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第二話

本題とは違うけど。

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「ち、違うんですの! おなかがすいたから、ナベさんのお家に来たんじゃありませんのよ!!」

 顔を真っ赤にしたまま、リィアは言い張った。
 父親に比べたら、だいぶ可愛い腹の虫だから安心していてほしい。
 なんて、さすがに本人には言えないので、代わりに紳士的な笑みを浮かべてひらひらと手を振る。

「わかってるわかってる」
「違うんですのぉ……」
 泣きそうな顔をされてしまった。説得力に欠けたか。というか、軽すぎたか。

 ひらひらさせた手のやり場に困って、俺は後頭部をぐしゃっとかき混ぜた。
 リィアは、うー、とうなってしゅんとうなだれている。
 少々きまりが悪い。昔から、ちびっこと女の子の相手は苦手だ。

 ここにやってきた理由は、空腹のためではないと彼女は言った。お礼とお詫びはもうもらった。
 じゃあ、リィアはなんでうちまでやってきたんだろう。
 ……まあ、今尋ねるのもあれだろうしな。
 うん、……どうせなら。

 ちょっと考えて、俺は「交渉の糸口を自らつぶしてしまいましたの……」とかなんとかぶつぶつ言って落ち込んでいるリィアに、そっと声をかけた。
「あのさ」
「……なんですの」
 悲痛な声色に一瞬たじろぐ。
 えーっと、と少々迷いながら、俺はおずおずと提案を持ち掛けた。
「……おやつの時間にする?」
「……え?」





 例によって、冷蔵庫の中身を確認する。
 ポケットに卵が三つ。一人暮らしだと、十個パックを買って、賞味期限内に全部食べ切れないということが多々あるが、幸か不幸か、この三つは賞味期限のギリギリ範囲内である。

 あとは一リットルの牛乳パック。コンビニで某少年誌を読んでいた時に、急にアンパンと牛乳のセットを味わいたくなって、その場のノリで買ったものだ。中身は半分くらい残っている。
 ……今更だけど、なんで俺一リットルのやつ買ったんだろう。絶対余るのに。

 気にしないことにして、ほかにめぼしいものはないかと探してみる。
 缶ビール、魚の干物、昨日の夕飯の野菜炒めの残り、スルメイカ。
 ……もしここにいるのが小学生男子かおっさんだったら、迷わずスルメイカを炙って、マヨネーズを添えて供するのだが、さすがにお嬢さんにスルメイカを出すわけにもいかないだろう。
 うん。残念。
 ―――でもまあ、なんとかなる。

「お嬢さん、暇だったら手伝わない?」
 くるりと振り返ってそう言うと、ぴたりと金色の眼と視線がかち合って、リィアはびくりと身を震わせた。そんなにちらちら見られてたら、さすがに後ろ向いてても視線感じますからね。
 それに、いくら客人だといっても、二十分も何もないところで過ごすのも手持無沙汰だろう。まあ、嫌なら俺が作るし。

「……わたくしでもできますの?」
 戸惑いがちに小首をかしげたリィアに、俺は笑って台所へと手招いた。
「大丈夫だ。簡単だから」
 なんせ、俺の師匠お墨付きのお手軽さである。

(「これなら簡単だから、あなたでもできるでしょう?」)
 笑った声と、懐かしい甘さを思い出す。
 ―――久しぶりに作るのも悪くない。

 まず、戸棚から片手鍋を取り出す。
 水を薄く張って、火にかけて、沸騰するのを待つことにする。

「ねえ、お嬢さん。卵われる?」
 聞くと、リィアは一瞬むっとした表情になって、それからしぶしぶといった感じで言った。
「その呼び方なんとかなりませんの……? たぶん割れますわ。やったことありませんけども」
 ……危険な香りがするぞ。
 黙ったまま俺は自分で卵をボウルに割り入れた。そのまま『からざ』を菜箸で取り除き、それを混ぜるように言って、リィアに渡す。

 次は、砂糖と牛乳だ。
「どばどばー」
「そ、そんなに入れたら体に悪そうですの……」
「知らん」
 おいしさが正義である。
 ちなみに、バニラ要素をぶっこむとさらにおいしいのだが、我が家にそんなおしゃれなものは(以下略)。

 どん引いたような視線を送ってくるリィアを尻目に、俺は戸棚からマグカップを取り出す。(どん引いてても、ボウルの中身をちゃんとかき混ぜるあたり、やっぱり素直なよいこである。)
 このマグカップは、実家にいたときから愛用している代物だ。どっしりしていて、落としたりしても割れない。むしろ実家の貧弱な床がへこむほどである。
 俺はこの圧倒的な強さに、絶大な信頼を寄せている。

「はい、ここに流し込んで」
「うぇ……ずいぶんと個性的なコップですのね……?」
 黒地に白のムンクが踊り狂っているそれを見て、リィアは白い頬をひきつらせた。なんだよ。かわいいだろ、これ。

 静かにボウルを傾けて、クリーム色になった液体をマグカップに注いでいく。
 マグカップの中に高さを一センチほど残して、ボウルは空になった。量がぴったりだったということは、俺の勘もまだまだ捨てたもんじゃないのかもしれない。ひそかにちょっとうれしくなる。

 コンロを見ると、タイミングよくお湯が沸いたところだった。弱火に調整して、マグカップを鍋にゆっくりと沈める。
 あとは、蓋をして、と。

 おやつの時間までは、もうしばらく待つばかりだ。

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