しかけてきた紳士に目を戻した。人生を感じさせる皺が愉快そうに動く。海に似た深い色の瞳が、あなたを優しく見下ろした。
「この店には、怖い話を求める人もいると聞きました。あなたは、怖い話を求める人でしょう?」
滑らかな口調だが、どこか発音が拙い。瞳の色と相まって、紳士からは異国の空気を感じた。
あなたが答えられずにいると、紳士は「座っても?」と向かいの椅子を引いた。あなたは迷ったが、恐る恐るうなずいた。あなたの了承を得て、紳士は微笑み、音もなく椅子を引いて落ち着いた。所作の一つひとつに品があった。
あなたはぼんやりと、パーティーの帰りだろうかと考えた。格好だけではない。紳士からは、豪勢な催しの香りがした。どんな香りかと尋ねられても困るだろうが、あなたは確かに、紳士から音楽とざわめき、談笑の香りを感じた。
つい不躾に眺めるあなたを、紳士は咎めるでもなく、ゆったりした笑みで受け入れる。微笑みを浮かべて見つめられ、あなたは我に返った。無遠慮に見つめてしまったことを謝ると、紳士は控えめな笑い声を上げて首を振った。
「無遠慮は私も同じです。一人の時間を楽しむあなたに、声をかけたのですから」
そんなことは、とあなたは否定すした。紳士は微笑み、「ですが」と続けた。
「私は、あなたに聞いてほしい話を持ってきました」
「聞いてくださいますか」と尋ねる声は、穏やかな波を思わせる。あなたの鼓膜を優しく震わせ、瞼を重くさせた。
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