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1章
15 決意と覚悟
しおりを挟む結局、グラウンドに集まったのは10人しかいなかった。
新後アイリスは当時、選手の総勢は20人だったから、半分しか集まっていない計算である。
サボったと確信が持てる数人を除けば、本当に私用や仕事で来れないのだろう。が、それでも集まりが悪すぎた。
「私たちはあの拝藤組に勝ったんだ! 実力は充分にある。だから練習しなくても勝てるんだ!」
このような勝者の驕(おご)りが蔓延(まんえん)しているとも感じられる。
新後アイリスというチームは、選手には過保護なぐらい優しいチームである。3食ついて寮費はタダ同然なのである。ここまで面倒見てくれるチームなんて、企業チームですら少ない。
誰も「過保護すぎる!」とは言わないが、こう思われていても仕方ないのだ。練習日だって配慮して金土日のみである。各4時間そこそこしか全体練習を行わない。あとは自主練なのだ。
グラウンドだって自前の立派なものが寮の横にある。練習しようと思えばいくらでもできるのだ。けれどもやらない、やろうとしないのはなぜか。人間は恵まれすぎた環境にいると、よほどの強い向上心を持たない限り腐っていくのだ。練習なんて疲れるだけで、できることならしたくない。それに、その気になればいつでも練習できる。しかもいちいち練習のために移動しなくてもいい。さらに道具もある程度支給されるし、必要な道具も自分たちで運ぶ必要がない――こうして向上心とハングリー精神を失った腑抜けができあがってしまう。
倉本元監督はそういった選手の人心掌握がうまかった。選手ひとりひとりに強弱はあるものの飴と鞭を与えた。言葉と規律で導いていく。暴力は決して振るわない。だが、倉本には少し強制的な部分もあった。
「~せねばならん!」
ではなく、
「~しなければならんぞ。あいつはもっと努力している」
と、選手間競争を煽るためによくこんな声がけをしていた。発奮する選手もいれば、余計なお世話だと反感を持つ選手も生まれた。その後者の代表格が神津つぼみという選手である。
彼女は10月に行われた日本選手権――社会人野球日本選手権――ではよく打ち、自分のポジションのファーストでの好守を連発していた。それはそれは本人が天狗になってしまうのも仕方がないほどに。倉本は下手に言って調子を崩したくなかった。彼女の勝負強さと打球を飛ばす力はチーム随一(ずいいち)なのだ。大会が終わったら釘を刺そうと考えていた。だが、前述の通り倉本は死に、つぼみは天狗になったまま放置された。結果、練習をサボるようになる。練習しなくてもいつでも実力を出せると勘違いしているからだ。主将の由加里を始めとしたチームメイトや、監督になったものの引き抜き疑惑がかかった坂戸の言うことなど聞くわけがなかった。本人も結果で示せばいいと考えているのだろう。プロなら百歩譲っていいのかもしれないが、ここは社会人野球である。
『決して、仕事をおろそかにしてはならない。働いて、給料をもらい、自分で自分を支えるからこそ真剣に野球に打ち込める。その逆もしかり』
この倉本の言葉に反することになる。傍目(はため)から見てもあまりいい気はしないだろう。真面目に仕事に練習をやっているチームメイトならなおさらである。
「練習を前に私の話を聴いてほしい」
ダグアウトの前で整列している10人の前に坂戸は立っていた。選手たちの真剣なまなざしが坂戸に集中する。
「秋の大会、なんで勝てたかわかる? 由加里」
「え? えーっと……投手陣の継投がうまくいって最少失点に抑えたからじゃないかな?」
「てェことはオレのリードが一流だってことだわや」
由加里の隣で桐子が得意気な顔をしている。
「ハァ? あんな無茶苦茶なリードでよく言うよ」
「無茶苦茶とはなんなんば(だ)ッ。こっちだって頭使ってやってんだわや!」
一触即発の雰囲気に、坂戸は割って止めようとしたが、代わりに佳澄が止めるような形で発言した。
「違う違う、勢いだよ。勢いっ。だって、あのとき負ける気なんかしなかったもん!」
160センチ中盤のふたりに比べて10センチほど低い佳澄なのだが、彼女の大きな声はよく通った。
「3人とも正解よ。つまり、みんなの力が合わさったからこそ勝利なのよ。倉本監督の采配もそうだし、実際に試合という現場で戦った選手の力もそう。あとは、相手を飲み込んでやろうって勢いや気構えは何よりも大切。これらが三位(さんみ)一体(いったい)になって、総合力で上回らなければならない。そうしないと、どんな相手には勝てない。これはまぎれもない事実。だから、私も努力する。気持ちをより引き締めて、みんなといっしょに戦って喜びや悔しさを分かち合いたい」
