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1章
01 旅装束の恩師
しおりを挟む野球場のマウンドの上に、グラブもボールも持っていない喪服姿の佐渡(さど)由加里(ゆかり)が立っている。
空はこの世のとも思えないほど極彩色(ごくさいしき)で染まり、まるで終末が訪れたかのようだ。
周囲には選手や審判がおらず、ダグアウト内にもいない。スタンドにも客が人っ子ひとりいない。その代わりに10羽近くのカラスが、けたたましく鳴きながら空を我が物顔で旋回している。
「私は――」
佐渡は無意識に出た自分の声が、ひどくざらついていて思わず手を口にやった。咳を何回か繰り返し、再びのどの具合を確かめようと今度は胸に手を当てた。
すると、突如として強風が吹き、乾いたグラウンドから砂ぼこりが巻き上がった。目も開けてはいられず、手で鼻と口を覆って固く目を閉ざした。
風が暴力的な音を立て、砂ぼこりを佐渡にぶち当てていく。わずか10秒ほどの出来事だったが、佐渡の体は砂ぼこりに塗れてしまった。
――なんなのよ、もう……。
まぶたの上の砂ぼこりを払い、ゆっくり目を開けた。その瞬間目の前の光景に釘付けとなった。
真っ白な旅装束に身を包んだ倉本(くらもと)が、ホームベースの前辺りに立っていたのだ。心筋梗塞(しんきんこうそく)という名の突然死で亡くなった倉本は、70近くになっても体つきはガッチリとしていた。多少加齢で縮んだものの、身長は佐渡たちが所属していた新後アイリスの誰よりも高く、顎(あご)に蓄(たくわ)えられた白いひげを見なければ、もっと若く見られることも多かったらしい。
「倉本監督!」
反射的に佐渡が叫ぶ。ざらついた声を気にしている場合ではない。もう一度叫んだ。
「倉本監督!」
何も答えない。倉本は毅然(きぜん)とした表情で射るような視線を坂戸に向けているだけだ。悲しさが込み上げてきた。
「監督、私の顔を忘れたんですか!?」
坂戸がマウンドを降りて倉本のもとへ駆け寄ろうとする。が、
「来るな!」
杖の先端を向けられ、佐渡の動きが止まった。
「由加里、おまえ……死によったな?」
「私が……死んだ?」
「正確には死の淵を彷徨っているような感じだな」
「何をおっしゃってるか全然わからないんですが」
「意味がわからないのは仕方のないこと。とにかく、まだ死んではならぬし、諦めてはならぬ。死神は鎌を薙ぐときは気まぐれで一瞬だ。薙がれてないのなら、それまで生き抜くべきだ!」
「今の私にこれ以上何を求めるんです? 母さんも死んで監督も死んで、悲観にくれて底なし沼から這い上がれないダメな私に」
「おまえにしかできないことがまだ残っているからだ」
「新後アイリスなら大丈夫ですよ。政がなんとかしてくれるでしょうから。私はもう――」
「おまえが今まで生きてきた新後アイリスなら、な」
佐渡の言い訳を遮り、倉本は大声で言って笑ってみせた。意味が読み取れず、佐渡はクエスチョンマークを浮かべる。
「やり直すんだ、人生を。政と飲んでるときに言っていたじゃないか」
打って変わって穏やかな声音だった。
「でもどうやって?」
「直にわかることになる」
「監督はそこにいるんですか!?」
「私はもう完全に死人だ。もはや何もできない。ただ、見守ることしかできないんだ。これ以上は何も言えないし、導いてもやれない」
「そんな……」
「お前ならその世界の新後アイリスをきっと救える。理想郷を作ってみよ!」
倉本の言っている意味がわからない。その世界の新後アイリス? 理想郷? しかし、今の佐渡には選択肢がひとつしかなかった。
「わかりました。やってみます!」
佐渡の持論に、死者の願いを叶えてやるのも生きている者としての努めと思っている節があった。恩師であり、早くに逝った父親代わりの倉本の願いを叶えてやらねば成仏できないかもしれない。
「よし、よくぞ言ってくれた。また逢(あ)おう!」
風が吹き、砂が目に入った。砂を取っている間に倉本の姿が跡形もなく消えていた。ふと、目を上に向けると、極彩色の空に無数もの亀裂が入っていた。やがて少しずつ剥がれ落ち、カケラが地上に降り注ぐ。人の悲鳴が聞こえず、木々や建造物が倒壊していく音があちこちから聞こえてくることから相当な質量があるのだろう。カケラが剥がれた跡は黒い闇が顔を出している。
――逃げたほうがいいのかな。
一瞬そうは思ったが、行動を移す前に真上の空が降ってきた。ひときわ大きな塊が逃げる行為を諦めさせる。この世のものとは思えない轟音(ごうおん)を立て、街を覆い尽くしたのだった。
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