高遠の翁の物語

本広 昌

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第三幕

(二十九)渡河誘導戦後編

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 二番(中央)中洲の北側。海野幸綱と伊那衆の一部は敵の上陸を抑えていた。敵はそれでも物量任せの突撃をゆるめない。味方がいくら討ち取っても、まだ湧いてくる。これではキリがない。いい加減、何でもいいから指示が欲しい。

ーー工藤祐長め、まだか?

 と不満になろうとしたら、後退の合図が法螺貝ででた。

「ギリギリまで戦わせやがって、あいつ!」

 幸綱はむしろ、ほくそ笑んだ。幸綱は味方部隊が後退すると、敵がガバガバと上陸してきた。そこに鎌田長門守がいた。長門守は手柄が欲しくて激しく意気込んでる。まだ渡河中の秋山虎繁に言った。

「秋山は出張るなよ。貴様がもし手柄をとっても、ワシによこせ。ワシは伊那郡司になる男だからな。媚は今のうちに売っておけ」

 虎繁は頷くも、そっぽを向いた。
 鎌田隊は次々と上陸する。伊那衆と船乗り衆はじりじり後退する。虎繁は体半分も川につかっても、陸地の状況と雰囲気が見えた。

「鎌田様、いかにもって場所に誘い込まれているではないか……」

 虎繁の部隊は、鎌田隊が全員上陸してから上陸する。それまでは鎌田隊の援護だ。渡りながら弓を放ったり石を投げたりした。
 鎌田長門守は海野幸綱を見つけ、

「お、あれが有名な〝攻め弾正〟か!」

 と、弓で狙い撃ちしようと走り、中洲の中心部まで追いかけた。長門守が弓を構えたら左右の茂みから、激しい銃声が鳴った。
 鎌田隊は動揺するも、長門守は叱咤する。

「怯えるな。ただの脅しだ!」

 長門守は見抜いていた。

ーーふん、大将は誰だ? だっちもねえくだらねえ策じゃあ。手銃ごときで人は死なんずらよ。間近で放てば話は別だがな!

 と、戦法を見抜く。
 長門守はこの場に立ち、命じる。

「構うな、つっこめ!」

 隊が動いた。
 また茂みの左右から、銃声が轟いた。
 長門守は、敵を舐めた。

「だから、当たらねえっていうの!」

 とはいえ銃声だけは、耳を塞ぎたいほど五月蠅い。当たらないのは分かっていてもイライラする。長門守は、茂みの中に潜む敵を狙い撃ちしろうかと考えた。

ーー次だな。次、放ったら、使い物にならなくなるはずだ。その時が年貢の納め時ぞ!

 と判断した。伊那衆の手銃攻撃は、バカの一つ覚えだと疑わなかった。
 幸綱の隊と鎌田隊の交戦が、中洲の際で行われる。陸上なら確実に多勢の鎌田隊が有利に変わる。それでも攻め弾正の異名を持つ海野幸綱の活躍が目立つ。緒戦はこれで伊那衆が踏ん張っても、次第に不利になるだろう。

 ダダーン! ダダーン!

 第三射が放たれた。

「ばーか!」

 と長門守が右側の銃声に向かって言うや、長門守は倒れ、そのまま絶命した。
 茂みの中から、国友産南蛮火縄銃を担いだ工藤祐長と、手銃を捨てた船乗り衆が現れる。
 祐長は大声で敵味方に流布した。

「鎌田長門殿、討ち死に!」

 船乗り衆も何度も繰り返し、叫んだ。
 祐長は長門守の首を取る。銃弾は長門守の額に命中していた。

「まさかこんな所で、父上の仇が取れるとは」

 祐長は満足だった。船乗り衆と幸綱の伊那衆で鎌田隊の前後を囲み、攻撃する。
 指揮官を失った鎌田隊は多勢でも大混乱をはじめた。まるで烏合の衆のように乱れ、収集がつかなくなりそうだ。無勢の伊那衆と船乗り衆は、多勢の敵を圧倒した。味方は、敵の首級のほとんどをここで取る。
 ここで秋山隊が鎌田隊の救助に来た。