選手たちの首が縦に振られた。
「でもちょっと違うところがあるわ。桐子のリードや捕手としての技量はまだまだだけどね」
「チッ」
桐子が不快感を露わに唇をとがらせてそっぽを向き、選手たちが笑う。すかさず坂戸が釘を刺した。
「みんなも桐子のことを笑ってられないわよ。まだまだ足りてない部分や伸ばせる部分があるんだから」
ひとりひとりの顔を見る。元の世界なら自分と同年代の選手たちだ。だが今は、ほぼ親子の差ほど年齢が離れている。なんとも言えない不思議な気持ちになった。
元の世界の歴史では、チームの解散で1年後には選手たちとは会えなくなってしまう。選手たちの聴き入る顔を見て、心の奥底でやる気が沸々と音を立てていく。
この娘(こ)たちを私が守っていかなければならない――。
話していて決意ができた。放っておいたらこの世界の新後アイリスも遅かれ早かれ崩壊し、廃部へ一直線に進んでいくだろう。それを黙って見ていられるほど、坂戸は人として終わってない。同じ歴史(過ち)を繰り返してはならない。
坂戸の想いを知ってか知らずか選手たちの表情も引き締まってきた。坂戸のことをどう思っているのかはわからない。どの程度信頼しているのか、はたまた信頼されてないのかもしれない。今は引き抜きの話のせいで後者のほうが多いだろう。
だからこそ言わねばならなかった。
「倉本監督が亡くなってもう早いもので2週間が経ちますが、改めて私は言います。今こそ、チームがひとつになるとき。私はみんなの力を信じるし、みんなは私のことを少しずつでいいから信じてほしい。監督としてまだまだ至らない私ですが、この新後アイリスに骨を埋める覚悟でいます。もう一度チャンスをください。企業チームやクラブチームを倒して、黒獅子旗(くろじしき)とクラブ野球選手権の優勝旗(き)とダイヤモンド旗(き)の3つを取りに行きましょう! よろしくお願いします!」
坂戸が深々と頭を下げた。少しの間があって、拍手が打ち鳴らされる。目標が高すぎて当惑したのかもしれない。しかし、ここまで言わねば腐った空気を払拭(ふっしょく)できない。病は気からというように、強くなるためにはまずは気からである。プラスして突き動かすような衝動も必要となる。
「みんな、焼却炉に来て」
そのまま練習を開始するのかと思いきや、坂戸は突然、グラウンドの出入り口へ歩みを進める。部員たちは意図が理解できずにただ後ろをついていく。
坂戸は焼却炉を背にし、手提げバッグから水色の封筒を取り出して頭上に掲げた。
「順番に中身を見てごらんなさい」
言うまでもなく、関西ガスからの引き抜きに関する資料や書類一式だった。目を通し終えた部員から、疑惑や敵意むき出しの視線が突き刺さる。あの人懐っこい笑顔の佳澄ですら曇った顔で様子をうかがっている。だが、坂戸は平然としていた。
「どういうこった監督! ナ(おまえ)がさっきなか言ったことは全部てんぽ(嘘)だねっけや!」
最後に手に渡った桐子がグシャグシャに丸め、地面に叩きつける。
「まあまあ、そう怒らないで」
坂戸が資料を拾って伸ばしながら、由加里に言った。
「ハンディカムを回して」
由加里が言われた通り、傍に置いていたレザーケースを開け、ハンディカムを回し始めた。坂戸の指示で封筒の裏表から資料や書類まで1枚1枚映していく。
「何すんだわや!」
シビれを切らした桐子がツバを飛ばしてキレる。ちょうどすべて撮り終えたところで、坂戸は笑みを浮かべて答えた。
「これから封筒ごと燃やすのよ」
封筒に資料や書類を戻し、焼却炉のフタを開ける。もう一度封筒を掲げると、由加里のハンディカムも上を向いた。ライターの火で封筒に火をつけた。空気が乾燥しており、3分の1ほどがたちまち灰になる。坂戸は焼却炉の中に封筒を投げ入れる。それからみなに向き直った
「私は新後アイリスを強くし、守る。私の意志は――本物よ」
坂戸の真剣な表情と迫力に、みなは息を飲むしかなかった。
しばらくして坂戸は寮の門を出て、少し歩いて公衆電話に入った。トキネ宛てにメッセージを送るためである。
「819301、と」
あまり長文は送れないから完結に「やるわ」と送った。トキネは頭のネジがふた桁単位で抜けてそうだが、いくらなんでもこれで通じるだろう。そう思いながら坂戸は公衆電話から出て伸びをした。空を見上げれば満天の星空が散りばめられている。空の雄大さと無数に瞬く星空の綺麗さはこの時代も元の時代も変わらない。
「よし」
決意をした、覚悟もした、あとは立ち向かっていくだけである。
今は坂戸悠里となった佐渡由加里の戦いが、ここに切って落とされた。
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