「鎌田隊はワシの下に加われ。ワシの命令で動け! 崩れるのはまだ早いぞ!」

 虎繁は鎌田隊を吸収しただけでなく、兵の混乱も落ち着かせようとした。
 工藤祐長が虎繁を火縄銃で狙う。
 虎繁は気づいた。祐長は構えを止める。これでは火縄銃のほうが部が悪い。
 祐長は火縄を強引にちぎり捨て、刀に持ち変えた。
 虎繁にハッと気づいて、祐長に言った。

「お前、小姓の工藤祐長だろ。ワシだ、秋山だ。しかしお前、なぜここにいる? 兄者と伊豆へ逃げたのではなかったのか?」

 祐長は返答を拒む。

「みんな引けっ。もはやここに用はない!」

 と、味方を退散させ、祐長も逃げた。
 虎繁は祐長を追いかけようと思ったが、鎌田隊の混乱はまだ完全に治っていない。立て直しが先なので、追わなかった。
 際で踏ん張る海野幸綱は、撤退に不満だ。

「何? 未だ大将首を取ってないんだぞ!」

 とカリカリするが、周囲を見渡せばみんな三番中洲を目指していたので、幸綱も仕方なく後を追った。



 二番中洲の南側。諫早佐五郎と大仏庄左衛門の船乗り・伊那衆の混成部隊は、甲州勢の上陸をよく抑えていた。秋津の隊や祐長の隊よりも長い時間、抑えた。敵の先方は上陸を諦めずに戦ってるが、後続部隊はここでの上陸を諦め、中央のほうに流れだす。
 庄左衛門が気づいた。

「あれ? 姐さんのほうが先に崩れたのか」

 佐五郎は仕方がないという。

「敵が最も多いからな。で、向こうは?」

「スケか? 抑えてるけど、もう限界かもしれねーな。で、どうする?」

「真ん中が駄目なら、ここも撤収だろ」

「いや、姐さん、上陸は許したけど、それでも根張ってるらしいぞ。敵は無理押してるのに、突き落とされてるのが何人か……」

「さすが喧嘩上手。一体誰がジャジャ馬の嗜みを教えたんだろうね?」

「オレたちだろ」

「産声を上げてからずーっと付き合ってるからな。しゃーねぇ」

 二人は笑った。この部隊が一番持ち堪えている。半刻(約一時間)経っても敵の上陸を許していない。
 ここで二人の真横から、あの野太い声が聞こえた。

「おまえら、まともそうだ。あそんでやる」

 佐五郎が振り向くと、

「げっ、オバトラ!」

 と、迷惑そうな表情をし、槍の向きを虎盛に変えた。庄左衛門も槍先を向けて言う。

「どうする?」

「二人ならいけるんじゃないか?」

「……、かもしんねぇな」

 連携すれば、このバケモノに勝てると信じるしかなかった。
 ここで虎盛の後ろに、海野幸綱が現れた。
 虎盛の槍先が、二人から幸綱に移る。

「あいて、みつけた」

 虎盛は幸綱を知らないが、自分の背後を取れるほどの猛者と悟った。幸綱は本望だ。

「おお、まさかあの武名高いオバトラ殿がワシの獲物になるとは光栄だ。我が名は海野小太郎こたろう棟綱が一門、弾正忠幸綱なり!」

「おばたやましろのかみとらもり」

 虎盛はそれだけだった。
 庄左衛門が提案する。

「海野のダンナ、三人でやろう」

 幸綱は助太刀を拒む。

「お前等の飼い主は今し方撤退を始めた。つきあってやれ」

 佐五郎も共闘を促した。

「三対一のほうが確実っすよ」

 しかし幸綱は、この部隊を退却させられるのはあの二人だと思い、激怒した。

「邪魔だ! 退け!」

 佐五郎と庄左衛門は悩むが、確かに状況は撤退を促している。二人は秋津と合流したほうがいい。庄左衛門が全軍撤退を命じた。
 味方が三番中洲を目指し、敵は次々と上陸する。しかし幸綱と虎盛りの間だけが、誰も近づけずにいた。二人の人並み外れた闘気がそうさせている。二人の決闘を観戦する敵兵が多く現れた。
 虎盛は上段の構えで、幸綱は下段をとる。
 二人とも仕掛けない。
 いや、仕掛けられない。
 野次馬たちは息をのむ。
 そよ風が吹き、木の葉が二人の合間を舞う。
 二人が立ち位置から消えたとたん、一騎打ちが始まる。三度叩きあう。その音はまるで爆発音だ。それでも両者、互角だった。
 二人は対戦前の位置まで下がった。
 幸綱は、納得がいかなかった。

ーー何か違うぞ。年を取りすぎたせいか?

 噂ほど強くないと感じた。幸綱は虎盛をよく確かめると、虎盛の、右の小指がないことに気づいた。
 幸綱は勝てると直感した。

ーーなるほど凍傷か。残念だったな!

 自分に負けることを誇れと、ニヤついた。
 対する虎盛は、相も変わらぬ無表情。

「みかたをかえるか……」

 とつぶやくや、槍の持ち方を左利きに変えた。
 幸綱はカチンときた。

「舐めるな、コラ!」幸綱は突進した。

 一突き目は互角、二突き目で幸綱の槍は天に飛ばされ、三突き目で幸綱は足元を掬われて地面に倒される。幸綱は受け身はできたが虎盛に圧倒された。死すら覚悟した。
 虎盛は最後の突きをいれる。幸綱は思わず目を瞑る。虎盛の槍先は、幸綱の額の、ほんの微かに触れる程度で止まった。

「畜生っ、聞いてねえぞ……」

 幸綱は悔しくて嘆く。小畑虎盛が左利きだったことなど初耳だ。何処の誰もが虎盛のそんな本性など語ってない。幸綱の額から血が細長く流れるが、痛みは全く感じない。
 虎盛は福与方面を眺めていた。
 幸綱は全身の硬直が取れ、尋ねる。

「な、何故討ち取らない?」

 虎盛は倒れる幸綱に顔を向け、制した。

「みのほどをよくしれ」

 相も変わらぬ無表情。槍の構えを解き、ゆっくり退いた。
 まだお天道様の位置は高いのに、東岸にいる敵本隊から撤退指示の法螺貝が激しく鳴っていた。虎盛はこの命令を、馬鹿正直に実行したのだ。
 幸綱は立ち上がり、悔しくて舌打ちした。

「ち、源太げんた徳次とくじの顔が浮かぶとはな……」

 走馬灯を見た。死の間際で父親を痛感した。
 もの思いにふける幸綱の背後を、敵武者が隙を見て討とうと走る。幸綱は後ろを確かめずに気配だけで瞬殺した。まるで後ろにも目があるみたいだ。

退がれの合図が聞こえんのか!」

 と、死んだ敵武者に注意しながら周囲の敵を脅した。幸綱はやっぱり強かった。虎盛を一騎打ちという公の場で本気を出させたのは、恐らく幸綱が初めてかもしれない。ならば〝人間レベル〟最強の名誉は、まだ失ってないといえる。
 敵はそんな幸綱にビビり、避けながら撤収した。幸綱は、大人しく撤収する敵の動きが解せなかった。

「しかし何故だ? 何故、退くのだ?」

 これでは我らの作戦が見抜かれたようなものだ。しかしそれは、すぐに気がついた。



 諏方頼継と秋津は、無事に箕輪側の河岸に到着した。頼継は三番中洲から箕輪側の河岸へ移動したとき、船橋が渋滞したので、川に入って歩いて越えた。
 頼継はおぶった秋津を降ろすと、頼継も座り込んで、ため息を吐き、汗を拭いた。

「ふう、重かった……」

「し、失礼ね」秋津は膨れた。

「いや、お前じゃない。川の流れだ」

「それを先に言ってくださいよ、もう!」

 などと雑談してると、二人は敵の撤退を目の当たりにする。
 頼継は理解ができなかった。

「三番中洲まで追いかけてくれたのに……」

 誘導作戦は順調だったのだ。
 しかし秋津が怒りに震えている。頼継に敵撤退の理由を、指さしで教えた。
 その方向は福与城である。

「あ!」頼継は驚いた。

 なんと、福与城が自落せず、藤沢頼親が籠城の構えを露わにしていた。敵本隊がこれに反応し、福与城を包囲しようと動いていたのだ。
 秋津は怒りに拳を震わせ、対岸へ怒鳴る。

「あの大馬鹿野郎っ! いくさが終わったらぶん殴ってやる!」

 頼継はそんな秋津に驚いたが、秋津にも藤沢頼親にも怒れず、複雑な気持ちに襲われた。
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